2024年2月の記事

東京高裁はインク鑑定を実施せよ!

鑑定人尋問ー事実調べを行え!



3・15狭山要請行動、高裁前行動へ

  家令新裁判長を迎え撃て!



東京高裁前を「事実調べ行えー

再審を開始せよ」の声で埋め尽くせ



検察の証拠隠し弾劾


 狭山第3次再審請求は、今年5月で18年になる。やっと事実調べを請求する段階に入った。なんと長い時間がかかるのか。これはすべて検察側の証拠隠しが原因だ。
 検察は2009年12月、門野裁判長の証拠開示勧告によって、翌年5月初めて証拠を開示した。しかし検察はその後もさみだれ的開示をしつつ、今現在も証拠を出し渋っている。検察側は事件の真実を明らかにしようという姿勢は一切なく、徹底的に審理を妨害していると言うほかない。


裁判所は開示勧告を行え

 これに対して裁判所の態度はどうだろうか。こうした検察側の「妨害」になすすべがないのだ。無為のまま昨年12月退官した大野裁判長がそのいい例だ。しかし裁判長がそんな姿勢でいいはずがない。検察の見え透いた引き延ばしと証拠隠しは誰の目にも明らかなのだから、証拠開示を勧告すべきなのだ。


事実調べを行わせよう

 今年2月下旬、家令新裁判長のもとで第58回目の三者協議が行われる。すでに弁護団は検察の「事実調べの必要なし」という意見に対して反論を提出した。検察はさらに反論して審理を引き延ばそうと企んでいるが無用な引き延ばしは許されない。弁護団が第3次再審請求で積み重ねてきた新証拠の数々を絶対に無駄にしてはならない。


草の根から決起しよう

 今私たちができること、しなければならないこと、それは狭山再審実現の大きな世論をつくり出すことだ。このわかりきったことをやってきたつもりでも、まだ足りないのである。もう一度自分の足下から、学習会や映画会を催し狭山を訴え署名を取り、高裁へ要請ハガキを送り、新たな人々を獲得して狭山をたたかう裾野を広げ、そこから代表を裁判所や検察に直接訴える要請行動をたたかおう。そうした取り組みを本気の本気で一から作り出し、あらゆる地域で実現できれば必ず世論は動く。この岩をも動かす信念こそ再審実現を勝ち取る力だ。
 石川一雄さんは「自分には諦めという言葉はない」と述べている。そうなのだ。これからが再審開始に向けた本番が始まるのだ。石川さんにかけられた手錠は部落の兄弟姉妹にかけられた手錠だ。
 3月15日、家令裁判長にたたきつける第1弾の要請行動がたたかわれる。第3次再審請求の18年に及ぶ、石川さんと弁護団、支援の血と汗の努力を絶対に実りあるものに結実させなくてはならない。
 3・15狭山要請行動に総結集しよう。



能登大震災にさいし心からお見舞い申し上げます


 歴史的に地区指定も同和対策事業もなく、解放運動も困難な被災地の兄弟姉妹にたいして、全国連は現地の事情に最大限の配慮をしつつ、救援の道を追求します。
 しかし、現在は県・自治体を通してしか支援に入れない状況にあります。対象地区、方法がわかり次第お知らせしますので、その節には全国からの支援の集中をお願いします。

2月8~9日七尾市を訪問。駅に近接する7戸の地区。段差、ガラスは割れ、家具はグチャグチャ。住民は皆無。




沖縄・辺野古新基地建設反対

 民意を無視した工事着手弾劾


 1月6日沖縄防衛局は、辺野古新基地建設での変更申請をめぐる国の「代執行」を受けて辺野古崎に近いK5護岸(辺野古側と大浦湾側の中間に位置)の工事に着手した。反対する市民らが抗議するなか、海上ヤード設置のための石材を海中に投下した。
 玉城知事は記者会見で、「国策の名の下、国家権力によって、選挙で県民の負託を受けた知事の処分権限を一方的に奪った。民意を踏みにじり、憲法で定められた地方自治の本旨をないがしろにするもの」と「代執行」への怒りを表明した。


破綻寸前の新基地建設

 設計変更の埋め立て海域は、キャンプ・シュワブ沿岸部約152㏊のうち、軟弱地盤が見つかった大浦湾がある東側海域(111㏊)。この海域は水深が深く、海底に「マヨネーズ状」といわれる軟弱地盤が広がる。軟弱地盤は最深で海面から約90m(B27地点)の深さで、地盤改良では7万1千本のくいを海面から70mの深さまで打ち込む大規模工事となる。
 防衛省は設計変更にあたり、最大750m離れた3地点の計測データから類推し、「B27」地点の強度を推計している(添付図参照)
 県は不承認通知書で、「地盤の安定性等に係る設計に関して最も重要な地点において必要な調査が実施されておらず」「地盤の安定性等が十分に検討されていない」「災害防止に十分配慮されているとは言い難い」と指摘。
 90mに達する軟弱地盤の改良工事は世界でも例がない。「B27」地点には巨大な護岸が建つ。強度が足りなければ護岸が崩壊する恐れもあり、国会では何度も「B27」地点の再調査を求めたが政府は拒否した。
 設計変更にお墨付きを与えた防衛省の技術検討会は2019年に設置、6回の会合を重ねた。8人の委員のうち半数を旧運輸省OBが占め、また8人のうち少なくとも3人が受注企業との共同研究や有識者会議の委員をつとめ、資金提供を受けている。2020年4月防衛省は専門家の理解がえられたと、県に設計変更の申請を行った。完全な出来レースだ。
 防衛省の当初「5年で埋め立てを完成させる」計画は頓挫し、現時点では順調にいって9年3ヶ月の工事期間、移設計画完了は12年後とされる。防衛省の申請時の添付文書は、「普天間飛行場の危険性を早期に除去する必要がある」と主張していた。だが今後さらに長期間の工事となり、辺野古新基地が「普天間飛行場の危険性を早期に除去する」ことにはつながらない。今後の埋め立て工事は、遅延が避けられず、完成もおぼつかない状況だ。


軍拡と戦争許すな 辺野古新基地阻止へ

 国土の約0・6%に約70・3%の米軍基地が集中(今年1月11日現在)する沖縄では、県民の平穏な生活が奪われ続けてきた。
 さらに、航空自衛隊那覇基地をはじめ55の自衛隊施設(総面積約780万㎡)が存在し(2020年3月末時点)、拡大強化されている。
 2020年12月に閣議決定した安保関連3文書で、相手国のミサイル発射拠点をたたく反撃能力保有を明記。その後南西諸島や沖縄本島への自衛隊配備が増強された。陸自駐屯地が設置された日本最南端の与那国島は、23年度に電子戦部隊を追加配備し、訓練場や火薬庫を整備、そこにミサイル部隊を配置するという。宮古島、石垣島にもミサイル部隊の配備が計画されている。
 憲法改悪、軍拡路線を突き進む岸田は、県民20万人(当時の沖縄県民の4人に一人)が命を奪われた沖縄戦の悪夢を、再び再現しようとしている。断じて許してはならない。
 本土のわれわれ一人一人が、この現実にどう向き合うかが問われている。沖縄県民と共に、今こそ辺野古新基地建設阻止へ全力で立ち上がろう。

 *近いうちに現地取材して、住民のナマの声を聞いてくる予定です。


2024年1月の記事


あらゆる垣根をこえ訴える

どうしたら狭山に勝てるのか

ひとりひとり「自分がどうするのか」

  
         ―2024年の新春にさいして

          部落解放同盟全国連合会中央本部

(1)狭山事件を担当する東京高裁刑事第4部の裁判長が12月12日で、交代しました。大野勝則裁判長は結局、無為のうちに退官しました。かわって、家令和典(かれいかずのり)裁判長が就任しました。
 私たちは、ギリギリまで、事実調べを求めてたたかいました。しかし、実現とはなりませんでした。石川一雄さん、早智子さんの無念を思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
(2)85歳の石川さんにとって、今の第3次再審で勝利する、それ以外にはありません。では、「どうしたら勝てるのか」。この節目に当たって、厳粛に、その問いかけがつきつけられています。
 あえて言えば、全国連としてではなく、解放同盟としてではなく、市民の会・住民の会としてではなく、弁護団としてでもなく。一人一人、自分がどうするのか、どうやって石川さんの再審無罪を成就するのか、自分の心に問い、自分の五感で解答せよと迫られています。  ある意味、最後の舞台として七転八倒、悶絶して考える、いまがまさにそのときに遇(あ)うています。
(3)私たちは、力のかぎり、身の丈をはるかにこえて、精いっぱいのことをしてきました。下山鑑定はじめ261点の新証拠、2回の意見広告、毎月の要請行動、52万の署名・・・。それでも、叶わない。一体どうすれば勝てるのか。勝つためには、何が足りなかったのか。
 石川一雄さんは「自分には諦めという言葉はない」「新しい裁判長になっても私は焦らない。納得のいく判断をしてもらいたい」と述べておられる。「第3次再審。あとは無い。第3次で何としても再審無罪へ」と断崖絶壁に屹立(きつりつ)しておられます。この不滅の闘魂。極限的な不退転の覚悟。それをワガモノとするとは、どういうことなのか。
(4)他方、石川さんの人生をもてあそぶ者たち。裁判官。検察官。警察。そして・・・。権力の走狗共。権力とじゃれ合い、人の人生を貪り食らう者。
 新任の家令裁判長。彼は62歳。定年まで3年。おそらく、この裁判長のもとで決定が出されます。果たして、この人に証拠の捏造(ねつぞう)=権力犯罪が裁けるのか。部落問題が、石川さんの無念が、わかるのか。やがて、待ったなしのときがきます。
 そのとき、自分はどうするのか・・・
 石川さんはどうするのだろうか・・・・
(5)全国連の役員も、順次後期高齢者になります。この歳で何ができるだろうか。要請行動。署名。現地調査。学習会。マスコミ、議員対策・・・できることは何でもやりましょう。
 しかし争いの土俵は裁判闘争。やはり弁護士の役割が決定的です。石川さん、弁護団、支援。それらが本当に三者一体となって、初めて弁護士の力も発揮されます。これまでのように、三者バラバラでは、勝てるものも勝てません。また、「秘密主義」では団結できません。証拠開示・情報開示をまずこの三者でこそ、率先しようではありませんか。勝利のためあらゆる垣根をこえ、全支援の結束を。
 新年のあいさつを求められますが、以上、断崖の苦悩をのべて、あいさつに代えます。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 6-2
              
        2023年12月24日
        部落解放同盟全国連合会


 全国連から示現舎・宮部龍彦への公開質問状-6にたいして、いまだに文書回答がない。 ネット上で、ボソボソと宮部が、公開質問状-6について、か細くぼやいたことは承知している。しかし、それでは回答にならない。いや、この舞台から、逃げている。
 改めて、2024年1月10日までに、文書による回答を求める。
 公開質問状-6は、次の要旨であった。
 ① 宮部は、自分を部落民だと詐称する、大ウソつきだ。この点は、数度のやりとりで、完全に明白になった。

 ② 宮部龍彦は、鳥取市下味野の本村にルーツをもつ、一般民である。苦し紛れになお開き直っているが、しかし、自分の実家や近隣を「部落探訪」(今では「人権探訪」と称す)でさらして「ここが被差別部落です」とは決してしない。できないのだ。今では、その下味野では旗色が悪いと自覚し、神奈川県の解放同盟員宅に勝手に本籍を移し、「これで正真正銘の部落民だ」などと、噴飯ものの演出をしてみせた。自分で自分の掘ったウソの墓穴にはまっている。宮部があれほど強弁してきた「下味野が部落」なら、なぜそんな猿芝居をする必要があるのか。

 ③ 差別体験の質問には、「全国部落調査の拡散を阻止され、部落研究を妨害されていることが、唯一の差別体験」と言う。まるで答えにならない。根っこがウソつきだから、答えがどこを探しても出てこないのだ。

 ④ 以上の1~3については、あえて回答を求めない。これ以上、根っからのペテン師のウソ、屁理屈につきあっても意味がない。宮部龍彦のウソ、デタラメは満場一致で確認された。

 ⑤ だが、以下の質問には、答えてもらおう。
 宮部龍彦は言う。「『部落民は誰もが苦しんだ経験を持っている』という根拠はない。部落民であるということで苦しみ、悩みなんかない」「結婚差別などは悪質デマ、オカルト、陰謀論の類い」だと言いう。この主張こそ、宮部自身の人間性の歪みを示して余りある。
 部落差別のなかでも、結婚差別は、部落民なら例外なく人生で一度は直面する問題である。有名な小説『破戒』でも、その一端が描かれている。
 戦前だが、部落と一般との交際を「誘拐罪」として、裁判所が監獄にぶちこみ、大問題になった高松差別裁判すら、君は知らないのか。このような結婚差別は、かってあったという話ではない。結婚差別によって、生身を引き裂かれ、決別や最悪自死に追いやられる例は、昔も今も枚挙にいとまがない。しかし、その多くが沈黙する。表面化するのは、万に1つ。なぜか。それだけ、深刻だからだ。
 真の悲惨は、沈黙するのだ。それを理解することが、人間性だ。宮部よ、恥を知るがいい。実際に表に現れるか、まったく表面化しないか、様々なケースは当然ある。しかし、部落問題の神髄がここには秘められているのだ。
 宮部の主張は、人間性の対極なのだ。君は、自分の非人間性を自認しているにすぎないのだ。そして、君のような無知無理解が、結婚差別を助長し、犠牲者の血涙を非情の闇に葬っているのだ。
 以上の指摘にたいし、宮部の見解を聞かせてもらいたい。

 ⑥ さらに、いまひとつ。「部落解放運動があるから差別がおきる」という転倒したウソについて。
 宮部は言う。「結婚差別などない。親が解放運動などやっているから忌避される」「解放運動などするから差別がおきる」と。権力・地対協意見具申とまったく同じことを言う。
 私たちは宮部に対して、解放運動とは無関係に部落差別事件は起きていることの具体例として、茨城県土浦市の差別事件を取り上げて質問した。この差別事件は、市職員である児童クラブ支援員が、部落から通っている児童に対して「部落だから頭が悪い」とか、親が廃品回収をしていていることを「ゴミ屋です。○○では被差別部落カーボを△△の連中と呼ぶのだけれど…ゴミ屋なんて普通はやらないでしょう、△△人だからなんですよ」などと差別発言をした事件である。
 全国連は、差別を受けた子供の親と何度も話し合った結果、市役所に対して事件を通告して取り組みをすすめ、当事者も反省を表明するなどしてきた。
 宮部はこれについてネットで「茨城の話なんて、僕、全然関係ないから。A子ちゃんとか、○○とか伏せ字にされても、何のことか分からない」などと逃げていた。
  ところがその後、宮部は部落探訪と称して土浦市の部落に行き、地元の名字を連呼しつつ「○○毛皮店倉庫とあるので、まさにそうですね」などと村内を撮影してネットでたれ流した。
 そして翌日に「回答します」として、まず言ったのは、「全国連が伏せ字にした地名が分かりました」として得意げに部落の地名を言い、テロップで流している。意識的な差別の上塗りであり、絶対に許せない。
 また差別事件について、「軽口」「「相当誇張されている、どこまで本当か分からない、信じない方がいい」などと、全国連が事件をねつ造したかのように言っている。
 そして結論として、「部落差別は風評被害でなく、解放運動がなくても現実にあるではないか」という私たちの指摘に対して、「全国連さん、あなた根拠のない風評被害を広めています」と言う。
 その理由は、解放運動が関係していない差別事件なら「じゃあ、関係しなければいいんじゃないですか。全国連さん、この件で土浦市を糾弾したんじゃないですか」「総会屋と同じ。反社なんです」、それが「根拠のない風評被害を広めている」というものである。「市役所の人に任せておけばいいじゃないですか」「内部の規則に沿って、ちゃんと法律に沿った処分をすべきだった」とも言っている。
 宮部は、差別事件が起きるのは解放運動のせいだという主張の間違いを突きつられ、まともに答えられないで逃げているのだ。そして差別事件が起きたらそれを糾弾することが間違いだという話にすり替えているのだ。
 宮部の理屈では、自主解放の差別とのたたかいなどはあり得ず、「役所のルールに任せるべきだ」となる。そう言うなら、「部落探訪」なども、宮部の好きな法務局のルールを尊重し、それに沿って削除したらどうか。
 改めて、念をいれて宮部に聞く。差別事件の具体例として、2022年に発覚した土浦市児童クラブの差別事件について、公開質問状-6で触れた。この差別事件の背景には、運動団体はまったく関係していない。地域の一般住民が、いかに根深い差別意識を、今も持っているかを示している。宮部は、これのどこをとらえて「部落解放運動のせいだ」というのか。
 宮部はネットのボヤキの中で、「こんな事件は自分と関係ない。関知しないことだ。論点をコロコロ変えるのは困る」と述べている。そのくせ、「部落探訪(人権探訪)」で、当該の部落(未組織地区)を徘徊し、これ見よがしにムラの地名、職業、名字などをさらしものにした。
 そしてまた、あろうことか「こんな問題は役所に任せればいい。全国連が運動体として介入するから、差別事件にされた。全国連こそ謝罪すべきだ」などと許せない暴言を吐いた。 本末転倒。差別糾弾闘争にたいする最も遅れた反動的見解を吐露している。宮部よ。これは、お前の独創的見解などではない。愚劣な差別主義者の、糾弾否定の合言葉だ。それが、この世で最も、愚かで、お前の言うところの役所の人間以下の、それよりはるかに低俗な連中の見識なのだ。思い知るがいい。
 宮部に問う。事実に照らして、土浦差別事件の問題の性質を述べよ。「解放運動があるから差別がおこる」論を謝罪・撤回せよ。
 以上、2024年1月10日までに文書回答を要求する。


↓↓↓公開質問状6-2にたいする↓↓↓↓↓↓

↓↓↓YouTubeでの示現舎・宮部の反応↓↓↓


 「回答しない。逃げていると言うなら逃げ。」「宮部のウソは満場一致で確認されたと、勝利宣言している」
 「結婚差別の表面化は万に一つというが、万に一つでなくゼロ。幽霊が出るという話と一緒。オウム同様のオカルトだ」
 「土浦差別事件の当該地区には、かって解放同盟があった。未組織ではない。そういう話を自分は聞いた」(宮部一流の知ったかぶりのウソ。解放同盟は無かった。)
 「時代遅れ。こっちは、解放同盟とガチで裁判している。こんなのに、つきあってる暇はない」

 
以前のように、質問の一つ一つへの屁理屈を並べた反論は、すっかり影を潜めている。宮部=ウソつきが、確定し尽くした。また、差別事件の実例をあげた追及に、「オカルト」などと決めつけて煙幕をはるだけで、何ら反論できない。
 さらにネット上の差別記載の一切の削除、示現舎の社会的追放・一掃まで追撃していこう。


2023年12月の記事

 大野裁判長は退官前に

    事実調べを決定せよ!


11・24高裁ー高検に要請行動

 東京高裁第4刑事部大野勝則裁判長の12月退官を目前に控えた11月24日、狭山要請行動が取り組まれた。今回は長野を中心に茨城、東京、中央本部、狭山大運動・鶴丸春吉共同代表、合計11人が参加した。
 午前11時から、東京高検要請行動が行われた。東京高検から、片野担当検事、渡部検察事務官、公判事務課清水の3人が出席。
 楠木全国連書記長あいさつ後、要請文6通を読み上げ。全国連中央本部の要請文読み上げ中の質問に対し、片野検事は「質問には答えません」と前回から一変して、頑なな態度で対応。長野から、一審検事論告をめぐるやり取りをふまえ、「なぜ石川さんが貧困であることを犯罪に結びつけるのか」の質問にも、「質問には答えません。前回は質問に答えたから時間がかかった。30分の約束を守ってもらう」と対応。
 片野検事の「質問に答えない」発言に対する要請団の意見が相次いだ。
 「前回答えて、今回答えないのは上司から言われたのか」「要請行動でのやり取りは社会的慣行であり、答えるべき」「この要請行動には担当検事が来られている。みなさんから聞きたいことがある。一言答えるべき」「この場しか直接声を届ける場がない。面と向かって、真摯に受けてくれているとの思いが感じられない。私たちが真剣なのは、一人の人生がかかっているから」。
 片野検事は「要請は真摯に受けとめている。質問に答えるのは別問題」と反論。さらに、「答える法的根拠はない」「証拠開示は裁判所、弁護団との話であり、この場ではない」。要請団から「片野検事は要請行動は国民の請願権と言った。請願権には誠実に答えなさいと書かれている。最大限の誠意を見せるべき。同対審答申には狭山事件の頃の部落差別の現実が書いてある」。
 片野検事「(同対審答申を)6~7月頃1回読んだ。もう一度読みます」。
 終了、11時51分。

 東京高裁前街宣

 12時すぎから午後1時まで、東京高裁前での街宣が取り組まれた。
 東京高裁前は、通行する市民がこれまでで一番少なかった。そのなかでも10人の方が署名に応じてくれた。

 東京高裁要請行動
 
 午後2時15分から高裁要請行動が取り組まれた。高裁からは、小寺訟廷管理官、荒川副訟廷管理官、総務課西田の3人が出席。
 冒頭、小寺訟廷管理官から「30分でお願いします」と発言。
 初めに、楠木全国連書記長から「要請したいことは一つ。大野裁判長は狭山を3~4年担当し、判断する材料は充分であるはず。退官する前に事実調べを決定してほしい」と発言を受け、5通の要請文が読み上げられた。
 その後要請団それぞれから、大野裁判長の12月退官前の鑑定人尋問を決定して欲しいとのの意見が続いた。小寺訟廷管理官は、「答えられない」「私からは、言われたことを伝えます」との対応に終始した。
 終了:午後3時56分。  


投稿 

第72回狭山街宣・リレートークと

   デモ報告(11月26日 福岡・天神)


 「私が逝ってから無罪を勝ち取っても遅い」不当逮捕から60年、もうすぐ85歳になる石川さんが今期にかける決意は天地を揺るがし私たちを鼓舞する。大野裁判長の12月に定年退官がせまっている中で、鑑定人尋問とインク鑑定の決定がいつ実現されるのか? この時、私たち実行委にできることは何か? を論議した中、世論に訴えるデモをやろう! と決定しました。
 秋晴れの下、14:30からリレートークと街頭宣伝・署名活動を行いました。今日は参加者の気合が違う感じです。フライング気味にリレートークが始まり、実行委の村上さんは狭山の事実調べとパレスチナ攻撃の非難を訴えました。ヤスミンライブラリーのOさんはパレスチナ問題を提起し、イスラエル政権の打倒を訴えました。司会のHさんが今日の取り組みを訴え、元教師のKさんは宝くじ売り場に並ぶ人々に、「購入後にぜひ署名に協力してください」と訴え、いつもは署名やチラシ配りを担っている仲間12人が狭山への思いを次々と発言していきました。
 中学生や高校生が立ち止まり署名に応じる姿や仲間の訴えに応じて署名台にやってくる男性などが見え、また新証拠のインク問題などのパネルに注目する男性やカップル、さらには、すうっとカンパ箱に近寄りカンパしてくれた女性など今日も手ごたえを感じました。街宣終了後デモまでの間元教師の女性がアピールをしていると「チラシをくれませんか」と言ってきた30代男性がいました。参加者21名、配ったチラシ123枚、署名24筆、カンパ3000円の成果を得ました。
 16時になり実行委結成から8年、初めてのデモに起ちました。“石川さんは無実だ!”“再審を行え!”と書かれた新調ののぼり旗が林立。街宣車が先導し、狭山事件が権力犯罪であることをアピールしながら、“狭山の裁判やり直せ”“イスラエルの虐殺やめさせよう”などとデモコールしながら福岡県民、特に若者注視の中、警固公園までのデモを貫徹。終わりに実行委の村上さんが「今日の行動は世界の反戦行動と一つながりである」ことと総括し、「差別裁判打ち砕こう」を歌い終了しました。


狭山再審を実現する大運動・関西 

        奈良・大阪でも街頭宣伝


JR奈良駅前で熱く狭山
再審を訴える
(2023年11月26日)


                                                  



ビラをまく手にも力が入ります
(11月26日JR奈良駅前)




 



狭山再審を実現する大運動・関西は、大阪・京橋駅で街宣
(11月23日)   





     

訴えに熱がこもる鶴丸共同代表
(2023年11月23日) 






 

2023年11月の記事

「大野裁判長は退官前に

鑑定人尋問の決定をおこなえ!」の

必死の訴え


10・31狭山大運動と全国連

東京高検へ要請行動 東京高裁前で4時間の訴え


 寺尾無期判決から49年を迎えた10月31日のこの日、11時からの東京高検要請行動に続いて、12時すぎから午後4時近くまで、東京高裁前でのマイク宣伝、チラシ配付・署名活動が行われた。東京高裁前では終日、東京高裁第4刑事部大野裁判長の11月三者協議・12月退官前の事実調べ・鑑定人尋問決定を求める訴えが鳴り響いた。

●東京高検要請行動●

 東京高検からは、片野担当検事ら3人が出席。要請団は「狭山大運動」と「狭山と人権を考える茨城の会」からの参加も含め29名、20名の枠を上回る参加者となった。
 はじめに、部落解放同盟全国連委員長村上久義さんから訴えを行った。
 「今日10月31日は49年前、東京高裁・寺尾裁判長が、石川さんに無期懲役判決を下した日だ。狭山事件は、袴田事件のように鑑定人尋問が行われていない。片野検事は無実の人間を罪に陥れますか」。これに対し、片野検事は「しません」と返答。「今、判断が迫られている。鑑定人尋問を行って真実を追求してほしい」と訴えた。
 これを皮切りに要請団から口頭での要請が始まった。「石川さんの年齢を知っているか、体調についてはどうか」と質問するも、検事は「知らない」と返答。「石川さんの人生について関心がないのか。狭山はえん罪が疑われている事件だ。彼の人生その人のことを考えて対応すべきだ」と追及した。
 また、一審の検事論告について、「検事は,差別論告と思わないと言った。ただ、『貧しいことが犯罪の理由と書かれていた』という。それでは部落差別をわからない。だから、無実の人を有罪にしても心痛まないのだ」と国家権力の部落差別を追及した。ほかにも証拠開示問題や下山鑑定の事実調べなど、時間いっぱいに追及を行った。その後9通の要請書を提出。最後に要請団から「事実調べは必要であり真実を究明してほしいと言っている。証拠開示をして真実を究明することを、三者協議の場で明らかにしてほしい」と締めくくり11時50分に終了した。

●東京高裁前 宣伝活動●

 正午過ぎから高裁前での宣伝活動が開始された。大横断幕が掲げられ、東京高裁正面横に木製のかもいを展示。道行く人々にチラシ配布、署名への協力を訴えた。
 マイク宣伝では、狭山大運動共同代表の長谷川弁護士、関西から新たに共同代表になった鶴丸春吉さん、狭山と人権を考える茨城の会代表の尾池誠司さんをはじめ、青年や婦人の発言など多様な人々から、大野裁判長は鑑定人尋問を行えなどの、必死の訴えが東京高裁に向け発せられた。
 マイク宣伝は4時頃まで続き、全国から集まった40名全員が10・31要請行動を最後までたたかいぬいた。


検察の再審妨害を許さず、

   第3次再審に全身全霊で闘いぬく

石川一雄さんの10・31アピール
    
                                                           (見出しは編集部)

 今年の極夏もやっと峠を越えたものの、熱中症、新型コロナ、インフルエンザが猛威を奮いました。支援者皆様方におかれましては、いかがお過ごしでしたでしょうか?私は元気そのものであります。
ただ、新型コロナ感染が拡大し、俳優の志村けんさんが新型コロナに感染し、急死されたこともあり、私も高齢のうえ糖尿病の持病もあることから、支援者皆様方には申し訳なく思いつつ、「生き抜いて冤罪を晴らす」ために、この2~3年、極力外出を控えさせて頂きました。
 また最近特に、目が見えにくくなり、階段等で転んだこともあったので、遠くの集会等に支援のお願いに出ていくことも遠慮させて頂いております。
 その間にも、支援者皆様方には、高裁に鑑定人尋問を求める署名を51万筆以上集めて頂いたり、「狭山の闘いを止めない」と高裁前アピール行動や各地での集会やスタンディング、座り込み、23デーの取り組み等を続けて下さっていたことは、私をどれほど奮い立たせ、また希望を頂いたかしれません。
 なにはともあれ、今は、第3次再審闘争の最重要な局面を迎えており、57回目の三者協議も来月に予定されていますが、現在の状況を直視すれば、大野裁判長の退官は12月に迫っている由で、事実調べ・再審開始の可否の判断は、次の裁判官に託すにしても、それほど時間はかからず判断されるものと思われます。49年前の寺尾確定判決の一部を引用すると「いやしくも捜査官において所論のうち重要な証拠収集過程においてその1つについてでも、弁護人が主張するような作為ないし証拠の捏造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件は極めて疑わしくなってくる」とあり、そうであるならば、鑑定人尋問の必要はないと主張する検察に対し、裁判官は毅然とした態度で鑑定人尋問を行うことが求められていますし、また、職権でインクの鑑定をして頂きたく切に願っています。 私自身は、確定判決のあげた証拠に対して、つぎのような疑問を追及することも重要ではないかと思っています。
 その一つは、解剖鑑定では被害者の死亡時刻は食後最短で三時間というように判断されておりますが、被害者の解剖結果によると胃に250CCもの残留物があり、担任教師によれば、昼の給食は12時5分ごろ終わったと述べており、当日給食に出ていないトマトも残留物に含まれていた由であり、確定判決のストーリーと食い違うという点です。
 2点目は、人間が死ねば重力によって血液は下に下がり、死斑が発生し、その死体を動かしても8~10時間経過していると消えないと言われております。死体の腹部、背部の両側に赤い斑点(死斑)があったそうですが、私を犯人とするならば、5時間以内に動かしたことになりますので、背中に斑点(死斑)が存在していたということは時間的におかしいのです。
 確かに確定判決の7点の情況証拠、秘密の暴露と自白を完全に潰し、事実調べ・再審開始を求めるのが一番と思われますし、そのように戦われていることは承知しておりますが、その都度、検察は時間をかけて反論等を提出してくるので、いたずらに時間が過ぎ、その結果、私の命が失われていくことになります。こうした検察官のやりかた(再審妨害)を止めるには、やはり再審法の改正しかないのかもしれません。
 第3に万年筆の件は今更私が申し上げる迄もありませんが、弁護団の皆様方には、何時如何なる時でも長期間に渡って多大なご尽力、ご協力を賜っていることに、心から敬意と感謝の念で一杯ですが、私が逝ってから無罪を勝ち取っても遅いので、つい泣き言、愚痴を零(こぼ)してしまいました。
 事実調べ・再審開始の可否の判断を次の裁判官に委ねることになっても、支援者、弁護団の皆様方と共に奮闘して参る決意は変わりませんが、何卒、皆様方も、今次の再審闘争に全勢力を傾注して下さいますよう伏してお願い申し上げます。
 先の見通せない中で、寺尾不当判決糾弾集会が全国各地で開催されている訳ですが、私も年齢的にみて今次の第3次再審請求にかけており、全国の支援者皆さん方のご支援、ご協力に応えるべく、全身全霊で闘い抜くことをお誓いして寺尾不当判決から49年を迎えての決意とさせていただきます。

 2023年10月
 寺尾不当判決49カ年糾弾・狭山再審要求集会

 ご参加ご一同様
                   石川 一雄


(寄稿)

ガザ~パレスチナについて

       爺谷 小平(10月27日記)

2008年~2023年(10月7日以前)パレスチナの犠牲者の概数

 08年  800人
 09年 1000人
 12年  250人
 14年 2300人
 18年  300人
 21年  400人
 22年  200人
 23年  250人
 この15年間のパレスチナの死者計6400人、負傷者15万2500人。
 これに対してイスラエルは死者300人、負傷者6000人。
 10月7日のハマスによるイスラエルへの攻撃は、なぜ起こったのか。そして、それは何なのか。私たちはどう声をあげるべきなのか。何を為すべきか。

史上最悪の大虐殺を全世界反戦闘争で止めよう

 113年前の1910年、「日韓併合」に際して石川啄木は次の歌を詠んだ。「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」。啄木当時24歳。日本帝国主義の朝鮮侵略・植民地化、それは朝鮮人民にとって、国の喪失であると同時に、民族の消滅であった。それはまた、抵抗する者に対する根絶・一掃、根こそぎの暴力的圧殺と一体である。これを目の前にして、啄木は精いっぱいの憤怒と、朝鮮人民への哀切をこめて、この歌を詠んだ。こんにち、私たちもまた、同じような歴史的事態を目の当たりにしている。
 中東・パレスチナ―ガザに対して、イスラエル(とアメリカ)による史上最悪とも言える、大虐殺の攻撃がおこっている。 ガザの保健省によると、10月7日のイスラエルによる空爆開始いらい27日までに、パレスチナ側の死者だけでも7326人にのぼる。うち子どもが3038人といわれる。とりわけ17日夜、病院の空爆では、死者471人をだした。
 おこっていることは、断じて「テロへの報復」ではない。まぎれもなく、ガザ地区のパレスチナ人民にたいする、ジェノサイド(大虐殺)である。イスラエルはまた、ガザ地区を完全封鎖し、食料、水、燃料など、生存に直結するすべてを遮断し、パレスチナ人民老若男女を問わず、死の淵に追い込んでいる。

パレスチナ人として生きてるだけで死刑宣告

 「パレスチナに住んでいるかぎり、いつミサイルや戦車で殺されるかわからない。イスラエルは、パレスチナ人であることを理由に死刑宣告している。
 死刑囚が毎朝、刑務官の靴音が自分のいる房の前で止まるか否かに、恐怖の全神経をとがらせている。それと同じ苦しみを全パレスチナ人に強いている。
 子どもたちは、生まれた時から、イスラエルによる占領・封鎖・虐殺の人生しか知らない。それが彼らの人生のすべてなのだ。パレスチナの地に生まれたというだけで、パレスチナ人というだけで、死刑宣告の理由にされる。イスラエルが占領・封鎖・虐殺を続けるかぎり、ハマスをテロ集団だとどんなに非難しても、子供たちはハマスになる。それしか人生の選択肢はないから」(ヤスミンライブラリ尾上光氏)。
 毎日のパレスチナ人民の苦境に、言葉もない。1人1人に家族があり、生活があり、人生がある。しかし、パレスチナ人として、生存するだけで死刑を宣告される。
 これまでの経過でも1日にして366人が毎日殺されている。うち、子どもが152人である。1年にすれば実に13万人、子ども5万人を超える犠牲がパレスチナに強いられている。それだけとっても、とてつもない凄惨な戦争であり、これこそがまさにナチスのユダヤ人迫害に匹敵する。 しかも本格的な地上戦が始まれば、どうなるのか。火を見るよりも明らかだ。
 日々、目の前で進行する虐殺にたいしてそれを止めるために、私たちに何ができるだろうか。パレスチナ人民支援のカンパをする。イスラエル大使館、共犯者アメリカ大使館への抗議の集会・デモに参加する。
 それで十分だろうか。何ができ、どうすればよいのか。
 イスラエルによるパレスチナへの攻撃に断固反対する。イスラエルを先兵とするアメリカ・バイデン政権のパレスチナ―中東侵略戦争に断固反対する。この史上最悪の大虐殺戦争にたいして、全世界の反戦闘争を巻き起こし、民衆の力で阻止しよう。

10・7はなぜおこったのか

 10月7日ハマスはイスラエルにたいし同時多発の攻撃を行った。イスラエル側に1400人の死者、人質220人と言われる。過去何度かのアラブ諸国との戦争とは異なり、パレスチナの抵抗運動による被害としては前例がない。
 アメリカ、ヨーロッパ、日本は、これにたいして「第2の9・11(2001年のアメリカ同時多発テロ)」「第2のホロコースト(第2次大戦中のナチスによるユダヤ人大虐殺)」と、一斉に非難の声をあげた。
 「ハマスはアルカイダ、ISと同類のテロリスト集団」「だからせん滅一掃するしかない」「市民の犠牲はやむを得ない」と口をそろえ、イスラエルを擁護し、虐殺に加担している。
 だが、果たしてどうだろうか。冒頭にみた経過を、もう一度見てほしい。事件は、10・7に突然おきたわけではない。長年のイスラエルによるパレスチナの占領・ガザの封鎖、そして毎日・毎月・毎年の虐殺。そして第1次、第2次のインティファーダ(民衆蜂起)をはじめ、営々たるパレスチナの抵抗運動。とりわけ、2007年のパレスチナの分断いらい、ガザ地区への攻撃は暴虐の限りを尽くしてきた。膨大な犠牲者、封鎖による失業、貧困、衛生・医療の貧弱さの強制。ガザ地区は、生存の基盤を根こそぎ奪われ、最低限の人間として生きる権利をはく奪され続けてきた。
 このとき、これに対して、欧米日は何をしたのか。異議の一つもとなえたことがあるのか。パレスチナの犠牲には、虫けらのように扱い、まるで無視してきたのは誰なのか。そんな奴らに、ハマスを非難する権利があるのか。
 ハマスは、イスラム抵抗運動の略称で、2006年のパレスチナ議会選挙では、「自治区」全体で勝利し、「自治政府」を掌握した。イスラエル、欧米はこれを認めず、ヨルダン川西岸はファタハによる「自治政府」をしたてあげ、ガザ地区にハマスを押し込めた。ハマスは「テロリスト集団」ではない。パレスチナ人民の多数に支持されるパレスチナ人民解放組織である。

全世界の反戦闘争に合流しよう

 イスラエルによるパレスチナ虐殺戦争にたいして、全世界各地で反戦闘争がまきおこっている。ヨーロッパ、アメリカ、中東、アジアに「パレスチナの子供を殺すな」「大虐殺の戦争をやめろ」の声が広がっている。ロンドンでは数万人、ワシントンではホワイトハウス近くの広場・通りを埋め尽くし、トルコでは数十万人、日本でもイスラエル大使館に1600人が抗議の声をあげた。イスラエルでも数千人の反政府デモがおこっている。
 中東・パレスチナ問題を歴史的全面的に触れるには、何冊もの本が必要だ。2度の世界大戦と、それを経たイギリス、さらにアメリカ帝国主義による石油支配・中東支配の先兵としてイスラエルのでっち上げ。パレスチナの一方的占領と追放・「自治区」への強制収容。恒常的な侵略軍事国家としてのイスラエル、そして日常的恒常的で無慈悲な暴力支配。パレスチナの生存をかけた抵抗運動、民族解放闘争。とても語り尽くせない。しかし、はっきりしていることは、アメリカ・イスラエルによる侵略戦争に反対し、パレスチナ人民の解放闘争を断固支持する。全世界の平和を民衆の力で実現し、「国境なき民族の共存」を実現する―夢のように見えても、それ以外の解決はない。
バイデンは「ウクライナとともに歴史の転換だ」と言った。ウクライナ、ガザ、ともに局地的紛争にとどまらない。新たな15年戦争~世界戦争への導火線ではないか。しかも、プーチンや、イスラエルの閣僚の発言にあるように、核戦争もはらんでいる。
 見過ごせないのは、日本の選択である。岸田政権は、「テロにたいするイスラエルの自衛権を支持する」「市民の避難のための一時的停戦は必要だ」と、欧米と完全に足並みを揃え、大虐殺に組している。私たちは何を為すべきか。パレスチナへの人道支援も必要だろう。しかし、それだけでは、この戦争を止めることはできない。ましてや「人道支援」が、虐殺の免罪符であってはならない。
 部落解放運動として、パレスチナ人民の苦しみに心かきむしられる。帝国主義とその先兵に怒り心頭に達する。自らの解放をかけ狭山闘争を不屈にたたかいつつ、パレスチナ人民の解放闘争に連帯し、反戦闘争に決起する。全世界反戦闘争の一翼を担う。イスラエル、アメリカ大使館に抗議に行こう。全国各地で、大中小の反戦集会・デモに合流しよう。



2023年10月の記事


石川一雄さんと連帯し、

事実調べ―再審実現へ

不退転にたたかいぬこう



10・31全国結集で東京高裁を包囲しよう


悲しみも獄友一人逝かれし今

    我れ無罪きかずに天国にたてず

 
     (ホームページ「冤罪 狭山事件」より」)


 8月10日、第56回三者協議が開かれた。8月23日、布川事件再審無罪の桜井昌司さんが亡くなられた。石川一雄さんにとっては、悲報つづきの8月だった。「最近落ち込んでいた」という。
 しかし、8月末から福岡県田川郡添田町住民の会を皮切りに、現地調査、手紙や激励の贈り物が各地から寄せられた。「皆さんに元気をいただいた。そのことがうれしかった」。
 1日3万歩のウオーキングを再開。84歳の体に鞭打って、黙々と、ひたすらに歩く。狭山事件発生から60年。どれほど、その日を心待ちにしたことでしょう。科学的鑑定の新証拠に勝利を確信し、50万の署名、意見広告に「袴田の次は狭山だ」と夢に見たことでしょう。

8・10ショックのりこえ永久不滅の連帯を誓う

 8・10三者協議の内容は、朗報を心待ちにしていた私たちにとって、たいへんなショックでした。誰より、そんな石川さん夫妻にとって、どれほど残酷なショックだったことでしょう。全国連は、意見広告、毎月要請行動と、力のかぎり、血の一滴までふりしぼって、たたかってきましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 しかし、石川一雄さんは、不死鳥のようにウオーキングを再開した。冒頭の短歌にはその思いがこめられている。泣き言を言わず、愚痴一つ言わず、ただ黙々と毎日、毎日歩く。その姿に、すべてがこめられている。私たちには、その道の先が見える気がしませんか。遠い遠い、無限に見える道の先・・・・・。
 目には何が見えますか。石川一雄さんは、どんな姿ですか。早智子さんは、どうですか。不死鳥となって空に舞い上がる、お二人の姿。道を埋め尽くす支援の人並。否、支援の人並が、二人の不死鳥を胴上げして空に舞いあげています。
 10・31寺尾判決から49年(来年は50年。半世紀!)。全国結集で、大野裁判長に事実調べを迫りましょう。そして、石川一雄さん、早智子さんに、永久不滅の連帯を誓いましょう。


子や孫の未来のために、

      狭山の勝利を誓う
 

 10月7~8日、婦人部第32回全国大会が

茨城・いこいの郷 常総で開催されました。

写真速報でお届けします。




  茨城県連総出演の

「劇

子どもと孫の未来のために」




  

大会議案の提案









交流会は

いつも楽しくハジけます






二日め

福田村事件の慰霊碑へ






2023年9月の記事

11月の三者協議で


大野裁判長は

事実調べを決定せよ!!



10・31全国結集で

要請行動~東京高裁前行動へ



 東京高裁刑事第4部大野裁判長。今こそ、あなたの英断で、狭山事件の事実調べを開始してください。11月初旬の三者協議において、事実調べを決定してください。
 大野裁判長は、今年の12月をもって定年退官されます。それまでに、是が非でも狭山事件で職責を全うし、歴史に名を残す裁判長として花道を飾って下さい。
 第3次再審の申し立てから、実に17年が経過します。他に類を見ない、異例の長さです。三者協議は、56回を重ねました。弁護団による新証拠の提出は261点にのぼります。2020年に大野裁判長が担当されて3年間、こうした経過の一部始終、すべて承知されていることでしょう。ことここに至って、さあどうする、いよいよあなたの軍配が運命を左右するときがやってきました。今更、何事もなく定年退官など、許される余地はありません。
 御存知のように、袴田さんの再審開始が確定し、「次は狭山」と世論の注目が狭山事件に集まっています。昨年末からの、事実調べを求める緊急署名は、50万を超えました。大野裁判長におかれましては、自らがこの歴史的瞬間の渦中にあることを強く自覚し、真実の追求に真摯に向き合い、間違っても世論に逆行することのないよう願ってやみません。
 大野裁判長。あなたの判断で、60年間、無実を叫びつづけ、84歳になられた石川一雄さんの命運が左右されます。差別に苦しむ無数の人々の人生も左右されます。過去の轍を踏まず、この事件にひめられた差別を見抜き、公正審理に徹底してください。
 とりわけ、私たちは、下山博士をはじめとした鑑定人の尋問と、裁判所によるインク鑑定を強く要求します。
 「袴田事件」では、捜査機関による証拠のねつ造に言及し、再審開始を決定しました。狭山事件は、それこそ権力者による、証拠ねつ造のデパートではありませんか。大野裁判長は、「袴田事件」に続き、その究明に道を開いてください。
 ただちに11人の鑑定人の尋問を開始してください。インクの鑑定を開始してください。そして、この第3次再審でこそ、狭山事件の再審を開始してください。


桜井昌司さんを追悼する

 8月23日、桜井昌司さんがガンのために亡くなりました。76歳でした。 桜井さんは、茨城県利根町で起きた布川事件の犯人として無期懲役判決を受け、29年間の獄中生活を強いられました。千葉刑務所では石川一雄さんと「獄友」でした。
 桜井さんは持ち前の明るさと行動力でたたかい、2009年に再審無罪判決を勝ち取り、国賠訴訟では検察の違法行為も認定させました。
 さらに「冤罪被害者の会」を立ち上げて全国をかけめぐり、「次は狭山だ」と訴えていました。私たちは桜井さんの遺志を受け継ぎ、必ず狭山の勝利をかちとる決意です。


2023年8月の記事

9月長野、東大阪の選挙に勝ち抜こう

 夏本番。例年以上の猛暑がつづきます。この炎天下で、長野、東大阪では、連日汗だくになって、選挙戦をたたかっています。
 長野市議選は9・10告示、9・17投開票、東大阪市議選は9・17告示9・24投開票と日程が確定しました。あとひと月足らずです。
 長野市議選には、組織内候補である中央委員・長野県連副委員長の中村俊二さんが初挑戦します。地元の解放同盟を含む、部落代表としての挑戦です。台風災害の復興という住民の命をかけた要求、地を這うような4年間の活動の中から、中村候補は誕生しました。何としても勝ってほしい。何としても勝たせたい。
 それは、部落解放運動の悲願を達成する道しるべとなります。候補者・地元の奮闘に、全国から支援を集中しよう。
東大阪市議選には、連帯候補の松平要さんが、7選をめざし挑戦します。松平さんは、荒本支部の盟友であり、狭山意見広告・狭山大運動では関西の柱です。維新は、この選挙で市長候補をたて、15人の議員候補をたてます。東大阪支配をほしいままにする狙いです。維新の思惑通りになれば、診療所、青少年センターなど、荒本の生きる寄る辺が奪われます。荒本支部、国健会とともに、関西の総力をあげましょう。

事実調べ・狭山再審へ渾身の行動を

 7月17日、大阪市内・エル大阪で、狭山事件の再審を実現する関西集会が開催されました。130人の参加で、会場はほぼ埋まり、さながら狭山夏の陣への出陣式となりました。
 主催は、狭山事件の再審を実現する大運動。共同代表の長谷川弁護士、部落史研究家の本田豊さんが遠方からかけつけ、集会をリードしました。「袴田再審の教訓」として村﨑弁護士から(ビデオメッセージ)、分断をこえた運動の重要性を訴えました。
 呼びかけ人の久保敬さん(元小学校校長)を筆頭に、関西各界のよびかけ人・賛同人から訴えられ、婦人部作「現調ビデオ」上映、要請行動報告、青年部、行動提起がありました(詳細は別途報道)。
 7月25日には、茨城県連が、猛暑をこえて要請行動を貫徹しました。高齢者もいるなかで、大横断幕をかかげ、検察、高裁前、裁判所への全行動をやりとげました。
 要請行動は、昨年8月から毎月欠かさずとりくみ、丸1年を経過しました。そのための財政は、全額、自力自闘のカンパで賄ってきました。まだまだ、1度や2度の全力動員には余力があります。
 8月上旬三者協議があり、12月には大野裁判長の定年退官を控えています。この数カ月、大詰めの山場です。この非常に大事な時期、全国連は情勢判断を一分の隙もなくしっかり行い、夏場以降の行動方針をたてます。この1年をエピソードにしてしまうような渾身の行動で、今こそ事実調べ・再審を実現します。


「分断」を超えた世論の力で

     再審を実現しよう!


狭山事件の再審を実現する7・17関西集会

 7月17日(月・休)大阪市内で、狭山事件の再審を実現する関西集会が開催。130人の参加で、会場はほぼ埋まりました。主催は、狭山事件の再審を実現する大運動。




反戦・反核・反差別

被爆78年「8・6ヒロシマ福島のつどい」


 8月6日、被爆から78年を迎えた広島・福島町で、「8・6ヒロシマ 福島地区のつどい」を行いました。地元実行委員会メンバー、そして福岡、山口、大阪、奈良、また東京など各地から35名が参加し、被爆や戦争を経験した方々の思いを受け継ぎ、「過去の過ちを繰り返さない」「核も戦争も差別も許さない」ことを確認した会となりました。
 はじめに「原爆を許すまじ」歌唱、「黙とう」をおこないました。
 続いて、実行委の初期から携わり、昨年12月に亡くなった藤本安馬さんの生涯にふれ、その功績をかえりみました。藤本さんは1926年竹原市の部落で生まれ育ち、貧しい家計を支えるため、15歳のとき養成工として大久野島での毒ガス製造に従事させられました。「中国人を殺すことが英雄だった、私は大久野島で鬼になった」。毒ガスの後遺症ともたたかいながら、「鬼」にされた怒りを力にし、語り部や被害者の補償をかちとる活動をつづけてきた経歴を紹介するとともに、その生きざまやたたかいを引き継いていくことを確認しました。
 実行委からは、福島地区在住被爆者・三浦茂文さん(2017年死去)の証言記録を朗読し、被爆直後の映像を流しながら、当時負傷者を治療した医師の証言をクローズアップして、「原爆投下にかかわった者は全員絞首刑にすべき」との一言に、原爆被害の恐ろしさやすさまじさを伝えました。
 また中島晋二さんのアピールでは、「はだしのゲン」を一つのツールに、被爆の実態や当時広島に生きる人の思いなどをとらえ返してほしいこと、現在においても原発で放射線被害や問題が起こっていることをとりあげました。
 松井邦雄さんは、両親が原爆遺体の処理をした影響で、きょうだいの体が弱く、仕事もできず32歳で亡くなるなど家族の苦悩を話され、いまのロシアとウクライナの戦争や核使用に反対していくことを表明しました。
 山根努さんは、今年5月広島G7での「広島ビジョン」の核抑止路線保持に対し、被爆者の怒り・失望にふれるとともに、「広島の名のもとに核を認めているのは許せない」「このまま世界戦争に流れ込むことに強い危機感をもち、過ちをくりかえさないために行動しなければならない」と警鐘をならしました。
 平岡恭子さんは、自身の結婚差別の経験や被爆について、「許さないけど妬むのではなく、相手を取り合っていくことも大事」。今年5月急死した地元の岡本花子さんについて、幼少期預けられた施設での差別体験について、あまりに辛すぎて「言わないよ」と話していたこと。三浦さんも8・6とかかわらなかったら原爆の話はしなかったことなどを振り返りました。
 各地から集まった方々の声もいただきました。東京から新城せつこさん、けしば誠一さんからは沖縄基地そして原発の使用延長や上関新設反対にもとりくむ決意を発しました。
 山口の井上洋子さんは、岡本花子さんの差別とたたかいぬいた生涯を涙ながらに話しました。
 また長生炭鉱の水没事故によって、強制労働で働かされ今も海底に沈んだままの朝鮮人遺骨発掘をめざすとりくみを、韓日両政府共同で実現させること、それが日本の植民地支配、加害の歴史を学ぶことだと訴えました。
 そして、全国連滝岡副委員長は、アメリカの原爆投下の正当化と、日本の天皇、政府や軍部の戦争継続を問題視しました。そして現在の狭山第三次再審情勢の煮詰まりに、7・17関西集会の盛り上がりのもと、市民・世論による裁判所、検察に対する再審実現を訴える行動にうってでようと呼びかけました。
 今回の開催を通じて、差別や戦争をゆるさない思いの結集とその団結力が、未来を変える力だとあらためて実感しました。当実行委員会でお世話になった先人たちの遺志を引き継ぎつつ、新たなたたかいに皆さんとともに挑戦してとりくんでまいります。
(実行委より追伸):
安馬さんの「生き通さなくては!」半端ない力強さを感じました。
はなちゃんの笑い声や明るさは、みんなを元気にしてくれました。
本当にありがとうございます。ゆっくり休んでください。
天国から明るく見守っていてね!


2023年7月の記事
緊急アピール

狭山大攻勢で停滞・逆流を突き破れ!

6・23座り込みにつづき、

      7・25要請行動へ!


 6月23日、東京高裁前には、巨大な横断幕があがった。全国から集まった人々は、路上に座り込んだ。道行く人々は、ことごとく巨大幕を眺め、座り込みに注目した。東京高裁大野裁判長のいる刑事第4部からも、植え込みを超えて、その光景がはっきり見えたはず。午前には検察、午後には裁判所に対して、全国各地からの火の出るような要請文が叩き付けられた。
 ここに、狭山大攻勢の開始が、雷鳴の如く宣言された。大運動共同代表・長谷川弁護士、「袴田事件」村崎弁護士も、マイクを手にし、裁判所を激しく糾弾しつつ、事実調べを訴えた。6・23行動は、すばらしく成功した。  東京高裁前は、狭山大攻勢の熱いステージに変貌した。いざ、この道を突き進まん。7月は、7・17関西集会を大成功させ、7・25要請行動へ、再び決起しよう。84歳、石川一雄さんの命運は、ここにかかっている。私たちの人生も、ここにかかっている。心おきなく、戦いぬこう。

一部の日和見主義をのりこえよう

 しかしまた次のことも見過ごせない。「袴田事件」では、検察が有罪立証の意向で、裁判官も同調しているという。怒りに耐えない。大崎事件では、再審請求が棄却された。断じて許せない。
 狭山事件では、検察が遅れに遅れ、やっと5月に最後の「法医学」意見書を提出した。妨害のための妨害。事実調べをさせないための時間稼ぎに他ならない。これに対し、弁護団はこの「法医学」の件も含めて、意見を提出するのだろうが、果たしてそれが、次回の三者協議(8月上旬)までに間に合うのかどうか。もしも遅れる場合、どういうことになるか・・・。強い危機感を持たざるを得ない。
 これらは、「袴田事件」「日野町事件」いらいの再審の流れに対する、明らかな逆流である。この事態に際して、他人事では済まされない。あえて声を大に発言する。
 たとえ、ひとつぐらいの案件を残しても、すでに昨年8月に11人の鑑定人尋問・インク鑑定を請求したのだから、その実現にしぼってガンガン攻勢にでるべきではないでしようか。 戦列の一部には、そういう突破力が感じられない。「すべて出そろってから」「運動は弁護団の後押し」「無方針が方針」「裁判長を刺激するな」という一部の考えが聞こえてくる。
 率直に言う。事ここに至って、検察の妨害に引きずられ、大野裁判長退官までに間に合わない公算もでてきた。もしも間に合わなければ、また新たな裁判長に交替ということになる。ここまできて、また一からのやり直しを繰り返すのか! もしもそうなったら、一体どう責任をとるのか! 石川一雄さんに何と言い訳するのか!
 いまここを、この停滞・逆流をぶち破る、運動体の行動が決定的に必要だ。6・23で道は開かれた。さらに7・17関西集会、7・25要請行動から夏の陣へ。
(なお、7・25は茨城・東京の当番ですが、可能な人は駆けつけましょう。8月以降は毎月行動1年で仕切り直ししますが、予定の当番態勢は堅持してください。)
 

第32回大会を開催

 6月11日、大阪府大東市民会館において、会場満杯の代議員・来賓の出席のもと、第32回全国大会を開催しました。その概要を報告します。
 大会運営委員より、議長に茨城県連・山田幸子さん、書記に野崎支部・新さんが指名されました。大橋中執の温度で「解放歌」斉唱の後、主催者挨拶を村上久義委員長より行いました。次に、東大阪市議会議員・松平要氏、三里塚開催実行委・安藤眞一氏より来賓挨拶を受けました。三里塚芝山連合空港反対同盟・萩原さん、狭山大運動共同代表・長谷川弁護士、同部落史研究家・本田豊氏のメッセージが紹介されました。
 議案の提案にはいり、最初に北浦財務委員長より、2022年活動報告を行いました。楠木書記長より、2023年度運動方針の基調報告を行いました(いずれも、既報)。さらに、各担当役員より課題別報告を以下3点行いました。
 ① 狭山春夏決戦を全力でたたかい、事実調べをかちとろう。② 9・24長野市議選に勝利しよう。③ マイナンバー、インボイスから命と生活を守ろう。
 役員選考委員長より役員人事案を提案しました。財務委員長より会計報告(2022年度決算、2023年度予算案)、会計監査より監査報告がありました。
 つづいて全体討論を行い、9人の代議員が発言しました(一部を以下に報告します)。これに対して楠木書記長から本部答弁をしました。
 大会決議を以下3点提案しました。「事実調べをかちとり、狭山再審を実現する決議」、「核や戦争、差別を許さない8・6ヒロシマをつくる決議」、「大軍拡・憲法改悪に反対する決議」。
 議長より以上のすべての提案について賛否をはかり、参加者の総意で採択されました。村上委員長による「団結ガンバロー」でしめくくりました。
 この大会で、全国連は狭山で勝ちに行く大攻勢の方針を確立し、9月長野、東大阪の選挙必勝を誓いました。


歴史を決する年にしよう 委員長・村上久義

 この大会は、歴史を決するものになります。ロシアによるウクライナ侵略戦争、そしてウクライナの反転攻勢、世界戦争・核戦争の危機をはらんで激化拡大しています。岸田政権は、これを機に防衛費倍増、「敵基地攻撃能力」の獲得、憲法改悪、原発推進、そしてまた大増税、生活破壊、と新たな戦前に突き進んでいます。その最前線として、沖縄に基地を増強し、再び沖縄戦の犠牲を強いようとしています。三里塚には、まっさきに襲いかかり、市東さんの農地を強奪しました。帝国主義の強権発動で、私たちの人権や生活をどのように踏みにじるのか、目の当たりにしました。決して許すことはできません。
 狭山闘争は、事件から60年をむかえ、第3次再審申し立てから17年が経過しました。いよいよ、今が事実調べをかちとる決戦です。「袴田事件」でも、捜査機関による証拠のねつ造が明らかになり、再審開始となりました。狭山はまさに、証拠のねつ造が、事実調べによってこそはっきりします。検察は、事実調べの必要なしとして、妨害に必死です。これは追い詰められた検察の悲鳴でもあります。検察の悪あがきを粉砕し、この第3次で何としても勝利しましょう。
 9月の長野市議選に組織内候補の中村俊二さん、東大阪市議選に連帯候補の松平要さんが立候補します。選挙に勝利し、部落解放運動の広がりをかちとりましょう。


9月選挙の必勝へ 長野市議選予定候補

          全国連中央委員・中村俊二

 2年前に、長野市議選への立候補を決意しました。定数36議席、ボーダーライン2000票の選挙です。後援会を立ち上げ、今現在の会員を倍にすべく、一つめの輪から、二つめの輪に広がりを追求しています。災害復興要求者組合機関紙「結」の定期発行、事務所の大看板などで、知名度も上がってきました。
 自民、共産、公明と4人で地元地区の支持の取り合いになります。わたしは、部落の代表として議席に挑戦します。部落の団結の回復、部落解放運動の復権のための選挙闘争です。
 ネット選挙にも挑戦しています。長野市議会選挙・選挙ドットコムから検索してみてください。全国から支援をお願いします。


東大阪市議会議員・松平要さん

 昨年の水平社100年を区切りにして、今年は新たな元年として、狭山闘争に勝利しましょう。岸田政権は、軍事力世界3位を目指す一方で、医療も、教育も、福祉もきりすて、「欲しがりません。勝つまでは」という、戦時下の世の中にしてしまおうとしています。それは、人権蹂躙がまかり通る状況にほかなりません。それに対する反撃の先頭にたつのが、狭山闘争です。
 9月には、長野の中村さんとともに、東大阪での選挙がひかえています。荒本の皆さん、すべての労働者の皆さんの声を市政に届けるための貴重な1議席です。何としても7選を果たすべく、たたかいぬきます。


全体討論より

茨城県連・石川清

 土浦児童クラブ差別事件の当該の親御さんが市の職員。その方と、経過報告を話をしながら確認会を進めてきた。狭山の資料を渡し読んでもらったら、「石川さんに勇気をもらった」と言っていました。
ところが、示現舎が、6月5日に市役所に行って、資料をもらったり、地元の部落に入って話を聞いたところ、当然にも、地元の部落の人が見も知らない相手に「私は部落です、差別を受けてます」なんて言わない。それをもって「差別なんか、全国連が勝手に言っていること」と示現舎は宣伝しています。それを動画などで流しています。本当に許せない。これをどうしていくか、一緒に考えてほしい。


西之阪支部・大橋ひかり

 全国連青年部は、5月21日に狭山現地調査、翌日に要請行動にとりくみました。長野や茨城からは小学生も参加して、総勢で25名でした。畑仕事のおじさんが声をかけ「もう終わりにしないとね。がんばってください」と言ってくれました。カモイを実際に見て、万年筆のねつ造を確信しました。
 わたしは、全国連結成の1992年に生まれ、両親、兄弟と狭山をやってきました。保育園の頃には、ゼッケンをつくり登園したり、人通りの多い奈良市内の通りでゼッケン・マラソンをしたり。今は若い人が集まるのは、なかなか厳しいけど、頑張って事実調べを実現し、再審無罪をかちとりましょう。




第32回大会で選出された三役
 委員長  村上久義 福岡・あさくら支部
 副委員長 山田幸助 茨城・中田支部
 同    滝岡広治 大阪・野崎支部
 書記長  楠木吉秀 大阪・荒本支部



2023年6月の記事

毎月連続 要請行動へ!

大野裁判長による退官直前棄却策動を粉砕しよう!

東京高等裁判所前に全国津々浦々から結集しよう!

 さあ、山場の夏、決戦の夏がくる! あれやこれや、四の五の言わず、東京高裁に結集しよう! 大野裁判長に事実調べを求め、再審を開始するよう訴えに行こう! 要請行動に参加しよう! まず何よりもこのことを断々固として確認し、声を大にして強く広く訴えます!
 いよいよ狭山第三次再審闘争は事実調べ・再審開始か、それとも棄却を許してしまうのか。文字通り本当の正念場、本当の決戦期を迎えた。おおげさでもなんでもない。危機をあおるだけのアジテーションでもない。なぜか。狭山を担当する東京高等裁判所の大野勝則裁判長が今年、退官するのだ。その重大な任務を放棄して狭山から逃亡しようとしているのだ。こんなことに黙っていられるわけがない。いや、それだけではない。退官直前になんらかの決定を下すことが十二分にありえるからだ。楽観できるわけがない。弁護団と検事との三者協議を何度も積み重ねながら結論を出さずに引き延ばしを続けてきたその裁判長が、このまま石川さんや我々が歓喜する決定を出すということなど考えられない。きわめて危険で切迫した時期である。まさに決戦。狭山第三次再審闘争の最大にして最高の山場であり決戦期なのだ。勝負はこの夏―秋で決まる。だから今こそ東京高裁に駆けつけようということだ。
 狭山事件の裁判で石川さんをクロにした最大のねつ造物証ともいうべき「被害者の万年筆」。この万年筆のインクをめぐる下山鑑定という科学的で具体的で決定的な新証拠に対して、東京高等検察庁は二年以上も反論ができずにきた。そればかりか憶測・推論・暴論で時間と決定を引き延ばし、石川さんと弁護団や我々に敵対し続けてきた。そしてその引き延ばしの共犯者こそ東京高裁である。決して幻想を持ってはならない。だからこそ東京高裁に対するたたかいを強化し、これまでにないような巨大な要請団とその支援勢力で事実調べと再審を迫らなくてはならない。当然ではないか。

狭山の勝利なくして部落完全解放などありえない 

 本年5月、狭山は事件発生と石川一雄さんへの不当な別件逮捕から60年を迎えた。石川さんは警察・検察・裁判所によって身に覚えのない事件の「犯人」にでっち上げられた。青春、人生、家族をも奪われた筆舌に尽くしがたい石川さんの60年。部落差別を受けてきた当事者の、人間としての深い悲しみ、耐えきれない苦しみ、切実な願いを思うとき、今さらながら全身が怒りで震え、感情が爆発しそうで止まらない。
 石川さんは84歳になった。誰が考えても「あとがない」ところまできている。この事実、この現実に我々は何を思い、何をもって応えるのか。時間がない。悠長に構えている余裕はない。やることできることはすでに決まっている。狭山の勝利なくして部落完全解放などありえない。いまこそ差別徹底糾弾精神の真骨頂を発揮するときである。
 大野裁判長による退官直前棄却策動をふっとばそう! そのために今こそ『狭山大運動』を盛り上げよう! 署名を取り、会員を増やし、東京高裁に結集しよう! 全国津々浦々から毎月の要請行動に連続的に決起しよう!


いまこそ力をあわせて! 事実調べ開始を!

「狭山事件の再審を実現する

     7・17関西集会」へ!

と き:2023年7月17日(月・休) ごご1じ30分~
ところ:エル大阪6階大会議室(京阪「天満橋」)
主 催:狭山事件の再審を実現する大運動
  


 狭山再審を願うすべてのみなさん! いまこそ力をあわせて、その力の限りをふり絞って「事実調べ開始!」「狭山再審実現!」を東京高裁・大野裁判長に迫るときが来ました。
 6月上旬の三者協議以降、「11人の鑑定人尋問と下山鑑定の実施」=事実調べについて、裁判所はいつでも判断を下せる段階に入ります。
 「狭山事件の再審を実現する大運動」は、この第三次再審請求の最大の山場に、再審実現の一点において、すべてのみなさんの総決起を訴える「7・17関西集会」の開催を決めました。
 狭山再審開始の世論をもっと沸騰させ、東京高裁に正しい判断を迫るべき時です。
 全国連は6月23日、要請行動と高裁前座り込みから毎月連続の要請行動をたたかいます。みんなの力で連日高裁前を埋め尽くしましょう。
 7・17集会にみなさんの総結集を心より訴えます。



5・21 狭山現地調査、全国青年交流集会

5・22 東京高検要請行動を取り組む


 要請行動を主体とした全国青年交流集会を行いました。
 現地調査では、確定判決のウソのルートをたどりました。
 途中、畑作業中の農家が「もう早く終わりにしないとね。がんばってください」と石川さんの無実を確信して声をかけてくれました。
 復元された当時の石川さんの家も見せてもらいました。カモイを実際に見て「証拠」とされている万年筆がねつ造であることを確信できました。現在も、インクについての下山第二鑑定が出されています。裁判所は、すみやかに下山鑑定人を法廷に呼んで、鑑定人尋問を行うべきです。
 現地調査の後は富士見集会所に集まり、参加者に感想を書いてもらいました。今回は、青年と小学生ががたくさん参加してくれていました。狭山事件は学校で名前だけ聴いたことはあるが詳しくは知らなかったという人、実際判決のルートを歩いてみて時間の矛盾や走っている自転車を止める不自然な判決文から石川さんの無実を確信した人、無実を訴えつづけている石川さんの姿に力をもらった人、早く石川さんの冤罪が晴れてほしいと願う人、現調に参加した思いを様々に書いてくれました。
 夜は短く交流会をしてその翌日は東京に出て、検察庁への要請行動を行いました。担当検事は都合で会えず事務官2人の対応でした。要請文読み上げの後、一審差別論告の取り消しをはじめ口頭での要請を行い、40分の要請が終わりました。
 最後に裁判所前で街宣を行い、20筆以上の署名を集めました。
 今回、現調も要請も青年が主導するということで私たちも勉強して臨みました。一人でできることは小さいかもしれませんが、自分にできることを一人一人がやって、石川さんの無実を必ず勝ち取りたいと思います。(青年部 新)


マイナンバーカードとこれからの医療

「コロナ後」すさまじい勢いで

          生存権をおびやかす岸田政権!


1、健康保険証を廃止するな!

デジタル弱者を理由にした患者、医療機関の切り捨て反対!

 マイナンバーカード取得は、「任意」です。マイナ保険証も「任意」です。
 国は、マイナンバーカード法を成立させ、2016年1月にスタートしました。しかし、個人情報がもれたり、プライバシーの侵害が危惧され、普及しませんでした。
 そこで近年、ポイント還元などさまざまな手法を使って普及させ、申請者が7割弱に達したと言われています。さらに「新型コロナ対策の経験により、デジタル化の必要性が明らかとなった」として今年3月、マイナンバー法を改定しました。
 健康保険証とマイナンバーカードを一体化し、「マイナ保険証」に切り替えるというものです。今持っている健康保険証は2024年秋に廃止され、医療機関などを受診する際、マイナンバーカードでオンライン資格確認をおこない、紙の保険証もプラスチックの保険証も使えないようになります。まさに「医者にかかりたいのならマイナンバーカードをつくれ」という、強要以外のなにものでもありません。
 デジタル庁は、「経過措置」としてマイナ保険証を持たない場合「資格確認書」(紙らしい)を発行し、有効期間最長1年とする、といいます。
 一体全体、この性急ぶりは、なんなのか! 健康保険証の次は、自動車免許証の紐付きです。このままいけば、身分証明になるものはマイナンバーカードだけになります。
 健康保険証の廃止反対をとりくみましょう。紙の保険証を使えなくするのは、絶対許せません。

なんのためのマイナ保険証か

 コロナ前、保健師が特定検診のデータ打ち込みに奔走していた時期がありました。「医療ビッグデータ」づくりのためでした。
 昨年10月、内閣府は、医療個人データの提供拡充方針をうちだしました。医療機関の膨大な個人診療録=「医療ビッグデータ」を、研究機関や製薬会社に提供拡充し、そのデータを使った創薬や治療法の研究開発をするというのです。
 ここまで見ていくと、個人情報を取っ払い、巨大な医療情報のデジタル化を急速に進めるためのマイナンバーカードであり、マイナ保険証です。
 また、高齢者の年金の受取口座を紐付けし、診療内容や医療・介護費などのデータをまる見え化し、そうして減免外しや自己負担増が考えられます。
 一方、医療機関には、「オンライン資格確認」の導入を原則義務化し、顔認証付きカードリーダの設置をもとめました。今年の4月以降、「経過措置」として「できない理由」の届け出で猶予することになっていますが、来年の9月末までです。
 システム導入には、巨大な費用がかかります。診療費の請求は、オンライン請求への切り替えをもとめています。電子カルテ導入やオンライン請求回線工事など、経済的基盤の弱い医療機関は、閉鎖においこまれます。デジタル化できない医療機関は、必要なしと言わんばかりです。実施しない医療機関には、保険医をはく奪する罰則まであるのです。

地域医療の破壊

 今は役所の窓口に行けば、保険料の滞納相談や減免手続きができます。しかし、健康保険証の廃止にともなって、短期被保険者証も廃止するとしていますから、窓口負担は、3割でも1割でもない全額負担になるのです。
 健康保険法では、保険者は、保険料が支払われた人に健康保険証を発行することが義務づけられており、保険証の交付に申請の必要はありません。
 しかし、マイナンバーカード、マイナ保険証を申請していないと、1年間限定の「資格確認書」が発行されます。ただし、申請が必要なのです。
 そうなると、保険料は支払っていても、申請漏れなどで、「無保険」や「資格喪失」扱いになる可能性は大です。認知症に限らず高齢者が「資格確認書」の申請ができなければ「無保険」となるリスクがあり、その数は膨大です。
 誰もが安心して医療を受けるため、皆保険制度がたたかいとられて62年。今あらたに医療・介護をうける権利を、今を生きるわたしたちがたたかう番です。
 患者に寄り添う医師のきりすて。近くの町医者の姿が見えなくなる。無保険のため医者にもかかれない高齢者切り捨て。こうして地域医療を破壊します。

2、新型コロナウイルスの5類への移行 

 新型コロナが、5月8日から季節性インフルエンザなみの5類に移行しました。「限られた医療機関」から「幅広い医療機関による・・通常の対応」にするとしています。公の責任において用意された大きな病院ではなく、感染対策が不十分な小さな医療機関に、感染症やその疑いの患者を拒ませない診察義務をおしつけました。
 これまで毎日、感染者数などが公表されていましたが、定点把握となり、本来の実態が見えなくなっています。しかし、まだまだ新型コロナは、収まってはいません。
 検査も自己負担になります。治療薬は、公費ですが9月末までです。保健所からの案内もありません。受診せず入院の機会を逃し、悪化しないか危惧されます。電話で症状を確認しても対価はなく、医療者の良心に頼るしかありません。
 感染拡大の調査、感染症の後遺症、ワクチン接種後の後遺症、そのケア体制や法整備など全く放置したままです。季節性インフルエンザの数倍の感染力をもつ新型コロナが、高齢者施設で集団感染をひきおこすことは必至で、予断は許されません。強制力のない身近な医院が入院先を調整するわけですから、ベッドが確保されるかも不明です。「感染も治療も自己責任」―それが5類への引き下げです。
 そのくせ、マイナンバー法を改定した理由に「新型コロナの経験から」とありますが、地域の医療機関に「コロナ後」の重い荷物を背負わせ、他方、デジタル弱者として廃業を迫るわけですから、断じて許すわけにはいきません。

「有事」に応える医療者、公的医療機関づくりのためのマイナンバーカード

 今年3月7日の閣議決定は次のとおり―
〇新型コロナ対策の経験により、社会におけるデジタル化の必要性が顕在化。デジタル社 会の基盤であるマイナンバーカードについて国民の利便性向上等の観点から、行政手続 における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(マイナンバー法)等 の一部改正を行う。
〇マイナンバーの利用範囲の拡大(社会保障制度、税制、災害対策以外の行政事務)、  国家資格等、自動車登録、在留資格に係る許可。 
〇事務の性質が同一である事務も、マイナンバーの利用を可能とする。
〇マイナンバーカードと健康保険証の一体化。
〇マイナンバーカードの普及・利用促進。
〇戸籍等の記載事項への「氏名への振り仮名」の追加。
〇公金受取口座の登録推進(行政機関等経由登録の特例制度の創設)。

 注目すべきところは、「国家資格に係る許可」のうち保険医・保険薬剤師に係る事務に、マイナンバーを利用するとする点です。「コロナ有事」に応えない医者は、誰なのか一目瞭然にしたいという本音が見え見えです。
 政府は、感染者が入院できず自宅で死亡する事態に、非難の目を受け入れが少ない公的病院に向けました。実際は、ベッドはあるが医者や医療者がいないため、感染者の受け入れができない病院。このことから政府は、言うことを聞かない医療機関や、医者、公的機関さえ思うようにいかない経験をしたのではないでしょうか。今後、医療費抑制のためのベッド削減や病院の統廃合を加速させつつ、有事に応える医者づくりへ締め付けがはじまったといえます。

3、医療・介護を受ける権利は生きる権利そのもの

 2024年は、介護保険法のもと介護報酬改定の年です。ケアプランの有料化、利用料2割負担、3割負担の対象拡大、要介護1・2の総合事業への移行などと、改悪されようとしています。
 75歳以上の後期高齢者の保険料の値上げが決まり、2024年から出産育児一時金の一部を後期高齢者が負担することになります。「異次元の子育て支援」とは高齢者からも絞りとることなのか。
 また、75歳以上の窓口負担2割化によって、受診回数を減らしたり、薬がなくなっても「我慢する」など、問題は切実です。医療費抑制のため、国は、あらゆる方法を使ってきます。
 医療・介護は、生きる権利そのものです。まさに生きるために、力を合わせ、医療・介護の権利を守りましょう。


2023年5月の記事

2023年度運動方針(案)の基調

第32回大会の獲得目標

1、部落の実態・ニーズや支部の実状に応じた、きめ細かく、真剣な地域活動の方針をつくり出すこと。
2、狭山決戦の必勝態勢と方針を確立すること。狭山闘争基軸の三大闘争路線を、はっきりと確立し、組織建設路線にまで高めること。
3、日帝・岸田の戦争と生活破壊の大暴走と対決し、地方選必勝をかちとること。



部落解放運動をとりまく情勢と部落の実態

 ロシアによるウクライナ侵略戦争は、核戦争の危機をもはらみながら、激化拡大の一途をたどっています。他方、「台湾有事」や朝鮮民主主義人民共和国のミサイルを口実にした、岸田政権の大軍拡への暴走が目の前で始まりました。
 また、西欧やアメリカ、ブラジルでの極右、差別排外主義の台頭は決して対岸の火ではありません。
 詳しくは情勢論でふれられます。この世界戦争の危機と全世界的な物価高騰・生活破壊の嵐のなかで、部落は今、どんな状態に置かれているでしょうか。
 

部落、とくに青年層は

     どんな状態に置かれているでしょうか


 政府の公表でも、非正規雇用の割合は約4割、2000万人を超えます。部落の青年の場合はその約2倍、7~8割が非正規労働者といわれます。加えて、都市部の部落では、公営住宅法(公住法)による労働者層の追い出しが、深刻な影を落としたままです。
 こうした青年層の失業・半失業状態と労働者層の追い出しは、こんにちの部落全体の生活を根底からおびやかしています。
 また、世間の相対的貧困(おおよそ「可処分所得」が世帯年収で127万円以下)が15・7%、2000万人といわれます。国民の6人に1人が貧困ライン以下の生活を余儀なくされていることになります。とくに、ひとり親世帯では2世帯に1世帯といわれます。
 部落のなかでは、単身高齢者世帯が圧倒的に多く、無年金や低額年金で苦しいくらしを余儀なくされ、加えて、公住法の一般公募によって、一般の貧困層の部落への流入が増えつづけています。
 これらの複合要因で部落の生活実態は、総体として相対的貧困の域をこえ、最低限の生活すらままならない絶対的貧困スレスレのなかに置かれている、と言っても過言ではありません。
*こんにち的な青年の労働・生活実態調査が切実に望まれます。
 こうした生活実態のなかで、部落の兄弟姉妹の多くは、生きるだけで精いっぱいの現実にあります。
 70年代の高度成長期、大量の公務員採用(その場合も現業部門が主ですが)の時代とは、一変しています。
 本当に生きるだけで精一杯、青年は結婚も子育ても将来を描けない、その毎日の現実―そこのところの共有。「青年よ生きろ!青年を生かせよ!」なしには、一切は始まりません。他方、狭山街宣で署名する青年、環境問題など世の不条理に怒る青年、青年は熱いマグマを秘めています。決して捨てたもんではない。
 自分もたいへん、だからこそ、石川さんの生い立ちや殺人犯の濡れ衣が、こうした青年層にとって、無関心でいられない情勢が深まっているのです。意見広告でのモニタリング調査でも明らかです。狭山街宣で署名に応じてくれる青年も、まさにそうです。狭山活動家づくりを、青年の組織化のテーマそのものとして、かってその道を歩んだ全国連の老闘士が、はっきりと自覚し、青年層と向き合いましょう。
 解同本部派も、組織の高齢化、部落大衆の運動離れや村出、とりわけ青年層との断絶に悩んではいます。そこで「ムラを出ていった人々と繋がるネットワーク。SNSや文化運動」を方針にしています。外とのネットワークもけっこうですが、しかし、その前に、ムラのなかに元気な運動体がなければはじまらない。元気な全国連(拠点)、そして繋がる(ネットワーク)。それらを結ぶ一本の赤い糸が狭山なのです。


2023年度の運動の基調

 1、活動報告や情勢論をふまえ、それに対応したものに挑戦します。部落のおかれた実態や、支部の実状にマッチした地域活動の創造が求められています。
 昨今、インボイス制度に対する説明会や個別相談会が、一部の支部で開かれています。わからないことは本部に相談してください。インボイス制度は、中小零細業者や個人事業者、フリーランスなどから、根こそぎ消費税をまきあげる大増税であり、とりわけ部落の生業にとって死活問題です。すべての支部でとりあげ、部落の生業・生活防衛の緊急課題としなければなりません。
 また、個人、事業者を問わず、税申告での非課税の追求は生活防衛の一切の基礎になるとりくみです。チラシをまき、相談会や説明会を開催し、納税組合や支部に組織化して、非課税を追求しましょう。非課税から、医療費や家賃の減免などにつながっていきます。茨城での新支部誕生のように、支部建設と結合することはとくに重要です。団結して、生業破壊・生活破壊とたたかいましょう。
 また、例えば高齢者の日常の買い物、使用後の食用油の回収など、各地の村々の多種多様な住民ニーズに応じた、繋がりのチャンネルをつくりだしましょう。

 2、狭山闘争必勝の方針と態勢の確立、そのための戦争・差別と総対決する狭山闘争基軸の三大闘争路線の再確立が求められます。
 昨年の大会では、水平社100年、全国連30年、狭山60年の総括(概要)のうえに、三大闘争路線(糾弾、要求、共同)を新たに再構築し、狭山闘争基軸の三大闘争路線を提起しました。狭山闘争基軸の三大闘争路線―これは、従来と同じように見えて、実は決定的なターニングポイントにほかなりません。5年後、10年後に「あの時が・・・」という新路線なのであります。
 それは、生きて狭山に勝利するという瀬川さん、中田さん、片岡さんへの誓いをかたちにしたものです。84歳になった石川一雄さんへの血盟の証でもあります。私たちのその執念、人生を狭山にかけきる、その覚悟は尋常ではありません。
 意見広告も、大運動誕生も、毎月要請行動も、そのあらわれであり、この覚悟があればこそ実現できたものなのです。この点で、全国連は解同本部派を圧倒しています。全国各地の狭山人の心と繋がっています。
 言い換えれば、狭山闘争がもつ、権力犯罪、差別裁判との不屈非妥協の糾弾闘争のなかに醸成されたものを取り出したということにほかなりません。
 結婚差別をめぐって部落民を誘拐罪にでっちあげた高松差別裁判の糾弾闘争など、戦前の水平社がたたかった差別糾弾闘争は数知れませんが、それらに比しても、狭山闘争は60年におよぶ史上最大の対権力糾弾闘争として、ひときわ高くそびえたっています。そのでかさ、とてつもない大きな意義は計り知れません。
 たとえば狭山闘争が無ければ、解同本部派はとっくの昔に荊冠旗をまいてしまったことでしょう。解同本部派中央が、運動路線を権力とたたかわない、融和主義に総転向しようにも、狭山闘争があるかぎり差別とたたかわざるを得ませんし、部落解放運動として存在し続けます。総じて、戦争・差別洪水にたいする生きた防波堤の役割を、狭山闘争が果たしていることは疑う余地がありません。

 いまひとつ、これは、今日の全国連の背水の陣にたった、組織建設路線でもあります。昨年の10・30現調で、われわれじしん、久方ぶりのとりくみをしたなかで、目から鱗の再発見をしました。
 全国連はまぎれもなく、狭山再審闘争の情勢決定要因になり、自他ともに予想を超えて、存在感をみせつけています。だがその全国連に5年先、10年先はあるのか・・・。その危機に際して、どこに舵を切るのか。本当に思い切った舵切なしには、未来はない。こうした、組織的な現状に目をつぶることはできません。
 その点、30年間やってきたことの延長で、三大闘争をあれこれやっていくだけでは、無力でしかない。背丈に合わない位の運動への挑戦なしに、組織建設は純粋培養ではできません。しかし、ただ運動をやれば組織がついてくるというものでもありません。また、あれこれを無いものねだりしても始まりません。
 全国連の土台となる、組織の再生産構造を、いかにして自前でつくりだすのか。これは、5万人組織建設論いらい、また革共同との断絶いらい、組織の再生産構造がいったん仕切り直しとなるなかで、宿願の課題となってきたのです。
 かつて、政治闘争が組織の再生産の役割を果たすこともありました。〈狭山、三里塚、反天皇〉が、部落青年の共感をよびおこし、合流への水路となりました。また、公住法の改悪=応能応益制の導入に対する同住連のたたかいが、全国各地で大量の新たな人々との出会い、合流への水路となりました。それらにかわって、今の全国連の自力自闘のありかたにそって、自前の再生産構造を持たねばなりません。
 良く考えてみますと、実は、今の全国連が育ってきた原点のなかに、答えがあるのではないでしょうか。それは、狭山闘争のなかに再発見できるのではないでしょうか。
 私たち自身が、狭山で体験した石川さんの無実、権力の差別犯罪への気づき、これを中央闘争、現地調査、署名や学習会の草の根運動などを通して身に着けてきたなかで、はじめて解放戦士として成長してきました。こうしたことの追体験のなかに、明らかにこんにちなお通用する狭山活動家の育成、全国連組織の再生産構造があるのだと確信しています。

 では、いかにして。その具体化にまで踏み込んで論議しましょう。
  現地調査の狭山活動家づくりにとっての、かけがえのない役割です。自分の足で狭山現地を歩いてみよう。自分の目で、万年筆がでてきたとされる鴨居を見てみよう。机上の学習ではなく、現地に行って、自分の体で、無実・差別をつかみとることです。
  狭山DVD「私は無実」を活用し、学習会やオルグの武器にしていきましょう。
 また、狭山大運動の会報を活用し、登場する狭山人の「わたしと狭山」から学んでいきましょう。
  積極的な人を、要請行動に連れて行きましょう。要請行動を学びの場としても工夫しましょう。
 これらを保障するのは、狭山活動家づくりへの中執を先頭とした総力戦です。中執自らが先頭にたつことぬきに、この方針はありません。全国各地に、大量の狭山活動家をつくりだそう。その中心対象は青年層です。5・21狭山現調・現地集会をそのステップに活かしきって、有意義にしていきしょう。

 3、岸田の暴走を地方選で止めよう
 今年は統一地方選挙の年です。4月9日に東京、大阪など、23日に茨城など、9月には17日告示~24日投票で長野市、東大阪市の選挙があります。組織内候補の長野市・中村俊二さん、連帯候補の茨城・土浦市・坂本繁雄さん、東大阪市・松平要さんらの必勝を期して、候補者と地元を先頭に死力を尽くしてたたかいましょう。
 各地の選挙戦じたいのなかみは、当該からの報告を受けて、それに学んでいきましょう。
 そのうえで、全国連の選挙闘争の基本は、(1)住民との生きた繋がりのうえに、候補者を先頭に、住民主人公の選挙戦をたたかう。言い換えれば、住民の自己解放性をトコトン信頼し、そこに徹底依拠して、住民要求の実現のためにたたかう。(2)地方選であっても、悪しき国政の暴走に待ったをかける重要な役割があります。あくまで、当該住民の要求・気運に密着しつつ、岸田政権の目に余る暴走―大軍拡・改憲、原発推進や大増税・物価高騰・生活破壊との対決の場として位置づけてたたかいましょう。(3)こころある人は、「袴田事件」に注目し、「次は狭山だ」と関心を高めています。狭山闘争の要素もとりいれる工夫をしましょう。



2023年4月の記事

狭山春夏決戦を全力で闘い

      事実調べかちとろう


昨年からの死力を尽くしたたたかい

 私たちは昨年から、死力を尽くした狭山決戦をたたかい抜いてきました。それは、「この第3次再審が最後のたたかい」という石川一雄さんの決意を真正面から受け止め、私たち自身としてもまさに人生をかけた最後の狭山決戦として、心の底からの決意をしたからでした。
 5月までの意見広告カンパ決戦、5月8日の毎日新聞二面ぶち抜きカラーの意見広告掲載、連続要請行動実現のための再度のカンパ決戦、7月からの毎月の要請行動と息継ぐまもなくたたかってきました。
 そして今、毎月毎月、要請団が東京高裁と高検に押しかけ、「事実調べを行え」「証拠隠しをやめろ」と大野裁判長や担当検察官に迫っています。
 この全国連の必死のたたかいは、良心的な解同本部派の人々や共闘の労働者にも伝わり、昨年秋から始められた事実調べを求める全国署名は50万人となりました。
 またこの間、再審開始決定が、日野町事件(2月)、袴田事件(3月)と続き、えん罪・再審に対する国民的関心が大きく高まっています。検察は厳しい批判にさらされて袴田事件の特別抗告を断念しました。
 私たちのたたかいは裁判所や検察を動かすことができる、そのことに改めて確信を持つことができます。
 ただ、検察も東京高裁も、権力のメンツにかけて必死の巻き返しに出てくることは明らかです。それをも上回るたたかいが絶対に必要です。

事実調べ実現の春夏決戦

 昨年8月末に、弁護団は東京高裁に対して、11名の鑑定人尋問とインク鑑定の実施を求める「事実調べ請求」を提出しました。狭山再審では、第1次再審請求以来、これまで46年以上、ただの一度の事実調べも行われていません。いま狭山再審闘争史上、初めて「事実調べ」が真正面から争点となったのです。
 これに対して検察は、2月に「鑑定人尋問もインク鑑定も必要ない」「再審を棄却せよ」という意見書を出してきました。故意に証拠を隠し、ねつ造し、真相を明らかにするための事実調べに反対する、この検察こそ犯罪者集団です。絶対に許すことはできません。
 検察と弁護団双方の意見書の提出が終わり、大野裁判長は5月からはいつでも決定を出せる状況に入りました。12月には定年退官を控えています。今現在のたたかいが、勝敗を決するのです。
 「東京高裁・大野裁判長は鑑定人尋問とインク鑑定を行え!」。この旗を高く掲げて、春夏決戦をたたかいぬきましょう。

証拠ねつ造を暴き、検察意見書を粉砕しよう

 東京高裁が再審を棄却しようとすれば、検察意見書に依存する以外にはありません。第3次再審闘争の新証拠の核心は下山鑑定ですが、大野裁判長が再審を否定するには、検察意見書を採用する以外にないのです。
 従って再審勝利の道は、下山鑑定を否定するためのペテン的な検察意見書を徹底的に粉砕することです。
 特に焦点は、「証拠のねつ造」です。袴田事件でも、証拠のねつ造の認定が再審開始に直結しました。狭山再審では、万年筆という重要証拠のねつ造が下山鑑定によって明らかにされました。ここが権力の最大の弱点であり、権力犯罪を徹底的に暴いていくことが再審勝利の道なのです。

春夏の狭山決戦の具体的な方針

 第1は、東京高裁に直接迫る毎月の要請行動を全力でたたかうことです。要請行動は、11月まで延長します。また昨年はカモイの実物大の模型を受け取らせましたが、さらに創意工夫した要請行動を展開していきます。
 特に6月の要請行動は、早ければ決定が出されることもあり得る重要な時期となります。高裁前座り込みも含めて、最大限強化してたたかいます。
 第2は5・23石川さん不当逮捕60カ年糾弾闘争を青年中心の狭山現地調査闘争(21日)としてたたかいとることです。「狭山を基軸とした三大闘争」の実践、また全国連の未来をかけた青年部づくりの実践として、組織建設的にたたかいとりましょう。
 第3は、狭山再審を実現する大運動(狭山大運動)の強化拡大のたたかいです。現在、会員が450口に増えていますが、1000口会員を早期に実現するために奮闘します。狭山大運動を、全国的で独自の大衆団体として発展させていくために、全国連は責任を持って支えていきます。
 第4に、全国各地での署名、情宣、映画会や集会などの草の根の取り組みです。新しい統一ビラと署名を作ります。それを全国の部落や街頭、職場にどんどん持ち込みましょう。

 第3次再審の勝敗が間違いなく決まる本年、全国連は死力を尽くして石川一雄さんとともに勝利をかちとりましょう。 


  青年のみなさんへ

今こそ、5・21狭山現地調査

  ―5・22東京高検要請行動へ

  石川一雄さんの再審をかちとろう!


 全国の部落のきょうだいと仲間のみなさん。
 全国連青年部は、5・21―22全国青年交流集会として、狭山市内の現地調査、翌日の東京高検への要請行動と連続したとりくみを行います。
全国からの結集を訴えます。

 狭山事件発生から今年で60年、石川一雄さんはずっと無実、無罪を訴えているにもかかわらず、いまだ身に覚えのない殺人犯の汚名をきせられています。

 石川さんは埼玉県狭山市の被差別部落で生まれ育ちました。
家の貧しさや差別の厳しさから、学校にも満足に通えず、幼い頃から働きに出て生計をたてていました。
 1963年5月1日、石川さんが24歳のとき、狭山市内で女子高校生殺人事件が起こります。
 犯人逮捕にあせった警察は、被差別部落に集中捜査をかけ、5月23日石川さんを別件逮捕。
 連日刑事に囲まれ「おまえがやったと言え!」と迫られるも、石川さんは身に覚えはないとして抵抗をつづけます。1か月ほど経つ頃、「お前がやったと言わないのなら、兄を逮捕するぞ」と脅され、家計の中心を担う兄が捕まれば大変だとして、石川さんはウソの「自白」を始めたのです。
 さらに裁判も一審で死刑、二審では無期懲役と、とんでもない重刑をつきつけられています。
 無実の部落民を生贄にして、「部落民ならやりかねない」と世間の差別意識をあおってきた国家権力の責任は、とてつもなく重大です。
 この事件、差別裁判を、断じて許してはなりません。

 いま第三次再審請求で、今年中にも再審か否かの決定が出る重要な局面を迎えています。

 そこで、私たち青年部は5月21日、実際に狭山市を訪ね、石川さんのウソの「自白」をたどる現地調査をおこないます。
 そこには実際にはありえない矛盾だらけの「自白」の中身、そして石川さんの無実を実感できる内容となっています。
 また翌日は、東京高等検察庁に、証拠の開示、反省と謝罪を求めて要請行動を行います。
 差別を許さない思いを、直接届ける絶好の機会です。
 石川さんの無罪への思いとともに、再審への扉を切り開きましょう!
 ぜひ5・21―22は狭山現地、そして東京高検へ!


3・23狭山要請行動報告

 狭山要請行動が3月23日に取り組まれた。今回は九州を中心に茨城、東京、本部の計12名が参加。あいにくの雨模様だったが、最後までやりぬいた。
 11時から東京高検要請行動。当初乙部担当検事は出席予定だったが、事前連絡で欠席が伝えられた。この間の要請行動で乙部検事との激しいやりとりがあり、さらに袴田事件は東京高裁で再審開始決定直後であり、東京高検が乙部検事を欠席させる政治的対応をとった可能性がある。
 東京高検は、萩原検察事務官と公判事務課・高橋の2名が出席。要請団は怒りの高検前シュプレヒコールを行い、介助者を含め11名が参加した。
 要請文4通の読み上げと、口頭の要請を含め制限時間を超える要請となった。
 東京高裁前の昼休み宣伝活動は、雨が降り続く悪天候の中、マイク宣伝とビラ配付のみの取り組み。大阪から来た青年から「狭山の話を聞きたい」と話しかけてきたのをはじめ、袴田事件弁護団の村﨑修弁護士から「狭山事件も再審をかちとって」との激励など、悪条件下で反応が寄せられた。
[村﨑修弁護士とは、本人の了解のもと後日電話取材を行った。要旨は、会報「狭山大運動」第10号(4月号)掲載] 
 午後2時から東京高裁要請行動。東京高裁から今井訟廷管理官、小寺訟廷副管理官、総務課西田の3人が出席。要請団は12人全員が参加。冒頭、今井訟廷管理官から「この後予定が入っており、30分間で終えたい」と申し入れがあった。4通の要請文読み上げと口頭での要請で時間内で終了。
 弁護士会館での総括集会では警察の証拠ねつ造にまで踏み込んだ袴田事件の再審開始決定のもつ意味と、狭山再審へ毎月の要請行動の重要性を確認した。



2023年3月の記事

狭山事件60ヵ年!5・21狭山現地へ!

6・11第32回全国連大会を成功させよう!


 2月26日、大阪・本部事務所において、第31期第3回中央執行委員会および第32回全国大会議案書起草委員会がおこなわれました。長期強靭に狭山決戦をたたかいつつ、5・21狭山現地調査、6・11全国大会の成功へ、総力戦でとりくもう、と団結を固めました。また、4月、9月の統一地方選に組織内候補・連帯候補の必勝を期すことを決定しました。

たたかう議員の倍増で岸田の暴走を止めよう

 三里塚の市東さんにたいして、2月15日農地強奪の強制執行がおこなわれました。腹の底からの怒りで弾劾し、反対同盟との変わらぬ連帯を誓いました。
 三里塚にみるように、岸田政権は、大軍拡、増税、原発推進など、目に余る暴走をしています。真っ向から対決し、民衆の利害を擁護する議員が必要です。 
 4月、9月には、統一地方選があります。全国連は、狭山に協力的な人、軍事費増大・大増税反対で鮮明な候補を支持します。4月茨城・土浦市、9月長野市&東大阪市での組織内候補、連帯候補の必勝を期して、地元とともにたたかいましょう。

狭山事件60ヵ年に現地結集を

 1月31日に三者協議が行われ、2月末に事実調べについての検察意見書が出され、4月中旬には弁護側も意見書を出して、以降いよいよ裁判所の判断が出される段階に入ります。大野裁判長は12月10日で定年退官です。早ければ今春、遅くとも11月まで、息の抜けない攻防です。
 大野裁判長への期待や幻想は禁物です。下山鑑定をはじめ新証拠、意見広告・要請行動・ハガキ・署名などの世論の高まりを、裁判長といえども完全無視はできなくなりつつあるということです。検察―国家権力が、おめおめと指をくわえて許すはずもありません。事実調べの実際の実現へ、もっともっと強靭にがんばりましょう。毎月の要請行動も、11月までの延長を覚悟します。
 石川一雄さんは84歳。狭山事件は今年5月で60ヵ年です。全国連は、5・21に青年を中心に狭山現地調査・現地集会を行います。婦人部も参加します。徹底して組織建設的に、狭山活動家づくりの願っても無い機会として、中執が総力戦でとりくみます。
 狭山大運動(狭山事件の再審を実現する大運動)の1000口会員を早期に達成しましょう。現在450口です。大運動とその会報を、狭山人の共有テーブルとして大きくしていきましょう。
 3・13に「袴田事件」の判決があります。「福岡マルヨ無線事件」の証拠開示、「滋賀日野町事件」の2・27再審開始決定と注目すべきことが続きます。

差別者宮部に追い込みを

 全国連の公開質問状6にたいし、示現舎宮部は回答することもできません。ネットで「土浦差別事件なんか知らん。筋違い」と喚き、逃げまくっています。質問状7をはじめ、無慈悲に追撃していきます。

インボイス制度と生業防衛

 各地で税申告とともにインボイス制度の学習・周知と、具体的対応に格闘しています。インボイス制度は、大増税であり、部落の零細な業者にとって死活問題です。わからないことがあれば、すぐに本部に相談ください。

議案書起草委員会を開催

 全国連は、6月11日、大東市民会館において、第32回全国大会を開催します。中執につづいて、議案書起草委員会をおこない、大会の内容論議を開始しました。次は、4・2拡大中央委員会(荒本人権文化センター)です。
 最初の論議を通して、大会での獲得目標が見えてきました。① 部落の現状や支部の実態に向き合い、きめ細かく、真剣に活動方針をつくりあげること。② 狭山闘争基軸の三大闘争路線をはっきりと確立し、組織建設路線にまで深めること。③ 日帝岸田の大軍拡・改憲、大増税路線や、インボイス制度・マイナンバーと対決し、地方選必勝をかちとること。
 原稿の第一次〆切は3月末。最終〆切は5・14です。大いに論議しましょう。



生業破壊のインボイス制度を撤回させよう!

  (インボイス制度と部落の事業者)


 今年10月1日からインボイス制度が始まる。会計処理ソフトのコマーシャルばかりが先行していて、その内容はよくわからないというのが正直なところだ。
 しかしこの「インボイス制度」、知れば知るほど、おそろしいと言うことがわかる。とくに零細企業や個人事業者などにとっては、事業の継続さえ危ぶまれることになりかねない一大事なのである。

(1)インボイス制度

 インボイス制度(適格請求書等保存方式)は、消費税に軽減税率(8%)が導入されたとき、その導入も決定されていたとのことである。だから消費税に関わる制度と言うことになる。
 ではインボイス制度とはどんなものか。
 一言でいえば、事業者が仕入れから仕入税額控除(注1)をする際、課税事業者(注2)が発行するインボイス(適格請求書等)に記載された税額のみ控除できるというもの。
 この税額の計算は、これまでは帳簿と請求書等を残しておけば仕入税額控除が認められ来た(帳簿方式)。それがインボイス導入後は、仕入れ先からのインボイス(請求書や領収書)の保存が仕入税額控除の要件となる。
 それでは、今までの請求書や領収書とインボイスとはどう違うのか。
 重要なのは、請求書は誰でも発行できるがインボイスを発行できるのは税務署で「適格請求書発行事業者」として登録した事業者だけ。インボイスには今までの請求書に加えてこの登録番号と税率ごとの合計額を記載することになる。それは同時に課税事業者になることでもある。
 さて、ここで問題が起こる。
 ある事業者は、年間の課税売上高が1000万円以下で免税事業者(注3)です。インボイスを発行するために「適格請求書発行事業者」になるとすると、税務署に届けて課税事業者にならなくてはなりません。今まで消費税が免除されてきたけれど、今後は消費税の納付が義務づけられます。今まで消費税を価格に転嫁できていない事業所は、取引先に消費税分の値上げ交渉が必要になります。難しい交渉ですが、でないと消費税分をどこからか捻出しなければなりません。また、免税事業者のままでいると取引先の事業所は仕入れで支払った消費税を控除することが出来なくなり、消費税を丸々かぶる事になります。
 当然取引先の事業所はインボイスの発行を要求してきますが、それが出来ないとなれば消費税分の値下げを迫るか、取引の停止を言い出してきます。実際にある大手量販店は「インボイスを発行できない事業者とは取引できなくなります」という通知を出しているとの事です。これではこの事業者はどちらにしても苦境に立たされます。
 現在こうした免税事業者は500万事業所、個人事業者・フリーランスが1000万人いると言われています。小売店をはじめ飲食店、サービス業、ひとり親方、個人タクシー、宅配員、農家、町工場、弁護士、税理士、フリーライターなど、ありとあらゆる職種にわたり影響を受けます。

(注1)仕入税額控除:売り上げに含まれる消費税額から、仕入れにかかる消費税額を差し引くこと。
 例えば売り上げに含まれる消費税が200円、一方で仕入にかかる消費税が100円だとすると、200円から100円差し引いて100円が納める消費税となる。

(注2、注3)課税事業者・免税事業者:現在年間売り上げ高が1000万円以下の事業者は消費税の納税が免除されています。これを免税事業者と言い、1000万円以上は課税事業者といいます。課税売上高1000万円以下の事業者の消費税納付を免除することを「免税点制度」と言います。利益が薄い、あるいは赤字の事業者でも消費税はかかってきます。事業者は消費税を払っていたら生活できなくなる可能性があるので設けられた、所得税の基礎控除のようなものです。

(2)部落の零細・個人事業者が受ける影響

 部落の企業規模は小規模零細な事業所が圧倒的ですし、個人事業者も多くいます。こうした事業者は今まで消費税を価格に転嫁することなく、薄利で事業を続けてきました。価格が需要と供給、競争と力関係で決まることから、価格に消費税を含めることが出来ないのが実態です。
 ところがインボイス制度が始まれば、課税事業者になろうと免税事業者のままであろうと消費税の重みに耐えられなくなります。今までやっとの事で利益を出してきた事業でもそれを上回る消費税がかかってきたり、事業が赤字になってもかかってくるのが消費税です。免税事業者は消費税分を利益から持ち出さなくてはなりません。
 茨城では、くず米業者が大打撃を受けようとしています。くず米業者は県内外の農家を回って米やくず米を買い入れ、それを運んで米問屋や米販売業者に売ります。農家は農協に売る場合は特例によってインボイス登録を免除されるために、ほとんど登録をしていません。従って、くず米業者は農家からの仕入控除が出来ないまま消費税を支払わなくてはならなくなります。
 しかも現在は、所得税は米を運搬する運賃分を売り上げとしていますが、もしインボイス制度が始まったら、くず米や米の本体を含めた売上高に対する消費税がかかるので、名目上の売上額は何千万円にもなり、消費税も大変高額になってしまいます。「とてもそんな消費税を支払えない。廃業するしかない」という悲痛な声が上がっています。
 こうしたケースは例外ではなく、様々な業種で、課税事業者との関係で起こります。

(3)軍拡のための大増税に反対しよう

 インボイス制度は、このほかにも事業者の事務負担、経費の増大、取引情報の漏洩などさまざまな問題があります。
 政府はインボイス制度実施に伴って6年間に2段階の経過措置を設けていますが、この間に免税事業者を一掃し、消費税収の取りこぼしのないよう100%確実に徴収しようと狙っています。
 安倍-菅-岸田と失敗続きの経済政策で、所得・法人税収が減少しているのに(過去最高だったバブル崩壊直前の90年度と比較。主要税収の二つは戻っていない)、消費税収だけが大きな伸びを示し、20年度には所得税を上回って、主要三税収のトップになりました。
 岸田政権は、予算のあても示さず、安保三文書の改訂と敵基地先制攻撃を打ち出し、防衛費の大幅増を決めました。インボイス制度による増税は、岸田大軍拡路線の予算に使われる事は必至です。しかも許されないことに、この制度導入の陰で、零細な事業者は廃業に追い込まれ、路頭に放り出されることになるのです。
 私たちは生きんがための仕事を守るため、零細・個人事業者とともに闘いをつくりだしていかなくてはなりません。荒本平和商工会の闘いはその先例であり、各地での税申告相談会はその手がかりです。それとともに、この生活防衛の闘い、大増税反対の闘いが、岸田の改憲-大軍拡攻撃とそれがもたらす社会の困窮化との闘いです。
 インボイス制度導入を撤回させ、岸田改憲-大軍拡攻撃を阻止しよう。



この暴挙!未来永劫許すまじ!
 
 部落解放同盟全国連合会・岩崎喜子


 2月15日、ついに空港会社と国は、三里塚芝山連合空港反対同盟の土地、建物の明け渡しを、機動隊でうめつくして強制執行をおこなった。この暴挙は、未来永劫絶対許されない。怒りをもって弾劾する。全国連は、市東孝雄さんはじめ、同盟のみなさんと共にあります。 この日を前に2月5日、天神峰現地闘争がおこなわれ、参加した。ここ10年近く現地に来ていない。いつ強制執行があるかもしれない緊迫した現地に今、行かずしてどうするか、気後れしている場合ではないと言い聞かし、茨城、東京の面々と合流し、連れて行ってもらった。車のタイヤが回るごとに粉のような土煙をあげる。空の青は、澄み切っている。塀だらけ、その先から騒音のジェット機が飛ぶ。
 あ~三里塚だと思う。品川駅に着くまでグルグル頭の中で思いめぐらしていた。大型バスを連ねて、250動員、次は300動員と支部の方針は村ごと移動するような勢いだった。赤ちゃんから高齢者まで時にはぎゅうぎゅう詰めのバスの時もあった。ただ、当時の高齢者は、いまは、誰もいなくなったが足が不自由なOさんは、助けを拒み、ぬかるむ土を踏みしめた。Oさんだけでなく、だれもが年を感じさせないシャキシャキと会場入りをした。
 参加した婦人部長のMさんに帰ってから感想を聞いた。
 「土がきれいやった」。この意味が分かるのは、自身が高齢になってから。
 昨日、今日、自然にできたわけではない。何年も何十年も手をかけ、耕し、人間の営みが生み出した「土」なのだ。その農地を取り上げても取り上げても奪うことができない。根本のところで権力を圧倒し、勝利を続けている。それが三里塚だ。こんな思いで発言した。
 会場入り口に、毎日新聞2面ぶちぬきの石川一雄さんの表情をとらえた意見広告が張り出されていた。両者、後はない。心から連帯を。



2・21東京高検・乙部検事を追及

      狭山要請行動報告


 この日、強風下の厳しい寒さの中、狭山要請行動が取り組まれた。今回は、関西を中心に12名が参加した。
 11時からの東京高検要請行動は、介助者を含め11名。東京高検から、乙部担当検事他2名が出席した。
 冒頭、昨年10・31の要請行動の際、視覚「障害者」の介助者を参加人数の枠に含めて10人とした対応について「その後、高検内部でどのように議論されたのか」と要請団の追及が行われた。
 乙部検事らは、「当日、突然のことで配慮が足らなかった」とそれぞれが謝罪した。
 その後、要請文がそれぞれから読み上げられた。
 
一審検事論告を差別論告と暗に認める

 続いて前回の要請行動で一審検事論告を読んでいないとの乙部検事の発言について追及した。
 乙部検事からの「読みました」との回答に、「検事論告は差別的内容だと思うか」と質問。乙部検事は、「感想は控えさせてもらいたい。差別言動はしないように気をつける」との回答。要請団からは「検察は一審論告の部落差別を謝罪していない。過去の問題として放置することなく、検察の組織が過ち認めてのぞむと、この場ではっきりしてもらいたい」などと追及した。
 乙部検事は「要請の内容は分かりますが、当時のことについて触れるのは控えさせていただく」と防戦一方の回答だったが、実質上一審検事論告が、部落差別にもとづく差別論告であることを認めた形となった。
 最後に証拠開示について、「不見当」と拒否するのではなく、証拠開示をおこなうことなど要請して終了した。
 12時からの昼休み時間には、東京高裁前で宣伝・署名活動が行われた。高裁門前の横に、カモイの模型が設置され、マイク宣伝の音が霞ヶ関にこだました。
 寒波による強風下で寒く、閑散とした人通りは、毎月の取り組みではこれまでで一番少なかった。それでも頑張って13筆の署名をいただいた。

カモイの模型が第4刑事部に

 14時からの高裁要請行動は、12名全員で要請行動に臨んだ。
 まず、12月2日に要請文に添付して提出したカモイの実物大模型はその後どう扱われているのか質問。今井訟廷管理官から「カモイの模型は組み立てられた状態で、裁判長が直接見えるよう刑事第4部に置かれている」との回答があった。
 また、万年筆がカモイの上から発見されたことについて、裁判所の判断が「見えやすいから、かえって見逃した」「見えにくい場所」と正反対の主張となっている事への批判。今回の事実調べの重要性。証拠開示をめぐって裁判所がきちんと勧告を提起すべきなど、参加者からの意見が相次いだ。
 狭山第3次再審闘争は、昨年8月の弁護団による事実調請求書に対して、2月末にも検察側の反論が提出される予定となっており、重大な山場をむかえている。

狭山再審勝利! 要請行動にたとう

 毎月の狭山要請行動は、要請ハガキ・署名運動とならび、東京高検に対しては「全証拠を開示せよ」、東京高裁に対しては「鑑定人尋問を行え」との声を直接訴える、極めて重要な取り組みとなっている。各地での取り組みをふまえ、何としても再審を実現し、石川さんの無実をかちとろうとの思いをこめて、毎月の要請行動に全国からたちあがろう。



2023年2月の記事

23年狭山再審決戦の幕開け!

高検・高裁に要請行動の第1弾!

 
                   
     
長野を中心とした要請行動を貫徹

 1月30日、長野県連主体の狭山要請行動をたたかいました。長野から要請団6名(初めて参加した青年1名)、中央本部や茨城県連・江戸川支部などから6名の総勢12名の参加です。

<東京高検要請行動>

 冒頭、滝岡副委員長から「検察の理念にのっとって、積極的に証拠開示に応じてほしい。2月中に意見書出して、裁判所の事実調べを検察は後押しするように」と要請行動の核心点を申し入れました。
 ついで、長野県連から合計5通(県連・婦人部・青年部・二睦支部・豊野支部)の要請文を読み上げ、その後口頭での要請を行いました。
 小林書記長から、「殺害現場の撮影フィルム、死体発見現場の写真、血痕ルミノール検査報告書などを、なぜ開示しない。犯行現場を特定できない殺人事件などない。開示された取り調べ録音テープでは、『自白』の内容を石川さんは体験してないことが明らかになった。『自白』のみの憶測、推測しかない。なぜ証拠を開示してはっきりさせないのか」と追及をされました。
 この追及を皮切りに、検察官の「不見当」に対して「ちゃんと精査しているのか」「証拠は国民の財産だ。全部出せ」「被害者を目隠しするために使ったとされるタオルを、石川さんが入手したとされる確たる証拠は何もない。また、被害者の後ろ手をしばったとされる手ぬぐいも数字が改ざんされている。このようなデタラメで真実に向き合っていると言えるのか」「検察の理念にのっとれば開示以外の回答はないはずだ」など、追及が続きました。乙部検事は「三者協議で答えています」「裁判所が判断することです」と回答にならない回答をするのが精いっぱいでした。
 最後に、県連の要請文の中で高松差別裁判の差別論告を糾弾しているのですが、差別した先輩検事がいたことを知っているのか質問すると「知らない」という。さらに狭山事件の一審検事論告は読んだのかと聞くと「読んでいない」という驚くべき回答でした。自分が担当している裁判の一審の記録すら読まずに、なぜ真摯な対応ができるのかと要請団の怒りがわき、次回の宿題として、「一審差別論告を読んで感想を持ってくること」を伝え、要請行動を終えました。

<昼休み街宣>

 お昼休みにあわせて東京高裁前で街宣行動をとり組みました。袴田事件の支援団体と同時になったので、マイクを使ったアジテーションは時間を区切って交替して行いました。
 1時間弱の行動で署名14名、ハガキ8枚の協力を得ました。狭山市の70代の婦人が「この事件はすごく不思議に思う。なぜ証拠を調べないのか。事件のおきた1960年代は、国も警察も裁判所も悪いことばかりしてきた。えん罪ばかりだ。友人にも協力をお願いするから、ハガキとビラを4枚下さい」と受けとっていきました。

<東京高裁要請行動>

 冒頭、本部から「検察は不見当ばかり。殺害現場の証拠開示もしていない。つまり犯行を裏付けるものはないといういう事。検察に対して裁判所はき然とした態度で臨み、早急に11人の鑑定人尋問とインクの鑑定をしてほしい」と裁判所の姿勢をまず糾しました。 
 最初に、井橋さんから「カモイの模型を裁判長に見せたのか。第四刑事部でどう扱われているのか」と質問。裁判所は「第四刑事部の書記官室に組み立てられた状態でおいてある。裁判官もそこを通るので見ているはずだ」と回答しました。
 長野県連から合計5通の要請文を読み上げ、口頭での要請に入りました。
 小林書記長が「狭山事件は60年という長い裁判。この間、裁判長が何人替わったのか。一人も事実調べをやっていない。こんなことがあるのか! 署名に応じる人たちは誰もが事実調べをやらないことに異議を唱えている。先ほど街宣で70歳の婦人も国や裁判所はひどいことをしてきたと言っていた。証拠を調べないからえん罪をくり返す。しかも狭山事件は単なるえん罪ではない。部落差別に基づく差別裁判だ」と事実調べを要求しました。
 要請団からも「下山鑑定と同じ鑑定を裁判所が行うべき」「検事が何を言おうが、裁判所の職権で事実調べをすることが必要だ」「要請ハガキを裁判長は見ているのか。30万人分の署名の重みをどう考えるのか」等、追及をしていきました。
 訟廷管理官の回答は「皆さんの要請内容、お気持ちなどはきちんと私が第四刑事部にもっていきます。それが私の責務です」とくり返し答えるだけです。具体的には何も回答はできませんでした。
 最後に、長野県連が部落の村を回って集めてきた90名分の再審署名を提出して、要請行動を締めくくりました。

 弁護士会館外での総括集会では、本部から「要請文がきちんと準備されて、追及もするどかった。これを継続して2月からの要請行動をとり組もう」とまとめられました。



三里塚旗びらきに参加して

     大久保支部(準)三宅法雄

 雲ひとつないまさに晴天下で1月8日、三里塚芝山連合空港反対同盟の旗開きが開催された。
 まず目を引いたのが会場入り口に掲げられた狭山意見広告運動のポスターである。まるで私たちを迎え入れるかのように入り口に掲示されていた。誰が掲示してくれたのだろう。私たちはポスターの前でしばし立ち止まり、感激すること止まずであった。
 デモのために一旦会場を離れ、出発点の市東さんの畑へ移動した。ここから旗開き会場までデモ行進だ。色とりどりの各団体の旗や幟が青空にひらめいている。市東さんの住居と耕作地以外は空き地か空港関連施設だ。どれだけ農民は泣かされ、絶望のうちにこの土地を去っていったのだろうかと怒りがこみ上げて来る。すぐ目の前を巨大な飛行機が我が物顔で通り過ぎていく。「市東さんの土地取り上げを許さないぞ」と空へ突き刺されとばかり声を上げる。
 会場へ着くと、旗開きの準備がすっかりできていた。畑にブルーシートを敷きテーブルと椅子が用意されている。 早速旗開きが始まった。まず萩原富雄さん、そして市東孝雄さんから挨拶が述べられた。裁判所が強制収用を認め、いつ執行が来るかわからないという緊迫した情勢の下での旗開きとなった。
 反対同盟と支援者は24時間体制で強制執行と対峙し、泊まり込み体制を継続中とのことである。そんな中で市東さんは「来るなら来い、闘争は楽しくやらなくては」と一歩も引かない決意を示された。
 いよいよビールやジュースが運ばれ宴会の開始だ。次々とあふれんばかりの料理が運ばれて来る。これがまたどれも本当にうまい。
 趙博さん(パギヤン)の歌に続いて各団体からの挨拶。私も全国連を代表してマイクを持った。まず、意見広告への感謝の念を伝え、石川さんへの連帯を訴えた。市東さんの土地へ強制収用がたくらまれていることを見据えて、「洞部落強制移転」について述べた。「100年前に洞部落では『天皇の墓を部落民が見下ろすのは恐れ多い』として部落差別によって強制執行が行われ無理やり移転させられた。その過程で13名の命が奪われた。市東さんへの強制執行は絶対に許せない。全国連は裏切りません。共に闘います」と表明した。
 その後、「いなのとひら・のことば」というフォークデュオが強烈な政治風刺ソングを次々と熱唱。私は初めて聞くお二人でしたがプロテストソングの原点を見たような気がしました。調子に乗ってCDを買いサインまでしてもらいました。
 会場準備、食事の提供、防衛体制と、反対同盟そして現地支援の方達には本当にお世話になりました。聞くところによると、このあとすぐに強制執行に備え泊まり込み臨戦体制に戻るとのこと。
 汗ばむくらい天気がよく暖かな1日でしたが、「団結がんばろう」の頃には寒くなり始め、程よくお開きとなりました。



憲法改悪絶対阻止!

安保関連3文書の閣議決定を許さず、

侵略戦争、大増税につき進む

岸田政権を打倒しよう!


 岸田政権は、戦後の安全保障政策を大転換し、侵略戦争国家への道へと大きく踏みだした。12月16日、岸田政権は、基本指針となる「国家安全保障戦略」、防衛の目標と手段を示す「国家防衛戦略」、装備品の数量や経費などを定める「防衛力整備計画」の三文書を閣議決定した。
  それは、「攻撃を受けたときはじめて防衛力を行使し、それも自衛のための必要最小限にとどめる」憲法9条【註1】に基づく「専守防衛」と真逆の方向であり、絶対に許すことはできない。

 ① 「国家安全保障戦略」では、ロシアのウクライナ侵略をあげて危機感を煽り、「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境にある」とし、これに対して「専守防衛を基本戦略とする」とペテン的言辞を弄しながら、軍事大国化を正当化する。また、中国の脅威を煽り、「台湾海峡の平和と安定について・・・・急速な懸念が高まっている」とし、朝鮮民主主義人民共和国に対しても「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」、ロシアを「安全保障上の強い懸念」と記している。
 そして、こうした安全保障の強い懸念に対して、「我が国は日米同盟を基軸としつつ日米豪印(クアッド)や日米韓の枠組みを活用しつつ・・・・東南アジア諸国連合(ASEAN)、北大西洋条約機構(NATO)・・・・などと安全保障上の協力の強化」をかかげ、「防衛体制の強化」として、「今後、既存のミサイル防衛網だけで完全に対応することは難しく」、「相手国から、ミサイル攻撃があった場合・・・・我が国から有効な反撃を加える能力を保有する」とし、相手国のミサイル発射基地などに攻撃を加えると踏み込んだのである。
 政府は、集団的自衛権行使を認めた2015年の安保法制につづき、このたびの「安全保障戦略」の改定によって、アメリカの攻撃を補完し、一体となって相手国に攻撃を加えることを可能としたのだ。
 これは、中国との争闘を戦略課題とするアメリカの世界戦略の一翼を軍事的にも担うことを明確にした歴史的大転換である。岸田政権は、日米、日欧、日米韓などと軍事的結びつきを強めつつ、中国を敵視し、全世界的規模の戦争さえ見据え、準備していると言っても過言ではない。

 ② 「国家防衛戦略」では、「中国の強大化、台湾有事、朝鮮民主主義人民共和国が弾道ミサイルに核兵器を搭載し攻撃する能力の保有、ロシアのウクライナ侵略」は、国際秩序の根幹を揺るがすなどと強い懸念を表明。基本方針として、「力による現状変更には、同盟国、同志国などと連携して抑止する」とし、そのために、重視する能力を具体的に示した。そして、その核心として、「27年度までに地上発射型及び艦艇発射型を含め、スタンド・オフ・ミサイル【註2】の運用可能な能力を強化。国産ミサイル増産体制確立までは、外国製スタンド・オフ・ミサイルを早期に取得する」とし、自衛隊のあり方として、「沖縄で部隊を強化する」ことをあげ、持続可能な防衛産業の構築、販路拡大などをあげている。
 このように、「国家防衛戦略」では、スタンド・オフ・ミサイルの生産、外国からの取得、沖縄の陸上部隊の強化、防衛産業の育成などを明確にしているのである。

 ③ こうした国家安全保障戦略、国家防衛戦略に基づく「防衛力整備計画」において、敵の対空ミサイル射程圏外から敵基地を攻撃するためのスタンド・オフ・ミサイルについて25年度までに陸上発射型、26年度までに艦艇発射型、航空発射型を28年度までに開発完了を目指す。米国製巡航ミサイル「トマホーク」など外国製スタンド・オフ・ミサイルを導入する。10年後までに、スタンド・オフ・ミサイルを運用する能力の獲得とミサイルの十分な獲得。まさに、遅くとも10年後までに、敵基地攻撃を可能とするミサイルを十分に確保し、アメリカなどと一体で、侵略戦争に突入できるミサイルを中心とした兵器の整備計画を記したのである。
 全国連は、全国水平社の教訓に踏まえ、憲法九条を守れ! 侵略戦争国家化阻止! を断固たたかう。

【註1】 憲法9条   日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

【註2】 スタンド・オフ・ミサイルとは、敵の対空ミサイルの射程圏外から攻撃できるミサイル。射程は2000キロと言われている。

沖縄県民と連帯しよう!

 この安全保障関連三文書の閣議決定に基づく長距離ミサイルの配備が予想される沖縄の島々の住民からは、「有事の際、戦場になる危険が高まる」などの懸念の声が上がっている。
 政府は中国への危機を煽り、台湾に近い南西諸島へ自衛隊の配備を進めている。沖縄の宮古島に2019年3月、陸上自衛隊宮古島駐屯地を開設し、1年後にミサイル基地を配備、さらに、石垣島にも陸上自衛隊駐屯地を置き、ミサイル部隊を配備する予定。
 今後は、相手国のミサイル発射拠点などをたたく長射程のミサイルの配備も想定されている。また、防衛計画整備計画には、那覇市を拠点とする陸自第15旅団を増強することなども明記されている。
 全国連は、辺野古新基地建設阻止を闘う沖縄県民、自衛隊基地の強化、敵基地攻撃・長距離ミサイル発射基地反対を闘う沖縄県民と共に闘います。

軍事力強化のための大増税に断固反対! 

 岸田政権は、この大軍拡の財源について「2027年までに現在の国内総生産(GDP)の2%にすることを目指す」「2023年度から5年間で総額43兆円とする」とし、毎年度4兆円の追加財政が必要。歳出改革などを通して税金以外の収入を活用する「防衛力強化資金」の創設で3兆円、1兆円を法人税とたばこ税の増税、さらに所得税に上乗されている「復興特別所得税」をも活用すると言っている。
 全国連は、狭山決戦のまっただ中です。東京高裁、高検への要請行動、要請はがき運動、署名運動、街頭宣伝など全力で取り組んでいます。この闘いを軸にしつつも、戦争と大増税の岸田政権打倒の大運動も闘います。労働者、市民と共に憲法改悪阻止! をたたかおう。4月地方選、次の国政選挙に勝利しよう。



2023年1月の記事

 新年のごあいさつ

狭山の事実調べ・再審かちとろう!

軍拡、農地強奪、原発推進―岸田の暴走を止めよう!
 
                   
           部落解放同盟全国連合会
           中央執行委員長村上久義


 2023年の新春にあたり、部落解放同盟全国連合会から、年頭のあいさつを致します。昨年は、一言で言って、転換の年でした。狭山の意見広告から、連続要請行動、狭山事件の再審を実現する大運動の誕生、ついに8・29事実調べの請求と、狭山闘争の大きな転換点でした。また、ロシアによるウクライナ侵略によって、世界戦争・核戦争の危機がもたらされるなかで、安倍元首相の銃撃事件から国葬の強行をステップにして、岸田政権は支持率の低下を開き直るかのように、防衛費倍増・大軍拡、原発推進=核武装に舵を切りました。まさに100年に一度と言うべき、時代の転換点が始まっています。
 今年は、これらをめぐる攻防が、火の出るような激突の年になります。全国連は固く団結し、狭山闘争の勝利を絶対の使命として2023年をたたかいます。三里塚農民と連帯し、軍事空港建設・農地強奪を阻止して、狭山闘争と反戦闘争を結合して勝利をきり拓きます。

第32回全国大会の成功へ

 去る12月18日、中央執行委員会が開かれ、今春の方針が決定されました。  
 第32回全国大会については、6月11日に大阪府大東市民会館(キラリエホール)で開催します。32回大会はどのような位置を持つのか(獲得目標は何か)。何をおいても、石にかじりついても狭山の事実調べをかちとる。そのうえでの大会です。また、三里塚や統一地方選をめぐって、岸田政権の大軍拡・改憲路線との対決も焦点化します。三里塚、選挙がもう一方の柱になります。
 さらには、組織建設の最大テーマとしての青年の育成に関して、5月(5・21-22)を青年部建設の狭山現調&全青交&要請行動として、青年を先頭に全国あげて成功させ、大会を迎えることが決定されました。議案書起草委員会が2月26日、拡大中央委員会が4月16日となりました。
 
今春にも事実調べ実現へ
 
 狭山闘争について、再審情勢は事実調べの攻防は年をこしたものの、1月下旬三者協議、2月検察意見、その先の裁判官の判断と、今春のうちには超緊迫した段階をむかえます。
 全国連は、昨年5月の第2次意見広告の大成功と、それを毎月要請行動、狭山大運動を両輪に引き継いで、決戦を長期強靭にたたかっています。
 現地調査は、狭山活動家づくりとして、他に替えられない取り組みであることが、改めてはっきりしました。次は5月、青年部建設の目的意識性をもって、全国あげた取り組みにします。
 要請行動では、8・24福岡、9・28中四、10・31関西、11・25婦人部、12・2茨城・東京と5回にわたって計画を実行しました。いずれも10人を超える参加です。自画自賛でなく、これ自体がすごいことで、どこも真似できません。財政的にも、特別カンパの取り組みなしにはできなかったことです。さらに今春、1・30長野、2月関西、3月福岡、4月茨城・東京、5・22青年と続けます。
 「大運動」入会は、11・18リーフ郵送~12・13現在で215口22万円。郵送だけでこんなに集まるのです。1000口目標は十分に勝算ありです。意見広告の際とまったく同じ(それ以上に)どんどんオルグしましょう。ハガキ、署名も各地で旺盛に取り組んでいますが、一層進めましょう。
 今春4月末か5月初旬に「大運動」の関西集会を開催します。狭山中央集会か「大運動」総会は臨機応変に再審情勢を睨んで構えます。

選挙、三里塚で軍拡・改憲阻止へ
 
 三里塚連帯について、現地闘争の報告を受け、真剣に方針を討議しました。座り込みやデモへの参加、野菜市への協力を検討しました。全国連として、狭山は絶対です。同時に大木よねさん以来の農地強奪を目の前に、三里塚を看過して狭山無しです。
 示現舎糾弾闘争では、公開質問状6の討議を行い、決定しました。部落差別事件をめぐって、宮部龍彦を打倒するまで追及していくことを確認しました。
 今年は統一地方選の年です。組織内候補、連帯候補は4月茨城、杉並、9月長野、東大阪とすでに連日の死闘に突入しています。全国連としてのこの選挙闘争の基本は、防衛費倍増反対、消費税反対の鮮明な態度の人を支持します。許しがたい選挙妨害を吹っ飛ばし、必勝の二文字にむかって頑張りましょう。



実物大カモイの模型を

要請書とともに高裁第4刑事部に


       12・2要請行動、高裁前行動報告

 12月2日、毎月の狭山要請行動の第5波として、茨城と東京を中心とした要請行動に取り組みました。 午前中は東京高検でしたが、検察官は欠席で公判事務課長らが対応しました。
 要請文を読み上げ、「すべての証拠を開示せよ」「検察は鑑定人尋問やインク鑑定に同意しろ」「乙部検事が出席できないときは別の検事が出席すべきだ」と口頭で要請しました。
 お昼の高裁前行動は、2つの横断幕を広げて、裁判所に向かってマイクで訴えました。またチラシやハガキの配布、署名活動に取り組みました。
 午後の東京高裁への要請は、今井訟廷管理官らが対応しました。
 今回は要請文の添付資料として、石川さん宅のカモイとまったく同じ寸法で作った木の模型を提出しました。
 要請室の中で組み立てて後方の壁に立てかけ、座って対応している訟廷管理官に「あなたから万年筆が見えるか」と問うと、「見えます」という答えでした。
 そして万年筆のねつ造は、下山鑑定とあわせて重要な争点になっていることを説明しました。「このカモイの模型を組み立てたまま第4刑事部に運び、大野裁判長が見える位置に置くように」と要請すると、訟廷管理官は「わかりました。責任を持って届けます」ということでした。
 今回は、要請行動の中で初めて、実物大のカモイの模型を第4刑事部に入れることができました。また要請文4通を読み上げて提出しました。


【参加者の感想】  茨城の山田委員長「要請後、(今井発言やカモイを高裁が受け取ったことで)笑顔で帰れるというのは初めてだ」
 茨城の婦人「検察庁は責任者がいないので、こちらの言うことを聞くだけだった。高裁はあんな大きな木の模型を受け取るとは思わなかった。今日は来て良かった」



示現舎・宮部龍彦への公開質問状 6
                 
             部落解放同盟全国連合会
 

1、宮部は、自分を部落民だとする

   大ウソつきであることが明白になった


 私たち全国連は、宮部の差別拡散行為をやめさせるために、これまで公開質問状を出してきた。
 初めの2回は、宮部の悪行に対して全面的な質問をした。すなわち、① 部落民だというウソ、② ネットでの部落情報の差別的な拡散、③ 部落地名総鑑への評価、④ 動機、⑤ 部落差別への認識(部落差別の存在、結婚差別等)についてである。
 これに対する宮部の回答は、のらりくらりと論点をずらしたりするものばかりであった。そこで3回目以降は、宮部が「自分は部落民である」と公言しているウソに絞って質問をしてきた。宮部は「全国連は部落民であるかどうかになぜこだわるのか」などと言っているが、それは宮部という人物がいかにウソつきで、その言動が信用できない人物であるかを明らかにするためであった。
 また宮部は「自分は部落民だ」と言うことで、多くの労働者市民に「差別を受けている部落出身者が主張していること」「部落民同士の意見の対立」と思わせることをねらっているが、その差別的な意図を粉砕するためであった。
 宮部は引くに引けなくなり、今も自分が部落民だという主張を撤回していない。しかし私たちは、この点については決着がついたと断じる。いつまでたっても宮部は自分のウソを認めることなく、居直っていくだろうが、私たちはそのようなウソに延々と付き合っていく暇はない。そこで今までのやりとりを整理し、次の論点に移る。
 これまでの公開質問状の応酬を見ている部落大衆や労働者市民は、いかに宮部がウソつきで信用できない人物であるかを理解したと思う。

2、宮部は鳥取市下味野の本村で生まれた一般地区

  住民である


(1) 宮部は、自分の出身地である「鳥取市下味野」は全国部落調査に掲載されている、そして下味野は部落であると全国部落調査や裁判所が認めている、という理屈で、自分は部落民であると主張している。
 これに対して私たちは、① 行政が指定する部落の対象地区指定はほとんどの場所で、大字単位で広く指定されている、② その地区内には一般地区住民も混住しており、かつての行政調査でも混住率などが示されていた、③ 宮部の実家の「下味野415番地の1」は下味野の本村であり、被差別部落ではない、と具体的に指摘した。
 こんなことは常識的なことで、宮部が知らないはずがない。知っていて、ウソを重ねている。そして「番地がどうであろうと、下味野と付けばそこは部落なのである」などと開き直るしかなくなっている。しかし自分の実家や隣近所を部落探訪で映して、「ここが部落です」とは決して流さない。いや、流せない。
 しかしさすがにそんなへ理屈は通らないと思ったのか、現在は下味野から逃げ出し、神奈川県の解放同盟員宅(裁判の原告の家)に本籍を移した。そして「本籍地を解放同盟員の家に移したんで、正真正銘、部落民ですね。いいかげんな話で、部落に本籍を移せば部落民なわけですから」などと言っている。なぜ本籍地を、「正真正銘の部落」に移す必要があるのか。「下味野415番地の1」は「正真正銘の部落」ではなかったのか。この行為自体が、宮部が部落出身でないことを自認したことである。
(2) 宮部の理屈は、「裁判所が、戸籍や住民票が全国部落調査に掲載された地区にあれば部落民だと言っている。だから下味野の私は部落民だ」ということに尽きる。
 自分のウソを自覚している宮部は、「解放同盟や裁判所が言うところの部落民です」などと、「条件付き部落民」のような表現もしている。そのデタラメさは、(1) で指摘したとおりだ。
 さらに宮部は、さかんに「部落は権力がつくった、裁判所という権力が下味野地区は部落だと言っている」などと権力にすがっている。しかし宮部はかつて同和事業の制度を利用しようとして、その対象ではないと裁判所にも判断されていた。宮部自身がブログで「鳥取市と鳥取地裁によって私の実家は同和地区でないことが証明された」と書いている。私たちがこの点を指摘すると、「この時点では同和かどうか分からないということが前提となっている」などと、いつも通りの意味不明の回答だった。
 宮部のいう権力が認定云々などというものは、ご都合主義の言い訳でしかない。

3、「全国部落調査」の拡散を阻止されていることが

  唯一の「差別体験」?


 部落出身者は、部落にルーツが有り、部落に本籍や住所があろうがなかろうが、いまも身分的差別としての部落差別を受けている。戸籍や住民票などの書類だけで、部落出身者かどうかが決まる問題ではない。だから裁判の原告となった解放同盟員は、自らの差別体験を陳述書として提出している。
 私たちは宮部に、親は部落出身者か、宮部自身の差別体験はあるのかと質問した。宮部の回答は、両親については「被差別部落出身者である」(第3回―3)と答えたが、どこの部落の出身かと具体的に問われると、「答えるべきものでもないし、答えられないし、答えたくもない。質問が非常識だ…」(第4回)と回答した。他人の部落には勝手に入り込んで墓まで映像を流している人物が、よく言えたものだ。その後、父親系統は下味野(本村の一般地区だ)だと認めた。
 さらに宮部自身の差別体験についての質問には「被差別部落民であることに苦しみや悩みはない」、小中学生の時に「部落民宣言に誘われたことはない」、親からは「部落民だと言い張れば部落民ということになるとは聞いている」と回答した。そして唯一の差別体験は「部落研究を妨害されるという悪質な部落差別」(!)を受けているという。
 宮部はまた、「アイヌ地区の優遇策が始まればアイヌになろうと思う」などと、アイヌの人人への差別を平気で書いている。宮部の「自分は部落民だ」という主張も、このような薄っぺらで差別的なウソである。今後も宮部が、自分は部落民だとウソをつき続けても、もはや誰も信用しないだろう。

4、人間性のカケラもない対応

 宮部に対して鳥取県の部落出身の支部員が、部落出身者は誰もが悩み苦しんだ経験を持っているが、あなたはどんな苦しみ・悩みを持って生きてきたかと質問した。宮部の答えは「『誰もが苦しんだ経験を持っている』ということに根拠はない」、自分自身は「被差別部落民であるということで苦しみ・悩みはない」と回答した。部落差別を受けることのない一般地区出身者の宮部だからこそ言える言葉だ。
 またその支部員が、部落差別は命まで奪うという具体的な例として、中学校時代の友人Hが職場で部落出身であることをさらされて悩み自死したことを挙げて、宮部の見解を求めた。これについて宮部は「『部落差別によって命さえ失った被差別部落民も数多い』という根拠がない」「詳細を確認できない…誰のことか分からない」と回答した。さらに宮部のやっている行為は、命に関わる深刻な問題だという指摘に対しては、「既に部落地名がインターネットで公になって何年も経ているのであるから、『命を絶つ人』が出ているはずなのに現実は出ていないのであるから……予想が誤りであることが証明され続けている」と回答した。
 さらに婦人部が、母親として子どもの結婚に際してどんなに差別への心配をしているかについて述べると、宮部は「結婚差別などという言説は悪質デマ、オカルト、陰謀論の類いである」と回答した。
 これは宮部の人間性のゆがみを示して余りある回答だ。そこには差別を受ける者への冷たい憎しみしかない。
 この間の公開質問状でのやりとりをみている皆さんは、宮部がいかにウソつきであるか、差別者であるかを充分に理解されたことと思う。
 宮部は最近、全国連が荒本支部と野崎支部で不当な利権行為をしているかのようなことを書いている。自分のウソを追及されて、論点をずらしたいという魂胆が見え見えである。私たちはこのような見え透いた挑発に乗るものではない。

 私たちは、以上の1~4について、宮部の回答ならざる回答は求めない。もうこれ以上、宮部のへ理屈に付きあっても意味はないと判断し、次の論点に移る。

5、解放運動があるから部落差別がおきる

  というウソについて

 宮部は、結婚差別はない、親が解放運動などやっているから相手が忌避するのだと言っている。また「部落に住むと差別されるなどという根拠のない風評被害を広めている側こそが言動を撤回し謝罪しなければならない」と解放運動を批判している。
 これは、部落差別はもうない、あるとしたら解放運動が引き起こしているのだとする地対協意見具申の立場である。宮部は、権力とは闘うなどと言いながら、解放運動を解体しようとする権力の手先そのものである。
 この宮部のウソと差別性について明らかにするために、以下、質問する。
 一つの具体的な差別事件として、茨城県で今年発覚した差別事件を取り上げる。土浦市の小学校児童クラブの支援員3名が、地元の部落からクラブに通っている児童に対して、大勢の児童の前で次のような差別発言をした。
 支援員1は、大便の粗相をした子に「部落出身だからねえ、ウンコも漏らすよねえ」と発言して他の支援員と一緒に笑っていた。
 支援員2は、別の女児に「Aちゃんは部落だから、頭が悪くて、私らが言っている話が理解できない」と発言。さらにその子の家が廃品回収業をしていることについて「ゴミ屋です。○○では被差別部落カーボを△△の連中と呼ぶのだけれど、Aの家はゴミ屋の仕事なんです。ゴミ屋なんて普通はやらないでしょう、△△人だからなんですよ」と発言。隣にいた支援員1も「そうなんですよ。コジキだったんですよ」と発言した。
 支援員3は、市内の別の小学校児童クラブに勤務していたが、同僚がこの小学校のクラブに異動することが決まると、その同僚に「○○は部落が沢山あって、親が普通じゃないから、あんな所に行ったら大変だわ。私なら怖すぎて行けないよ。部落だよ、相手は」と発言した。
 差別発言した支援員は「部落については、近所のおばあちゃんから△△という所は同和の人たちが住んでいる…と聞きました」と言っている。
 この差別事件の背景には、運動団体はまったく関係していない。地域の一般地区住民が被差別部落に対して根深い差別意識を今も持っていることを示している。
 宮部は、これも解放運動のせいだというのか。私たちが「部落に住むと差別されるなどという根拠のない風評被害を広めている」というのか。そのような見解を撤回し、謝罪するべきである。
 回答を求める。      以 上

2022年12月19日   部落解放同盟全国連合会 



2022年12月の記事

権力の部落差別を弾劾して要請行動

お昼の高裁前を「狭山再審」で席巻


 10月の現地調査、要請行動に続いて11月25日、全国連婦人部8名を中心に12名による東京高検、高裁への要請行動、お昼の高裁前訴え行動が闘われた。
 午前中の、高検に対する要請行動では、各地から計7通、狭山事件に貫かれた部落差別を弾劾する要請文が読み上げられ、担当検事の乙部欠席について追及した。
 お昼の高裁前での訴え行動では、午後からのアスベスト訴訟に集まった傍聴者が多かったこともあったが、これまでにない多くの署名や要請ハガキが集まった。
 1時間ほどの間、いたるところで署名やハガキに応じる人達の姿が見受けられた。
 初めて参加したという茨城の婦人は、10月の狭山現地調査に参加し、石川さんの無実をあらためて確信できたことが大きな自信となってがんばれたとのことです。
 署名39筆、要請ハガキ15枚はこれまで最高の成果です。東京高裁へ直接声を届けるマイク街宣にも力がこもりました。
 午後の東京高裁への要請行動では、各地から計8通の要請文が読み上げられました。
 事実調べを行えとの要請は勿論、一審検事論告や判決文の差別性や最近の茨城での差別事件について訴え、要請の時間をこえる集中した要請行動となりました。対応した訟廷管理官は「責任もって刑事第4部に渡します」と約束して終わりました。


逃げるな!乙部検事

婦人部 狭山要請行動に起つ

  11・25 要請行動報告(全国連婦人部)

 まず、乙部検事が出席できないことを知り、とても腹がたった。乙部検事にどう切り込んで話を引き出してやろうか、と色々策を練っていたのに私たちから逃げてしまったこと。そんなに追及されるのがこわいのか。わたしたちも暇で全国から集まっているわけじゃない。検察に乙部検事に直接要請するために上京しているのだ。事前に出席できないことが分かっていたなら早く連絡すれば私たちが調整することもできる。そこをまず、検察への要請とした。
 乙部検事が出席できないのなら、ほかの担当検事がいるだろう、狭山事件の担当検事は乙部ひとりだけなのか? と追及した。
 今回初めて要請行動を担当したのであろう事務官の人が、私たち婦人の話しかけるような口調に思わず口を開き、検察の組織の事情をいろいろ話してくれた。ついつい話にのってしまうところが婦人の要請らしくて素晴らしくもあり、おもしろいと思う。
 昼の高裁前街宣も、今回はじめて要請行動に参加した茨城の婦人が奮闘してくれて、たくさんの署名が集まった。10・30の狭山現地調査に参加して、石川一雄さんの無実を確信したのだと。
 婦人の底力は計り知れない。眠っている婦人がまだまだいるのだと可能性を感じた。参加した婦人で狭山のビラをまき署名を集め、ハガキを集めた。順番でマイクを握り、狭山を訴える。初めてマイクを握った婦人もいた。婦人たち、いけるぞ。久しぶりの婦人だけの要請行動。狭山を絶対に勝利させる気概に満ちている。自分も全国の婦人から元気をもらい、さらに狭山勝利までたたかいぬく決意をあらたにした。



岸田政権の大軍拡・改憲を阻止しよう

-狭山、三里塚はひとつの決戦

 
 狭山闘争は、日々刻々、事実調べをめぐって、緊迫しています。来春早々にも、結論はだされようとしています。後戻りも、やり直しもきかない、文字通りの決戦です。全国連はここにかけて、要請行動貫徹と「大運動」拡大を軸にたたかいます。

「反撃能力」の詭弁で憲法改悪

 岸田政権は、防衛費の倍増・先制攻撃能力の獲得に突き進んでいます。それ自体、国是の大転換であり、文字通りの実質改憲です。野党の一部も、その論議に加わり、貢献しようとしています。
 統一教会の問題自身は重要ですが、軍拡・改憲こそが統一教会の党是であり、奴らの撲滅と改憲阻止は一体のものです。自民党の改憲4項目は、統一教会の従来の主張と完全一体です。そこをあいまいにすることに、統一教会問題をもごまかす抜け道があります。野党を含めて、まんまとその罠にはまっています。
 狭山闘争は、そうした軍拡・改憲とひとつのたたかいです。戦争国家への道は、人権の抑圧、差別強化を不可避にします。

5年で11兆円の防衛費に!

 11月28日、岸田首相が5年先の2027年度に防衛費をGDP(国内総生産)の2%とするよう、鈴木財務大臣と浜田防衛大臣に指示しました。
 今年度の防衛費は6兆1千億円、GDPの1・09%。2%となると11兆円にもなります。あのロシアを抜いて、アメリカにつぎ、中国と並ぶ軍事力となります。
 それだけの大軍拡の核心は、「反撃能力」という詭弁を弄して、先制攻撃能力を獲得する点にあります。11月30日の自民公明の実務者協議で合意し、年内に改定する安保3文書に明記しようとしています。
 それに先立ち、11・13に岸田・バイデン会談で謀議し、11・22にはインチキ有識者会議で提言を出させました。

人殺しのミサイルなどいらない!

 より具体的には、2027年度をメドにアメリカから巡航ミサイル・トマホークを500発導入配備し、同時に、極超音速など10種類以上のミサイルを開発し、2028年度以降に配備すると報道されています。これらの経費は、実に5兆円と言われています。
 その財源はどうするのか。戦費優先がまかり通り、大増税、「戦時国債」の発行が謀議されています。また福祉や医療など社会保障に大ナタがふるわれることになります。消費税は、減税どころか、インボイス制度によって、中小零細事業からも、根こそぎ収奪するとしています。また、マイナンバーの徹底で、それらの実行を可能にし、将来の徴兵制にむけて準備しています。まさに、このままでは、いつか来た道―命、財産、人権をすべて国家に供する、戦時国家の再来です。

三里塚を看過して狭山なし

 大軍拡の最も先鋭な攻撃が、三里塚に襲いかかろうとしています。市東さんの農地を強奪し、軍事空港建設を強行しようとしているのです。この年末年始にも、事態は切迫しています。三里塚を看過して、狭山の勝利はありません。市東さん防衛へ、三里塚にかけつけよう。



歴史と情勢を動かした節目の2022年

<狭山>を柱に いざ勝負の2023年へ

 全国を覆うコロナ禍も三年目。さまざまな制限がある苦しい状況の中、私たちは昨年より総力をあげてその逆風を突破してきました。座していては停滞し、ともすれば逆流するばかりであり、切迫する狭山闘争の勝利も差別撤廃も実現しないからです。
 部落解放運動にとって画期をなし、歴史にその名を刻んだ全国水平社の創立と全国連の創立。その100周年と30周年という節目だった2022年。全国大会以降の奮闘をあらためてふりかえり、くる年2023年にむかいます。

■全国大会――昨年を大々的に上回る結集

 「コロナの第7波がピーク」とアナウンスされていた7月、これまで通り一部リモート参加と必要な対策をとりつつ、大阪で『第31回全国大会』を開催。様々な制約を圧倒するように、全国から昨年を大きく上回る代議員の熱気で大成功をかちとりました。5月までの狭山意見広告運動が大きなエネルギーになったのは言うまでもありません。
 大会では、部落民自身の決起でかちとった水平社の創立から100年に際し、全国連としての「水平社の総括」も提起。また部落解放運動100年のうち狭山闘争が59年を要しているということも再確認。5月の意見広告掲載を実現した運動と影響力を武器にしながら「『狭山全国連』としての本領を発揮して大運動を展開しよう」と決意を新たにしました。
 さらに、ロシアによるウクライナ侵略を弾劾し、同時に国内での憲法改悪策動を阻止する闘いを強めること、ムラびとの生活要求に寄り添うこと、「示現舎・宮部」の居直りや「茨城・土浦市児童クラブ差別事件」など、全国であいつぐ部落差別を徹底的に糾弾することを宣言。また、「本土返還50年」ということもあり、沖縄の人々と連帯して基地と戦争反対を貫くことをあらためて誓い合いました。

■被爆77年――ヒロシマ・ナガサキから訴え

 8・6広島現地で、8・9長崎現地で、それぞれの『つどい』がおこなわれました。ロシアによるウクライナ侵略に乗じた岸田政権の(朝鮮半島・中国情勢をにらんだ)軍拡路線に対して「自国日本の政権が進める侵略戦争国家化・集団的自衛権行使・沖縄基地強化・改憲への明確な反対運動なしに『ロシアのウクライナ侵略反対』を唱えることはペテンである。それは真の戦争反対とはいえない」という立場で、世界の戦争反対に立ち上がる人々への連帯を訴え、発信しました。

■青年と婦人――全青交・全婦大会を貫徹

 困難な状況が好転しない中、青年も婦人も定期的に幹事会をおこなってきました。各地の情報交換も密にしながら青年部は8月27日~28日に『全国青年交流集会』を奈良で、婦人部は9月10日~11日に『全国婦人部大会』を静岡で、どちらも三年ぶりの宿泊開催を敢行しました。昨年同様、現地会場に参加できないそれぞれの各地をオンラインでつなぎ研修し、同時に交流と親睦を深めました。

■安倍の国葬反対――各地で抗議行動

 旧統一教会とズブズブの関係だった安倍。「アベノミクス」で一部の資本家だけをボロ儲けさせた安倍。格差社会を拡大し、低所得者をますます貧困に陥れた安倍。憲法9条の解釈の変更と集団的自衛権行使を容認する閣議決定をした安倍。次々と戦争準備体制の極悪な法律を成立させた安倍。福島原発事故の解決もせず、オリンピック招致には「放射能のアンダーコントロールはできている」と全世界にウソを発した安倍。「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」では国家財政を私物のように使った安倍。追及されると、ウソの上塗りをし、官僚たちに忖度させ続けた安倍。そのうえ真面目な公務員を自死に追い込んだ安倍。トランプがアメリカ大統領になったときには真っ先に訪れて媚びを売り、アメリカの兵器を爆買いした安倍。列挙し出せばキリがないほどの悪行を重ねた安倍。なぜこの安倍を弔う必要あるのか! 「国葬」に異議を唱える声は当然にも広がり、9月は全国各地で反対・抗議の行動が爆発しました。

■狭山大運動始動――全国各地で活発化

 5月8日付けの全国紙(毎日新聞)でのカラー見開き二面ぶち抜き狭山意見広告の掲載は想像通り部落のきょうだいをはじめ、たくさんの人々を鼓舞しました。
 7月からは幅広い陣形によって新たに『狭山事件の再審を実現する大運動』がスタート。またリニューアルした機関紙『狭山大運動』も創刊しました。さらに年内3000枚を目標とした裁判長あての要請ハガキの全国展開を開始。同時に8月から毎月、東京高検と東京高裁に対しての再審要請行動をおこなっています。各ブロック参加者がそれぞれの要請文をたずさえ上京し、自分の思いを訴え司法権力を追及しています。また、ビラ・署名を中心とした街宣活動や集会・講演会、戸別訪問など工夫をこらした「23デー行動」も各地で活発におこなわれるようになりました。10月には久々の狭山現地調査も実施しました。
 石川さんがよびかけ訴える20万人緊急署名運動にも連帯し、精力的にとりくんでいます。

■いざ、勝負の2023年へ!

 長野では2019年10月の「台風19号」以来続く大衆の生活をかけた闘いと連動し、県連の中村副委員長を市議会に送り出す選挙闘争が本格的に始まりました。負けるわけにはいきません。そのほか全国各地でも様々な奮闘が続いています。
 私たちの運動の大黒柱は狭山闘争です。この闘いはあともどりのきかない、やり直しもきかない、決戦のゴングが鳴りました。まず、なんとしても「鑑定人尋問・事実調べ」をおこなわせましょう。そして再審を実現しましょう。この決戦に、「勝つためにはどうすればいいのか」すべての闘争の場でそう発想し、あらゆる手段を展開しましょう。きたる2023年もさらに一致団結・総力決起で勝負にうって出ましょう。




2022年11月の記事
 
 全国連からの緊急アピール   
 
 部落解放同盟全国連合会は、狭山事件の第3次再審請求が大詰めを迎えるにあたり、全国300万の兄弟姉妹と労働者人民に心から訴えます。

 
臨戦態勢に突入し、勝利に向かって総決起しましょう
 
 石川一雄さん・弁護団の事実調べ請求に対して、検察の意見がもうじき出されます。さらに、裁判官の判断は、早ければ年内にも出されようとしています。
 事実調べぬきの再審はありません。狭山事件だけが、45年間も事実調べが行われていません。下山博士など11名の鑑定人尋問を行え!裁判官みずからインクの鑑定を行え!これは狭山事件59年のすべてをこめた、血涙の要求です。事実調べをめぐるこの攻防で、すべてが決まります。
 後戻りのきかない、やり直しもきかない決戦のゴングが鳴り響いています。「空気。めし。狭山」日々刻々、寝ても覚めても、事実調べのみを求め、生活と命をなげうって総決起しましょう。

 
狭山大運動を国民的大運動に発展させましょう
 
 狭山闘争は尋常一様なたたかいではありません。実際に勝つためには、もっともっと大きな世論、力が必要です。
 解同、住民の会、個人、いろんな動きがあります。大歓迎です。しかし「運動体は弁護団の後押し」だけでは勝てません。
 狭山闘争は未曾有の権力犯罪に対する、差別糾弾闘争です。部落差別に気づき、怒る巨万の世論が裁判所を包囲・監視して、初めて勝機はあるのです。
 5・8毎日新聞全国版の意見広告には、私たちの想像をこえた大きな反響がありました。そこにこめられた声なき声を東京高裁に届ける形にする、それが狭山大運動(狭山事件の再審を実現する大運動)です。今こそ、ムラに街頭に、友人知人にうって出て、狭山大運動を全国的な国民運動に成長させましょう。
 

毎月要請行動をやりぬき東京高裁を政治焦点の渦に
 
 要請ハガキは、連日、全国各地から殺到し、第4刑事部の裁判官の目の前に山のように積みあがっています。あなたの思いをハガキにこめ、裁判官室を埋め尽くそうではありませんか。また、緊急20万人署名にもとりくみましょう。
 その急先鋒として、要請行動で、検察、裁判所を直接に追求しましょう。11月は25日、12月は2日、1月は30日、東京高裁で会いましょう。


狭山事件の再審を実現する大運動

狭山現地調査と東京高裁・高検への要請行動

                                  
カモイの低さにあらためて万年筆の    デッチあげを実感する(2022年10    月30日)







出会い地点とされた場所で「自白」の   不自然さを指摘する本田豊・狭山大運  動共同代表(2022年10月30日)







現地調査の後、行われた集会であいさ  つする長谷川直彦・狭山大運動共同代  表(2022年10月30日)





東京高裁・高検への要請行動にあわ   せてカモイの模型を持ち込んで街頭   宣伝(2022年10月31日)









2022年10月の記事
 
 下山博士など11名の鑑定人尋問を!
 
 東京高裁じしんがインクの鑑定を行え!
 
10・30現地調査・集会~10・31要請行動へ

 安倍国葬に反対して、全国各地で行動が行われました。全国連もその場に参加し、安倍国葬を糾弾しました。
 前号既報のように、8月29日、ついに弁護団は下山博士をはじめ11名の鑑定人の尋問を求める、事実取り調べ請求を提出しました。あわせて、万年筆・インクの裁判所による鑑定を請求しました。検察は「今後検討して意見書を出す」とのべました。
 いよいよ山が動き出しました。8・24要請行動で全国連は先陣をきりました。さらに9・28要請行動に決起しました。また他方では、5・8意見広告以降各地に相乗的波及効果が生まれ、全国各地で独自に街宣、座り込み、ハガキなどにとりくんでいます。

寺尾判決48ヶ年糾弾!

 寺尾判決から48ヶ年をむかえます。狭山事件の再審を実現する大運動では、10・30に共同代表を先頭に狭山大運動主催の狭山現地調査・現地集会とすることを決定しました。 翌日10・31には、寺尾判決を糾弾し、要請行動に決起します。
狭山大運動のよびかけに応え全国連としても、久方ぶりのとりくみに全国から参加しましょう。とくに青年の参加獲得を全支部で努力しましょう。狭山の原風景から体験しましょう。この10・30方針は、青年のためにこそあります。

今こそ権力犯罪糾弾の大運動を

 中央(東京高裁に迫る)と地域との循環を確立して熱気を高め、世論を沸騰させて事実調べをもぎとりましょう。明らかに、もう後戻りのきかない、やり直しもきかない、決戦のゴングが鳴りました。次は、勝つためにはどうするかです。
 勝つためには、もっともっと巨大な世論、力が必要です。解同、住民の会、個人、いろんな動きがあってよい。大歓迎です。しかし運動体は常に先鋒を果たさねばならなりません。
 狭山闘争は未曾有の権力犯罪に対する、糾弾闘争です。部落差別に気づき、怒る巨万の世論が裁判所を包囲・監視して初めて勝機はあるのです。運動体が「弁護団の後押し」では勝てません。
 つい最近でも、意見広告の電話に、「ハガキはまだ出してもよいか」と話がありました。実に、4カ月も新聞を残してくれている。恐らく、この人は解同とも直接の繋がりがない。しいていえば、それらを超えて、われわれと繋がり始めているのです。こういう人が全国各地に何万といます。5・8意見広告のときの巨大な反響を思いおこしましょう。
 その声なき声を、東京高裁に届く声にするのは誰か。狭山大運動はそのために生まれたのです。今こそムラに街頭に、市中に、友人知人に向かってうって出て、狭山大運動を巻き起こしましょう。
 ① 今年中に狭山大運動の会員1000口を実現しましょう。意見広告コピー、入会案内チラシ・振込用紙、ハガキを3点セットに、よびかけ人、賛同人はもれなく総当たりしましょう。「会報」、QRコード(での学習)を活用しましょう。
 ② 第1次ハガキは、年内に完了しましょう。
 ③ 23デー(とくに10・23、11・23)を全国一斉行動日としましょう。



とどろく、アベ国葬糾弾の声!
                               
奈良 党派・団体を超えた呼びかけ人で構成する「安倍元首相の国葬反対奈良県実行委員会」の主催で9月24日に集会と市内デモ行進がおこなわれ、100人を超える人々が参加しました。
 また、27日(国葬当日)にはコンサートを開催。平日の昼間にもかかわらず、道行く市民も合流して約300人が結集しました。全国連同盟員も呼びかけ人に名を連ね、両日ともに参加しました。

大阪 大阪では大阪総がかり行動実行委員会の呼びかけで、9月26日夕方から中之島・女神像前公園で集会とデモが行われ、一千人近くの労働者・市民が集まり、安倍政治の悪行を断罪して国葬反対を訴えました。集会後西梅田までデモで道行く市民に訴えました。



事実調べを実現し再審開始を!

       ~9月28日裁判所と検察に要請行動

 狭山の事実調べを実現するたたかいのまっただ中で、狭山事件の再審を実現する大運動と全国連は、9月28日、前月に続いて第2波の要請行動に取り組みました。今回は中四国から広島、山口の仲間を中心とした要請となりました。
 午前中は東京高検に対する要請で、この日は担当検事の都合がつかず、公判部の事務官が対応しました。最初に要請団を代表して楠木書記長が「弁護団から、11名の鑑定人尋問とインクの鑑定実施を求める事実取調請求書が出された。検察は真実を明らかにするというなら、事実調べに同意せよ」と迫りました。参加者からも要請書や口頭で、すべての証拠を開示せよ、検事の差別論告を撤回して謝罪せよ、という追求が行われました。
 正午から、東京高裁の正門前でアピール行動を展開しました。「東京高裁は狭山事件の再審を行え」という横断幕がかかげられ、参加者が次々に高裁に向けてマイクで訴えました。通行する人たちへはビラが手渡され、「ああ狭山事件ですか」と足を止める人もいました。新聞意見広告を見せると、「これはすごい」と感動し、要請ハガキを出してほしいと話すと「友人にもやってもらうので何枚か下さい」といって持ち帰る人もいました。
 午後からは、東京高裁への要請で、訟廷管理官が対応しました。要請ハガキについては「毎日来ている。2006年以降に来たものはすべて第4刑事部の書記官室に保管してある。主任書記官を通さなくても、裁判官がいつでも見られる状態にしてある」ということでした。
 要請では、最初に「事実調べを行うかどうかに狭山再審の実現がかかっている。鑑定人尋問とインク鑑定を必ず実施せよ。検察も独自の実験をやっており、反対する理由はないはずだ。すべては東京高裁の決断にかかっている。1審内田判決は貧困家庭に育ったから犯罪者になったとする差別判決だ。裁判所の見解を示せ」と追求しました。
 参加者からは、「わたしの親は石川さんと同じ年で、差別と貧困の生活もまったく同じだった」「安倍銃撃事件で、犯人は部落民だとネットで流された。重大事件が起きるといつもそうだ。石川さんの時も大々的なマスコミの差別報道で部落は悪の巣くつとされる中で不当逮捕された」「裁判所は最後の砦だ。差別裁判をやめ、当たり前の裁判を行え」など多くの意見をぶつけました。
 終了後の総括会議では、この日の要請行動を、10・30狭山現地調査、10・31第3派要請行動につなげて、今秋何としても事実調べを実現し再審開始をかちとろう提起されました。



2022年9月の記事
9・23、10・23狭山デー

全国一斉行動にうって出よう!

10・30-31

狭山大運動の創造的行動に総決起しよう!


事実調べ請求を提出!いよいよ本番だ

 8月24日、全国連と狭山大運動は、東京高裁、高検に対して、要請行動を行いました。8月29日には、弁護団が鑑定人尋問をはじめとする事実調べ請求を提出しました。9月1日には、裁判官、検察、弁護団の三者協議が行われました。年内か来春には、事実調べ請求に対する裁判所の判断が、出されるみこみです。いよいよ狭山闘争最大最高の決戦が始まりました。下山鑑定人の尋問を行え!「水洗い」を採用するな!勝利のためには、何でもやろう!

要請行動が先陣をきる

 8・24要請行動は、決戦突入の先陣をきって、行われました。まさに時宣を得たタイミングでした。5・8意見広告を見たか、連日殺到するハガキを見たか、自分で現地に行き、かもいの前に立て、自ら万年筆・インク・「水洗い」の実験をしろ、という鋭い追求を裁判所、検察に浴びせました。担当検事は突如、田沢から乙部に替わりましたが、案の定です。
 7月提出の総括意見書へのわれわれの追求を恐れ、田沢は異動して、雲隠れしたのです。8・24は、福岡の当番で、13名でした。次は9・28中四国の当番です。毎月、波状的にとりくまれ、その準備は万全です。
 8月24日夜、狭山事件の再審を実現する大運動の代表者・よびかけ人会議が開かれました。いよいよ本番という、緊迫した雰囲気のなか、状況分析、方針討議が行われました。
 5・8意見広告、5・22東京集会、6・19茨城、7・10福岡の報告集会の成功から、各地に相乗的波及効果があらわれ、要請ハガキに数千枚単位でとりくむところが続出しています。また、映画会、街宣、座り込み、スタンディング、独自の要請行動、現地調査など、意欲的行動が各地に始まっています。

安倍国葬と対峙し狭山大運動で席巻しよう

 こうした気運を受けて、大運動では次の方向性が出されました。
① ハガキをさらに進め、大運動の入会活動を本格化する。1口千円、1000口を目標に。よびかけ人、賛同人に9月から総当たり。そのための道具も揃える。
② 毎月の要請行動・高裁前行動を貫徹し、狭山・東京高裁を焦点化する。
③ 狭山現地調査に大運動として意欲的創意的にとりくむ。とくに、10月30日(日)を有効に活用する。次回9・28の会議で煮詰める。
④ 9・23、10・23、11・23はいずれも休日であり、全国一斉行動として街宣、スタンディングなど、目に見える行動にうってでる。
 9・27安倍国葬などぶっ飛ばして、大運動のもと、狭山決戦で席巻しましょう。


東京高裁、東京高検要請行動に参加して

        反戦共同行動・福岡


 8月24日、何としても狭山再審を勝ち取るぞという決意をもって東京に馳せ参じました。
 7月10日、5月の意見広告の熱気を受けて福岡市内で行われた「狭山新聞意見広告報告集会」は、桜井昌司さんの講演で盛り上がり、第3次再審の実現を絶対に勝ち取るために全力を振り絞るんだと言う決意があふれました。その中で「東京高裁・東京高検要請行動と要請葉書行動」が提起されました。しかも、要請行動は単発ではなく、数波に渡って全国から東京に集中するというではありませんか!  まさに石川さんの無実を勝ち取り59年の闘いに決着をつけるという意気込みを感じました。
 福岡が要請行動の第一弾を担うことになりました。福岡から5人が参加しましたが、これは、7月10日の集会に結集した100名と集会を支えた多くの人びとの総意としての5人のたたかいです。
 弁護士会館で当日の行動を確認し、13名で東京高等検察庁に向かいました。東京高検庁舎前で狭山再審勝利、東京高検弾劾のシュプレヒコールをあげて庁舎に入りました。応対したのは、担当検事と二人の事務官でした。
 要請行動の冒頭に、検事に対して、「冤罪に対してどう思うのか」というきわめて当然な確認がなされました。検事はそんなことはあってはならない、許されないことだと答えました。 しかし検察側は、要請団からの質問に答える事を全く拒否しました。要請をうけているというアリバイ的な態度に終始する対応から、検事の「冤罪は許されない」の真意は、自分たちの主張が正しいのだ、それは冤罪では無いと言うことでしょう。
 参加した各自が国家権力の差別犯罪を弾劾する要請文を読み上げたり、狭山事件の理不尽を訴えたりして、当初確認した時間を超過して要請行動を終えました。要請行動で検察の主張をほり崩すことの積み上げが重要だと感じました。
 昼休みに高裁前で1時間のマイクアピールを行いました。横断幕とチラシ配りで道行く人びとに狭山再審を訴えました。マイクを持った面々が、東京高裁・大野裁判長に向かって、確定判決の不当性と部落差別による冤罪であり鑑定人尋問、事実調べを行えと訴えました。
 東京高裁は、3人の裁判所事務官がしました。要請行動は、高検と同じく裁判所の姿勢をただすことから開始されました。要請団は、様々な観点から高裁を追及しました。事務官は裁判官に要請の内容を伝えると言うのみです。しかし、予定の時間を超過しても打ち切る事はできませんでした。
 高裁には、福岡の街頭署名510筆を提出しました。
 意見広告を印刷したものを提出しましたが、高検も高裁も5月8日の意見広告を見なかった、知らなかったと答えました。全国的にも大きな反響があったものが庁内で話題にならないはずがありません。このような高裁・高検に対して逃げを許さないたたかいとして要請行動が勝ち取られました。
 一つ残念だったのは、要請団の構成が男性ばかりだったことです。要請団が男女混成、様々な年齢層で構成されれぱ、さらに力強くたたかわれていくに違いないと思いました。



被爆77年を迎えた広島ー8・6ヒロシマ報告

 この特別な日の福島町で、今年も「福島地区のつどい」をおこないました。
 コロナ感染が拡大している状況にもかかわらず、九州、関西や関東など各地からも結集し、あらためて反戦、反核、反差別の立場にたち切り、被爆や侵略の歴史をくりかえさず、岸田政権による改憲、軍拡に反対してたたかうことを確認しあいました。
 毎回証言されてきた被爆者・横野きよ子さん。現在退院直後でリハビリ専念のため、動画でメッセージを発信しました。「戦争はいりません」、その一言のなかに苦渋の生活を強いられながら生き抜いてきた被爆者のメッセージの重みをあらためてかみしめました。
 大久野島で毒ガス製造に従事させられた藤本安馬さんはメッセージを寄せ、「いま世界は第三次大戦、核戦争、宇宙侵略競争の真っ最中である。岸田首相は、広島県民でありながら、県民の声に背く憲法9条改正を主張している」と現情勢に警鐘を鳴らした。それを乗り越えるため、「今回のつどいは、一人は万人のために万人は一人のために、意思統一で闘い抜く歴史的使命であることを訴える」と団結、共闘を力強く訴えました。
 今回も被爆二世、三世の実行委メンバーが中心に会の企画運営を担い、高齢化し減少している被爆者に代わり、自分たちが主体的に被爆問題を継承していく決意を示しました。
 中島晋二さんは、自身の体に溜まる放射能による体調悪化からいま全国に点在する原発の影響で、だれもが身近に放射能の恐ろしさ、被曝の危険性があることを訴えました。
 山根努さんは戦争加害の歴史として、高暮ダムでの朝鮮人強制労働について紹介し、差別排外主義のもと無理やり連行されて危険な工事現場に送られ、多数の死者や「逃亡者」を生み出してしまった反省にたちかえり、人間が人間として生きられる社会をつくるためにたたかう決意を示しました。
 ウクライナ侵略に乗じた岸田政権の軍拡に対しては、「自国日本の政権が進める戦争国家化・集団自衛権行使・沖縄基地強化・改憲への明確な反対運動なしに、『ロシアのウクライナ侵攻反対』を唱えることはペテンである。それは真の戦争反対とはいえない」と、世界の戦争反対に立ち上がる人々への連帯の拡大をこのつどいから発信したいと訴えました。
 元広島市議・松井邦雄さんは多くの視点から未来への反戦平和を呼びかけました。
 両親の被爆、胎内被爆者の弟は体が弱く、両親が面倒を見ながらも32歳で亡くなったこと。核保有国の実態とロシアの侵略を関連づけ、「核兵器もいつかは処理・使用せねばなりません。戦争は必要悪だと、プーチン大統領がウクライナを攻撃するのも、こんなところに理由があるのかもしれません」。
 昭和天皇の戦争責任の追及については、「徴用工問題、慰安婦問題、朝鮮民主主義人民共和国との拉致被害者もなかなか解決しません。天皇陛下がお詫びすれば解決がちかづくでしょう」と、冷静な語り口から反戦への熱き思いを提起しました。
 換気、休憩を挟み、皆さんからの声を頂きました。
「森島先生、三浦さん、金平さんの遺志をあらためて継承してたたかいたい。」
「朝鮮人強制労働の歴史をかえりみてとりくんでいく市民活動が、両国の友好、親善につながることと信じている。」
「岸田は安倍の継承として憲法を変えて戦争しようとしている。とんでもない。安倍の国葬にも断固反対する。」
「大学を広島で過ごし反戦闘争をとりくんできた。8・9ナガサキでもヒロシマと思いを一つにとりくんでいく。」
「自分の親の話では、博多が空襲で燃え、山の向こうの空が3日間ずっと赤く染まっていたのをぼーっと見ていた。また北九州の上空を戦闘機が旋回して爆撃しているのを山の上からぼーっと見ていた。義母は岩国から広島に手鞠ほどの大きさの赤い火の玉を何気なくみたという。それらをぼーっとみてしまう社会にはしたくない。」
 そして楠木書記長は午前中平和公園や資料館等みてまわり、そこで若者が熱心に学んでいる姿勢に感銘を受けたことや、狭山勝利にむけ要請行動など連読した闘争への決起を訴えました。
 過去の血と汗と涙を流した歴史にたちかえり、戦争政治をきびしく弾劾し、垣根を超えた連帯の輪をひろげ、人間として生きられる社会を追求する「8・6ヒロシマ 福島地区のつどい」を今後もともに創造してまいりましょう。



9・27安倍「国葬」に断固反対!

     憲法改悪阻止!


 7月14日岸田首相は、参院選の街頭演説中に銃撃され死去した安倍晋三元首相の「国葬」を行うと発表した。元首相の「国葬」を行うことや政府がその経費を支出する法的根拠や基準が何もなにもかかわらず、「国の儀式に関する事務を所掌」として定めた内閣府設置法に基づき「閣議決定を根拠として行政が国を代表して行える」と説明し、全額国庫負担で行う方針を明らかにした。(内閣府設置法に基づいて、「国葬」決定することは違法であると明言する法学者もいます)。

「国葬」の理由はデタラメ

 岸田は「国葬」とする理由に「安倍元首相の様々な実績」を4点上げています。
(1)安倍元首相が参議院選挙演説中に銃撃され、殺されたことに国内外から哀悼の意が大きく寄せられたこと。(2)最長8年8ヶ月もの間、首相の重責を担う。(3)内政・外交で大きな成果。(4)国際社会からの高い評価。ということです。
 しかし、この4点の安倍の実績をこそ、全国連は徹底的に弾劾する。安倍元首相が銃撃で死亡したからと言って、許される理由にはならない。全国連は、安倍政治の継続を企む岸田政権を絶対に許さない。国葬から憲法改悪へと、一気に突き進むことを狙う岸田政権を打倒しよう。

統一教会との癒着の頭目

 まず(1)国内外から哀悼の意が大きく寄せられたというが、私たちは、安倍が何を行ったのかを考えたとき、殺害されたことを悲しいとは思えません。
 報道によると、銃撃した山上容疑者は、母親が1億円以上の献金を強要され、家庭が破壊され、ボロボロにされた旧統一教会を憎み、韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁への攻撃を狙ったが、失敗。その後、UPF天宇平和連合(旧統一教会関連団体)にビデオメッセージを送り韓鶴子総裁を最大限賛美した安倍に目標を変え、殺害するに至ったということです。 全国連は、山上容疑者を賛美はできませんが、その背景と山上容疑者の気持ちは理解できます。
 さらに、安倍は、参議院選挙全国区で旧統一教会の10数万票もの票を、自民党候補者に差配したと言われています。そして、自民党(一部野党も含む)と旧統一教会とのズブズブの関係も明らかになりました。
 そうしたなか支持率が下がるや岸田首相は、9月の予定を早めて8月20日、岸田改造内閣を成立させ、ばん回を図ろうとしました。ところが、荻生田政調会長、林外務大臣、山際経済再生担当大臣など、自民党と政府の骨格を占めている議員をはじめ大臣、副大臣、政務官の多くが旧統一教会と関係していたことが明確になったのです。何と全政務三役78人中、35人です。
 安倍が、この旧統一教会と繋がっていた自民党の頭目的存在であったことは明白です。だからこそ、旧統一教会の10数万票の票を差配していたのです。「国葬」を認めることはカルト集団である旧統一教会とのおぞましい癒着を認めることであり、断じて許されません。
 *統一教会は正式名称・世界基督教統一神霊教会。反共産主義を掲げ岸信介、笹川良一ら反共右翼と結びつき信者を拡大。壺、印鑑などの霊感商法、合同結婚式などで問題化したカルト集団。2015年下村文科大臣の時、世界平和統一家庭連合に名称変更。関連団体は多数。
 *安倍元首相がビデオメッセージを送った天宇平和連合(UPF)は旧統一教会の政治的関連団体であり、「平和軍と平和警察を創設し、世界平和を守る番人の役割を目指す」とする反共右翼団体。

アベノミクスで何が起こったのか

 (2)8年8ヶ月首相の重責を担ったと褒め称えますが、その間、私たちの生活はどうだったでしょうか。
 2012年末に首相に返り咲いた安倍は、大胆な金融緩和を主軸に「アベノミクス」を推進しました。株を上げ、金持ちだけがボロ儲け、低所得者(とりわけ非正規労働者)は、ますます貧困になっていきました。格差が圧倒的に拡大したのです。その上に消費税が、2014年に5%から8%へ、2019年10月には10%へ引き上げられました。安倍政権の8年8ヶ月は、労働者人民にとっては悲惨な生活を強いられた年月だったのです。

戦争と暗黒の政治

 次に、(3)「内政・外交に大きな成果を上げた」というが中味はどうだったでしょうか。
 安倍元首相の政治とは戦争と労働者抑圧の暗黒政治です。
 2014年7月、憲法9条解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認する閣議決定。2015年には「安保関連法案」を国民の反対を押し切って強行採決、成立。それに先だって2013年12月には「特定秘密保護法」が成立。2017年6月には共謀罪の構成要件をあらためる「改正組織犯罪処罰法」も成立させました。
 まさに、安倍政権は極右反動政権であり、国民に襲いかかる政権だったのです。また、オリンピックとの関連で福島原発事故が今だ解決もせず、その方法さえわかっていないのにアンダーコントロールと全世界にウソを発しました。
 さらに、「モリカケ」問題、「桜を見る会」では国家財政を私物のように扱い、追及されるとウソを重ねて乗り切り、一人の公務員を自死に追い込みました。また、桜を見る会では公費で地元の後援会等々を招待していました。
 国権の最高機関である国会をないがしろにし、国会で空気を吸うようにウソ(118回のウソの発言)をつき、政治を私物化したのです。これが「内政、外交の実績」なのです。

トランプにコビを売り兵器を爆買い

 (4)外交について付け加えると、「外交で大きな成果を上げ、国際社会から高い評価がある」とは、ただただ何回も外遊し、やってる感を醸しだしただけで、別の言葉で言えば諸外国の首脳に、いいように扱われたと言うことです。
 目立ったことでは、トランプがアメリカ大統領になったとき、真っ先に訪れ、媚びを売り、アメリカの兵器を爆買いしたこと、韓国に対しては、上から目線で相手にもしないという態度をとったことです。
 このように、「国葬」にする理由全部が、私たちにとっては、すべて認められないことなのです。

「国葬」反対の盛上り

 8月27日、岸田は、記者会見で9月27日6000名規模で「国葬」を行うこと、外国からの弔問者は多数にのぼり、国家予算として2億5000万円を当てることを決定しました。その後、実は費用は16.6億円にのぼることが明らかになりました。また、「国葬」反対の声に追い詰められ、弔意を国民に強制しないと言わざるを得ませんでした。
 この発表後、「国葬」反対の声は、ますます盛り上がり、全国に広まっています。マスコミのアンケート調査で国民の半数以上が「国葬」に反対しています。8月31日夜には、国会前に4000人以上が集まり「国葬」反対の声を上げました。
 全国連は、たたかう労働者市民と共に「国葬」反対を断固貫きます。憲法改悪反対をたたかい抜いぬきます。
 9・26大阪総がかり「国葬」反対集会とデモ(18時30分~19時集会、19時10分デモ出発、中之島公園女神像前)をはじめ、各地の行動に参加しよう。



2022年8月の記事

「狭山全国連で勝利しよう」

      第31回大会が大成功


 第31回全国大会が、7月17日、大東市民会館において開催されました。
 コロナ第7波の只中で、昨年を大幅にこえ会場を満杯にした熱気にあふれ、万全の戦闘態勢を打ち立てました。
 7月末には、検察側の「総括意見書」が出され、全国連は先陣を切って、8・24から狭山要請行動に入ります。安倍「国葬」~憲法改悪と対決し、第3次狭山再審決戦の大高揚をかちとりましょう。

水平社創立100周年を総括

 松元運営委員の司会あいさつで、大会は始まりました。議長に奈良・西之阪支部の大橋ひかりさん、書記に寺垣運営委員を指名。大橋中執の音頭で「解放歌」を斉唱。水平社宣言を、婦人部・阪口由貴美さんが、高らかに朗読しました。
 村上久義委員長の主催者あいさつでは、水平社100年に触れつつ、参議院選挙で改憲勢力が3分の2をこえた今、「人民戦線」でたたかう必要を強調しました。
 連帯挨拶が、動労西日本・小川委員長、東大阪市・松平市議、三里塚関西実行委の安藤さんから行われました。狭山大運動共同代表・長谷川直彦、本田豊両氏のメッセージが紹介されました。
 2021年度活動報告を、北浦財務委員長が行い、とりわけ第2次狭山意見広告の大成功を確認しました。

「安倍を受け継ぐ」岸田はろくなもんじゃない

 つづいて2022年度の運動の基調を楠木書記長が提案しました。
 水平社100年、全国連30年を総括しつつ、ついに狭山でブレークスルーしたこと、「狭山全国連」で勝利しようと、強調されました。
 安倍銃撃事件について、今こそ、存在感のある発言を。問題は安倍の死がどうこうではなく、生きている時の安倍政治がどうであったのか。
 アベノミクスで、非正規が4割をこえ、部落は8割。一握りの金持ちだけが肥え太り、毎年2~3万人も自殺に追いやられる。そのくせ安倍が愛してやまなかった自衛隊。こんな安倍政治が、事件を生んだ。それを反省どころか、受け継ぐという岸田はろくなもんじゃない。

「狭山全国連」で勝利しよう

 課題別報告として、狭山を井橋中執、長野市議選を中村中央委員、医療・介護を岩崎中執が行いました。役員人事案は坂本選考委員長から、会計報告・予算案は北浦財務委員長から、風間監査から会計監査が報告されました。
 8・6ヒロシマ、狭山、改憲阻止の3本の決議案が提案されました。
 提案の全ては、一括採択されました。村上委員長のまとめ、山田幸助副委員長の団結ガンバローで、大会をしめくくりました。


◎主催者挨拶(村上久義委員長)

 参集されたみなさん。本当にご苦労様です。
 今から一〇〇年前、私たちの先輩は、差別・迫害、差別して当たり前という社会の闇を切り裂く稲妻のような激しい憤り、怒りをもって全国水平社を結成しました。それは本当に苦難の長い長い歴史の始まりでもあったろうと思います。融和運動を一切拒否して、人間は尊敬すべきものと宣言して起ち上がりました。これが水平社の自主解放の精神でありました。
 差別に対しては徹底的に糾弾する激しい闘いでありました。軍隊や警察、あるいは裁判所や役所や学校、これらは差別の巣窟でもあります。これらに向かって闘って闘って闘い抜くという、こういう精神が水平社のなかに息づいていたのです。
 これに対して当時の天皇制国家権力は何千人もの部落の活動家を、あるものは獄死させられて、その闘いの犠牲になったのであります。私達はそれから100年、その犠牲を受けて部落解放運動、人民解放運動の闘いの地平を受けついでいます。あらゆる差別をなくすための闘いに起ち上がっていかなければならないと思います。
 さて、不当逮捕から59年になります狭山事件も、水平社100年の歴史のうち、59年という半分以上を闘って来ました。いま第3次再審は大詰めを迎えました。鑑定人尋問・事実調べをおこなわせるかどうか瀬戸際にきています。
 私たちが大きく切りひらいてきた闘いでもあります。5月8日の毎日新聞に掲載された第2次意見広告運動で本当に全国に大反響を呼び起こしました。もっともっと、このような闘いを強めていくそのような礎を築いていきたいと思います。
 さて7月10日におこなわれました参議院選挙、改憲勢力が三分の二と言う異常な事態になりました。私たちはこの改憲勢力が今後どのような動きをし、どんな形で日本の政治を作っていくのかほんとにしっかり注視しなければなりません。そのために闘っている人たちが手を握って「人民戦線」のような戦い方を新たに創造していく、その闘いの一翼を全国連が担っていかなくてはならないのではないかと思います。
 最後になりますが、どうかみなさん、平和憲法を守り、九条改憲を許さないためにあらゆる人々と手を握り、改憲阻止の闘いを作っていきましょう。


◎2022年度運動方針案・基調報告要旨(楠木書記長)

はじめに
 参議院選挙に全国で取り組みました。ご苦労様でした。
 全国連が推薦した候補は善戦しました。大阪のやはた愛さんは、当選は果たせませんでしたが、衆議院の時より大幅に票を伸ばしました。れいわ新選組は3議席を獲得し、社民党は福島さんが当選し生き残りました。沖縄では、伊波さんが自民を破って当選しました。
 しかし、全体としては自民や維新が議席を増やし、立憲の後退が目立ちました。国会の3分の2を改憲派で占めることになってしまいました。憲法を変えるかどうか、いよいよ本番です。
 このなかで、安倍銃撃事件がありました。これについて、存在感のある発言を求められています。問題は、安倍の死をどう思うかではなく、生きてる時に安倍がどんな政治をしたのか、この点にあります。岸田は「安倍さんの遺志を継ぐ」と言います。冗談じゃない。
 アベノミクスで、非正規が4割超え、部落は8割ですよ。ほんの一握りの金持ちだけ肥え太り、庶民は生きていくだけで精一杯。毎年、2~3万人が自殺に追いやられる。そのくせ安倍が愛してやまなかった自衛隊。こんな安倍政治が、今回の事件を生み出した。それを反省どころか、「受け継ぐ」という岸田はろくなもんじゃない。所得倍増ではなく、自衛隊倍増。そのための憲法改悪。ろくなもんじゃない。安倍の国葬?とんでもない。
 選挙があった日、福岡では大きな成功をおさめました。5・8の意見広告から、狭山の潮目は、確実に変わっています。狭山をもっと前へ!これを念頭に、基調報告にはいっていきます。
 
1、 水平社創立100周年・全国連創立30周年
 略。7月の掲載を参照してください。
 
2、狭山闘争と三大闘争路線の意義
 全国連はなぜ生まれたのか
 私たち全国連は、1980年代の解同本部派による処分と権力弾圧との熾烈なたたかいを繰り広げた末に誕生しました。狭山・三里塚・反天皇を最もよくたたかうが故の処分、弾圧でした。狭山・三里塚・反天皇は、既成指導部の抑制を踏み越えて、階級的力関係全体の変革で狭山闘争に勝利する部落解放運動をつくり出す、三位一体のスローガンでした。だからこそ、「狭山闘争に勝利するために全国連は生まれた」と言うのは真実ですし、そう言い切っても決して過言ではありません。
 同時にそれは、水平社の教訓を徹底して自分たちの運動に汲み取り、その正しさを自分たちの血肉にするとともに、敗北への道を峻拒(しゅんきょ)する進路を打ち立てるという、新しい全国運動への果敢な挑戦でした。
 当時、折しも、「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根内閣が登場しました。中曽根は、攻撃の中心に国鉄の分割・民営化をすえ、その暴力的強行によって、総評、ひいては社会党を解体に追い込みました。
 この中曽根が、新たな同和政策として打ち出したのが、「地対協路線」でした。1965年同対審答申、1969年特措法いらい18年間のやり方を、根本的に転換し、個人給付を始めとした同和事業の打ち切りに舵を切り、「行政の主体性」「部落側の自立向上」を強調しました。決定的には、「糾弾の行き過ぎが、かえって差別解消を妨げている決定的要因」として差別糾弾闘争を口を極めてののしり、「差別事件は法務省へ」と権力による介入、取り締まりを方針化したことです。
 これに対して、解放同盟本部派はどうだったでしょう。「個人給付はもうやめてもいいのではないか」「部落差別は許しがたい社会悪であることが、日本の国是になったらいい。権力と解放同盟とのたたかいに狭山がなっている。これを元に戻さなくてはならない」。これが、当時解放同盟委員長の上杉の発言でした。地対協の連中の言い分と、見事に調子をあわせ、中曽根の前に白旗を差し出したのです。
 30年前、私たちが全国連を創立した当時、部落解放運動をめぐる情勢は、おおよそこうしたものでした。戦後部落解放運動は完全に終焉をむかえ、総屈服・総転向か否かの、歴史的な曲がり角にあったのです。その中心問題は狭山闘争を差別裁判糾弾から転換し、権力とのたたかいではないもの、権力との和解路線に変質させる点にあり、それが解放同盟じしんの変質の身の証とされようとしたのです。「仮釈放」はては「天皇恩赦による釈放」で、狭山の幕引きをはかるという、とんでもない陰謀が進んでいました。
 私たちは、これに対して、三里塚1千人決起・千葉刑包囲闘争を空前の大衆決起でたたかい、その土台のうえに1985年三里塚実力闘争・同年浅草橋戦闘への福岡、長野を先頭とした決起、そして乾坤一擲、1990年三人の仲間による東京高裁突入に決起しました。こうした渾身のたたかいで、天皇恩赦・狭山幕引きを粉砕し、部落解放運動の恐るべき危機に仁王立ちしたのです。1992年3月3日、大阪中之島公会堂を満杯にした全国連の創立は、以上のような歴史的瞬間であったのです。
 全国連第2回大会は、全国連のたたかう部落解放運動の道筋をつけるものでした。
全国連はその大会で「2回大会テーゼ」と言われる、解放論をうちだしました。
 解放同盟本部派は、朝田理論以来「部落が差別されるのは、スラムのような悲惨な生活実態だからだ」「部落差別の本質は、部落民が市民的権利を保障されていないこと」としてきました。この考えでいけば、住環境をはじめ部落の生活改善が進めば、当然のように部落差別は薄められ、解消していくことになります。「日本が近代化していけば、おのずから封建的な遺物も無くなり、部落差別も無くなる」という、日本共産党に典型的な差別解消論のなかに、解放同盟本部派も属しています。
 全国連は、この朝田理論を徹底的に批判し、日共由来の解消論を根底からのりこえる見解を明らかにしました。
 では、この考えの上で全国連は何をするところなのか、既成解同の、「行政闘争主導路線」に対して、全国連のたたかいの路線を打ち立てる必要があります。
 部落解放運動とは、あらゆる身分的差別のあらわれと対決する、差別糾弾闘争でなければなりません。差別行政とのたたかいだけに留めるのではなく、政治、経済、社会、教育、文化など全社会場面での差別に対して、差別糾弾闘争でもってたたかうということです。部落差別に怒り、反対する人々は、その点で一致できるならば、全員一緒にたたかおうという運動です。ですから、全国連は、水平社の変遷のなかで否定されてきた、差別徹底糾弾を、改めて土俵の真ん中に据えなおし、水平社創立時の根本精神を現代によみがえらせたのです。
 同時に全国連は、部落大衆の困難と向き合い、生活要求闘争を果敢にたたかいます。住宅、労働、教育、医療・介護、税金など、本部派が見捨てた、部落大衆の困窮と向き合い、全方位で取り組んでいます。しかし、生活要求闘争は、差別糾弾闘争と別物として、並列的に並べられるものではありません。その点で、水平社の創意的なとりくみは、豊かな教訓に満ちており、大いに学ぶ必要があります。
 さらに、こうした取り組みを、たたかう労働者、農民、被差別民衆との共同闘争として展開します。
 以上のように、全国連は三大闘争路線でたたかってきました。そのいずれをとっても、身分的差別とのたたかい、即ち差別糾弾闘争が中心にあります。差別糾弾、生活要求、共同闘争がバラバラではなく、差別糾弾闘争を基軸にして、混然一体の課題としてあるというたたかい方です。差別糾弾闘争基軸に三大闘争路線でたたかうこと、このことに水平社の血涙で綴られた教訓があり、また水平社の果たせなかった「良き日」への未来が開かれています。
 この指導路線の生きた見本ともいうべきたたかいが、狭山闘争です。石川一雄さんが不当逮捕され、身に覚えのない「誘拐殺人犯」とされてから、今年で59年が過ぎました。水平社100年と言いますが、実にその半分を超える59年間、狭山闘争が続いています。この59年にもわたる狭山闘争の、部落解放運動史上に刻む歴史的意義について見ておきましょう。
 言うまでもなく狭山闘争は、石川さんの無実を晴らすたたかいです。私たちは、83歳になられた石川一雄さんが健在なうちに、何としても再審を実現し、無罪判決をかちとらねばなりません。それが狭山闘争のすべてです。 同時に、それは一人石川一雄さんばかりでなく、300万部落民と労働者人民にとって「石川命わが命」、自分の人生がかかっています。その本気さ、熱意こそが、巨万の人々の魂を揺さぶり、共鳴し合い、意見広告の空前の成功をかちとりました。この成功は、なぜあったのでしょう。
 ①  59年に及ぶ石川さんの無実の叫び、それへの驚きと圧倒的共感です。② 権力犯
罪を真正面から、下山鑑定1本にしぼって告発したからです。「まさか!この時代に!ショック」と言う感想が、初めて狭山を知ったという人からもたくさん寄せられました。それは、狭山の真相を薄めたから、優しく説いたからということでは全然なく、権力犯罪・差別裁判に対する、渾身の糾弾だからです。③ 部落民だけでなく、労働者人民の心も鷲掴みにしたことです。しかも、20代30代の若者も反応しました。 私たちは、この成功のなかに、狭山闘争の生きた意義を再発見しました。それは、何をかくそう、国家権力犯罪と不屈非妥協にたたかうこと、対権力糾弾闘争の大きさその圧倒的な正義性です。これは戦前の水平社の糾弾闘争、高松差別裁判糾弾闘争などを、はるかにしのぐ可能性を示しています。同時に、差別糾弾闘争のたたかい方のお手本としても、いわゆる「糾弾主義」や「自由な論議」をのりこえて、絶対的な社会的正義にたって、基軸堅持・戦術柔軟の方法を編み出しました。
 こうして狭山闘争は、差別糾弾闘争の天王山として、部落解放運動の歴史を塗り替えるべく、そびえたっています。それが、解放同盟本部派によってではなく、全国連と心ある人々によってなしえていることが重要です。私たちが今どこにいるのか、どこに向かうのか、このなかに照らし出されています。

3、組織建設について
 私たちの組織的な現状は、同盟員・役員の高齢化、亡くなる人の増加、他方で若者の減少が否応なく進んでいます。コロナ禍でも支部・県連大会を開催したところもありますが、もう何年も支部大会が開けないところも多々あります。大半のところは、月々の新聞配布と併せて会費を徴収し、本部にも納入していますが、数カ所の支部で、恒例のように半年、1年の滞納があります。
 確かに厳しいことは否めませんが、狭山・三大闘争では、どんなに少数でも奮闘していることも事実です。とりわけ狭山闘争のなかで、新しい人との繋がり、若者の注目が始まっていることを重視し、ここに未来を確信しましょう。
 全国連の組織建設は、第1に、闘いつつ学ぶ、闘いの中で学ぶ、ここと切断した純粋培養の組織づくりはありえないことを、しっかり押さえなければなりません。そのいい手本が、水平社の差別糾弾闘争と支部結成の関係にあったことは見てきました。「全国連は小なりとも解放運動をしょってたつ」その気概に燃えて、狭山・三大闘争を展開し、そのなかで部落民的自覚を形成する、これが一番大事なことです。
 ただし、やりっぱなしの運動では、やはり組織は疲弊します。たたかいつつ、同時にたたかう意味について、理論学習と結合してこそ、部落民的自覚が芽生え、深まっていきます。
 今、最も重要なことは次の点です。全国連は、狭山闘争のために生まれ、そしてついに30年かけて、ブレークスルーした、壁を突き抜けた、このチャンスを徹底して活かしてください。
 これは、故中田書記長の遺言です。4年前、第1次の意見広告が出たすぐあと、中田書記長は私に「もう一度やろう」と言いました。正直、私はためらいました。ほかの中執も皆そうだったと思います。間もなく、中田書記長に深刻な病が見つかりました。私は、そのあと決意しました。それから色々あって、全国連の正式決定まで半年かかりました。中田書記長をぬきには、第2次意見広告は無かった。5月8日朝、まっさきに瀬川さん、中田さんの墓前に毎日新聞を届けました。
 意見広告やその反応を大宣伝し、そしてハガキへの協力、新たな大運動への入会を、例外の無い全国一斉の大運動としてとりくみましょう。
 さらにこれを、要請行動の組織化、そのためのオルグ・学習活動と結合することが決定的です。無実への確信、そして権力犯罪への怒り、部落差別への気づきです。下山鑑定などの学習を入り口に、検事論告、死刑判決の暴露。また、石川さんの生い立ちと59年の無実の叫び、部落解放運動への目覚めを追体験する学習や現地調査。
 これは、狭山にたちあがるなかで、誰もが体験してきたことです。いわば、狭山闘争の原風景です。これを、狭山決戦の今、よみがえらせましょう。そのための財政も、私たちは準備しています。要請行動の新幹線代、宿泊費、これくらいは、本部で保障します。
 組織建設の第2は、独自の理論学習が必要なことです。この取組みは、全国連においては、たたかいに比して圧倒的に不足しています。
 解放講座の定期的開催を、今年は各地で実行しましょう。その場合、全国連の役員じしんが先頭に立ち、役員の自分史をあえて晒して始めていくことが肝要です。本部や役員と言っても、生まれた時から活動家ではありません。それぞれの過程を経て、いろんなきっかけで、今の姿になっていきました。いわば、全員が、もともとは一部落大衆です。いきなり難しい理論を振り回すのではなく、生身の人間像を語ることが、講座の成功の半分を握っています。
 第3に、こんにち部落の若者は非正規が3人に2人、世間一般の2倍と言われています。村の中に大量の公務員を軸に子供、青年、婦人がいつも溢れていた時代とは、まるで違う条件に置かれています。「新自由主義」の過酷な競争に投げ込まれ、毎日生きることに精一杯、そんな厳しさに置かれています。
 この困難の前に足がすくんで、役員・同盟員の子弟にも運動のことが言えない現実があります。しかし、全国連の子弟は狭山を知っています。世の中の不正にも、怒りを持っています。他方、「お父ちゃん、お母ちゃんのようにはできない」と言われます。そう言うことが、むしろ道理にかなっている世の中なのです。そこを認めることなしには、全国連青年部は大きくなれません。そう言わざるをえない困難に耳を傾け、共有しつつ、それでもこの若者が自己解放の主体であり、未来の主人公なのです。
 青年部は、レクレーションなどでの出会い自体を重視し、一定の意識的な若者を学習会=解放講座に組織しましょう。とくに、いま始まった狭山大運動を、青年部こそが最も重視し、大いに活用して狭山で組織しましょう。
 3月の拡中委に、故池本中央委員の意見書が提出されました。彼の、支部を思う危機感が、胸の中に痛い程響いてきます。池本君の遺志に、1ミリでも応えたい、そういう思いで組織建設に立ち向かいます。
 今年の運動方針は、憲法問題を避けて通ることはできません。やがては、国民投票となり、全国民が選択しなければなりません。反戦闘争の刺し身のつまにしてしまわないで、憲法自体を一度真剣に検討することが必要です。
 日本国憲法の主な条文を見ておきましょう。
第1条 天皇は、日本の象徴
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第14条 全て国民は、法の下に平等。社会的身分又は門地(家柄)により差別されない。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 これに対し自民党は、4項目の変更を言っています。とりわけ注目する点は、「9条のなかに、自衛隊を明記すべき」「自衛権にも言及すべき」。緊急事態への対応を入れるべき。この2点です。実際のところ政府・自民党は何をしようとしているのかを見なければなりません。最近のウクライナや、朝鮮民主主義人民共和国を口実にした、政府の軍事費の大幅拡大・軍備増強、敵基地攻撃能力の保持などの動きと関連してみなければなりません。
 賛成か反対か
 自民党の改憲案と憲法9条とは、絶対に相容れません。日本は、今でも世界第5位の軍事力と言われています。フランスやイギリス、ドイツよりも上位です。すでに日本は、それほどの世界有数の軍事力を持っています。
 9条をもう一度見てください。9条は、今ある軍事力すら認めていません。まして、戦前の日本やドイツなどの歴史を見ても、軍事力というものは、一度堰をきったら歯止めが利きません。一体、何のためにそんな軍備増強が必要なのでしょうか。
 しかも、9条を変えたら、その先には何があるのかが問題です。今回はスルーされても、1条の天皇の位置、14条や25条、法の下の平等や生存権はどうなるのか。
 歴史の教訓は、普段は平和な日常にいても、変わるときは一気に変わります。自民党副総裁の麻生太郎は、「憲法のことはナチスに学んだらいい」「わーわー騒がないで、ある日気づいたら変わっていればいい」と発言しました。
 緊急事態への対応など、最初は大地震対策などと言います。しかしその先には、国民の基本的人権を踏み従える戒厳令が待っています。現行法でも間に合うのに、なぜわざわざ新たに憲法に盛り込むのか、その狙いが透けて見えます。
 では、部落と憲法との関係は、どう考えればよいでしょうか。
 日本国憲法は、部落民にとって、決して満足なものではありません。憲法ができても、部落差別そのものは頑強に残りました。劣悪な生活環境、義務教育すら満足に通えない、労働は不安定で借金なしには生きれない、医療もほとんどの人が保険証を持てず死ぬ間際しか受けられない、これが戦後部落の実状でした。何より狭山事件です。石川さんの生い立ち。「部落ならやりかねない」と言う差別扇動、部落への絨毯爆撃のような見込み捜査、そしてでっち上げ。差別しても罰せられない。差別し放題。それが戦後憲法のもとで部落の置かれた状態でした。
 しかし、憲法は部落解放運動の武器にもなってきました。憲法の平等権、生存権を使って、同対審答申をださせ、特措法を制定させました。それは憲法のもたらす恩恵ではなく、部落の側の自主解放があって、初めてたたかいの武器として役立ったのです。それでも、それすら無くなったらどうなるのか。私たちは無関心ではいられません。
 狭山闘争の勝利なしに人権無し。反戦平和なしに、狭山の勝利なし。狭山と反戦平和を両輪にして憲法改悪を阻止しましょう。


    ‣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 7月10日、大きな反響を生んだ狭山第2次意見広告の報告集会が福岡で開かれ、かつてない参加者を集め大成功した。
 狭山再審の決戦局面に、新たな狭山大運動が始まった。


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2022年7月の記事

水平社創立100周年・

 全国連創立30周年にあたって


 今年は、水平社創立100周年・全国連創立30周年にあたります。その機会にあって、部落解放運動の役割と全国連の意義とは、何でしょうか。言い換えると「私たちは今、どこにいるのか」、水平社運動の総括に照らして考えてみましょう。

全国水平社の創立

 今から百年前、1922年3月3日、京都岡崎公会堂に全国から部落の兄弟姉妹が参集し、全国水平社の創立大会が行われました。その意義は、有名な「水平社宣言」に凝縮されています。
 ① 同情融和を拒絶し、部落民じしんの手による自主解放を宣言したこと。
 ② 「おれは人間だ」という叫び。「人間は尊敬すべきもの」とうたったこと。
 これまで「人間外の人間」とされ、蔑まれてきた存在が、逆転的に「人間」としての存在に目覚め、世の中に向かって主張し、部落民的自覚と団結を発現したこと。
 ③ 唯一のたたかい方としての差別徹底糾弾をうちだしたこと。
 しかし水平社は「瓢箪から駒」のように突然生まれたのではありません。1916年には、福岡で博多毎日糾弾闘争がありました。博多毎日新聞(当時)が、「火葬場の隠亡」という露骨な差別記事を記載したことにたいして、豊富・金平部落の部落大衆が村民大会を重ね、ついには堪忍袋の緒が切れて、新聞社を襲撃・実力糾弾しました。
 警察はこれに対して「騒擾罪」を適用し、部落の男性を片っ端から逮捕し、うち300名を拘留するという大事件でした。
 1918年には有名な米騒動がおこり、婦人を先頭に、部落大衆が全国各地で活躍しました。これに対し、天皇制権力は大掛かりな弾圧を行い、そのなかで「こんな騒動を起こすのは部落民のせいだ」として、民衆を分断し、部落民を見せしめにしました。
 こうした民衆決起の背景には、1914年からの第1次世界大戦があり、その大戦争のさなかに、1917年ロシア革命が起こり、「俺たちを虫けら扱いするな」「労働者こそがこの世の主人公だ」と世界中に知らしめた歴史的出来事がありました。
 またもうひとつ重要な側面として、米騒動と部落大衆の怒りの大きさに直面した政府は、それ以降、融和政策にうんと力を入れ、村ボスの育成と、融和教育や改善運動を進めていました。部落差別の解消のためには、部落民の側が差別されないように襟を正し、品行方正に言動を改め、環境衛生に努めるべきだという融和運動が、役所や警察の肝いりで進められました。水平社創立は、この融和主義とのたたかい、キッパリとした拒絶によって、初めてなしえたと言っても過言ではありません。その宣言の内容も、融和主義に対する激しい戦闘宣言にほかなりません。

水平社はいかにたたかったのか

 ① 水平社といえば何をおいても、差別徹底糾弾闘争です。しかも、その方法に注目すべきです。
 差別事件が起きたら、まずもって村民大会を開いて方針をきめ、住民総決起をよびかけています。文字通りの村民大会です。一部の活動家だけで論議して決めるのではありません。寺や共同浴場などを使った、家族総出の論議を徹底してやります。水平社の結成が即糾弾闘争の開始、また糾弾闘争をやるために、水平社を結成している例も珍しくありません。
 獲得目標は、差別者に反省文を書かせる、また新聞などに謝罪広告を出させることが一般的でした。パンフを買わせたり、講演会を開かせることもやっています。
 さらに見るべきは、権力機構(軍隊、警察、裁判所、刑務所、役所、学校など)やその手先(右翼など)が相手の場合、あるいは糾弾闘争への弾圧や襲撃の場合、近隣地方一帯の水平社の総決起で実力対峙し、武装してたたかいました。1923年の奈良水国闘争は有名です。また、糾弾闘争と結合して、同盟休校、税金不払い、在郷軍人会脱会の戦術も駆使しています。「部落民を人間扱いしないならば、税金、教育、軍隊などの義務も果たす必要は無い」ということです。さらに労働者、農民と合流し、対決しています。
 ② 水平社は糾弾闘争ばかりでなく、部落の生活要求闘争にも果敢にとりくみました。それは、何より糾弾闘争に対する弾圧と懐柔をはねかえすために必要でした。権力は、過酷な弾圧とともに、必ず、村ボスを手先にした融和政策による部落大衆の懐柔を常套手段にしてきました。 これへの対抗策として、反失業、住宅、電灯料値下げ、借金棒引き・返済猶予猶、小作料引き下げなどを水平社の運動の一環として取り組んでいます。
 ③ 労働運動、農民運動との結合にも熱心でした。「労農水三角同盟」と言われますが、むしろ労農水渾然一体とも言うべきあり方でした。
 当時の活動家は昼は職場で労働組合、夜は村で水平社が当たり前のように活躍していました。一方、水平社の左派活動家の人々のなかには、「部落内階級闘争激化」論という、専ら部落産業を相手に労働争議を熱心に取り組む誤りもありました。
 ④ 水平社運動=絶えざる弾圧・懐柔とのたたかいでした。
 天皇制権力は、時として、白色テロルをむき出しに部落を襲いました。1917年洞部落強制移転、1922年(水平社創立の年)別府的が浜焼き討ち事件と、水平社創立を前後して、残虐な差別襲撃が起こりました。他方、南梅吉水平社初代委員長ら幹部の買収・スパイ化工作に手を染めました。
 天皇制権力の暴圧の最たる攻撃が、1928年の3・15弾圧での当時日本共産党千数百名の一斉検挙でした。水平社の左派活動家も根こそぎ弾圧されました。これに対して、水平社の「本部派」は、救援や弾圧粉砕を一切放棄したばかりか、代表者会議を開いて「彼らこそ迷惑千万」とばかりにレッテルを貼り、弾圧への総屈服を誓ったのでした。

1930年代―戦争の時代への突入と戦争協力への転落

 1927年に世界的な大恐慌がおき、1930年代に入って、15年戦争と呼ばれる日本帝国主義の中国侵略戦争が本格的になっていきます。
 戦時下にあって、共産党や労働運動がへたっても、部落大衆は果敢にたたかっていました。有名な1933年の高松差別裁判糾弾闘争では、全国100万人と言われた部落大衆・民衆の決起で、差別した裁判官、検事、警察署長などの処分、被告とされたきょうだいの奪還・釈放をかちとりました。戦時下でも、水平社が差別糾弾闘争を堅持したことによって、挙国一致を根底から揺るがすたたかいが実現したのです。
 がしかしまさにそこから、指導部の治安弾圧からの逃亡が決定的になってきます。天皇制権力が、差別糾弾闘争を治安維持法が弾圧の対象とする「犯罪」として扱ってきたことに対し、糾弾闘争を否定・清算する指導路線―1931年水平社解消意見、1934年部落委員会活動が水平社を覆っていきます。そこにおいて、革命党(当時共産党)が「糾弾闘争はやめよう」と率先して言いだす始末でした。
 ここの変質が、その後の道のりに決定的悪影響を果たします。糾弾否定と利用主義(水平社を経済主義の先兵に駆り立てる)が、戦時下、戦後を問わず、部落解放運動の底流となってしまったのです。
 差別糾弾闘争を自らの指導方針から下ろしてしまった水平社は、1936年「人民融和への道」、1937年「非常時における運動方針」と、帝国主義戦争への協力と転向の急坂を転がり落ちていきます。
 「非常時における運動方針」では「国家が重大なる危機に直面して要求するところの『挙国一致』には、もとより国内相克の原因となるがごとき身分的賤視的差別が存続してはならぬ筈である。かかる故に、われわれは差別を徹底して取り除いて、真の『挙国一致』を可能ならしめ」と、「挙国一致で差別解消」をうたい、戦争協力の走狗に成り下がったのです。また、同じく「非常時経済の苦難を切り抜けるために、貧困なる部落経済の向上に最大の努力を傾注する」というこの方針は、水平社の幹部が満蒙開拓団の組織化や軍需産業の労働力供給の先頭に立つことに道をつけるものでした。そして1940年には、水平社を解散し、侵略翼賛運動に解消されていきます。

何を学び、どう乗り越えるか

 ① 全国連は、水平社と同じように、法無き時代にあり、戦争の時代にあります。でも正しい指導路線のもとであれば、たたかえることを水平社は示しています。全国連は、変質した革共同とはキッパリ絶縁し、自前の自主解放闘争を突き進んでいます。全国連「小なりとも、自前の大衆運動」の誇りが、私たちの運動の源泉です。
 ② 私たち全国連の指導路線とは、2回大会テーゼと差別糾弾闘争基軸の三大闘争路線です。その正しさは、以上の水平社の総括に照らしても圧倒的です。そのなかで、狭山闘争には、決定的な歴史的意義があります。ここは、別途詳しく触れます。
 ③ 大弾圧には躊躇なくムラ・全国の総決起と共同闘争でたたかう。1980年代の荒本弾圧になぜ負けなかったのか、その教訓はこの点に尽きます。水平社の負の教訓をしっかりと見据え、その敗北の歴史を痛苦に反省し、二度と誤りを繰り返さない誓いを実践します。

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示現舎・宮部龍彦への公開質問状 5
                 
             部落解放同盟全国連合会

 婦人部Yさんが公開質問状に参加寄稿されたので、これを全国連の公開質問状-5として、発出します。

 1、「示現舎・宮部龍彦」という人物像が、あなたの回答書を重ねるごとに、よりはっきりと見えるようになってきました。
 そもそもは、部落をさらし、金儲けの道具にして糧を得て、ご飯を食べ、日常を送るとは、おぞましい限りです。こんなろくでもないやつを相手にする必要はないと思いつつも、自分自身を部落民だとして嘘をつきとうそうとしている示現舎の宮部龍彦さん、あなたを放置するわけにはいきませんし、絶対許さない。
 差別が現存する世の中で、ほんらい自分が部落民なら、部落民と名乗ることじたいに緊張するのが当然なのに、宮部龍彦にあっては自分が部落民でもないのに「自分は部落民」と平気で言いふらすのも金儲けのため。「部落民」を詐称して、ネットを見る人々から閲覧され「支持」されている限りお金になるわけです。
 一度、正直に「自分は、部落民ではない」とはっきり言ってみてはどうか。本当の自身をさらして、「部落民ではない宮部龍彦」が「研究」や「部落解消」と称してみてみなさい。
 そもそも、宮部龍彦の出身、鳥取市下味野415番地の1は被差別部落ではないのだから。繰り返し指摘しているが、下味野全体が被差別部落ではない。被差別部落は下味野のなかのA地区だけである。415番地の1はA地区ではない。この歴然たる現実を認めなさい。
 さらに、両親、祖父母は、どこの出身なのか、逃げずに答えなさい。宮部の祖先は、いつ、どこから、どうやって現在の場所に来たのか。現在が被差別部落とははっきり違うのに、「両親とも被差別部落出身者」と宮部じしんが言い切っているわけだから、それならその証明をしてみたらどうなのか。部落民は身元を隠していても、興信所や宮部ごときに、無理やり出身を暴かれて差別される。宮部龍彦のやっていることはそういうことなので、自分の祖先が暴かれることに悲鳴を上げる資格はありません。

2、部落差別がどれほど人の心をズタズタにし、傷つけるか、その経験もないし、そもそも部落民でないから傷つけられる理由もない。だからこそ、そこで暮らしている部落民の息遣いを無視することだってできるのだ。一方的にさらし続けられている側に宮部さん、あなたはいない。
 宮部は「H部落探訪」の中で、「親戚(母方?)先で線路向こうは、柄が悪いで』といわれていたが・・(どちらもいっしょ)」と語っている場面がある。その「線路向こう」こそは部落をさし、そしてまたその「親戚」は部落ではないと認めていることになるのではないか。
 わたしのことだが、小学校のときの体験がある。隣村の同級生と遊んでいて、ムラとの境で待たされたこと境がある。実は同級生の親から「家に連れてくるな」と言われていたことを、中学生ごろになって初めて知った。
 このように、差別の壁は冷厳と存在している。前回の質問状で、宮部の父母、祖父母、その方々の兄弟姉妹の出身について尋ねたことに対して、宮部は「父母の兄弟姉妹までいちいち調べるほど、暇ではない」などと、質問から逃げている。父母の出身についてすら回答を拒否している。はぐらかさないで前回の質問状にしっかり回答しなさい。回答できないとは言わせません。

3、さらに「結婚差別」について無責任極まりない知ったかぶりはやめなさい。 部落差別のせいで子供がつまずかない様、しっかり人生をおくってくれるよう、大きくなっても部落の親の心配はつきものです。心配ごとは深く、その深さゆえ、むらの結びつきも強いのです。
 子の恋愛や結婚については、親として最も緊張します。相手や、その家族に対して、自分は部落であることを告げるよう、子に諭す場面は今も忘れたことはない。それは、ただ単に親が子に諭すというようなものではなくひとりの人と人として、差別を許さない思いを込めているのです。
 わたしは、一度は、差別されるのが嫌でムラを飛び出しました。しかし、どこにいっても逃げることはできないと観念し、解放運動との出会いで、差別は部落のせいではないと気づき、自己解放の道にすすむことができた。
 結婚差別についての、宮部の言動を、すべて撤回することを要求します。

4、同和対策事業のなかで、ムラの周辺に住んでいた人も事業に参加し、ムラの課題をいっしょにとりくんだ住民の方もたくさんいます。
 また、外からムラにきて部落の一員として生活するか、またはムラに世話になっても部落民とはちがう、どこそこの外の出身だという人もいるでしょう。しかし、ムラの結びつきのなかで、そうであるがゆえの厳しさと同時に懐のおおきさは、どこのムラにもあります。宮部さん。あなたは、その懐の広さを感じたことはありますか。最後にお尋ねします。 
                 全国連婦人部 Y

以上、7月2日までに回答することを要求する。

2022年6月20日 部落解放同盟全国連合会




2022年6月の記事
始まった!新たな狭山大運動!

5・22東京で意見広告報告集会、

     再審実現大運動結成式


 毎日新聞全国版での狭山意見広告掲載を受け、運動よびかけ人主催の『狭山意見広告運動報告集会』と『狭山事件の再審を実現する大運動結成式』が5月22日、東京・日比谷で開催されました。全国連からも各地の代表が結集。ついに新しい狭山大運動が始動しました。(※『狭山闘争ニュース』312号に詳報)

 会場の受付には時間前から運動よびかけ人、賛同人、全国各地から上京してきた兄弟姉妹、そして「新聞を見て来ました」という飛び入り参加の人々などでにぎわいました。
 第一部『報告集会』が山口の須原さんの司会で定刻に開会しました。
 冒頭あいさつで全国連の村上委員長が登壇。狭山事件当時の時代背景、特に国家権力と部落差別の関係性などを丁寧にふりかえり、今回の運動の、歴史的な意義を確認しました。
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 続いて賛同団体「8・6ヒロシマ実行委員会」の山根さんが石川一雄さんからのメッセージを代読。「殺人犯」にでっち上げられていく当時の生々しい様子、怒りと再審への思い、不屈に闘う決意が読み上げられました。
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 第一部の最後に、今回の運動の事務局を代表して井橋さんが経過報告と、早くも寄せられた反響の紹介をおこないました。「さっそく裁判所にハガキを出した」など事務局にかかってきた電話、送られてきたメールの数々、ホームページでのアンケート、毎日新聞社による紙面反響調査の結果等々…。すでに新たな運動が始まっていることを実感させられました。
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 第二部の『新たな運動の結成式』に移り、そのよびかけを「狭山事件と人権を考える茨城の会」代表・弁護士の尾池さん、共同代表として弁護士の長谷川さんがおこないました。
 休憩と換気の時間をはさんで、よびかけ人・賛同人から「福岡SAYAMA上映実行委員会」の真名子さん、「大阪狭山実行委員会」の鶴丸さんからの報告と決意の表明を受けました。そのあと、感想・意見を自由に語ってもらう「会場発言」の時間では、たくさんの参加者がマイクを握りました。
 意見広告運動の果たしている役割、新しい運動の展望、層の厚さ、幅の広さ、それらを感じる感動的な発言があいつぎました。
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 終盤、特別企画として全国連婦人部劇団「なんとかなる座」が登場。狭山事件発生・不当逮捕・差別裁判の経緯、そして焦点である万年筆のインク問題をクローズアップした朗読劇を発表しました。石川さんの苦闘をふりかえるスクリーン画像を駆使し、ユーモアも織り交ぜた芝居もあり、会場から大きな拍手を浴びました。
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 第二部のまとめとして全国連の小森さんが立ち、今後の具体的活動方針の「① 報告集会、学習会、街頭宣伝行動を展開しよう、② 東京高裁へのハガキ運動を大々的に広げよう、③ 狭山現地調査や石川さん夫妻との交流を深めよう、④ 東京高裁への再審要請行動をより一層強めよう」という提起がありました。
 集会と式の最後に奈良の賛同人である北浦さんの音頭による団結ガンバローを全体で三唱し、終了しました。
 さあ、文字通りの大運動にするため、各地で具体的活動方針を実践・実行していきましょう。



2022年5月の記事
部落解放運動の歴史を変える、

100年に1度の狭山最終決戦へ!


第3次再審は大詰めを迎えた

 4月26日に、第50回三者協議(裁判所、弁護団、検察)が開かれた。そこにおいて、弁護団は、6月中に下山第2鑑定(万年筆・インク)、赤根鑑定(死体関係)に対する検察意見書への反論を提出する予定を伝えた。検察は、7月末をめどに、総括的な意見書を提出すると述べた。次回の三者協議は、これまでの3カ月毎のペースをとばして、9月上旬に行われることになった。事実調べー鑑定人尋問を訴えて第2次狭山意見広告 【5月8日(日)毎日新聞全国版2面見開きカラーで】掲載される ここに第3次再審請求は大詰めを迎えた。まだ断定はできないが、ようやく9月には、弁護団から鑑定人尋問の請求が出されるものと思われる。検察側も「反論を待っている」(1月要請行動での発言)と構えている。総括意見で、下山鑑定・第2鑑定をはじめ、新証拠をことごとく否定し、「事実調べの必要なし」と主張することは不可避だ。「水洗い」論をはじめ、検察のデタラメな総括意見を粉砕し尽し、裁判所によるこれの採用を絶対に許さず、鑑定人尋問を実現しよう。
 石川一雄さんのお連れ合い、早智子さんから、全国連婦人部の寄せ書きに返信がきた。「復讐に燃えた日もあり泣いた日も 今は黙して三次で決着」と、一雄さんの短歌が添えられていた。「今年は勝負の年です」と述べておられる。

最終決戦が始まった

 下山鑑定・第2鑑定を超える新証拠はない。下山博士の鑑定人尋問の実現無しに事実調べなし。第3次での勝利なしに、狭山の勝利はない。59年間たたかってきた、石川一雄さん(83歳)に「次は無い」。余り、こういう表現は使いたくはないが、それでも敢えて、狭山最終決戦と言い切っても何ら過言ではない。
 この一戦に、石川一雄さんと我々一人一人の人生がかかっている。しかし、そればかりではない。部落解放運動史上、水平社時代も含めた、この100年で、対権力糾弾闘争の最大最高の決戦だ。水平社創立100周年のうち、実に59年が狭山闘争。この一戦で、全国連の真価が問われ、部落解放運動の流れも変わる。
 この機会にあることの幸せと栄誉を、亡くなった人の分まで五感に刻んで勝利のために、為すべきことを悔いを残さずやりきろう。しかも、この決戦は、ウクライナ侵略戦争と日帝の戦争国家化・改憲攻撃と切り結んでたたかわれる。こころおきなく、たたかいぬこう。
 5・8の第2次狭山意見広告は、三者協議の密室での攻防を、一気に社会問題に押し広げた。恐るべき権力犯罪を打ち砕く、反撃ののろしだ。ここからが勝負だ。意見広告を足場に、下山鑑定・第2鑑定と「水洗い」論粉砕を大社会問題に、攻めて攻めて攻めまくろう。そこに勝利のカギがある。
 5・22集会で、共にたたかう新たな主人公が登場した。狭山意見広告運動が、意見広告の作成に重要な役割を果たし、報告集会を主催し、新たな大人民運動の誕生を宣言された。全国連は、心からの敬意を払い、共にたたかいぬくものである。

決戦方針のもとに闘い抜こう

 決戦方針の1は、5・8意見広告の効果を発揮し、新たな大運動を思い切り拡大することである。5・22東京・狭山意見広告報告集会は同時に、「狭山事件の再審を実現する大運動」の結成式となった。さらに、夏秋にかけて全国に広がっていく。
 何のための大運動か。「下山博士の鑑定人尋問を実現しよう」を唯一の合言葉に、同盟員を含めよびかけ人、賛同人は漏れなく大運動の会員になろう。さらに、意見広告コピーとよびかけ文、ハガキ運動で思い切り拡大する。
 決戦方針の2は、波状的集中的な要請行動・高裁前行動である。全国で10班を編成し、夏場以降、20日を基本に、毎月最低1班、高裁前行動もセットでとりくむ。
 決戦方針の3は、全国ハガキ運動である。切手つきハガキで5・22から開始する。
 決戦方針の4は特別カンパである。ハガキ代、遠方からの要請行動の交通費、宣伝費等に支出する。すでに100万円、退職金よりカンパが寄せられた。中執・中央委員は1人1万円、給与ある人は3万円を拠出する。別途、大運動の会費も集める。


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土浦市の児童クラブで教育支援者

3名が悪質な差別発言を繰り返す


    (「部落解放新聞茨城版384号」―2022年3月1日より転載)

◆経過について

 今年1月、県連事務所に実名での投書がありました。それは土浦市内の小学校の児童クラブ支援員3名が、悪質な部落差別発言をしている、市の担当者に訴えても動いてくれないと言うものでした。
 告発の内容は、支援員Aは、部落からクラブに通っている子供が、大便の粗相をした際に、「部落出身だからねえ、ウンコも漏らすよねえ」と発言した。Bは部落の別の子供の家庭について「被差別部落カーボを○○の連中と呼ぶのだけれど、▲▲の家はゴミ屋の仕事なんです。ゴミ屋なんて普通やらないでしょう。○○人(じん)だからなんですよ」と発言した(○○は地元の部落の呼び名)、Cは同僚がクラブを異動する際に「(この地区は)部落が沢山あって、親が普通じゃないから、あんな所に行ったら大変だわ。私なら怖すぎて行けないよ。部落だよ、相手は」と差別発言したというものです。
 これらは2年前ですが、当時この事実を市役所の担当係長に訴えたが、調査指導もせず「そんなことが親や団体に知れたら大変だぞ」と言って事件を放置したということです(告発者は係長がそんなことが知れたら殺されるまであっかんな」と言ったと証言しています)。

◆確認会で認める

 支援員は「先生」と呼ばれて、教室で子供たちの学習や生活を指導しています。3名の支援員は、当時は委託先のNPO職員、現在は市役所の会計年度職員です。そのような立場の者が告発にあるような発言をしていたなら決して許すことはできません。
 市職員でもあるため私たちはまず市に事実を伝えて3名への聞き取り調査を依頼しました。しかし結果はいずれも「そんな発言はしていない」と完全に否定するものでした。
 また係長は「当時そのような報告は受けた」ということでした。
 そこで3月25日、土浦市役所で3名と告発者も参加して事実確認会を開きました。
 そこでも3名は当初「差別発言はしていない」と言い張りました。しかし次々と事実関係でウソが明らかになり、最終的にBとCは差別発言していたことを認めました。
 差別発言の内容も極めて悪質ですが、市の調査に対しても「知らぬ、存ぜぬ」とウソを繰り返してきたことも悪質です。
 Aは最後まで「言ってない。部落も知らない」と言い続けました。そこで再調査することになりましたがウソはすぐに明らかになるでしょう。
 現在、差別事件の事実の一部が明らかになったに過ぎません。また児童クラブの中で発達障害のある子や貧困家庭、外国人親の子供などへの差別も日常的に行われているという報告もされています。これから事件の背景や、市役所の責任なども、明らかにしていきます。
 
2022年4月の記事

 いよいよ5・8(予定)狭山意見広告掲載!

5・22報告集会(東京)に集まろう

 5月8日、全国紙において、第2次狭山意見広告が掲載の予定です。5月22日には東京・日比谷図書文化館において、報告集会が開催されます。その場で、狭山再審を求める、新たな人民運動が結成されます。

無実を訴え59年! 狭山は私たちの人生

 ひとりのお年寄りが、59年もの長きにわたって、身に覚えのない「殺人犯」にされ、今も無実を叫びつづけていることを御存知でしょうか。
 埼玉県狭山市の被差別部落に、石川一雄さんは83年前生まれました。その狭山市で、1963年5月1日、女子高校生・中田善枝さんが、「誘拐」・殺害される事件が発生しました。この時警察は「身代金」を取りに来た犯人を、目の前で取り逃がす大失態をおかしました。
 その直前に、東京で「吉展ちゃん事件」がおき、警察は身代金ごと犯人を取り逃がしています。警察の威信はグラグラ、当時の警察庁長官の首はとび、国家公安委員長が「必ず生きた犯人をつかまえろ」と号令する国家レベルの治安問題になりました。
 そこから、狭山市内の被差別部落に対する、絨毯(じゅうたん)爆撃のような見込み捜査が行われました。「部落ならやりかねない」という、根も葉もない恐ろしい風評がふりまかれました。
 5月23日、石川一雄さんは、別件逮捕されました。孤立無援にありながら、1ヵ月以上も無実を主張してがんばりました。しかし、「お前がしらを切りとおすなら、兄をしょっぴくぞ」という悪魔の恫喝のまえに、ついにうその「自白」におちてしまいました。
 以来59年。石川一雄さんは、「殺人犯」の汚名を着せられ、1964年第一審死刑、1974年第二審無期懲役、1977年最高裁で確定、31年7カ月の獄中生活の末に1994年に仮出獄してもなお、見えない手錠に縛られて生きています。

今度こそ鑑定人尋問・事実調べを

 現在3回目の再審請求を申し立て、いらい異例の16年が経過しています。この第三次再審請求で、246点におよぶ石川さん無実の新証拠が出されました。
 「ゴッホの絵に隠されていた黒猫」の発見で有名な下山進博士は、被害者のもので、石川さん宅の家宅捜索で発見したとされ、石川=犯人の決め手としてきた万年筆は、実はニセモノで、警察が捏造したものであるという、決定的な新証拠を提出しました。下山博士が万年筆のインクの色素や、元素を鑑定した結果、それが証明されたのです。
 東京高等裁判所は、この1点をとっても、ただちに下山博士の鑑定人尋問を行い、事件を洗いなおさなければなりません。ところが、事実調べをするという当然のことが、狭山事件では第二審いらい48年間、ただの一度も行われていません。
 第三次再審もクライマックスを迎えました。証拠もほぼ出そろって、弁護側から事実調べが請求され、裁判所の判断が年内にも出される段階にきました。今度こそ、鑑定人尋問・事実調べを行わせ、裁判所に正義の判断をさせねばなりません。
 しかし、これまでの支援だけでは、この権力犯罪を打ち破るには足りません。支援を何倍にもして、裁判所を包囲・監視する大きな世論が必要です。狭山意見広告運動は、まったくのゼロから、心ある人々のカンパによって大きな広告を実現し、不可能を可能にしています。狭山事件の再審を開くために、あなたもこの場に参加してください。



改憲の先兵―維新の会との対決を鮮明に

「憲法改悪反対!」の

 7月参議院選挙を闘おう!


(大阪選挙区)

れいわ新選組
「やはた愛」さん推薦決定

 7月参議院選挙は、ロシアによるウクライナ侵略と、それを利用した岸田らの改憲圧力の中でたたかわれる。
 全国連は、軍備の増強、核武装、憲法改悪へつき進む岸田政権とその先兵―維新の会の台頭を許さず、全国で改憲反対の参議院選をたたかうことを決定した。
 大阪選挙区では、唯一、維新の会と対決する「れいわ・やはた愛」候補を推薦することを全国連大阪支部代表者会議で決定した。このたたかいを全国に広げていこう。

比例区にはれいわ、社民、立憲の候補を

 全国連は、比例区に関して、改憲に反対する、れいわ・社民・立憲の各候補を推薦することを決定しました。




示現舎・宮部龍彦への公開質問状 4
                 
             部落解放同盟全国連合会

 貴殿は、部落出身と認定されるのが嬉しくて仕方ないようですが、以下のような、こんな事にもお答え下さい。世間では、部落と認定されても何の得にもなりません。貴殿はどのような理由から部落と認定されたいのですか? 部落といわれるのが、そんなに嬉しそうなのは何故ですか? ぜひお知らせください。
 基本的な問題ですが、〈部落出身〉と〈部落住民〉とでは雲泥の差があり、性格がまったく違います。貴殿が部落出身を名乗るのであれば、自分がこれまで生きてきた中で、部落出身を理由としたどのような差別を受けた体験があるのか明らかにされたい。部落出身であるのなら、人生の中で何もなかった筈がありません。その時に差別事件として、どのような対応をしたのか、ぜひ明らかにされたい。
 その点と関係しますが、貴殿は部落出身を名乗っているのですから、ぜひ貴殿の父親がどこの部落で生まれているのか、旧市町村名でもかまいませんから、ぜひお知らせください。また貴殿の母親はどこの部落で生まれているのか、明らかにされたい。ただいまの市町村名ではなく、旧市町村名でもかまいません。
 また、貴殿の父親の父親、ようするに貴殿から見たら祖父ちゃんですが、祖父ちゃんはどこの部落で生まれているのですか。また貴殿の父親の母親、ようするに貴殿から見たら祖母ちゃんですが、祖母ちゃんはどこの部落で生まれているのですか。ただいまの市町村名でなくてもかまいませんから、ぜひお知らせ下さい。
 また、貴殿の父親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。誰もいなかったはずはありませんから、ぜひ一人一人についてお知らせください。ただいまの市町村名でなくてもかまいません。また母親についても兄弟姉妹は何人いて、兄弟姉妹の方はどこの部落で生まれているのですか。ぜひお知らせください。
 貴殿の母親の父親はどこの部落で生まれているのですか。また母親の父親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。お知らせください。また母親の母親はどこの部落で生まれているのですか。また母親の母親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。それに、どのような仕事をやって生活しているのでしょうか。ぜひお知らせ下さい。
 貴殿からみて、自分の父親や母親の兄弟姉妹には、誰か解放運動に関係していた人はいなかったのですか。部落出身者でしたら、解放運動に関係した人がまったくいなかった、ということは年齢からみて考えにくいのです。どこの部落で生まれていても、年齢から考えて、貴殿の父親や母親、貴殿の両親の父親や母親、といった祖父ちゃん祖母ちゃんの世代ならば、解放運動に関係していなかったはずがないのです。そのような人がいなかったとしたら、貴殿を部落出身者とはとても考えにくいのです。部落と関係がなければ、解放運動をする必要がないからです。
 また、どこかの解放運動団体に関係していたと言っても、ただいまの貴殿のような、一人一社の〈組織名〉は解放運動組織とは言えませんから、ちゃんとした資料や文献で後追い調査のできる組織名のみお知らせください。一人一社の〈組織〉では追跡調査が出来ませんし、貴殿が好き勝手に〈組織〉をでっち上げる可能性が非常に高いからです。
 東京といえば、人口移動の激しい都市としてよく知られています。東京で「東京出身」といわれるためには、三世代続けて都内に住み続けていた人に限られます。ようするに、たまたま都内に住んでいるだけでは「東京出身」とは言えないのです。たんなる「東京在住者」なのです。
 貴殿があくまで「部落出身」であると主張するのであれば、貴殿から視て父方の祖父ちゃん・ 祖母ちゃんと、貴殿から視て母方の祖父ちゃん・祖母ちゃんくらいまでの人たちが、ずっとどこかの部落で生まれて、生活していて、世間から〈部落〉として差別されてきた、蔑まれた歴史があるはずです。そうした歴史が客観的にも証明できれば、貴殿が〈部落出身〉であると主張しても、役所からも解放運動団体からも、「部落出身」と扱われるでしょう。差別された歴史が証明できなければ、部落を詐称しているだけ、としか見られないのは言うまでもありません。
 解放運動団体や、ただいま部落に住んでいる人達は、長い間にわたる差別の中を生きてきたのであり、貴殿のように、嬉しそうに部落を語ったり、楽しそうに語ったりは出来ないのです。誰か一人でも解放運動に立ち上がれば、その人の親や兄弟姉妹、親戚は、皆さんが「部落出身」として扱われるだけでなく、将来にわたって「部落出身」の看板を背負って生きなければならないからです。
 貴殿が一人だけで、一代限りで部落出身になる、ということは100%ありえません。ただいまの貴殿は、役所が同和対策事業を進めるために「同和地区指定」をした、その線引き内にたまたま住んでいたことがあるだけ、であるのは言うまでもありません。こうした人達は、現在では全国で3千万人は下らないと思われます。全国的に部落の混住がものすごく進んでいるからです。世間から部落といわれている地域に、〈土地代が安いから〉という理由から、移住する人達は全国的に見られる傾向です。しかしこれらの人達は「部落出身」ではなく、たんなる「部落在住者」、という存在です。在住者には、「 部落出身」として差別されてきた歴史はないでしょう。貴殿に差別された歴史があるのでしたら、ぜひお知らせください。
 どう考えても貴殿の主張には無理があります。
 
 以上。3月末までに回答を要求する。

2022年3月17日 部落解放同盟全国連合会



ロシアによるウクライナ侵略戦争弾劾!

―戦後的秩序の崩壊=新たな対立と分断のはじまり―

1 歴史を画するロシアのウクライナ侵略戦争
 ロシアによるウクライナ侵略戦争は、戦後的秩序やあり方を根本から覆し、対立と分裂をつくりだし、新たな戦争の時代が到来したことを示している。
 プーチンは、歴史をひもとけばすぐにばれる「元々クリミアはロシアのものである」とのウソの主張をもって、クリミアをロシアに併合した。そして8年前ウクライナ東部に自身が蒔いた紛争の火種に油を注ぎ、「ネオナチ政権からウクライナ住民を解放する」「ウクライナ東部のロシア系住民を保護する」との口実で、ウクライナに攻め入った。
 しかし当初のプーチンの目論見ははずれ、さらなる戦争を激化させて突き進む以外ないところに追い詰められている。歴史上、最も破壊し尽くされた都市と言われるチェチェン共和国の中心都市グロズヌイは、プーチンによって作りだされた現実であるが、キーウ(キエフ)近郊のブチャやマリウポリで目にするすさまじい破壊と殺戮に示されるように、このままではグロズヌイの再現、否それをこえるものとなりかねない。
 米欧はNATOの東方拡大によってロシアを封じ込め、存立の危機にたたき込んできた。とりわけアメリカはロシア敵視政策をとり続け、ロシアをウクライナ侵略戦争へと駆り立てた共犯者であり、ロシアを非難する資格は微塵もない。
 プーチンは領土的野望を隠そうとしていない。余談になるが、プーチンは歴史上で尊敬に値する人物を尋ねられ、帝政ロシアの女帝エカチェリーナ2世をあげている。理由は南下政策に伴う戦争によって、ロシア領土を最も拡大したことだと言う。一方、歴代ソ連指導部はロシア領土の一体性を解体したことを理由に、口汚くののしっている。
 今回のウクライナ侵略戦争は、NATOの東方拡大や封じ込め政策によってロシアが存立の危機にたたされたからという理由だけでは、すべては説明できない。プーチンは侵略戦争に先立って様々な主張をしているが、事実に反することや、理屈として成立しない内容も多く含まれている。プーチン独自の世界観では、事実や史実はまったく問題ではないのかも知れない。
 話を元に戻そう。ウクライナでの戦争が長期化するなかで、ロシアへの経済制裁が強化され、ウクライナへの軍事支援が拡大されているが、これはプーチンのウクライナ侵略戦争にさらに油を注ぐ結果しかもたらさない。戦争の長期化で破壊と殺戮(りく)が続けば、双方の思惑をこえた事態に発展し、第三次世界大戦へと突き進みかねない危機が加速している。
 これまでの戦争と完全に一線を画す深刻さの理由は、核兵器・化学兵器を保有する帝国主義ロシアがその使用をちらつかせて世界を脅迫し侵略戦争を続けていることである。そして米欧(特にドイツ)やとりわけ日本の岸田政権が、この危機をあおり口実にして、歴史的制約を取っ払って戦争国家への道をひたすら走り始めていることである。今や、大量破壊兵器を武器として使用することが当然と化した新しい戦争の時代が始まりつつある。

2  戦争国家へと突き進む岸田内閣を打倒しよう

① ウクライナ侵略戦争をめぐる欧米の対応
 ロシアによるウクライナ侵略戦争をめぐって、今後の世界のあり方と方向性を決定づけるであろう2つの特徴的出来事があった。ひとつは、戦後世界の中心として覇権を握りその存在感を示し続けてきたアメリカが、ロシアのウクライナ侵略戦争とそれをめぐるプーチンの恫喝の前に、なすすべもない姿をさらしアメリカの凋落をはっきりと世界に印象づけたことである。
 アメリカ大統領バイデンは、ロシアのウクライナ侵略戦争が不可避となる中で、「(ロシアがウクライナ侵略戦争を開始しても)アメリカは軍を派遣しない」と明言した。この発言が、プーチンのウクライナ侵略戦争に最後のゴーサインを与えたことは明らかだ。
 今ひとつは、EUの結成以来今日まで政治的経済的に牽引してきたドイツが、戦後的制約のもとで掲げてきた「平和主義」をかなぐりすて、軍拡へと舵を切り戦争へと突き進むことを決断したことである。
 ドイツのショルツ首相は2月27日、ロシアのウクライナ侵略戦争をうけ急遽(きょ)開催した連邦議会で、国防費を増額すると発表した。2022年予算から緊急で一千億ユーロ(約13兆円)を連邦軍の戦闘機、軍艦、兵の装備強化などに充て、さらにGDP比1・5%程度にとどまる国防費を、今後は毎年2%以上に引き上げる。ショルツ首相は「世界は転換点にいる」「自由と民主主義を守るには、国防に大きく投資する必要がある」「プーチン大統領がウクライナ侵攻によって新たな現実を作った。これには明確な対応が必要だ」と指摘した。
 アメリカは以前からNATO加盟国にGDP比2%を国防費の目標とするよう求めてきた。だがドイツは国防費に重点を置かなかったメルケル前政権下で目標に届かず批判されてきた経緯がある。今回の増額は、これまでのあり方からの歴史的とも言える方針転換といえる。
 このアメリカの凋落とドイツの軍拡へ転換は、今後の新たな再編へとつながる可能性を秘めている。

② 岸田のウクライナ避難民への人道支援のでたらめさ
 岸田は、ウクライナの数百万人の人々が戦火からのがれ、隣国ポーランドをはじめ近隣諸国に避難していることに対し、日本からも人道支援の手をさしのべると言って、希望するウクライナの避難民の人々への、日本での生活支援を始めた。企業や自治体からの受け入れ体制も確保しているという。戦争によって住居が破壊され、生活や仕事が奪われた人々に生きる希望を与え人道支援の手をさしのべることはよいことであり、そこに文句を言うつもりはない。
 しかし、アジアや中東、アフリカから難民として逃れてきた人たちとの対応のあまりの違いをどう理解すればいいのか。彼、彼女らは難民申請をしても長期間放置され、よほどのことがない限り受理されることはない。本国への強制送還か収容所での期限のない拘束が待つだけである。
 岸田の言う人道支援とはまやかしである。このダブルスタンダードは断じて許すことはできない。非人道的な入管行政の現状を直ちに改めろ。

③ 岸田内閣がすすめる敵基地攻撃能力の保持は戦争そのもの
 ロシアによるウクライナ侵略戦争が長期化するにつれ、プーチンの核や化学兵器使用の恫喝やロシア軍による無差別爆撃による破壊や民間人の大量殺戮(りく)など悲惨な状況が日々報道されるなかで、評論家やマスコミ等がこぞって「日本も軍備を増強すべき」「台湾有事は日本の有事」などの大合唱をくりひろげる情勢が生み出されている。こうした扇動に乗ずる形で、岸田内閣や自民党内から憲法「改正」やさらなる軍備増強にむけた動きが激しくなってきた。
 安倍元首相は、「核の共有」を叫び、自民党・高市を使って岸田内閣に揺さぶりをかけている。
 さらに「専守防衛では国土と日本人の生命財産は守れない」として「敵基地攻撃能力の保持は当然」との声をあげている。また、来年度の当初予算で防衛費を6兆円程度確保するよう主張している。この男は、今も総理大臣と思っているのか。
 こうした声に対応して岸田は、中国を念頭に「今回のような(ロシアによるウクライナ侵略戦争)力による一方的な現状変更をインド太平洋、とりわけ東アジアにおいて決して許してはいけない。あらゆる選択肢を排除せずに検討し、防衛力を抜本的に強化する」と発言した。あらゆる選択肢とは、敵基地攻撃能力の保持を念頭にしているが、最新兵器の購入や陸海空軍の攻撃の強化にむけたすべての手段を含む。
 自民党安全保障調査会(会長・小野寺五典元防衛相)は4月11日の会合で、憲法9条に基づく「専守防衛」の名称や解釈を変更すべきとの意見がだされた。岸田政権が検討を進める「敵基地攻撃能力」保持にむけた地ならしを行おうとするものだ。
 小野寺元防衛相は来年度の防衛費について、「防衛力の抜本的強化のため、必要な予算を確保したい」と述べ、今年度からの大幅増にめざすという。
 自民党は、台湾有事を念頭に防衛費増額を求める提言を4月中にまとめるとし、政府に抑止力を高める装備の導入を促し、年末に改訂する「国家安全保障戦略」に反映させようとしている。
 敵基地攻撃能力の保持とは、他国と戦争ができる戦力をもつことを意味し、従来の「専守防衛」とは内容と質においてまったく別物であり、これまでとは次元が異なる概念だ。
 相手の反撃能力を完全にたたきつぶし、戦争に勝利する能力を保持することと同義語である。相手が攻撃してきたらそこに反撃を加えるという単純なことではない。その先にあるのは全面戦争にほかならない。
 岸田の「敵基地攻撃能力の保持」を絶対に許してはならない。戦争国家へと突き進む岸田内閣打倒にたちあがろう。



2022年3月の記事
プーチン政権による

     
ウクライナ侵略弾劾!

  人民による反戦闘争に連帯を!

狭山意見広告運動の成功~再審実現へ


    
“悔いのない一年”を!

■3・6第30期拡大中央委員会で論議、意志一致
 3月6日、全国連は大阪で拡大中央委員会(拡中委)を開催し、昨年の第30回全国大会からのとりくみについての中間総括と春から夏~秋にむけての方向性を論議しました。

■ウクライナ侵略戦争を許すな

 拡中委はまず、ロシア・プーチン政権によるウクライナ侵略戦争を弾劾して開会しました。そして、ウクライナ人民の抵抗闘争とロシア国内においても果敢にたたかわれている反プーチン闘争に対して断固支持する全国連としての立場をあきらかにしました。
 今回のこの事態は、世界戦争・核戦争に火をつけるものであり、絶対に許すことはできません。連日にわたって人々の生活が破壊され多くの命が奪われています。「正義」「中立」を装うアメリカ・EU・日本政府も〝共犯者〟です。私たちは全世界で巻き起こる反戦・反核闘争・反政府闘争と連帯します。
 今後、世界の情勢が激変していくことは避けられません。そして岸田政権はこれに乗じて憲法改悪、軍備増強、核武装を急速に推し進めようとするのは間違いありません。私たちはあらためて階級的共同闘争を柱に国内の反戦・反核・改憲阻止のたたかいと連帯を強めていきます。このことを冒頭に確認しました。

■第30期の奮闘と課題が鮮明に

 つづいて、昨年7月に開催した節目の第30回全国大会と、それ以降の半年余りの奮闘をふりかえりました(※基本的な内容は昨年12月の記事を参照ください)。
 一方で、衆議院選挙をめぐって国政選挙・全国政治へのかかわりと具体的なたたかい方について、各地とも課題があきらかになりました。改憲阻止闘争をたたかう主体として選挙戦は最も重要視すべきであり、本年7月に予定されている参議院選挙にどうかかわるのかということを議論しました。
 また、支部活動の「建て直し」という点でも課題があきらかになりました。具体的には支部大会を開催できていない支部、地元の大衆や支部員さんたちと、接する活動や新聞の配達、会費の集金活動等が停滞している支部の問題があります。各地の定期的活動の活性化と、全国各地で支部大会の復活をかちとるための方策については、中央執行部の役割の重要性も浮き彫りになりました。

■2022年は狭山最終決戦の年

 結論から言うと「悔いのない一年にしよう」ということです。本当に「次は無い」ということです。石川一雄さんと命運を共にし、「狭山に勝つために作った」という全国連創立時の精神を思い起こし、つらぬき、これまでのそのすべてを賭けるということです。その覚悟がないと今回の意見広告運動も第三次再審闘争も全部ふっとんでしまうということです。
 狭山事件から59年、石川さんは今年1月に83歳になりました。高齢です。私たちが知っている「あの頃の石川さん」でなくなりつつあります。これまで苦汁をなめさせられた第一次や第二次の再審闘争の歴史をふりかえってみても、棄却が下されてから次の再審請求までは約5年を要します。石川さんの寿命はどうなるのか、そもそも狭山闘争をたたかう我々はどうなっているのか。そういうことです。
 創立時の委員長、副委員長、書記長、そして中央役員ばかりか各地の兄弟姉妹、なかまを我々はどれだけ喪ったか。「狭山事件から60年、65年、70年」といつまでも語り続けるのか。「人生をかけた最終決戦」そのことを肝に銘じ、私たち一人ひとりの腹の底からの決起が必要です。そうした論議をおこないました。
 では具体的に「勝つために何が必要か」。まずは5月に二面ぶち抜きの意見広告掲載を実現する。その衝撃力はすごいものにしなくてはならない。東京高等検察庁・東京高等裁判所を揺るがし、かつ、全国の部落の兄弟姉妹も旧活動家をも鼓舞し、狭山を知らない世代にも振り向かせなくてはならない。そのためにはどんな紙面がいいのか。ケンケンガクガクの議論と意見交換をしました。
 そして意見広告掲載後のたたかいとして、5月22日に東京(日比谷)での中央報告集会の開催、連続的な東京高検・東京高裁への要請行動、その司法権力に集中させる全国ハガキ大運動の展開、「1000人運動」「1000人委員会」といった市民大運動の立ち上げ、夏から秋にかけて各地の報告集会…。そうした提案があり、全国世論を沸騰させるために本気になってその核をつくっていこうという基本的方向性を確認し合いました。また運動財政(軍資金)を作り出すための活動も論議しました。

■春から夏にむかって

 7月の参議院選挙について。全国それぞれの地域で事情は異なりますが、とりわけ自民党や維新の会と真っ向から勝負する候補者を推薦し、最大限のとりくみをしようということになりました。
 具体的な要求闘争について。4月3日に『住宅問題交流会』を開催します。これは「同住連」によって展開された家賃の値上げ反対運動の延長ではありません。供託の分納、老朽化、修繕、建て替えや入居、まちづくり、災害復興、またそれに伴う家賃の問題、管理の問題、住民生活に関する案件を率直に出し合い、一緒に討論する情報交換や意見交換の場として「全国連住宅闘争委員会」を開催します。
 そのほか青年対策部、婦人部からの報告、会計報告がありました。また、第31回全国大会は7月17日に開催することを決定しました。大会にむけた中央執行委員会および大会議案書起草委員会を4月24日に開催することもあわせて決定しました。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の3
                 
             部落解放同盟全国連合会

 鳥取市出身の役員から、以下の文書が寄せられたので、全国連の公開質問状3の3として扱い、示現舎・宮部龍彦に発出する。公開質問ゆえ、このような参加は大歓迎である。
 今後も、大いに期待するものである。なお、名前を伏せることは、晒しマニアの宮部ごとき人物から、筆者を無用な攻撃から防衛するために必要であり、宮部がそのことで不平不満を述べることは、自ら天に唾するものであると心得よ。


 私たちの公開質問状3の2に対して宮部龍彦から回答が寄せられた。その中でとりわけ回答書の下味野・鳥取市に関わることに絞って改めて質問する。今回質問状を書いている私自身が鳥取市高草中学校区域の被差別部落の出身であり、下味野はすぐ近くである。 しかも、「示現舎・宮部龍彦は被差別部落民ではない」と被差別部落・下味野A地区の知人、部落解放運動の仲間、部落外にあっても部落差別撤廃のために学習会を組織していた地域の人たちなど多くの人たちから聞いていたからである。
 宮部は「貴団体は、何故被差別部落出身にこだわるだろうか」と問題にするが、実は、宮部は己は被差別部落民ではないと強烈に自覚している。しかしながら宮部は、下味野の被差別部落出身者だと嘘をつき、部落解放運動をあざ笑い、全国の被差別部落や個人を晒し差別を扇動しているから下味野の被差別部落出身かどうかにこだわるのだ。もちろん、私たちが繰り返し明らかにしているように下味野415番地の1は被差別部落ではない。

【Ⅰ】
 何よりも、宮部自身のブログで、「鳥取市と鳥取地裁(平成25年10月9日)によって私の実家は同和地区でないことが証明されました。」と被差別部落民ではないと白状している。
 「私の実家でも鳥取市では同和と思われているらしいですよ。境界の引き方がいい加減だから、うちでも申請すれば同和減免が受け入れられると親父が言っていましたので実際同和減免の申請をし、鳥取市と鳥取地裁によって私の実家は同和地区でないことが証明された。」「鳥取地裁は同和減免の対象区域を地域外の人間に開示しなくて良いと言い、さらに事実として、鳥取市は私の実家に対して開示しなかったから」と、宮部自身が言っている。
 宮部に問う。
(1)「私の実家でも鳥取市では同和と思われているらしい」とは「同和ではない」ということが前提になっているのではないのか。答えよ。
(2)父親は「境界の引き方がいいかげんだから、うちでも申請すれば同和減免が受け入れられる」といっているが、ここから明らかになることは父親は被差別部落ではないと自覚しているということだ。宮部龍彦自身は被差別部落出身だと聞いたことがあるかどうか。あれば何歳頃、誰に聞いたのか。答えよ。
(3)父親は被差別部落出身者なのか。
(4)母親は被差別部落出身者なのか。

【Ⅱ】
 宮部は同和減免を受けたいと思い、被差別部落に隣接していることを奇貨として同和減免を申請している。そもそも「同和問題」は同和減免・同和事業の問題だけではない。私は団塊世代の一人で、学校で同和事業に基づく教育は一度も受けたことがない。解放奨学金も受けたこともなく、小学生時代に教師から差別され放題で差別に悩み部落という文字も怖いぐらいであった。高校生になって被差別部落出身の公務員の方から本を借りて必死に読んだ。東上高志の本であったと覚えている。私にとって部落差別とは小学校の教師によって自覚させられ、貧困、学校生活や友人との関係で悩み苦しみ抜いた人生の始まりだった。高校時代は被差別部落から逃げることばかりを考え、大学も被差別部落出身と誰もわからないように関東地方を選んだものだ。もちろん生活が苦しかったから送金は一度もなく、育英会の奨学金とアルバイトでしのいだものである。この学生時代に学生運動に触れ、部落解放運動を闘いたいと決意し、初めて自分が被差別部落出身者であることを宣言し、学生運動と共に狭山闘争や生活要求闘争に入っていったのである。

 宮部に問う。
(1)宮部は自分が同和減免を申請して通らなかったことを逆恨みし、ゆがんだ差別感情 を増幅させ、部落を晒す行為を続けているのではないか。
(2)部落差別は同和事業を受けるかどうかの問題だけではなく、身分的差別全体の問題 であり、誰もが悩み苦しんだ経験を持っている。宮部は被差別部落民だと言うが、どんな苦しみ・悩みをもって生きてきたのか。
(3)差別によって命さえ失った被差別部落民も数多い。本当に残念でならないが、私の 中学校時代の友人であるH君は職場でH君の被差別部落の出身地を隣接する地域の人から晒され、悩み苦しみながら、その職場である大阪中央郵便局で自死しました。それほどの苦しみの中で生き、其処まで追い詰められる被差別部落出身者がいることを考えたことがあるか。
(4)宮部が、今やっていることは、インターネット上に被差別部落を晒すことであり、差別によって命を絶つ人もいるかもしれない深刻な問題だ。絶対に許せない。宮部は、どう 思うか。

【Ⅲ】
 鳥取市下味野A地区の人たちは誇り高く部落解放運動を担ってきた。
 珍しいことであるが下味野神社は2つある。東側にある下味野神社は地図上に神社マークがついていないが、460年前のえのきが立ち、「アマテラス」、「スサノオ」に加えて、赤池助左衛門ノ命がまつられている。鳥取の被差別部落・下味野は豊臣秀吉の鳥取城の兵糧攻めの囲みを破り、毛利方に連絡しようとした郷士・赤池助左衛門が治めた地域であり、一向宗門徒(浄土真宗)が強い地域であった。豊臣秀吉の軍勢に鳥取城主・吉川経家が破れ、赤池助左衛門の治める地域の民衆は、その後、身分貶下(へんげ)されたものと考えられる。まさに、当時の下味野A地区の民衆は赤池助左衛門を中心に豊臣秀吉の軍勢と闘った誇り高き民衆だったのである。鳥取の被差別部落は、この下味野A地区を中心に形成されたと言われている。
 戦後の解放運動は、この下味野A地区が鳥取の部落解放運動の中心だった。高校生の時、被差別部落の同級生で友人が「相談できる人が大切だから市議会議員の前田さんを応援せないけん」と初めて前田さんという名前を聞いたことを覚えている。前田さんは、私が学生になり、狭山闘争で日比谷小公園に参加したとき、初めて解放同盟中央本部執行委員であることを知ったその人だった。
 前田さんは戦後、1947年に国鉄をやめ、郷里(下味野)に帰り、いち早く農民運動に身を投じ部落の完全解放を願い精力的に活動した。解放同盟鳥取県連書記長、中央本部執行委員として解放運動を指導し、1962年、37歳で鳥取市議会に当選して連続26年間勤め、地域住民の生活、教育、文化の向上と地域の発展の貢献した(ブログより)。
 まさに、「戦後の鳥取における部落解放運動の中心は下味野A地区だった」と言っても過言ではない。

 宮部に問う。
(1)下味野の東側(千代川沿い)にある下味野神社を知っているか。被差別部落・下味野の起源について見聞きしたことがあるか。
 あるならば、宮部はどう思ったか。
(2)前田さんは1989年に亡くなり、親族が意志を継ぎ、市議会議員を務めているが知っているか。その人と話したことはあるか。あるならばどんな話をしたのか。
 以上、真実を答えよ。

【Ⅳ】
 私が部落出身者であることに、より一層誇りを持つようになった本が「一向一揆と部落
 被差別部落の起源」である。
 この本は鳥取市出身の石尾芳久さんの書であり、その他、多数の研究を通して被差別部落の起源論に新たな視点で迫り、被差別部落民を励ます内容である。

 宮部に問う。
(1)石尾芳久さんを知っているか。書物を読んだことがあるか。読んでいるなら、その 感想を述べよ。
(2)あらためて問う。示現舎・宮部は何を目的にしてインターネット上に被差別部落や 名前を全国に晒し続けるか。
(3)鳥取の下味野A地区の人たちや部落解放運動のきょうだい、共に闘う仲間に「被差別部落民ではない宮部が何故部落出身者だ」と嘘をつくのか?問いかけると「ようわからんけど結局金目当てだろう」と答えていた。このように、「金目当てだろう」という地域の意見にどう思うか。真正面から答えよ。

 最後に、示現舎・宮部龍彦よ!
 下味野A地区や鳥取市の被差別部落民の怒り、全国の被差別部落民、共に闘うすべての仲間たちの怒りを真正面から受けとめ、心底謝罪せよ!

 以上。3月15日までに回答を要求する。

2022年2月28日 部落解放同盟全国連合会


2022年2月の記事

鑑定人尋問・事実調べかちとり

狭山再審の決戦にたちあがろう!


5月意見広告を成功させ

鑑定人尋問迫る大運動を巻き起こせ!


●事実調べ=鑑定人尋問の実現へ

 狭山第3次再審闘争は、いよいよ事実調べ・鑑定人尋問を実現し、再審開始をかちとる最終的な決戦を迎えました。
 弁護団は、今春までに万年筆、殺害方法、自白についての追加鑑定を提出し、それをふまえて鑑定人尋問を請求するとしています。私たちは、全狭山勢力の力を結集して、東京高裁に鑑定人尋問の実施を迫っていかなければなりません。
 これまで、重大事件の再審において、事実調べがなされずに再審が開かれたものは一つもありません。事実調べが拒否され、密室の書面審理だけで判決が出された事件は、ことごとく再審が棄却されています。まさしく「事実調べなくして、再審なし」なのです。
 狭山事件でも、第1次再審からこれまで、実に45年の間、ただの一度の事実調べも行われず棄却決定がくり返されてきました。「権力による部落差別犯罪を闇に葬る」ことが、国家の意思として貫徹されてきたのです。
 これまでも「事実調べを行え」ということは要求してきましたが、今ほどそれが正面課題となったのは、狭山再審闘争の中で初めてです。それは、私たちが下山鑑定という決定的な武器を手にしたからです。

●事実調べの核心は下山鑑定人尋問

 下山鑑定は、石川さんの「自白」にもとづいて石川さん宅から発見された万年筆が、被害者のものではないことを科学的に証明しました。検察は2年間も、世界有数といわれる科警研の総力を挙げて反論の鑑定を試みましたが、ついにあきらめざるを得ませんでした。下山鑑定は、それほどの科学的証明力を持っています。
 しかもそれにとどまりません。重要証拠である万年筆が、ニセ物であったということを通じて、捜査当局が証拠をねつ造したことが証明されました。狭山事件が国家による権力犯罪であることが、明確な科学的裏付けをもって明らかにされたのです。
 私たちが本年1月17日に行った狭山要請行動においても、対応した担当検事は、「下山鑑定が反論の余地なく正しいとされれば、それだけで再審開始になる」と言わざるを得ませんでした。当然です。万年筆の証拠ねつ造が明らかになれば、文字が同じだとか、足跡が同じだとかいう検察の主張はすべて吹っ飛んでしまいます。
 だからこそ、検察、裁判所はなりふり構わずに下山鑑定をつぶそうとしています。検察が科学的反論を放棄して「水洗い論」なる空想的な可能性で下山鑑定を無力化しようとしているのもその表れです。
 私たちは、検察の下山鑑定つぶしに対してさらに科学的な反論をたたきつけ、東京高裁が検察意見書を採用することを阻止しなければなりません。そして何としても東京高裁に鑑定人尋問を実施させていきましょう。

●証拠開示を拒否する検察弾劾

 検察は、弁護団の出す新証拠に対して次々と反論の意見や鑑定を出してくる一方で、本来やるべき証拠開示については、ことごとくこれを拒否しています。
 1月27日に行われた三者協議でも、スコップやタオルに関して弁護団が求めていた証拠開示について、検察は「見当たらない」「開示に応じる必要はない」などと回答。またどこを探したのかという求釈明に対しても、「これ以上証拠を探す必要はない」と開き直っています。絶対に許すことはできません。
 布川事件の国賠訴訟では、検察の取り調べについて「虚偽の事実を述べて強い心理的動揺を与え…自白を強要する違法な行為」だと弾劾しました。また証拠開示についても、「検察官は、公益の代表者として、事案の真相を明らかにする職責を負っている…被告人に有利不利な証拠を問わずに法廷に顕出すべき義務を負う」「具体的に特定された証拠開示の申立てがあったような場合には…開示をしない合理的理由がない場合には、検察官は、その証拠の開示義務を負う」と明確に指摘されました。
 しかし狭山担当検事は、そのようなことはまったく無視しています。それどころか裁判所の開示勧告さえも守ろうとしていません。
 私たちは下山鑑定を武器に徹底してたたかい、警察・検察による権力犯罪を満天下に明らかにしていきましょう。

●意見広告と新たな国民的運動を

 今年の事実調べ決戦を前にして、検察はなんとかして。早期の幕引きを図ろうとしています。先の要請行動の中で、私たちは最終意見書の提出の前に鑑定人尋問を実施せよと迫りました。それに対して検察は「二度手間になるので、これまで出している個別の意見書や鑑定書をもって最終意見書の一部となるならば…」などと、鑑定人尋問なき最終意見書に突き進みたい意向を露骨に述べました。
 事態はギリギリの攻防を迎えています。私たちは、一昨年から第2次狭山意見広告運動を全力で取り組んできました。それは今年5月、毎日新聞で実現されます
 そして、この意見広告運動を母体として、狭山再審を動かし、再審開始を求める新たな、そして大きな国民運動を結成し、たたかいを開始します。
 コロナ禍で、体を鍛えながら無実を訴え続けている石川一雄さんとかたく連帯し、今年の決戦に勝利しましょう。

2022年1月の記事
勝負の1年!

5月狭山意見広告を実現し、

鑑定人尋問をかちとろう!


             部落解放同盟全国連合会
             中央執行委員長 村上久義

 吹雪舞う日もあるなか、勝負の年の新春を迎えました。身の引き締まる思いです。
 同盟員の皆さんには、今年もまた御骨折りをおかけしますが、一致団結して進むことをお願い致します。

7月参議院選挙では大阪で維新と決戦

 昨年の衆議院選挙は立憲民主党が敗北し、憲法改悪への道を開ける結果となりました。今年の夏の参議院選挙では、憲法を変える国民投票となるかもしれません。これまではどの政党、どの候補を支持するのか、全国連としては苦心することもありましたが、今度の参議院選挙は、大阪でれいわ新選組が立つとのこと。憲法改悪の急先鋒・維新と大阪で決戦を構え、全国焦点にして思い切りたたかいましょう。
 私たちには、日々の要求闘争をはじめ、たくさんの課題があります。コロナ禍で医療を要求し、仕事と労働者の権利を守るとりくみ。長野の災害復興のとりくみ。住宅問題も様々な課題があります。たくさんのテーマをとりくみつつ、それらを繋げ、何に焦点をおいて、全体がレベルアップするように進むのか。

83才になられた石川一雄さんに勝利を誓う

 それは、とりわけ、5月の第2次狭山意見広告の掲載と、1000人市民委員会の立ち上げにあると思います。広告掲載を5月に延期したことは正解でした。時間の余裕ができ、豊かなとりくみで準備することができます。5月を焦点に、今春は狭山の決戦です。事実調べ=鑑定人尋問は、いよいよ弁護団も含め請求が出され、裁判所に採用を迫ることになります。何としても勝利しましょう。
 石川一雄さんは、この1月で83歳になられます。全国連は、お誓いします。今年は、鑑定人尋問を実現し、再審開始元年とします。
 示現舎・宮部をはじめ、差別主義を徹底糾弾で圧倒しましょう。
 全国の同盟員の皆さん、仲間の皆さん、ともにがんばりましょう。


2021年12月の記事
くる年もみんなで団結がんばろう!

~狭山勝利・要求貫徹・改憲阻止の本格的闘争へ~

逆風を突破した2021年のたたかい

 瀬川委員長、中田書記長、片岡副委員長と、全国連の顔というべき指導者をあいついで喪うという大きな試練と「新型コロナ」という世界的パンデミックにみまわれたこの二年。大会・集会のみならず、各ブロックや各支部の会合も部会ごとの集まりも制限され、私たちはかつてない苦境に立たされました。しかし、全国連は各地各階層とも現実を受け止めつつ差別を許さず部落大衆の生活と尊厳を守る精神とたたかいを絶やすことなく、創意工夫と試行錯誤を重ねて奮闘してきました。
 とりわけ、二年ぶりに開催した全国大会以降の2021年をあらためてふりかえり、くる年2022年を展望します。

全国結集でかちとった全国大会

 第30回全国大会。この記念すべき節目の大会はコロナ禍で様々な制約があるなか各地からの代議員を最小限におさえ、必要な対策をとって一部リモートでの参加をふくめながら7月に大阪で開催しました。
 自粛ばかりでなく目の前の現実と向き合い、絶対に逃げず、部落大衆の様々な問題を共有して困難に向き合うことから始めるということ。亡き諸先輩がそうであったようにたとえ少数であってもムラ全体、運動全体を背負って立ち、身分的差別を撤廃するという全国連としての基本路線を確認しました。特に、①狭山第二次意見広告運動の成功、②コロナ禍における大衆的要求闘争への決起、③衆議院選挙を契機とした憲法改悪阻止のたたかい、この三つを大きな課題としました。さらに「示現舎・宮部」の徹底糾弾に立つことを宣言。また、沖縄・三里塚、アジア人民と連帯して侵略戦争反対を貫くことをあらためて誓い合いました。
 こうして村上委員長、楠木書記長を先頭とする新体制のもと『新たな挑戦5ヵ年決戦』の完遂にむけて突き進む一歩を踏み出しました。

ぶっ立った青年と婦人

 青年部と婦人部は超困難な状況が変わらない渦中、8月に全青交(全国青年交流集会)を、9月に全婦大会(全国婦人部大会)を、それぞれ各地オンラインでつなぎやりぬきました。インターネットやリモート操作の専門家などいないなか、「今やれることは全部やる」を合言葉に青年も婦人も事務局が中心となって機器の準備などに奔走し、パソコンと格闘しながら開催にこぎつけました。当日は通信の不具合などのハプニングもあったものの、「コロナ時代の全国交流・情報交換・学習・討論」を貫徹し成功させました。

全力でとりくんだ狭山意見広告運動

 三年前の2018年に実現した全国紙(毎日新聞)での狭山意見広告掲載。それは部落大衆や古くからの活動家のみならず、たくさんの人々を鼓舞しました。しかも、第三次再審闘争の土俵でもある司法権力中枢の東京高等裁判所と東京高等検察庁を確実に揺り動かしました。
 しかし、事実調べ・再審開始には至っていません。そこで、再び意見広告掲載をめざして取り組みをおこない、賛同を拡大しました。各地で地を這うような草の根的運動の甲斐あって、記事掲載に必要な資金が集まりました。
 具体的には本紙10月号でもおしらせしたように、カラー見開き二面で来年5月の掲載に決まりました。現在、紙面のレイアウトなど編集作業に入っており、部落解放新聞・狭山闘争ニュース読者をふくむみなさんの積極的建設的な意見を募集中です。

差別を居直る示現舎・宮部を徹底的に追及
 インターネットを駆使して差別をあおり、部落解放運動と全国の部落大衆に敵対し続ける示現舎・宮部に対して現在も徹底的に糾弾しています。9月には再度、宮部本人に質問状を送って責任を迫りました。(詳細は本紙9月号を参照ください)
 この全国連の追及に宮部は「回答書」を送りつけてきたものの、その内容たるや苦しまぎれの言い訳ばかり。支離滅裂で「回答」になっておらず差別者としての馬脚をあらわにし、そればかりか居直りを続ける一方です。
 とはいえ、全国連は手をゆるめません。この許しがたい差別者をさらに糾弾し、その罪状を認め謝罪するまで徹底的に追及し続けます。

各地のたたかいも活性

 全国大会、全青交、全婦、狭山10月闘争の過程で、各県連大会や支部大会も開催されました。全国ではさらに、関東ブロック長野における台風災害の復興をかけた地域ぐるみの行政とのたたかい、地方選への挑戦、茨城での、県行政を丸ごと巻き込んだ研修や集会、関西ブロックを中心とした同和住宅や医療・介護をはじめとする日常生活に密着した取り組み、中四国ブロックではヒロシマやアジア侵略の総括を軸とした反戦・反核闘争の継続、九州ブロック福岡における駅前・街頭での狭山街宣とPR行動の定期化等々、幅広く豊かな運動を展開してきました。また、各地で来年の参議院選挙での態度も見据えた具体的な取り組みも始まりました。
 1992年に創立した我が全国連は来年、丸30周年を迎えます。狭山再審、要求貫徹、改憲阻止を一体のものとして勝利するためにもより一層みんなで力を合わせていきましょう。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の2
                 
             部落解放同盟全国連合会

 私たちの「公開質問状3の1」に対して、宮部から11月5日付けで回答があった。
 私たちはこれまで公開質問状で宮部の主張のウソや差別性を様々な面から暴いてきたが、宮部は具体的に答えず、論点のすり替えやはぐらかしばかり書いてきた。そこで前回から論点を絞り、最初に宮部が主張している「自分は部落民だ」というウソについて追及した。
 今回の回答書は、ウソにウソを重ねるとこうなるという見本のようなものである。
 宮部は今回の質問状に対して、ネットでは「全国連は反権力でね。僕はむちゃくちゃ反権力ですよ。本来だったら全国連は示現舎の味方をするべきだと思うんですね…いい加減、やめませんか」などと泣き言をたれている。
 しかし宮部はいまだに「自分は部落民だ」というウソを撤回するどころか、一層振りまいている。私たちは宮部がウソを認めて謝罪するまで、徹底的に真実を明らかにしていくものである。

1、宮部は部落民、とする3つの根拠がデタラメであることを認めよ

 宮部は回答書で「不可解なので付言するが、貴団体はなぜ宮部が部落出身かどうかに
こだわるのだろうか」と言っている。ネットでは今回の質問状に対して「部落民かどうかというのは、はっきしどうでもいい話なんです」「こだわっているのが異常」「マウントをとろうとしている」などとも発言している。「これ以上追究しないでくれ」と言わんばかりである。
 私たちがこの問題を取り上げるのは、宮部自身が「自分は部落民だ」というウソをつき続けているからだ。そして自分の出身はごまかしながら、裁判では解放同盟員の出身地をさらし続けている。宮部が口先でいくら屁理屈を並べようと、その正体はウソつきの差別者であることを明らかにするために、私たちはこの問題を第1のテーマとしているのだ。
 私たちは公開質問状で、宮部が部落民だと主張する3つの根拠が、いずれも根拠など
になり得ず、宮部は一般地区出身者であることを明らかにしてきた。
 すなわち、(1)宮部の出身地である「鳥取市下味野415番地の1」は、下味野の中でも一般地区の本村であり、被差別部落ではないこと、(2)宮部は父親の職業を「屠殺業」などと言っているが実は「ジビエ」を趣味にしているに過ぎないこと、(3)宮部の土地が同和対策の土地改良事業の対象になったというが、隣接する一般地区の土地も含めて事業対象とすることは同和対策事業のイロハのイであること、などである。

(1)下味野の地番に関して

 ① 宮部は今回の回答書で、全国部落調査や鳥取市の同和地区の呼称などが下味野となっているから、「番地がどうであろうと、下味野とつけばそこは部落なのである」と言っている。「番地がどうであろうと」? 宮部は、とうとうここまでデタラメな言辞をはかなければ、自分が部落民だと言えなくなったのだ。
 また宮部は、部落は権力が作り、その権力が下味野は部落と言ったから部落だなどとくり返している。第1回目の回答書でも、「権力により部落民と認められた宮部龍彦が部落民以外の何であると言うのだ」などと息巻いていた。
 権力は戦前の融和事業や戦後の同和事業の対象として、全国の多くの地域で被差別部落を含む大字小字単位で地区指定し、事業の対象地区としてきた。被差別部落であるA地区を含む下味野もそうである。そんなことも知らないほど、宮部は無知なのか。いや、そうではない。知っていながら悪質なウソを重ねているから、その居直りがどんどんひどくなっているのだ。
 ② 宮部は、裁判所に出した陳述書で次のように言っている。「下味野の中でも千代川に近い地域が部落とされており、下味野本村の枝村である『A』という穢多村の存在が江戸時代の文献に出てきます。そして、実際に戦後間もない頃まではバラック小屋のような家が密集しており、差別のために近親婚が多かったと聞いています。」
 また、「鳥取市では下味野全体を部落と思っている人が多いです。…鳥取市によって
同和地区の呼称として『下味野』が使われたので、下味野の区域の住民は、よそからは部落民と思われている」と言い、自分も市職員からそのようにみられた経験を書いている。
 そして「下味野はもともと複数の自治会に別れているのだから、部落・一般という考え方はありません…少なくとも明治末期以降は下味野旧本村と旧Aの関係は差別した・されたというようなものではなくて、『なあなあ』の関係で。」などと書いている。
 これをみても、宮部は下味野の一般地区本村の出身で、隣接するA部落の差別的状況を聞いており、自分が部落民でないことは自覚していたことを白状している。

 宮部に問う。全国部落調査や鳥取市の地区指定が下味野であろうと、下味野415番地の1はA地区内ではなく、一般地区の本村であることを認め、これまで知っていながらウソをついてきたことを撤回し、謝罪せよ。

(2)父親を「屠殺業」とすることについて

 宮部は回答書において必死に論点をごまかし、父親の職業が「趣味」ではなく、保健所に届けた仕事だと言っている。
 宮部は第1回の回答書で、自分から「父親は不動産業者兼屠殺業者」だと言い、あたかも自分が部落民であるというウソの主張を補強するかのような回答をした。それに対して、私たちは父親がやっているのは「屠殺業」ではなく「ジビエ」であることを指摘し、「針小棒大にも程がある」と指摘したのだ。
 論点をごまかさず、潔くウソを認めて、撤回し、謝罪することを求める。

(3)同和対策の土地改良事業について

 宮部のような部落に隣接する一般地区の土地でも、同和対策事業の対象になることが常識であることはすでに述べた。
 宮部は第1回の回答書では「そこが部落でなければ鳥取市が『同和』予算を支出するわけがなかろう」などと無知をさらけだしているが、前回と今回の回答書ではまったく反論がない。できないのだ。これに関して宮部はネットでは「ああそうですか、まあそうですね。それがどうかしましたか」などと完全に認めざるを得なくなっている。
 それならば、こんなみっともない対応でなく、きちんと自分の誤りを認め、部落民である根拠としたことについて、撤回するべきである。

2、宮部は下味野での部落民宣言をどう受け止めたのか

 宮部は、「下味野の一部の児童がいわゆる『部落民宣言』をさせられたのですが…なぜ下味野という区域内で『部落民宣言』をさせられた児童とそうでない児童がいるのかということは全く教わっていません。」と言っている。
 ① 自分が部落民だというなら、宮部自身は「部落民宣言」をしようと誘われたことがあ
るのか。
 ② 宮部自身は部落差別を受けた経験があるのか。
 ③ 宮部の親は自分が部落民だと言っているのか。
 ④ 宮部は親から部落民だと教わったことがあるのか。答えよ。

3、神奈川県の原告の本籍地への転籍について

 宮部は、解放同盟が「戸籍や住民票」を根拠にしていることを逆手にとって、「それなら戸籍や住民票を移動すればだれでも部落民になれる」といって、自分も神奈川県の原告の本籍地に自分の本籍を移した。そして、「本籍地が部落に有るのだから宮部は間違いなく部落民である」なとど回答している。
 これは、宮部の差別者としてのあくどさを典型的に示すものである。宮部の言っていること、やっていることは、現実を無視した下らない言葉遊び、書類遊びに過ぎない。以前から興信所などを使って相手の戸籍をとり部落民かどうか身元調査をする人たちがいる。だから差別から逃れようと、つらい思いで本籍を転々と移す人もいたのだ。そのような部落の人たちをあざ笑う行為だ。
 また、それ以上に多いのは、先祖がどうかや、戸籍がどうなっているかなど分からなくても、「あそこの地区の出身だ」というだけで、部落出身者を差別し排除する人だ。「被差別部落」と周りが見なす地区に生まれたというだけで差別を受ける。この身分的差別としての部落差別は、今も厳然とある。
 被差別部落に生まれていない宮部は、いくら「自分は部落民だ」「本籍を部落に移した」などと絶叫しても、部落差別を受けることはない。興信所が調査すれば「彼は部落出身者ではないが、本籍を部落に移した変人である」という報告書が書かれるだろう。
 宮部を部落出身者などと言うのは、せいぜい「下味野」全部が被差別部落だと勘違いした市職員や市民がいるくらいだ。
 宮部の魂胆は見え透いている。自分が下味野の部落出身でないことを明らかにされたために、下味野から目をそらせ、神奈川へと焦点をずらしたいのだ。だが宮部が部落民かどうかは、下味野で決まる。そこから逃げることはできないのだ。
 宮部は、いい加減「部落」や「部落民」についての言葉遊び、書類遊びをやめたらどうなのか。そして自分が「部落民である」というウソを撤回して、謝罪したらどうなのか。答えよ。

4、部落民と主張するぶざけた動機について

 宮部は鳥取ループを初めた当初、ツイッターに「鳥取ループはガチの同和地区住民で、同和地区出身者です。本人が言うのだから間違いありません。アイヌ優遇策が始まったらアイヌにもなる予定です」とツイートした。
 また「本当かどうかはご想像に任せますが、この国では誰でも同和地区住民を自称できる」「(このプロフィールは)半分皮肉が入っています」などと述べている。
 このふざけた自己紹介だけでも、宮部は自分が部落民だなどと本気で主張しているのではないことがよく分かる。しかしこれは「冗談」などと言って逃げられるような言辞ではない。部落民やアイヌをからかいの対象とする差別者そのものではないか。
 ① 「本当かどうかはご想像に任せます」「半分皮肉が入っている」とはどのような意味
か。
 ② 宮部は、「次はアイヌになる」のか。答えよ。

5、部落所在地をたれ流すことの犯罪性

 宮部が部落出身者であるというウソを暴くことが、公開質問状3の趣旨であるが、宮部が回答書で、全国連は支部名=地域の部落名を公然化しながらゼッケン登校などを行ってきたが、これは寝た子を起こす論ではないのか、全国部落調査の公開に反対するのは寝た子を起こすな論であり、いつから転向したのか、その矛盾について理論的に説明を求める、としているので、一言触れておく。

 ① 宮部は全国部落調査の公開が、〈部落を明らかにする論〉と〈部落を隠す論〉の対立であり、前者の方が部落解放につながるという、路線論争のように押し出している。しかしそれは後からこじつけたものであり、宮部の本音は当初あけすけに自分で言っていたように、「ばんばん売って金儲けしますよ」ということだ。そんな宮部が、路線だ理論だなどと言うこと自体がおこがましい。
 この点については、質問状4以降で徹底的に明らかにする。

 ② 私たちが自分たちの部落名を支部名に冠し、ゼッケンや荊冠旗に書き、それを明らかにしながらゼッケン登校などを闘うのは、第1に、部落差別を受ける者としての自覚と、
差別と闘う主体をつくりあげるためだ。部落差別をなくしていく主体は、全国水平社綱領にあるように「部落民自身の行動によって絶対の解放を期す」ということだ。そのために自らの部落を誇りとして掲げて闘うのだ。その場合、差別が厳しい故に「寝た子」として生きる選択をしているきょうだいの痛い思いも引き受け、励まし、ともに闘う戦列に加わるように働きかけていく。
 第2に、その主体づくりの基盤の上に、多くの労働者人民との共同闘争を発展させ、部落差別を生み出し労働者階級を搾取・抑圧する国家権力を打倒し、部落解放・労働者解放の未来を切り開いていくのが私たちの運動だ。
 単に、「自ら明らかにするカミングアウト」か、「他者が暴露するアウティング」かといった平面的な問題ではない。
 私たちのこの立場と、ただ全国の部落地名をたれ流す宮部(しかも金儲けの手段とし
て!)とは、正反対だ。宮部は、即刻部落解放運動への敵対をやめるべきである。以上。

2021年12月14日 部落解放同盟全国連合会

2021年11月の記事
狭山全国統一行動

10.31寺尾差別判決47ヶ年糾弾!

全国各地で狭山署名活動

10月10日 大阪・京橋
狭山への関心が高まる

 緊急事態宣言解除後の第2日曜日、7ヶ月ぶりに京橋駅街宣を再開しました。さすが京橋は、大阪第3のターミナルと言われるだけあって人出は全く心配ありませんでした。この日は駅前の広場に荒本、寝屋川、西郡、野崎、大阪狭山実行委員会から13名が結集。11時から2時間の街頭宣伝で狭山ビラ300枚を配布、署名11名、カンパ500円を達成しました。
 第3次再審が今年、鑑定人尋問―事実調べをめぐる重大な局面を迎えていること、弁護団が下山第2鑑定の決定的証拠を提出したこと、そして、いよいよ来春には弁護団が、東京高裁に事実調べ―鑑定人尋問の請求を行うことを表明し、その同時期に狭山第2次意見広告が、全国紙にカラー2面掲載が決定したことを通行人にビラで訴えました。
 「今大切なことは、石川さん無罪を証明する下山鑑定をはじめ新規・明白な新証拠が、弁護団から次々と提出されている事と、『東京高裁は1日も早く事実調べを行え!』という声が、今後大きくなれば、再審のトビラは必ず開きます。みなさんの声をどうかこの狭山署名に託してください。」と、声を大にしてアピールしました。
 ビラを配る仲間も、足を止めた通行人に必死に食い下がって署名を促して、その熱意に応えた人は、署名用紙にペンを走らす時、とてもすがすがしい顔をされていました。
 それでも、まだまだビラを受け取る人達は、コロナ情勢とは言え少なかったように思えます。やはりもっと街頭宣伝の回数を増やして粘り強く訴えを繰り返し、毎回工夫をこらして狭山の最新情報を伝える中で関心を深めてもらうよう、たゆまぬ努力がこれからも必要です。
 大阪では、こうした街頭宣伝とともに、大阪狭山実行委員会を結成して6月20日には「狭山映画と講演の集い」を緊急事態宣言下にもかかわらず34名の参加で開催し大成功しました。そして来る12月5日には「久保敬(たかし)校長を招いての講演集会」を開催して、狭山再審に向けた広範囲な陣形を築くために奮闘努力しています。

10月17日 長野市内6地区
狭山署名で村の思いを実感

 10月17日(日)、長野市内の部落へ狭山署名に入りました。
〈大町(おおまち)地区〉
 この村は、台風19号災害によって数件しか残っていませんが、3軒の人が署名に協力してくれました。反応は「狭山事件、昔の話だね。聞いたことがある。裁判所を動かせるように頑張って下さい」と署名してくれました。
〈南堀(みなみぼり)地区〉
 高校時代の知り合いで、第1回目の狭山意見広告にも賛同してもらった人です。話をするとすぐに署名に応じてくれました。
〈吉田(よしだ)地区〉
 かつて解同の支部があったところですが、今は解散しています。「みなさんの声で、裁判所を動かしましょう」と訴えると、「署名だけなら協力します」と言って署名に応じてもらいました。
〈篠ノ井(しののい)地区〉
 60代男性が「狭山事件は長いですね。若いころは何度か話を聞いたことはあります。ぜひがんばって下さい」と署名をしました。
 また、70代男性が、「昔は組織もあって、会合も開いていた。今はそれもなくなってしまった」と解放運動の衰退をなげきながら、狭山への想いを署名に託してくれました。
〈松代(まつしろ)地区〉
 部落と一般の混住が進んでおり、すべての家を訪問しました。
 70代男性が「若いころはバスに乗って狭山のことで裁判所に行ったものだ。署名は当然のことだ」とすぐに応じてくれました。
 30代の若い夫婦が「ちゃんとした裁判をすべきですね」とすぐに署名に応じてくれ、「家族が多いのですが、全員の分を書きましょうか」と言って、6名分の署名をいただきました。
〈若穂(わかほ)地区〉
 「狭山署名のお願いに来ました」と伝えると、皆さん二つ返事で「協力するよ」とボールペンをとってくれて、またたく間に署名が集まりました。
 また、K地域では2軒で若い婦人が署名に応じてくれて家族にも声をかけて複数人分を書いてくれました。
 解同本部派の運動が衰退し、村の中では運動がありません。しかし狭山闘争は村の人の関心事であることが、署名を通じて改めて実感できました。
 今後も署名運動を続けますので、ご協力をお願いします。

10月31日 狭山学習会(山口・陶支部)
写真による報告

茨城では狭山報道特集のDVDで学習

 茨城ではコロナウイルス感染が収まっていないため、未だになかなか集まることが厳しい状況です。そのため狭山統一行動として、『次は私の番~動き出した狭山事件』のDVDを各支部に送り活用・学習しました。1日も早く、要請行動、5月の中央集会、意見広告運動で事実調べ、証人・鑑定人尋問を勝ち取るため頑張ります。
 また、今後の予定としては11月20日~21日に、中田支部研修会が行われる予定で、この中での上映も企画しています。

10月31日 福岡・天神
寺尾判決糾弾!再審を訴え(投稿)


 今年も10月31日がやってきました。私たちにとっては絶対に忘れることのできない47年前の東京高裁寺尾判決(無期懲役)の日です。当日、背広に革靴を持参して無罪放免を確信し臨んだ石川一雄さんにとっては、言い表すことのできない怒りの日となっていることでしょう。私たち実行委員会のメンバーも、この10・31寺尾判決糾弾!第3次再審勝利の決意を胸に、全国でとりくまれている闘いと連帯して第47回狭山街宣を行いました。
 いつもは第4日曜日の取り組みですが、今回は31日に合わせて行動することを会議で決めてのとりくみです。18名のメンバーが早々と街頭に立ち、行き交う人々に声を掛けます。
 開始早々、年配の女性があらわれ「みなさんが毎月がんばっているから」と千円のカンパをいただきました。当たり前のようにやっている街宣ですが、このように見てくれている人がいることに、石川さんの無実と運動の正義を改めて感じさせてもらった瞬間でした。
 万年筆がニセモノであることを明らかにしているパネル数点。興味深そうに見ている若い女性がいました。メンバーのひとりがチラシを渡し狭山の話をすると、「初めてこの運動を知りました。はじめてなので、ちゃんと知っておかないと、と思い見ていました」と言い、そしてメンバーに「あなたはどうしてこの運動をしているのか?」とたずね、解放運動へのかかわりや狭山のことを丁寧に話し、詳しい本があることを紹介しました。署名を訴えると、個人情報のことでフルネームを書くのを躊躇(ちゅうちょ)されましたが、責任をもって東京高裁へ提出することを確認して一筆いただきました。
 一人の女性が、署名を訴えている仲間の前に立ち止まり、自分が教師で「狭山を学校で教えている」と言い、自ら署名をしていかれました。更に、若い男性も女性もチラシを受け取り署名に応じる姿がいくつも見られました。
 また、この日は大通りを挟んだ反対側で、日本キリスト教団の方が、10・31狭山を訴える独自のチラシを配布しており、ともに頑張りましょう!とエールの交換を行いました。
 途中、YouTubeにアップされていた、石川一雄さんと早智子さんのアピールを見つけた仲間が、早速マイクで流し通り行く人の耳目を集めていました。チラシ250余を配り、30筆の署名をいただきました。
 最高裁判事の信任をはかる投票がこの日行われましたが、石川さんは「当たった裁判官が悪かった、という司法では元来ダメなんだ」と訴えます。全くその通り!東京高裁・大野裁判長が正しい判断をするためには、5月意見広告とその運動が決定的です。石川さんと共に、権力犯罪を許さず、事実調べの実現と再審の門を開くために奮闘しましょう!


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の1
                 
        部落解放同盟全国連合会

 示現舎・宮部龍彦(以下宮部と略)への公開質問状2に対して、宮部からの回答書が、9月15日付けできた(以下回答書と略)。
 今回の回答書では、ほとんど全ての質問に対して、何一つまともな回答はない。とくに、具体的な質問点に対して、具体的な回答がない。あるのは、宮部の苛立ちに満ちた感情的作文である。
 こうなると、公開質問状のやりとりとしては、体をなすことが難しい。宮部には、具体的な質問点について、逃げずに、回答することを求める。そのため、公開質問状の3においては、ひとつひとつ、項目をしぼって、宮部回答書の矛盾、問題点を指摘し、再回答を求めることにしたい。そうすることで、宮部の感情、暴言に惑うことなく、より本性が見えてくるにちがいない。
 したがって、今回はひとまず3の1とし、宮部がイの一番に主張する「俺は部落民だ」というウソについてとりあげる。

 回答書において、宮部は、またしても「俺は部落民だ」と主張する。そして、「宮部は部落民ではない」と証言した出身地の近くの住民に八つ当たりし、「証言者をだせ」といきまいている。苛立ち、感情にかられ、故郷の住民にまで敵意をむきだしにしている。
 宮部にひとこと言っておくが、君が部落民ではないことは、故郷の住民の間ではとっくに知れ渡ったことであり、周知の事実である。それが、人々の口の端に上るようになったのは、誰あろう、宮部自身が「俺は正真正銘の部落民だ」などと吹聴するからである。身から出た錆とはこのことだ。それを、逆切れして、住民に毒つくとは、いかにも宮部らしいが、「誰が言ったのか」と問われれば、それは君の故郷の全住民だと言っておこう。
 宮部がこの点でいたく気に病んでいるので、逆に聞こう。宮部よ、君があくまでも「部落民だ」と言い張るなら、君こそ、その証人を下味野の住民から一人でも出してみよ。自分で、故郷の住民をくまなく回り、自分の評判を聞いてくればいいのだ。

 さて、回答書では、次の何点かで、こちらの質問には何一つ答えず、回答の欠片もない。

(1) 宮部の出身の住所を、全国連が、鳥取市下味野415番地の1と表記したことについて、そしてそこは、明白に被差別部落ではないと指摘したことについて、具体的な反論がない。具体的に反論できないのか。「部落探訪」で、散々各地の被差別部落を晒しものにし、他人の住所氏名を勝手に暴露して悦に入っているくせに、自分のことになると逃げ回る。とんだお笑い草ではないか。

(2) 宮部の父親の職業について、全国連が、ジビエを趣味にしているに過ぎずそれをもって「屠殺業」というには、針小棒大にも程があると指摘したことに対して、全く反論がない。何も反論がないということは、全国連の指摘通りということか。しかし、これは宮部のほうから、第1次質問状への回答として言いだしたことである。それに全国連が正解を出したに過ぎない。まさか、真相が簡単にばれるとは思っていなかったのか。何一つ反論ができないなら、「父親が屠殺業」というウソをついたことを認め、はっきりと撤回せよ。

(3) 土地改良の件について、これも全く反論がない。宮部は、自分の親の土地が、同和対策事業で改良工事に付されたので、それをもって「俺は部落民だ」という根拠のひとつに主張した。しかし、全国各地、同和対策事業での土地改良に際して、同和地区だけでは土地が狭く改良事業が困難なことから、近隣の一般地区の土地も一部に含めて工事が成立することは、ままあることである。こんなことは、世間の常識の範囲だ。宮部が、自分のウソの陣立てにするには、余りにもお粗末というもの。この点も、宮部自身の浅はかさ故、身から出た錆だ。何一つ反論ができないなら、ウソを認め、はっきりと撤回せよ。

 以上、3点について、再度質問し、宮部の回答ないし態度表明を求める。
 なお、言うまでもないが、これら3点は、宮部の「俺は部落民だ」という主張の是非を洗い出す決定的な論点である。このまま、宮部が具体的な反論ができなければ、即ち、宮部はウソつきであると、満天下に晒すものとなろう。
 11月15日を期限として回答を求める。
 
2021年10月30日 部落解放同盟全国連合会


総選挙結果を踏まえ、闘う市民と共に

憲法改悪阻止!侵略国家化阻止!に決起しよう


 10月31日投開票の衆議院選挙は、立憲民主党96(公示前110)、共産10(同12)、れいわ3(同1)社民1(同1)の野党共闘は議席を減らし、自民261(同271)、公明32(同29)、維新41(同11)となり、自民は15人減らしたが、公明3人増、維新が30人増、その他、国民11(同8)、無所属11(同11)となりました。
 この結果、今回の衆議院選挙で自民、公明、維新を合わせて334議席となり、引き続き憲法改悪を発議できる3分の2の議席を占める結果となりました。
 一方野党は、市民連合と4野党(立憲・共産・社民・れいわ)の政策合意という形をとって、「自民・公明対野党共闘、国民民主」という形で7割超えの小選挙区で接戦に持ち込みました。
 そして、甘利・自民党幹事長や石原伸晃元自民幹事長など自民党幹部を小選挙区で破り、一定の成果を上げました。しかしながら期待したほど票を伸ばすことができず、比例で大きく議席を減らし、非常に厳しい選挙結果となりました。
 とりわけ大阪府では19の小選挙区のうち、維新が15の小選挙区、公明が4の選挙区をとり、10区の辻元清美さん(立憲)までが落選しました。
 選挙の結果は改憲阻止闘争の厳しさを示しています。自民党は選挙公約で「衆参両院の憲法審査会で憲法論議を深め、改正原案の国会提案・発議を行い国民投票を実施し、早期の改正を実現する」ことを掲げました。さらに、敵基地攻撃能力の保有や軍事費のGDP比2%以上の増額」などを掲げています。
 そして、岸田文雄首相は選挙後の記者会見で「党是である憲法改正に向け精力的に取り組んでいきます。与野党の枠を超え、憲法改正の発議に必要な国会での3分の2以上の賛成を得られるよう議論を深めていく」と改憲に積極的に取り組むと発言しています。
 「自民党の右側(に位置する)政党」と自負する維新代表の松井(大阪市長)は、2日の記者会見で憲法改正について「来年の参議院選までに改正案を固めて参議院の投票と共に国民投票を実施すべきだ。参議院の大きなテーマになる」といいました。そして松井代表は「まずは憲法審査会を正常化させることだ、立憲民主党と共産党のボイコットで議論が進んでいない、キチッとスケジュールを決めて各党・各会派が出席することだ、ボイコットする側をいくら待ってもしかたがない」と数の力で押し切る暴言を吐きました。
 わたしたちは、大きな危機感を持って憲法改悪阻止へ立ち上がらなければなりません。改憲派が3分の2以上であっても9条改憲を巡って一致しているわけではなく私たちの闘い方いかんで阻止できます。
 今こそ闘う市民と共に憲法改悪阻止!敵基地攻撃能力保有・侵略国家化攻撃と闘おう。沖縄県民と連帯し辺野古新基地建設阻止を闘い抜こう。


2021年10月の記事

寺尾判決47ヶ年糾弾

10・31狭山全国統一行動にたとう

 1974年10・31寺尾判決から47ヶ年をむかえる。寺尾判決は、今なお、石川一雄さんに殺人犯の汚名をきせ、見えない手錠で縛り付けている。絶対に許すことはできない。

10・31、全国で寺尾判決糾弾の統一行動に総決起しよう

 47年前、寺尾判決をなぜ許したのか。十万を超える人々で、日比谷公園を埋めた。にもかかわらず、なぜ。
 私たちは、第3次狭山再審で寺尾判決崩壊に迫っている今こそ、この点にこだわり、二度と寺尾判決を繰り返さない深い意識で武装しなければならない。 当時、裁判では、事実調べが日程に登っていた。狭山での事実調べとは、権力犯罪を暴き、覆すことに他ならない。それは、法廷を包囲する大衆的糾弾闘争と一体のものである。
 しかし、寺尾裁判長が狭山担当に就任し、事実調べが後退したとき、既成指導部はそのことに固執するかわりに、公正裁判に期待し、寺尾判決を促進する方向を選んだが、それは大きな間違いだった。事実調べで徹底的に争うことはどこかに消し飛び、寺尾が公安条例違反事件を無罪にしたことに期待をつのらせた。しかし、その寺尾が、当時狭山と並行して審理していた東大裁判で、超強硬な事実審理打ち切り、60年安保いらい初の重刑判決を下したことには、一顧だにされなかった。
 狭山事件は、権力犯罪である。この真実から一刻も目を離してはならない。大衆的な糾弾闘争と、法廷での徹底的な事実調べとが結合することではじめて打ち破ることができる。下山鑑定・第2鑑定は、その点で、最も鋭角的な切っ先である。
 私たちは、処分、全国連創立、いやもっと前の寺尾判決いらい、辛酸を舐めてきた。30年,40年、50年かけて、どん底から這い上がってきた。そして艱難辛苦の果てに、ついに事実調べの渡口に着いた。石川一雄さんは82歳。次はない。共に背水の陣にたって、寺尾判決に引導を渡そう。
 来春の意見広告、報告集会に向かって、一千人の決起を。 


狭山意見広告の掲載時期と10・31狭山中央集会の

        変更についてのお詫びとおことわり

        
            2021年9月28日 
              部落解放同盟全国連合会
              中央本部 三役会議


 ご苦労様です。日々の取組み、とりわけ狭山意見広告運動の全力での取組みに深く敬意と感謝を表します。
 9月27日に、東京にて、狭山意見広告運動のよびかけ人会議が開かれました。そこにおいて、率直な意見交換・協議のすえ、次のような結論となりました。

9・27よびかけ人会議の結論
 意見広告の掲載時期等については来春5月連休、全国紙の2面見開きカラーとする。
 その理由は、ごく最近の情報として、中北弁護団事務局長が、狭山弁護団としてはじめて「来春ころ事実調べ請求」と明言されたこと。故に、意見広告のタイミングとしては、10月ではピントがずれ、来年5月が最も適当であること。
 また、2面見開き・カラーのインパクトは物凄く大きいこと。
 また、コロナ禍で実行委としての動きが制約され、何もできないうちに10月掲載ではなく、来春5月なら実行委として動いたうえで迎えられること。
 しかも10月では、総選挙がかぶり、そんなときに広告を出しても選挙に消されてしまい、余りにもったいないこと。
 意見広告のレイアウト等についても、ついては十分な時間をかけ、よびかけ人・賛同人からも広く意見を募ること。
 報告集会を、5・22東京ほか全国数カ所で開催する。よびかけ人、賛同人の協力を得て、実行委をきちんともって、積極的に裾野を広げていく。
 2度の意見広告運動を継承し、事実調べ・再審実現まで繋げるものとして仮称「狭山の再審を動かす1000人市民委員会」を構想していく。
 鑑定人尋問を要求する署名、要請行動、現地調査などにとりくむ。
 以上の4点について、賛同人に丁寧な説明を要する。

全国連としての緊急判断
 以上の緊急かつ重大な事態を聞き、全国連本部三役会議としては、呼びかけ人会議の状況判断、結論を潔く受け入れ、改めて以下の方針変更を提案します。
 意見広告の掲載時期等については来春5月連休、全国紙の2面見開きカラーとする。
 ついては、10・31に予定した狭山中央集会についても、5・23(5・22)東京ほかでの意見広告報告集会に変更する。意見広告報告集会にふさわしく実行委員会をもって準備し、東京をはじめ、全国数カ所で開催を追求する。またその取り組みの中で「1000人市民委員会」の創設を追求する。
 なお、10・31については全国統一行動とする。
 以上について、できるだけ早急に臨時の中央執行委員会を開催したいところ、各地とも秋のムラ行事等で一堂に会する機会がもてず、やむを得ず、文書持ち回りで中執にかえさせていただきます。

心からお詫びします
 同盟員、賛同人の皆様には、狭山弁護団が来春に証人調べを請求するという重大な進展のため、意見広告の時期がこの10月から来年5月に変更となり、昨年の1年延期につぐ2度目の延期となってしまい、心からお詫びを申し上げます。
 しかし、3度目の延期は、全国連の政治生命にかけて絶対にありません。
 これまで、今度こそ、10月掲載に向かって、全国各地で懸命に取り組んでまいりました。それを信頼し、貴重なカンパを寄せてくださったことに、改めて深く感謝を申し上げます。その期待通りにならず、また半年の延期となることには、心苦しいかぎりです。
 しかし、皆様のカンパは1円1銭、決して無駄にせず、当初の予定よりよりはるかに素晴らしい、狭山では初めての2面見開き・カラーとして、半年先には見事な果実を実らせることをお誓いします。


プライバシー権の侵害認め

 出版差し止め、電子データ削除


「全国部落調査」復刻版出版事件裁判判決


 9月27日(月)午後2時から東京地裁で、「全国部落調査」復刻版出版事件裁判の判決公判が行われた。その後、部落解放同盟主催の報告集会が、日比谷図書文化館地下1階ホールでもたれた。
 責任者に取材の了解をいただき、判決公判と報告集会の報告をします。

 原告は部落解放同盟と部落出身者248名。被告は示現舎。
 判決公判には、各地から100名以上の同盟員・支援者が駆けつけ、さらに20名を超える報道陣が正門前に陣取り、地裁前は異様な雰囲気に包まれた。この判決公判が社会的注目度の極めて高いものであることが実感できた。
 コロナ渦で傍聴席が半数に抑えられるなか、抽選で約50名が傍聴席を埋めた。私は運良く抽選に当たり、公判を傍聴することができた。
 公判廷では、原告側は弁護団ら6人が出席。被告席は欠席のまま、主文が読み上げられた。
 主文は15項目で構成され、それぞれに別紙や目録の番号が読み上げられるといった内容のため、傍聴人にとって判決主文はほとんど理解できないものだった。

 判決後、報道陣と解放同盟員・支援者が歩道上を埋め尽くして見守る中、弁護団から簡単に判決内容が報告された。
 終了後場所を移して、午後3時過ぎから報告集会が行われた。
 
 このうち弁護団報告、解放同盟代表あいさつと質疑応答での会場からの発言者3人の発言要旨を紹介します。

□弁護団報告
●河村弁護士
 「全国部落調査」復刻版出版差し止めを認めた。しかし全部ではなく千葉、三重、富山、山口、佐賀、長崎の6県は認められなかった。何故、一部は認められないのか。
 プライバシー権について、解放同盟役員や一部の原告は、自ら情報を開示しているとの理由で権利侵害を否定し、所属する県には出版差し止めを認めない。
 原告が県で一人の場合、権利侵害なしとされれば、出版差し止めは認められない。
 損害賠償は、一人5,500円から44,000円の間の金額となった。原告のうち、本籍は部落だが現住所が違う人は賠償額が低く見積もられている
 カミングアウトについて、果たして裁判所はきちんと理解しているのか。控訴審で訴えていく。
 差別をされない権利は、どの原告がどういう状況にあるかではなくて、部落全体の問題であるにも関わらず、裁判所はこの点を全く認めていない。
 大勝利として喜ぶわけにはいかないが、宮部のやっていることに、一部歯止めがかけられた。
●山本弁護士
 裁判は勝利したと言える。しかし同時に、司法の限界がある。
 特に、差別されない権利が認められなかった。復刻版出版は、全体に差し止めが認められなかった。
 しかしプライバシーの権利侵害が認められたことで、評価できる点があるのではないかと思う。
●中井弁護士
 判決主文は、第1番目から第15番目まであり、別紙、目録の番号を読み上げた。
 例えば、削除せよ。そのうちの別紙〇号、〇号と言うように。だから聞いてても分かりにくい判決だった。
 この裁判は5年以上かかり、皆さんは大変だったと思います。県連の方も。
 判決には不当な部分もあるが、約250人が原告として起ち上がって裁判しなければ、この判決は無かった。皆さんが起ち上がった結果、今日の判決を勝ち取った。
□解放同盟代表あいさつ
●西島書記長

 この裁判を21都府県から248名が原告としてたたかった。
 出版の差し止め、WEBへの掲載差し止めというわれわれの主張は通った。しかし一部の県を除く、それ以外でという中身だった。
 われわれは了解できない。直ちに控訴を準備する。
 損害賠償についても、原告248名は個人でそれぞれ違う。これも不満である。
 裁判の勝利にむけ本部としてがんばる。
□質疑応答から
●Aさん

 「(出版差し止めを)限定的に認めるとは、そんなこともあるのか。私らは全国で差し止めを求めた。こんなことは認められない。地域を区別しているのか。
 こんな判決では、今後、地域ごとに裁判をやらなければならない、という構図になる。この点どう考えるのか」
●Bさん
 「私たちの県が差し止め除外となったのは原告のCさんが亡くなったことが理由か?県連はこれまで、C県連と言われてきた。
 Cさん一人が原告になっていたが、亡くなってしまった。何故言ってくれなかったのか。言ってくれれば、ムラから5人でも6人でも原告は出せた。
 3月にYouTube(ユーチューブ)で、地域の白山神社を撮影したのが公開された。地域は80世帯あり、半分は『寝た子』だが、ユーチューブの件で地域の人は皆、針の上に立たされた思いでいる。
 今後、県連としてどうしたらいいのか。県とも話をしたが、YouTube(ユーチューブ)はそのまま。どうしたらいいのか」
●Dさん
 私は79歳にもなって。この30~40年人権問題に関わってきたが、どういう教育でこんな判決ができたのか。裁判を傍聴して裁判長の顔が見たかった。
 どれだけ差別に耐えて生きてきたのか。それを土足で踏みにじられた。
 
 今回の判決について宮部は、WEBの「全国部落調査事件 東京地裁判決の全内容」に判決文全文を公開し、「この裁判は私的な民事訴訟であって、全国部落調査の公開の是非を公に問う裁判ではない」と暴論を吐き、「無論、示現舎としては控訴することを決定している」と主張している。断じて許せない。
 今後控訴審が始まる。「全国部落調査」復刻版出版の全面差し止め実現へ、私も共にたたかいぬきたい。(投稿・K)


2021年09月の記事

意見広告10月掲載の成功かちとり


10・31狭山中央集会

       ー11・1要請行動へ


  
衆議院選挙に全国でとりくもう


寺尾判決47ヶ年糾弾

47年前(1974年)の10月31日を忘れることはできません。この日、東京高裁・寺尾裁判長は、無実の部落民、石川一雄さんに強姦殺人の罪を着せ無期懲役の判決をくだしました。仮出獄されたとはいえ、石川さんは今も見えない手錠で繋がれたまま、82歳になりました。
 3回目の再審申し立てから15年、寺尾判決を打ち破るときがついにきました。この第三次再審請求の中で、多くの証拠開示をさせ、弁護団は240点をこえる石川さん無実の新証拠を明らかにしました。とりわけ、石川さんの家から「発見」されたとされ、決めての証拠とされた万年筆が、被害者のものではなく、警察によって捏造されたものであることを、インクの科学的鑑定・下山鑑定によって完全に証明しました。寺尾判決は崩壊したのです。来る10・31、東京に総結集し、このことを高らかに宣言しましょう。

意見広告の成功で事実調べへ

 現在の第三次再審において、狭山では一度もやられていない事実調べを実現する、これなしに勝利はありません。その突破口を開くのは、万年筆をめぐる下山鑑定人の尋問を実現することです。
 そのためには、大きな世論が必要です。2回目の狭山意見広告運動がよびかけられ、あと一息のところまできています。この成功をかちとるため、いま一つの尽力を心から訴えます。全国紙の意見広告10月掲載を実現し、10・31中央集会―11・1要請行動の熱気で、事実調べ・再審の扉を押し開けましょう。
 これに対して、検察は、突如として「万年筆の水洗い」を唱え、下山鑑定を無きものにおしやろうとしています。絶対に許してはなりません。仮に「水洗い」しても、万年筆のインクは消えません。検察の卑劣な策動を粉砕し、下山鑑定の事実調べを実現しましょう。

コロナに便乗した改憲許すな
 
 すでに、選挙戦は始まっています。この度の選挙は、憲法改悪の是非を問う選挙です。自民党の掲げる憲法9条への自衛隊明記とは、帝国軍隊の復活のことです。緊急事態法創設とは災害対策を口実とした戒厳令の復活のことです。
 菅政権は、新型コロナウイルス・デルタ株の感染爆発に便乗して、火事場泥棒よろしく憲法を変えようとしています。それを認めることはまさにいつか来た道です。改憲に反対する候補・党を支持し、全国で総決起しましょう。


示現舎・宮部龍彦への再質問


1、宮部龍彦は「部落民だ」というウソを撤回し謝罪すること
 

 示現舎・宮部龍彦は、みずからの回答書において「宮部龍彦は間違いなく部落民」と断言しています。しかし、宮部龍彦は部落民ではありません。
 宮部龍彦に問う。なぜ、こんな見え透いたウソをつくのか?「宮部龍彦は間違いなく部落民」というのは、ウソであることを潔く認め、謝罪・撤回し、ネットや裁判においても公表すべきだと思うが、どうか?
 宮部龍彦の出身地は、鳥取市下味野415番地の1です。この下味野地区には、確かに被差別部落は存在しますが、それは下味野地区全体ではなく、下味野の中の限られた一部の区域でしかありません。宮部龍彦の出身地、下味野415番地の1は、そうした一部の区域ではなく、それ以外の一般区域にあります。
 宮部龍彦が並べている理由も、みんなデタラメです。その点も、潔く認めて謝罪・撤回すべきだと思うがどうか?
 例えば、宮部龍彦は、回答書において、「父親が屠殺業」と言い、あたかも部落産業に従事しているかのように言います。だが、これもウソです。父親は、猪、鹿などのジビエに係っているというだけのことです。
 また、同じく、「父親が所有する田んぼが同和予算で改良されたから」と言います。しかし、これも単に、鳥取市が同和事業の関連対象地区としたものであり、その土地の所有者が部落民であることにはあたりません。全国的にも、部落に近接する地区では、部落の中に存在する場所だけでは、事業として成立しないことから、同和事業対象地区として改良事業にふされることはよくあることです。

2、「同和地区Wiki」の創設者としての責任を明確にすること

 宮部龍彦は、回答書において「間違いなく同和地区Wikiの創設者」と、認めています。しかし、「ある時から大衆運動化し、完全に宮部龍彦の管理を離れている」と言います。
 「同和地区Wiki」の創設者である、と認めたことは重要です。であるならば、創設者として、最も重い責任を問われるのは当然です。「同和地区Wiki」が、ネット上で全国の被差別部落の存在を晒しものにし、茨城県古河市のような差別事件を生み出したし、今も日々その状態が続いている、その最大の責任は宮部龍彦にあります。
 宮部龍彦に問う。創設者であると認めた以上、その責任を明らかにし、そこから派生する問題も含めて、謝罪することが当然だと思うが、どうか?
 「大衆運動化」云々とは、何が言いたいのか?「大衆」のせいにして、自分は責任逃れをしたいのか? 「大衆運動化」が、仮にそうだとしても、であれば尚更、創設者として「大衆運動化」に火をつけた宮部龍彦の責任はどこまでも免れません。
 どんな言い逃れをしようとも、「全国部落調査」をヤフーオークションにかけたのは一体誰なのか?
 「全国部落調査の復刻版を禁止されたから、ネット上の同和地区Wikiをやった」と、腹いせまぎれの捨て台詞を吐いたのはどこの誰であろうか?
 今更、これらの犯行を「大衆」のせいにするほど、宮部龍彦は度し難い卑劣漢なのか?

3、部落探訪は、勝手に部落を晒すだけのものであることを認めること

 同じく、部落探訪について、「部落についての正しい知識を広め、正しい寝た子の起こし方を実践した」「学術研究のため」と言っています。
 「正しい知識(?)」「正しい寝た子の起こし方(?)」。ではなぜ、わざわざ断りも無しに、家の門札や車のナンバー、墓石の名前まで、ことさら事細かに晒す必要があるのか?。それと「正しい知識」のどこが関係あるのか?。そもそも、当該の部落側から頼みもしないのに、なぜ各地の部落を晒すのか?。頼みもしないばかりか、被写体とされた部落側から、大勢の部落大衆がやめろと言っているのに、なぜ聞く耳を持たないのか?。そのようなものの一体どこに「正しい知識」があるのか?。
 ふざけるにもいい加減にしろ。
 宮部龍彦の「学術研究」なるものは、アジア侵略戦争を「アジア解放のため」と言い生体解剖を「医学の進歩のため」と言った、帝国主義侵略者の極悪の論理と、まったく同じです。宮部龍彦は「差別を無くそう、と掲げる興信所が一体どこにあるのか」と開き直っていますが、現に「侵略」を「解放」と言い、「殺人」を「医学」とうそぶく連中は存在します。宮部龍彦の言い分は、それとどこが違うのか?

4、古河市元係長による差別事件をひきおこした責任を認めること

 さらに、回答書とは別に、最近になって宮部龍彦は、茨城県の古河市元係長の差別事件についてネット上でデマを流し、また、古河市内の未組織の部落を含む「部落探訪」を執拗にくりかえしています。
 古河市元係長の差別事件については、「日頃から愛する会が役所に対して糾弾しており、そこでK係長が愛する会を利用することを思いついた」と、K係長を擁護し、差別事件の原因を、地元の運動団体である部落解放愛する会に転嫁して、愛する会を非難しています。また、「同和地区Wikiは流れの中でたまたま出てきたに過ぎず・・・むしろ運動団体や行政が反省すべき」とも述べて、「同和地区Wiki」を擁護し、この問題の原因を「むしろ運動団体の糾弾が悪い」と、差別糾弾闘争に転嫁しています。
 宮部龍彦は、ストーカー行為をくりかえし、ニセの「差別告発」の手紙まででっち上げた、卑劣極まるK係長を、糾弾すべきではなかったと言いたいのか?。
 では、改めてこの点を再質問します。
 2018年8月、茨城県古河市役所の当時現職のK係長が、ストーカー行為で逮捕される事件がおきました。K係長は、相手の女性に対する嫌がらせの一環として、差別を告発するという匿名の手紙を、地元の運動団体に出しました。その内容は、この女性は家族ぐるみで部落差別をしている、とでっち上げた卑劣極まるものです。そこには、女性の住む町にある実際の部落の地名や苗字が書かれていました。
 K係長は、この部落の地名や苗字を、どのようにして知ったのか。K係長は「同和地区Wikiで知りました。サイトを見て正直、驚きました。このようなデータが簡単に閲覧できてしまったからです」と、はっきり認めています。
 「同和地区Wiki」は、このように実際の差別事件に使われています。宮部龍彦が言うような「差別に使われることはない」というのは、現実に「同和地区Wiki」を使って発生した差別事件と、その事実関係によって、完膚なきまでに粉砕されています。宮部龍彦は「同和地区Wiki」の二次被害を否定したいがために、「むしろ運動団体の糾弾が悪い」と詭弁を弄して、ひっくりかえしを図っているにすぎません。
 宮部龍彦は「同和地区Wikiの創設者」として、古河市差別事件のもう一方の主犯でもあります。宮部龍彦が創設し拡散させた「同和地区Wiki」が、K係長の卑劣な差別行為を教唆扇動したのです。古河市差別事件についてのネット上のデマと、茨城県の「部落探訪」を直ちに削除すべきです。宮部龍彦は差別事件の責任と謝罪を求められて当然の立場なのです。「同和地区Wikiはたまたま流れのなかででてきたにすぎない」など、事実にも反する見苦しい責任回避をやめ、自分の置かれた立場と正面から向き合ってはどうなのか?。

5、関係人物一覧について責任を認めるか、評価をあきらかにすること

 (略)


6、「部落地名総鑑」についてすり替えずに評価をあきらかにすること

 (略)


7、「徹底的な暴露」の真の目的は金儲けであることを認めること

 宮部龍彦は、なぜ、こんなことをするのか?。「隠蔽と暴露の不毛な対立は、徹底的な暴露により無意味化され終止符が打たれる」と言って、傲然と開き直り、全面合理化しています。
 宮部龍彦の本質は、ここにあけすけに自認されています。「徹底的な暴露」云々とはよくぞ言ったものです。
 精一杯もったいぶって見せますが、原点は金儲けです。どこからか聞きつけた「部落地名総鑑」にまつわるウラ話に飛びつき、自分もあわよくばぼろ儲けを企んだ。否、うまくネットを活用すれば、「部落地名総鑑」の場合以上に、濡れ手に粟の商売になるかもしれない。ネットでの販売予告といい、仮処分でそれが禁止されたとたんヤフーオークションにかけたことといい、明らかにこれが、宮部龍彦の動機であり、原点です。
 「部落地名総鑑」の屍肉をあさるハイエナ、それが宮部龍彦の正体です。「徹底的な暴露」云々は、この正体をごまかすための方便に過ぎません。宮部龍彦は、この指摘に反論があるなら、反論してみてはどうだろうか?
 ヒットラーが「ウソも百遍つけば真実になる」と言ったことは有名ですが、「徹底的な暴露」云々はその猿真似です。一度や二度の「部落地名総鑑」ではたいしたものではないが、無限に晒し者にすれば、誰もどうすることもできないとでも言いたいのでしょう。実際に、ネット上で、それを実行しているわけですから、その罪は刑万死に値します。ぼろ儲けのあてが外れ、その開き直りの中で、宮部龍彦はヒットラーの末裔、ミニナチスの差別主義者に変貌したのです。

8、部落差別はなくなったというのか

 前回の質問に答えられないようなので、設問を変えよう。宮部龍彦は、明治維新・明治4年の解放令をどう評価するのか?。それで部落差別は無くなった、と思うのか?。いかに、詭弁家の宮部龍彦でも、これには答えられるはずだ。答えてもらおう。
 以上、再質問する。
 示現舎・宮部龍彦は、9月末日までに回答することを要求する。

2021年9月1日
 部落解放同盟全国連合会


2021年08月の記事

東京高裁は下山鑑定人の尋問

       ー事実調べを行なえ!



第2次狭山意見広告の実現へ

     ラストスパートを!

10月狭山意見広告実現へ

 第3次狭山再審請求をめぐる情勢は、いよいよ事実調べ(鑑定人尋問)を行うかどうかのギリギリの局面に入った。
 狭山第2次意見広告運動はこの局面において、裁判所に事実調べ=鑑定人尋問を迫るものとしてこの10月、全国紙への掲載を目指して展開されてきた。
 まさに再審請求の山場ともいうべきこの情勢に、第2次意見広告は裁判所に事実調べを迫る大きな力となるに違いない。 
 意見広告に必要な賛同金は今現在、90パーセントを達成し、9月末の完全達成を実現すべく全国で運動が続けられている。学習会や狭山映画の上映会、地域での取り組みや街頭での宣伝。あらゆる場を意見広告実現のための場として、ラストスパート、エンジン全開で闘おう。



新たな体制のもと、

      5ヶ年決戦完遂へ



7・25全国連第30回大会開く 


 
部落解放同盟全国連合会第30回全国大会を7月25日、大阪・大東市立市民会館で行いました。コロナ禍での様々な制約があるなか、必要な対策をとり全国からの代表参加と一部リモートでの参加のもと2年ぶりに大会を成功させました。
 この2年間、私たちは瀬川博委員長、中田潔書記長、片岡副委員長というまさに全国連の顔というべき3人の指導者を亡くすという大きな試練に立ち向かってきました。大会の冒頭、3人に黙祷を捧げ、意志を引き継ぎ前進することを全体で誓い合いました。 
 村上久義委員長代行は開会宣言で「コロナで人と会うこともままならないが、私たちは地域としっかり結びついていく。狭山闘争、要求闘争を闘い、沖縄はじめ反戦・反核、反差別の闘いと連帯していく。秋の選挙で改憲阻止の議員を送り出そう」と訴えました。
 三里塚反対同盟ほかメッセージが紹介されました。

 楠木吉秀書記長代行が活動報告と2021年度の運動方針の提案を行いました。楠木書記長代行は「自粛ばかりしていない。目の前の現実と向き合い、全国連は絶対に逃げません。部落の人々と問題を共有し、ともに困難に向き合うことから始めます。瀬川委員長、中田書記長がそうであったように、たとえ少数でも全国連は村全体、運動全体を背負って立ち身分的差別を撤廃する」と全国連としての基本を明らかにしました。そして「新たな挑戦の最終年の決戦」として、①狭山第2次意見広告運動をなんとしても成功させよう。今年中に下山鑑定人の尋問を実現する、②コロナ禍であらたな要求闘争に立ち上がる、③衆議院選挙を改憲反対の選挙としてたたかう、との3つの大きな課題を提案しました。楠木書記長代行はさらに、「示現舎・宮部に対し、全同盟員からショート質問状を募集し徹底糾弾に立つ」と力強く宣言、最後に「沖縄・三里塚、アジア人民と連帯」を誓いました。

 課題別報告のはじめに、井橋昌夫中執が狭山闘争を報告。井橋中執は「第3次再審闘争では191点の証拠開示を実現、弁護団は241点の新証拠を出している。私たちは下山鑑定という決定的な証拠を手に入れた。検察のデタラメな意見書を許さず、鑑定人尋問をかちとろう。10月意見広告の実現へ奮闘しよう。各地で草の根の活動に取り組み、10・31狭山中央闘争に結集しよう」と訴えました。

 青年の組織化について北浦裕樹久青年対策部長が「地元のムラの同世代を合言葉に、まずは共有共感が出発点。ビラやSNSで自分のやりたいこと、できることを地元の同世代に投げかけていこう」と青年たちに呼びかけました。

 要求闘争と災害対策について、高見沢浩一中執が長野での「台風19号災害復興要求者組合」の取り組みを報告し自分たちの議員を送り出してたたかう方針を明らかにしました。

 規約の改正案と役員人事案、会計についての報告と予算案のあと、全体討論が行われました。また、「共に8・6ヒロシマへ」「全国の婦人は団結して要求闘争を実現する」「命を守れ、暮らしを守れ」の3本の決議案が読み上げられました。

 全ての議案は一括採択され、全国連は村上委員長、楠木書記長を先頭とする新たな指導体制のもと「新たな挑戦―5ヵ年決戦」を完遂するたたかいへと踏み出しました。


2024年2月の記事

東京高裁はインク鑑定を実施せよ!

鑑定人尋問ー事実調べを行え!



3・15狭山要請行動、高裁前行動へ

  家令新裁判長を迎え撃て!



東京高裁前を「事実調べ行えー

再審を開始せよ」の声で埋め尽くせ



検察の証拠隠し弾劾


 狭山第3次再審請求は、今年5月で18年になる。やっと事実調べを請求する段階に入った。なんと長い時間がかかるのか。これはすべて検察側の証拠隠しが原因だ。
 検察は2009年12月、門野裁判長の証拠開示勧告によって、翌年5月初めて証拠を開示した。しかし検察はその後もさみだれ的開示をしつつ、今現在も証拠を出し渋っている。検察側は事件の真実を明らかにしようという姿勢は一切なく、徹底的に審理を妨害していると言うほかない。


裁判所は開示勧告を行え

 これに対して裁判所の態度はどうだろうか。こうした検察側の「妨害」になすすべがないのだ。無為のまま昨年12月退官した大野裁判長がそのいい例だ。しかし裁判長がそんな姿勢でいいはずがない。検察の見え透いた引き延ばしと証拠隠しは誰の目にも明らかなのだから、証拠開示を勧告すべきなのだ。


事実調べを行わせよう

 今年2月下旬、家令新裁判長のもとで第58回目の三者協議が行われる。すでに弁護団は検察の「事実調べの必要なし」という意見に対して反論を提出した。検察はさらに反論して審理を引き延ばそうと企んでいるが無用な引き延ばしは許されない。弁護団が第3次再審請求で積み重ねてきた新証拠の数々を絶対に無駄にしてはならない。


草の根から決起しよう

 今私たちができること、しなければならないこと、それは狭山再審実現の大きな世論をつくり出すことだ。このわかりきったことをやってきたつもりでも、まだ足りないのである。もう一度自分の足下から、学習会や映画会を催し狭山を訴え署名を取り、高裁へ要請ハガキを送り、新たな人々を獲得して狭山をたたかう裾野を広げ、そこから代表を裁判所や検察に直接訴える要請行動をたたかおう。そうした取り組みを本気の本気で一から作り出し、あらゆる地域で実現できれば必ず世論は動く。この岩をも動かす信念こそ再審実現を勝ち取る力だ。
 石川一雄さんは「自分には諦めという言葉はない」と述べている。そうなのだ。これからが再審開始に向けた本番が始まるのだ。石川さんにかけられた手錠は部落の兄弟姉妹にかけられた手錠だ。
 3月15日、家令裁判長にたたきつける第1弾の要請行動がたたかわれる。第3次再審請求の18年に及ぶ、石川さんと弁護団、支援の血と汗の努力を絶対に実りあるものに結実させなくてはならない。
 3・15狭山要請行動に総結集しよう。



能登大震災にさいし心からお見舞い申し上げます


 歴史的に地区指定も同和対策事業もなく、解放運動も困難な被災地の兄弟姉妹にたいして、全国連は現地の事情に最大限の配慮をしつつ、救援の道を追求します。
 しかし、現在は県・自治体を通してしか支援に入れない状況にあります。対象地区、方法がわかり次第お知らせしますので、その節には全国からの支援の集中をお願いします。






沖縄・辺野古新基地建設反対

 民意を無視した工事着手弾劾


 1月6日沖縄防衛局は、辺野古新基地建設での変更申請をめぐる国の「代執行」を受けて辺野古崎に近いK5護岸(辺野古側と大浦湾側の中間に位置)の工事に着手した。反対する市民らが抗議するなか、海上ヤード設置のための石材を海中に投下した。
 玉城知事は記者会見で、「国策の名の下、国家権力によって、選挙で県民の負託を受けた知事の処分権限を一方的に奪った。民意を踏みにじり、憲法で定められた地方自治の本旨をないがしろにするもの」と「代執行」への怒りを表明した。


破綻寸前の新基地建設

 設計変更の埋め立て海域は、キャンプ・シュワブ沿岸部約152㏊のうち、軟弱地盤が見つかった大浦湾がある東側海域(111㏊)。この海域は水深が深く、海底に「マヨネーズ状」といわれる軟弱地盤が広がる。軟弱地盤は最深で海面から約90m(B27地点)の深さで、地盤改良では7万1千本のくいを海面から70mの深さまで打ち込む大規模工事となる。
 防衛省は設計変更にあたり、最大750m離れた3地点の計測データから類推し、「B27」地点の強度を推計している(添付図参照)
 県は不承認通知書で、「地盤の安定性等に係る設計に関して最も重要な地点において必要な調査が実施されておらず」「地盤の安定性等が十分に検討されていない」「災害防止に十分配慮されているとは言い難い」と指摘。
 90mに達する軟弱地盤の改良工事は世界でも例がない。「B27」地点には巨大な護岸が建つ。強度が足りなければ護岸が崩壊する恐れもあり、国会では何度も「B27」地点の再調査を求めたが政府は拒否した。
 設計変更にお墨付きを与えた防衛省の技術検討会は2019年に設置、6回の会合を重ねた。8人の委員のうち半数を旧運輸省OBが占め、また8人のうち少なくとも3人が受注企業との共同研究や有識者会議の委員をつとめ、資金提供を受けている。2020年4月防衛省は専門家の理解がえられたと、県に設計変更の申請を行った。完全な出来レースだ。
 防衛省の当初「5年で埋め立てを完成させる」計画は頓挫し、現時点では順調にいって9年3ヶ月の工事期間、移設計画完了は12年後とされる。防衛省の申請時の添付文書は、「普天間飛行場の危険性を早期に除去する必要がある」と主張していた。だが今後さらに長期間の工事となり、辺野古新基地が「普天間飛行場の危険性を早期に除去する」ことにはつながらない。今後の埋め立て工事は、遅延が避けられず、完成もおぼつかない状況だ。


軍拡と戦争許すな 辺野古新基地阻止へ

 国土の約0・6%に約70・3%の米軍基地が集中(今年1月11日現在)する沖縄では、県民の平穏な生活が奪われ続けてきた。
 さらに、航空自衛隊那覇基地をはじめ55の自衛隊施設(総面積約780万㎡)が存在し(2020年3月末時点)、拡大強化されている。
 2020年12月に閣議決定した安保関連3文書で、相手国のミサイル発射拠点をたたく反撃能力保有を明記。その後南西諸島や沖縄本島への自衛隊配備が増強された。陸自駐屯地が設置された日本最南端の与那国島は、23年度に電子戦部隊を追加配備し、訓練場や火薬庫を整備、そこにミサイル部隊を配置するという。宮古島、石垣島にもミサイル部隊の配備が計画されている。
 憲法改悪、軍拡路線を突き進む岸田は、県民20万人(当時の沖縄県民の4人に一人)が命を奪われた沖縄戦の悪夢を、再び再現しようとしている。断じて許してはならない。
 本土のわれわれ一人一人が、この現実にどう向き合うかが問われている。沖縄県民と共に、今こそ辺野古新基地建設阻止へ全力で立ち上がろう。

 *近いうちに現地取材して、住民のナマの声を聞いてくる予定です。


2024年1月の記事


あらゆる垣根をこえ訴える

どうしたら狭山に勝てるのか

ひとりひとり「自分がどうするのか」

  
         ―2024年の新春にさいして

          部落解放同盟全国連合会中央本部

(1)狭山事件を担当する東京高裁刑事第4部の裁判長が12月12日で、交代しました。大野勝則裁判長は結局、無為のうちに退官しました。かわって、家令和典(かれいかずのり)裁判長が就任しました。
 私たちは、ギリギリまで、事実調べを求めてたたかいました。しかし、実現とはなりませんでした。石川一雄さん、早智子さんの無念を思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
(2)85歳の石川さんにとって、今の第3次再審で勝利する、それ以外にはありません。では、「どうしたら勝てるのか」。この節目に当たって、厳粛に、その問いかけがつきつけられています。
 あえて言えば、全国連としてではなく、解放同盟としてではなく、市民の会・住民の会としてではなく、弁護団としてでもなく。一人一人、自分がどうするのか、どうやって石川さんの再審無罪を成就するのか、自分の心に問い、自分の五感で解答せよと迫られています。  ある意味、最後の舞台として七転八倒、悶絶して考える、いまがまさにそのときに遇(あ)うています。
(3)私たちは、力のかぎり、身の丈をはるかにこえて、精いっぱいのことをしてきました。下山鑑定はじめ261点の新証拠、2回の意見広告、毎月の要請行動、52万の署名・・・。それでも、叶わない。一体どうすれば勝てるのか。勝つためには、何が足りなかったのか。
 石川一雄さんは「自分には諦めという言葉はない」「新しい裁判長になっても私は焦らない。納得のいく判断をしてもらいたい」と述べておられる。「第3次再審。あとは無い。第3次で何としても再審無罪へ」と断崖絶壁に屹立(きつりつ)しておられます。この不滅の闘魂。極限的な不退転の覚悟。それをワガモノとするとは、どういうことなのか。
(4)他方、石川さんの人生をもてあそぶ者たち。裁判官。検察官。警察。そして・・・。権力の走狗共。権力とじゃれ合い、人の人生を貪り食らう者。
 新任の家令裁判長。彼は62歳。定年まで3年。おそらく、この裁判長のもとで決定が出されます。果たして、この人に証拠の捏造(ねつぞう)=権力犯罪が裁けるのか。部落問題が、石川さんの無念が、わかるのか。やがて、待ったなしのときがきます。
 そのとき、自分はどうするのか・・・
 石川さんはどうするのだろうか・・・・
(5)全国連の役員も、順次後期高齢者になります。この歳で何ができるだろうか。要請行動。署名。現地調査。学習会。マスコミ、議員対策・・・できることは何でもやりましょう。
 しかし争いの土俵は裁判闘争。やはり弁護士の役割が決定的です。石川さん、弁護団、支援。それらが本当に三者一体となって、初めて弁護士の力も発揮されます。これまでのように、三者バラバラでは、勝てるものも勝てません。また、「秘密主義」では団結できません。証拠開示・情報開示をまずこの三者でこそ、率先しようではありませんか。勝利のためあらゆる垣根をこえ、全支援の結束を。
 新年のあいさつを求められますが、以上、断崖の苦悩をのべて、あいさつに代えます。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 6-2
              
        2023年12月24日
        部落解放同盟全国連合会


 全国連から示現舎・宮部龍彦への公開質問状-6にたいして、いまだに文書回答がない。 ネット上で、ボソボソと宮部が、公開質問状-6について、か細くぼやいたことは承知している。しかし、それでは回答にならない。いや、この舞台から、逃げている。
 改めて、2024年1月10日までに、文書による回答を求める。
 公開質問状-6は、次の要旨であった。
 ① 宮部は、自分を部落民だと詐称する、大ウソつきだ。この点は、数度のやりとりで、完全に明白になった。

 ② 宮部龍彦は、鳥取市下味野の本村にルーツをもつ、一般民である。苦し紛れになお開き直っているが、しかし、自分の実家や近隣を「部落探訪」(今では「人権探訪」と称す)でさらして「ここが被差別部落です」とは決してしない。できないのだ。今では、その下味野では旗色が悪いと自覚し、神奈川県の解放同盟員宅に勝手に本籍を移し、「これで正真正銘の部落民だ」などと、噴飯ものの演出をしてみせた。自分で自分の掘ったウソの墓穴にはまっている。宮部があれほど強弁してきた「下味野が部落」なら、なぜそんな猿芝居をする必要があるのか。

 ③ 差別体験の質問には、「全国部落調査の拡散を阻止され、部落研究を妨害されていることが、唯一の差別体験」と言う。まるで答えにならない。根っこがウソつきだから、答えがどこを探しても出てこないのだ。

 ④ 以上の1~3については、あえて回答を求めない。これ以上、根っからのペテン師のウソ、屁理屈につきあっても意味がない。宮部龍彦のウソ、デタラメは満場一致で確認された。

 ⑤ だが、以下の質問には、答えてもらおう。
 宮部龍彦は言う。「『部落民は誰もが苦しんだ経験を持っている』という根拠はない。部落民であるということで苦しみ、悩みなんかない」「結婚差別などは悪質デマ、オカルト、陰謀論の類い」だと言いう。この主張こそ、宮部自身の人間性の歪みを示して余りある。
 部落差別のなかでも、結婚差別は、部落民なら例外なく人生で一度は直面する問題である。有名な小説『破戒』でも、その一端が描かれている。
 戦前だが、部落と一般との交際を「誘拐罪」として、裁判所が監獄にぶちこみ、大問題になった高松差別裁判すら、君は知らないのか。このような結婚差別は、かってあったという話ではない。結婚差別によって、生身を引き裂かれ、決別や最悪自死に追いやられる例は、昔も今も枚挙にいとまがない。しかし、その多くが沈黙する。表面化するのは、万に1つ。なぜか。それだけ、深刻だからだ。
 真の悲惨は、沈黙するのだ。それを理解することが、人間性だ。宮部よ、恥を知るがいい。実際に表に現れるか、まったく表面化しないか、様々なケースは当然ある。しかし、部落問題の神髄がここには秘められているのだ。
 宮部の主張は、人間性の対極なのだ。君は、自分の非人間性を自認しているにすぎないのだ。そして、君のような無知無理解が、結婚差別を助長し、犠牲者の血涙を非情の闇に葬っているのだ。
 以上の指摘にたいし、宮部の見解を聞かせてもらいたい。

 ⑥ さらに、いまひとつ。「部落解放運動があるから差別がおきる」という転倒したウソについて。
 宮部は言う。「結婚差別などない。親が解放運動などやっているから忌避される」「解放運動などするから差別がおきる」と。権力・地対協意見具申とまったく同じことを言う。
 私たちは宮部に対して、解放運動とは無関係に部落差別事件は起きていることの具体例として、茨城県土浦市の差別事件を取り上げて質問した。この差別事件は、市職員である児童クラブ支援員が、部落から通っている児童に対して「部落だから頭が悪い」とか、親が廃品回収をしていていることを「ゴミ屋です。○○では被差別部落カーボを△△の連中と呼ぶのだけれど…ゴミ屋なんて普通はやらないでしょう、△△人だからなんですよ」などと差別発言をした事件である。
 全国連は、差別を受けた子供の親と何度も話し合った結果、市役所に対して事件を通告して取り組みをすすめ、当事者も反省を表明するなどしてきた。
 宮部はこれについてネットで「茨城の話なんて、僕、全然関係ないから。A子ちゃんとか、○○とか伏せ字にされても、何のことか分からない」などと逃げていた。
  ところがその後、宮部は部落探訪と称して土浦市の部落に行き、地元の名字を連呼しつつ「○○毛皮店倉庫とあるので、まさにそうですね」などと村内を撮影してネットでたれ流した。
 そして翌日に「回答します」として、まず言ったのは、「全国連が伏せ字にした地名が分かりました」として得意げに部落の地名を言い、テロップで流している。意識的な差別の上塗りであり、絶対に許せない。
 また差別事件について、「軽口」「「相当誇張されている、どこまで本当か分からない、信じない方がいい」などと、全国連が事件をねつ造したかのように言っている。
 そして結論として、「部落差別は風評被害でなく、解放運動がなくても現実にあるではないか」という私たちの指摘に対して、「全国連さん、あなた根拠のない風評被害を広めています」と言う。
 その理由は、解放運動が関係していない差別事件なら「じゃあ、関係しなければいいんじゃないですか。全国連さん、この件で土浦市を糾弾したんじゃないですか」「総会屋と同じ。反社なんです」、それが「根拠のない風評被害を広めている」というものである。「市役所の人に任せておけばいいじゃないですか」「内部の規則に沿って、ちゃんと法律に沿った処分をすべきだった」とも言っている。
 宮部は、差別事件が起きるのは解放運動のせいだという主張の間違いを突きつられ、まともに答えられないで逃げているのだ。そして差別事件が起きたらそれを糾弾することが間違いだという話にすり替えているのだ。
 宮部の理屈では、自主解放の差別とのたたかいなどはあり得ず、「役所のルールに任せるべきだ」となる。そう言うなら、「部落探訪」なども、宮部の好きな法務局のルールを尊重し、それに沿って削除したらどうか。
 改めて、念をいれて宮部に聞く。差別事件の具体例として、2022年に発覚した土浦市児童クラブの差別事件について、公開質問状-6で触れた。この差別事件の背景には、運動団体はまったく関係していない。地域の一般住民が、いかに根深い差別意識を、今も持っているかを示している。宮部は、これのどこをとらえて「部落解放運動のせいだ」というのか。
 宮部はネットのボヤキの中で、「こんな事件は自分と関係ない。関知しないことだ。論点をコロコロ変えるのは困る」と述べている。そのくせ、「部落探訪(人権探訪)」で、当該の部落(未組織地区)を徘徊し、これ見よがしにムラの地名、職業、名字などをさらしものにした。
 そしてまた、あろうことか「こんな問題は役所に任せればいい。全国連が運動体として介入するから、差別事件にされた。全国連こそ謝罪すべきだ」などと許せない暴言を吐いた。 本末転倒。差別糾弾闘争にたいする最も遅れた反動的見解を吐露している。宮部よ。これは、お前の独創的見解などではない。愚劣な差別主義者の、糾弾否定の合言葉だ。それが、この世で最も、愚かで、お前の言うところの役所の人間以下の、それよりはるかに低俗な連中の見識なのだ。思い知るがいい。
 宮部に問う。事実に照らして、土浦差別事件の問題の性質を述べよ。「解放運動があるから差別がおこる」論を謝罪・撤回せよ。
 以上、2024年1月10日までに文書回答を要求する。


↓↓↓公開質問状6-2にたいする↓↓↓↓↓↓

↓↓↓YouTubeでの示現舎・宮部の反応↓↓↓


 「回答しない。逃げていると言うなら逃げ。」「宮部のウソは満場一致で確認されたと、勝利宣言している」
 「結婚差別の表面化は万に一つというが、万に一つでなくゼロ。幽霊が出るという話と一緒。オウム同様のオカルトだ」
 「土浦差別事件の当該地区には、かって解放同盟があった。未組織ではない。そういう話を自分は聞いた」(宮部一流の知ったかぶりのウソ。解放同盟は無かった。)
 「時代遅れ。こっちは、解放同盟とガチで裁判している。こんなのに、つきあってる暇はない」

 
以前のように、質問の一つ一つへの屁理屈を並べた反論は、すっかり影を潜めている。宮部=ウソつきが、確定し尽くした。また、差別事件の実例をあげた追及に、「オカルト」などと決めつけて煙幕をはるだけで、何ら反論できない。
 さらにネット上の差別記載の一切の削除、示現舎の社会的追放・一掃まで追撃していこう。


2023年12月の記事

 大野裁判長は退官前に

    事実調べを決定せよ!


11・24高裁ー高検に要請行動

 東京高裁第4刑事部大野勝則裁判長の12月退官を目前に控えた11月24日、狭山要請行動が取り組まれた。今回は長野を中心に茨城、東京、中央本部、狭山大運動・鶴丸春吉共同代表、合計11人が参加した。
 午前11時から、東京高検要請行動が行われた。東京高検から、片野担当検事、渡部検察事務官、公判事務課清水の3人が出席。
 楠木全国連書記長あいさつ後、要請文6通を読み上げ。全国連中央本部の要請文読み上げ中の質問に対し、片野検事は「質問には答えません」と前回から一変して、頑なな態度で対応。長野から、一審検事論告をめぐるやり取りをふまえ、「なぜ石川さんが貧困であることを犯罪に結びつけるのか」の質問にも、「質問には答えません。前回は質問に答えたから時間がかかった。30分の約束を守ってもらう」と対応。
 片野検事の「質問に答えない」発言に対する要請団の意見が相次いだ。
 「前回答えて、今回答えないのは上司から言われたのか」「要請行動でのやり取りは社会的慣行であり、答えるべき」「この要請行動には担当検事が来られている。みなさんから聞きたいことがある。一言答えるべき」「この場しか直接声を届ける場がない。面と向かって、真摯に受けてくれているとの思いが感じられない。私たちが真剣なのは、一人の人生がかかっているから」。
 片野検事は「要請は真摯に受けとめている。質問に答えるのは別問題」と反論。さらに、「答える法的根拠はない」「証拠開示は裁判所、弁護団との話であり、この場ではない」。要請団から「片野検事は要請行動は国民の請願権と言った。請願権には誠実に答えなさいと書かれている。最大限の誠意を見せるべき。同対審答申には狭山事件の頃の部落差別の現実が書いてある」。
 片野検事「(同対審答申を)6~7月頃1回読んだ。もう一度読みます」。
 終了、11時51分。

 東京高裁前街宣

 12時すぎから午後1時まで、東京高裁前での街宣が取り組まれた。
 東京高裁前は、通行する市民がこれまでで一番少なかった。そのなかでも10人の方が署名に応じてくれた。

 東京高裁要請行動
 
 午後2時15分から高裁要請行動が取り組まれた。高裁からは、小寺訟廷管理官、荒川副訟廷管理官、総務課西田の3人が出席。
 冒頭、小寺訟廷管理官から「30分でお願いします」と発言。
 初めに、楠木全国連書記長から「要請したいことは一つ。大野裁判長は狭山を3~4年担当し、判断する材料は充分であるはず。退官する前に事実調べを決定してほしい」と発言を受け、5通の要請文が読み上げられた。
 その後要請団それぞれから、大野裁判長の12月退官前の鑑定人尋問を決定して欲しいとのの意見が続いた。小寺訟廷管理官は、「答えられない」「私からは、言われたことを伝えます」との対応に終始した。
 終了:午後3時56分。  


投稿 

第72回狭山街宣・リレートークと

   デモ報告(11月26日 福岡・天神)


 「私が逝ってから無罪を勝ち取っても遅い」不当逮捕から60年、もうすぐ85歳になる石川さんが今期にかける決意は天地を揺るがし私たちを鼓舞する。大野裁判長の12月に定年退官がせまっている中で、鑑定人尋問とインク鑑定の決定がいつ実現されるのか? この時、私たち実行委にできることは何か? を論議した中、世論に訴えるデモをやろう! と決定しました。
 秋晴れの下、14:30からリレートークと街頭宣伝・署名活動を行いました。今日は参加者の気合が違う感じです。フライング気味にリレートークが始まり、実行委の村上さんは狭山の事実調べとパレスチナ攻撃の非難を訴えました。ヤスミンライブラリーのOさんはパレスチナ問題を提起し、イスラエル政権の打倒を訴えました。司会のHさんが今日の取り組みを訴え、元教師のKさんは宝くじ売り場に並ぶ人々に、「購入後にぜひ署名に協力してください」と訴え、いつもは署名やチラシ配りを担っている仲間12人が狭山への思いを次々と発言していきました。
 中学生や高校生が立ち止まり署名に応じる姿や仲間の訴えに応じて署名台にやってくる男性などが見え、また新証拠のインク問題などのパネルに注目する男性やカップル、さらには、すうっとカンパ箱に近寄りカンパしてくれた女性など今日も手ごたえを感じました。街宣終了後デモまでの間元教師の女性がアピールをしていると「チラシをくれませんか」と言ってきた30代男性がいました。参加者21名、配ったチラシ123枚、署名24筆、カンパ3000円の成果を得ました。
 16時になり実行委結成から8年、初めてのデモに起ちました。“石川さんは無実だ!”“再審を行え!”と書かれた新調ののぼり旗が林立。街宣車が先導し、狭山事件が権力犯罪であることをアピールしながら、“狭山の裁判やり直せ”“イスラエルの虐殺やめさせよう”などとデモコールしながら福岡県民、特に若者注視の中、警固公園までのデモを貫徹。終わりに実行委の村上さんが「今日の行動は世界の反戦行動と一つながりである」ことと総括し、「差別裁判打ち砕こう」を歌い終了しました。


狭山再審を実現する大運動・関西 

        奈良・大阪でも街頭宣伝


JR奈良駅前で熱く狭山
再審を訴える
(2023年11月26日)


                                                  



ビラをまく手にも力が入ります
(11月26日JR奈良駅前)




 



狭山再審を実現する大運動・関西は、大阪・京橋駅で街宣
(11月23日)   





     

訴えに熱がこもる鶴丸共同代表
(2023年11月23日) 






 

2023年11月の記事

「大野裁判長は退官前に

鑑定人尋問の決定をおこなえ!」の

必死の訴え


10・31狭山大運動と全国連

東京高検へ要請行動 東京高裁前で4時間の訴え


 寺尾無期判決から49年を迎えた10月31日のこの日、11時からの東京高検要請行動に続いて、12時すぎから午後4時近くまで、東京高裁前でのマイク宣伝、チラシ配付・署名活動が行われた。東京高裁前では終日、東京高裁第4刑事部大野裁判長の11月三者協議・12月退官前の事実調べ・鑑定人尋問決定を求める訴えが鳴り響いた。

●東京高検要請行動●

 東京高検からは、片野担当検事ら3人が出席。要請団は「狭山大運動」と「狭山と人権を考える茨城の会」からの参加も含め29名、20名の枠を上回る参加者となった。
 はじめに、部落解放同盟全国連委員長村上久義さんから訴えを行った。
 「今日10月31日は49年前、東京高裁・寺尾裁判長が、石川さんに無期懲役判決を下した日だ。狭山事件は、袴田事件のように鑑定人尋問が行われていない。片野検事は無実の人間を罪に陥れますか」。これに対し、片野検事は「しません」と返答。「今、判断が迫られている。鑑定人尋問を行って真実を追求してほしい」と訴えた。
 これを皮切りに要請団から口頭での要請が始まった。「石川さんの年齢を知っているか、体調についてはどうか」と質問するも、検事は「知らない」と返答。「石川さんの人生について関心がないのか。狭山はえん罪が疑われている事件だ。彼の人生その人のことを考えて対応すべきだ」と追及した。
 また、一審の検事論告について、「検事は,差別論告と思わないと言った。ただ、『貧しいことが犯罪の理由と書かれていた』という。それでは部落差別をわからない。だから、無実の人を有罪にしても心痛まないのだ」と国家権力の部落差別を追及した。ほかにも証拠開示問題や下山鑑定の事実調べなど、時間いっぱいに追及を行った。その後9通の要請書を提出。最後に要請団から「事実調べは必要であり真実を究明してほしいと言っている。証拠開示をして真実を究明することを、三者協議の場で明らかにしてほしい」と締めくくり11時50分に終了した。

●東京高裁前 宣伝活動●

 正午過ぎから高裁前での宣伝活動が開始された。大横断幕が掲げられ、東京高裁正面横に木製のかもいを展示。道行く人々にチラシ配布、署名への協力を訴えた。
 マイク宣伝では、狭山大運動共同代表の長谷川弁護士、関西から新たに共同代表になった鶴丸春吉さん、狭山と人権を考える茨城の会代表の尾池誠司さんをはじめ、青年や婦人の発言など多様な人々から、大野裁判長は鑑定人尋問を行えなどの、必死の訴えが東京高裁に向け発せられた。
 マイク宣伝は4時頃まで続き、全国から集まった40名全員が10・31要請行動を最後までたたかいぬいた。


検察の再審妨害を許さず、

   第3次再審に全身全霊で闘いぬく

石川一雄さんの10・31アピール
    
                                                           (見出しは編集部)

 今年の極夏もやっと峠を越えたものの、熱中症、新型コロナ、インフルエンザが猛威を奮いました。支援者皆様方におかれましては、いかがお過ごしでしたでしょうか?私は元気そのものであります。
ただ、新型コロナ感染が拡大し、俳優の志村けんさんが新型コロナに感染し、急死されたこともあり、私も高齢のうえ糖尿病の持病もあることから、支援者皆様方には申し訳なく思いつつ、「生き抜いて冤罪を晴らす」ために、この2~3年、極力外出を控えさせて頂きました。
 また最近特に、目が見えにくくなり、階段等で転んだこともあったので、遠くの集会等に支援のお願いに出ていくことも遠慮させて頂いております。
 その間にも、支援者皆様方には、高裁に鑑定人尋問を求める署名を51万筆以上集めて頂いたり、「狭山の闘いを止めない」と高裁前アピール行動や各地での集会やスタンディング、座り込み、23デーの取り組み等を続けて下さっていたことは、私をどれほど奮い立たせ、また希望を頂いたかしれません。
 なにはともあれ、今は、第3次再審闘争の最重要な局面を迎えており、57回目の三者協議も来月に予定されていますが、現在の状況を直視すれば、大野裁判長の退官は12月に迫っている由で、事実調べ・再審開始の可否の判断は、次の裁判官に託すにしても、それほど時間はかからず判断されるものと思われます。49年前の寺尾確定判決の一部を引用すると「いやしくも捜査官において所論のうち重要な証拠収集過程においてその1つについてでも、弁護人が主張するような作為ないし証拠の捏造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件は極めて疑わしくなってくる」とあり、そうであるならば、鑑定人尋問の必要はないと主張する検察に対し、裁判官は毅然とした態度で鑑定人尋問を行うことが求められていますし、また、職権でインクの鑑定をして頂きたく切に願っています。 私自身は、確定判決のあげた証拠に対して、つぎのような疑問を追及することも重要ではないかと思っています。
 その一つは、解剖鑑定では被害者の死亡時刻は食後最短で三時間というように判断されておりますが、被害者の解剖結果によると胃に250CCもの残留物があり、担任教師によれば、昼の給食は12時5分ごろ終わったと述べており、当日給食に出ていないトマトも残留物に含まれていた由であり、確定判決のストーリーと食い違うという点です。
 2点目は、人間が死ねば重力によって血液は下に下がり、死斑が発生し、その死体を動かしても8~10時間経過していると消えないと言われております。死体の腹部、背部の両側に赤い斑点(死斑)があったそうですが、私を犯人とするならば、5時間以内に動かしたことになりますので、背中に斑点(死斑)が存在していたということは時間的におかしいのです。
 確かに確定判決の7点の情況証拠、秘密の暴露と自白を完全に潰し、事実調べ・再審開始を求めるのが一番と思われますし、そのように戦われていることは承知しておりますが、その都度、検察は時間をかけて反論等を提出してくるので、いたずらに時間が過ぎ、その結果、私の命が失われていくことになります。こうした検察官のやりかた(再審妨害)を止めるには、やはり再審法の改正しかないのかもしれません。
 第3に万年筆の件は今更私が申し上げる迄もありませんが、弁護団の皆様方には、何時如何なる時でも長期間に渡って多大なご尽力、ご協力を賜っていることに、心から敬意と感謝の念で一杯ですが、私が逝ってから無罪を勝ち取っても遅いので、つい泣き言、愚痴を零(こぼ)してしまいました。
 事実調べ・再審開始の可否の判断を次の裁判官に委ねることになっても、支援者、弁護団の皆様方と共に奮闘して参る決意は変わりませんが、何卒、皆様方も、今次の再審闘争に全勢力を傾注して下さいますよう伏してお願い申し上げます。
 先の見通せない中で、寺尾不当判決糾弾集会が全国各地で開催されている訳ですが、私も年齢的にみて今次の第3次再審請求にかけており、全国の支援者皆さん方のご支援、ご協力に応えるべく、全身全霊で闘い抜くことをお誓いして寺尾不当判決から49年を迎えての決意とさせていただきます。

 2023年10月
 寺尾不当判決49カ年糾弾・狭山再審要求集会

 ご参加ご一同様
                   石川 一雄


(寄稿)

ガザ~パレスチナについて

       爺谷 小平(10月27日記)

2008年~2023年(10月7日以前)パレスチナの犠牲者の概数

 08年  800人
 09年 1000人
 12年  250人
 14年 2300人
 18年  300人
 21年  400人
 22年  200人
 23年  250人
 この15年間のパレスチナの死者計6400人、負傷者15万2500人。
 これに対してイスラエルは死者300人、負傷者6000人。
 10月7日のハマスによるイスラエルへの攻撃は、なぜ起こったのか。そして、それは何なのか。私たちはどう声をあげるべきなのか。何を為すべきか。

史上最悪の大虐殺を全世界反戦闘争で止めよう

 113年前の1910年、「日韓併合」に際して石川啄木は次の歌を詠んだ。「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」。啄木当時24歳。日本帝国主義の朝鮮侵略・植民地化、それは朝鮮人民にとって、国の喪失であると同時に、民族の消滅であった。それはまた、抵抗する者に対する根絶・一掃、根こそぎの暴力的圧殺と一体である。これを目の前にして、啄木は精いっぱいの憤怒と、朝鮮人民への哀切をこめて、この歌を詠んだ。こんにち、私たちもまた、同じような歴史的事態を目の当たりにしている。
 中東・パレスチナ―ガザに対して、イスラエル(とアメリカ)による史上最悪とも言える、大虐殺の攻撃がおこっている。 ガザの保健省によると、10月7日のイスラエルによる空爆開始いらい27日までに、パレスチナ側の死者だけでも7326人にのぼる。うち子どもが3038人といわれる。とりわけ17日夜、病院の空爆では、死者471人をだした。
 おこっていることは、断じて「テロへの報復」ではない。まぎれもなく、ガザ地区のパレスチナ人民にたいする、ジェノサイド(大虐殺)である。イスラエルはまた、ガザ地区を完全封鎖し、食料、水、燃料など、生存に直結するすべてを遮断し、パレスチナ人民老若男女を問わず、死の淵に追い込んでいる。

パレスチナ人として生きてるだけで死刑宣告

 「パレスチナに住んでいるかぎり、いつミサイルや戦車で殺されるかわからない。イスラエルは、パレスチナ人であることを理由に死刑宣告している。
 死刑囚が毎朝、刑務官の靴音が自分のいる房の前で止まるか否かに、恐怖の全神経をとがらせている。それと同じ苦しみを全パレスチナ人に強いている。
 子どもたちは、生まれた時から、イスラエルによる占領・封鎖・虐殺の人生しか知らない。それが彼らの人生のすべてなのだ。パレスチナの地に生まれたというだけで、パレスチナ人というだけで、死刑宣告の理由にされる。イスラエルが占領・封鎖・虐殺を続けるかぎり、ハマスをテロ集団だとどんなに非難しても、子供たちはハマスになる。それしか人生の選択肢はないから」(ヤスミンライブラリ尾上光氏)。
 毎日のパレスチナ人民の苦境に、言葉もない。1人1人に家族があり、生活があり、人生がある。しかし、パレスチナ人として、生存するだけで死刑を宣告される。
 これまでの経過でも1日にして366人が毎日殺されている。うち、子どもが152人である。1年にすれば実に13万人、子ども5万人を超える犠牲がパレスチナに強いられている。それだけとっても、とてつもない凄惨な戦争であり、これこそがまさにナチスのユダヤ人迫害に匹敵する。 しかも本格的な地上戦が始まれば、どうなるのか。火を見るよりも明らかだ。
 日々、目の前で進行する虐殺にたいしてそれを止めるために、私たちに何ができるだろうか。パレスチナ人民支援のカンパをする。イスラエル大使館、共犯者アメリカ大使館への抗議の集会・デモに参加する。
 それで十分だろうか。何ができ、どうすればよいのか。
 イスラエルによるパレスチナへの攻撃に断固反対する。イスラエルを先兵とするアメリカ・バイデン政権のパレスチナ―中東侵略戦争に断固反対する。この史上最悪の大虐殺戦争にたいして、全世界の反戦闘争を巻き起こし、民衆の力で阻止しよう。

10・7はなぜおこったのか

 10月7日ハマスはイスラエルにたいし同時多発の攻撃を行った。イスラエル側に1400人の死者、人質220人と言われる。過去何度かのアラブ諸国との戦争とは異なり、パレスチナの抵抗運動による被害としては前例がない。
 アメリカ、ヨーロッパ、日本は、これにたいして「第2の9・11(2001年のアメリカ同時多発テロ)」「第2のホロコースト(第2次大戦中のナチスによるユダヤ人大虐殺)」と、一斉に非難の声をあげた。
 「ハマスはアルカイダ、ISと同類のテロリスト集団」「だからせん滅一掃するしかない」「市民の犠牲はやむを得ない」と口をそろえ、イスラエルを擁護し、虐殺に加担している。
 だが、果たしてどうだろうか。冒頭にみた経過を、もう一度見てほしい。事件は、10・7に突然おきたわけではない。長年のイスラエルによるパレスチナの占領・ガザの封鎖、そして毎日・毎月・毎年の虐殺。そして第1次、第2次のインティファーダ(民衆蜂起)をはじめ、営々たるパレスチナの抵抗運動。とりわけ、2007年のパレスチナの分断いらい、ガザ地区への攻撃は暴虐の限りを尽くしてきた。膨大な犠牲者、封鎖による失業、貧困、衛生・医療の貧弱さの強制。ガザ地区は、生存の基盤を根こそぎ奪われ、最低限の人間として生きる権利をはく奪され続けてきた。
 このとき、これに対して、欧米日は何をしたのか。異議の一つもとなえたことがあるのか。パレスチナの犠牲には、虫けらのように扱い、まるで無視してきたのは誰なのか。そんな奴らに、ハマスを非難する権利があるのか。
 ハマスは、イスラム抵抗運動の略称で、2006年のパレスチナ議会選挙では、「自治区」全体で勝利し、「自治政府」を掌握した。イスラエル、欧米はこれを認めず、ヨルダン川西岸はファタハによる「自治政府」をしたてあげ、ガザ地区にハマスを押し込めた。ハマスは「テロリスト集団」ではない。パレスチナ人民の多数に支持されるパレスチナ人民解放組織である。

全世界の反戦闘争に合流しよう

 イスラエルによるパレスチナ虐殺戦争にたいして、全世界各地で反戦闘争がまきおこっている。ヨーロッパ、アメリカ、中東、アジアに「パレスチナの子供を殺すな」「大虐殺の戦争をやめろ」の声が広がっている。ロンドンでは数万人、ワシントンではホワイトハウス近くの広場・通りを埋め尽くし、トルコでは数十万人、日本でもイスラエル大使館に1600人が抗議の声をあげた。イスラエルでも数千人の反政府デモがおこっている。
 中東・パレスチナ問題を歴史的全面的に触れるには、何冊もの本が必要だ。2度の世界大戦と、それを経たイギリス、さらにアメリカ帝国主義による石油支配・中東支配の先兵としてイスラエルのでっち上げ。パレスチナの一方的占領と追放・「自治区」への強制収容。恒常的な侵略軍事国家としてのイスラエル、そして日常的恒常的で無慈悲な暴力支配。パレスチナの生存をかけた抵抗運動、民族解放闘争。とても語り尽くせない。しかし、はっきりしていることは、アメリカ・イスラエルによる侵略戦争に反対し、パレスチナ人民の解放闘争を断固支持する。全世界の平和を民衆の力で実現し、「国境なき民族の共存」を実現する―夢のように見えても、それ以外の解決はない。
バイデンは「ウクライナとともに歴史の転換だ」と言った。ウクライナ、ガザ、ともに局地的紛争にとどまらない。新たな15年戦争~世界戦争への導火線ではないか。しかも、プーチンや、イスラエルの閣僚の発言にあるように、核戦争もはらんでいる。
 見過ごせないのは、日本の選択である。岸田政権は、「テロにたいするイスラエルの自衛権を支持する」「市民の避難のための一時的停戦は必要だ」と、欧米と完全に足並みを揃え、大虐殺に組している。私たちは何を為すべきか。パレスチナへの人道支援も必要だろう。しかし、それだけでは、この戦争を止めることはできない。ましてや「人道支援」が、虐殺の免罪符であってはならない。
 部落解放運動として、パレスチナ人民の苦しみに心かきむしられる。帝国主義とその先兵に怒り心頭に達する。自らの解放をかけ狭山闘争を不屈にたたかいつつ、パレスチナ人民の解放闘争に連帯し、反戦闘争に決起する。全世界反戦闘争の一翼を担う。イスラエル、アメリカ大使館に抗議に行こう。全国各地で、大中小の反戦集会・デモに合流しよう。



2023年10月の記事


石川一雄さんと連帯し、

事実調べ―再審実現へ

不退転にたたかいぬこう



10・31全国結集で東京高裁を包囲しよう


悲しみも獄友一人逝かれし今

    我れ無罪きかずに天国にたてず

 
     (ホームページ「冤罪 狭山事件」より」)


 8月10日、第56回三者協議が開かれた。8月23日、布川事件再審無罪の桜井昌司さんが亡くなられた。石川一雄さんにとっては、悲報つづきの8月だった。「最近落ち込んでいた」という。
 しかし、8月末から福岡県田川郡添田町住民の会を皮切りに、現地調査、手紙や激励の贈り物が各地から寄せられた。「皆さんに元気をいただいた。そのことがうれしかった」。
 1日3万歩のウオーキングを再開。84歳の体に鞭打って、黙々と、ひたすらに歩く。狭山事件発生から60年。どれほど、その日を心待ちにしたことでしょう。科学的鑑定の新証拠に勝利を確信し、50万の署名、意見広告に「袴田の次は狭山だ」と夢に見たことでしょう。

8・10ショックのりこえ永久不滅の連帯を誓う

 8・10三者協議の内容は、朗報を心待ちにしていた私たちにとって、たいへんなショックでした。誰より、そんな石川さん夫妻にとって、どれほど残酷なショックだったことでしょう。全国連は、意見広告、毎月要請行動と、力のかぎり、血の一滴までふりしぼって、たたかってきましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 しかし、石川一雄さんは、不死鳥のようにウオーキングを再開した。冒頭の短歌にはその思いがこめられている。泣き言を言わず、愚痴一つ言わず、ただ黙々と毎日、毎日歩く。その姿に、すべてがこめられている。私たちには、その道の先が見える気がしませんか。遠い遠い、無限に見える道の先・・・・・。
 目には何が見えますか。石川一雄さんは、どんな姿ですか。早智子さんは、どうですか。不死鳥となって空に舞い上がる、お二人の姿。道を埋め尽くす支援の人並。否、支援の人並が、二人の不死鳥を胴上げして空に舞いあげています。
 10・31寺尾判決から49年(来年は50年。半世紀!)。全国結集で、大野裁判長に事実調べを迫りましょう。そして、石川一雄さん、早智子さんに、永久不滅の連帯を誓いましょう。


子や孫の未来のために、

      狭山の勝利を誓う
 

 10月7~8日、婦人部第32回全国大会が

茨城・いこいの郷 常総で開催されました。

写真速報でお届けします。




  茨城県連総出演の

「劇

子どもと孫の未来のために」




  

大会議案の提案









交流会は

いつも楽しくハジけます






二日め

福田村事件の慰霊碑へ






2023年9月の記事

11月の三者協議で


大野裁判長は

事実調べを決定せよ!!



10・31全国結集で

要請行動~東京高裁前行動へ



 東京高裁刑事第4部大野裁判長。今こそ、あなたの英断で、狭山事件の事実調べを開始してください。11月初旬の三者協議において、事実調べを決定してください。
 大野裁判長は、今年の12月をもって定年退官されます。それまでに、是が非でも狭山事件で職責を全うし、歴史に名を残す裁判長として花道を飾って下さい。
 第3次再審の申し立てから、実に17年が経過します。他に類を見ない、異例の長さです。三者協議は、56回を重ねました。弁護団による新証拠の提出は261点にのぼります。2020年に大野裁判長が担当されて3年間、こうした経過の一部始終、すべて承知されていることでしょう。ことここに至って、さあどうする、いよいよあなたの軍配が運命を左右するときがやってきました。今更、何事もなく定年退官など、許される余地はありません。
 御存知のように、袴田さんの再審開始が確定し、「次は狭山」と世論の注目が狭山事件に集まっています。昨年末からの、事実調べを求める緊急署名は、50万を超えました。大野裁判長におかれましては、自らがこの歴史的瞬間の渦中にあることを強く自覚し、真実の追求に真摯に向き合い、間違っても世論に逆行することのないよう願ってやみません。
 大野裁判長。あなたの判断で、60年間、無実を叫びつづけ、84歳になられた石川一雄さんの命運が左右されます。差別に苦しむ無数の人々の人生も左右されます。過去の轍を踏まず、この事件にひめられた差別を見抜き、公正審理に徹底してください。
 とりわけ、私たちは、下山博士をはじめとした鑑定人の尋問と、裁判所によるインク鑑定を強く要求します。
 「袴田事件」では、捜査機関による証拠のねつ造に言及し、再審開始を決定しました。狭山事件は、それこそ権力者による、証拠ねつ造のデパートではありませんか。大野裁判長は、「袴田事件」に続き、その究明に道を開いてください。
 ただちに11人の鑑定人の尋問を開始してください。インクの鑑定を開始してください。そして、この第3次再審でこそ、狭山事件の再審を開始してください。


桜井昌司さんを追悼する

 8月23日、桜井昌司さんがガンのために亡くなりました。76歳でした。 桜井さんは、茨城県利根町で起きた布川事件の犯人として無期懲役判決を受け、29年間の獄中生活を強いられました。千葉刑務所では石川一雄さんと「獄友」でした。
 桜井さんは持ち前の明るさと行動力でたたかい、2009年に再審無罪判決を勝ち取り、国賠訴訟では検察の違法行為も認定させました。
 さらに「冤罪被害者の会」を立ち上げて全国をかけめぐり、「次は狭山だ」と訴えていました。私たちは桜井さんの遺志を受け継ぎ、必ず狭山の勝利をかちとる決意です。


2023年8月の記事

9月長野、東大阪の選挙に勝ち抜こう

 夏本番。例年以上の猛暑がつづきます。この炎天下で、長野、東大阪では、連日汗だくになって、選挙戦をたたかっています。
 長野市議選は9・10告示、9・17投開票、東大阪市議選は9・17告示9・24投開票と日程が確定しました。あとひと月足らずです。
 長野市議選には、組織内候補である中央委員・長野県連副委員長の中村俊二さんが初挑戦します。地元の解放同盟を含む、部落代表としての挑戦です。台風災害の復興という住民の命をかけた要求、地を這うような4年間の活動の中から、中村候補は誕生しました。何としても勝ってほしい。何としても勝たせたい。
 それは、部落解放運動の悲願を達成する道しるべとなります。候補者・地元の奮闘に、全国から支援を集中しよう。
東大阪市議選には、連帯候補の松平要さんが、7選をめざし挑戦します。松平さんは、荒本支部の盟友であり、狭山意見広告・狭山大運動では関西の柱です。維新は、この選挙で市長候補をたて、15人の議員候補をたてます。東大阪支配をほしいままにする狙いです。維新の思惑通りになれば、診療所、青少年センターなど、荒本の生きる寄る辺が奪われます。荒本支部、国健会とともに、関西の総力をあげましょう。

事実調べ・狭山再審へ渾身の行動を

 7月17日、大阪市内・エル大阪で、狭山事件の再審を実現する関西集会が開催されました。130人の参加で、会場はほぼ埋まり、さながら狭山夏の陣への出陣式となりました。
 主催は、狭山事件の再審を実現する大運動。共同代表の長谷川弁護士、部落史研究家の本田豊さんが遠方からかけつけ、集会をリードしました。「袴田再審の教訓」として村﨑弁護士から(ビデオメッセージ)、分断をこえた運動の重要性を訴えました。
 呼びかけ人の久保敬さん(元小学校校長)を筆頭に、関西各界のよびかけ人・賛同人から訴えられ、婦人部作「現調ビデオ」上映、要請行動報告、青年部、行動提起がありました(詳細は別途報道)。
 7月25日には、茨城県連が、猛暑をこえて要請行動を貫徹しました。高齢者もいるなかで、大横断幕をかかげ、検察、高裁前、裁判所への全行動をやりとげました。
 要請行動は、昨年8月から毎月欠かさずとりくみ、丸1年を経過しました。そのための財政は、全額、自力自闘のカンパで賄ってきました。まだまだ、1度や2度の全力動員には余力があります。
 8月上旬三者協議があり、12月には大野裁判長の定年退官を控えています。この数カ月、大詰めの山場です。この非常に大事な時期、全国連は情勢判断を一分の隙もなくしっかり行い、夏場以降の行動方針をたてます。この1年をエピソードにしてしまうような渾身の行動で、今こそ事実調べ・再審を実現します。


「分断」を超えた世論の力で

     再審を実現しよう!


狭山事件の再審を実現する7・17関西集会

 7月17日(月・休)大阪市内で、狭山事件の再審を実現する関西集会が開催。130人の参加で、会場はほぼ埋まりました。主催は、狭山事件の再審を実現する大運動。




反戦・反核・反差別

被爆78年「8・6ヒロシマ福島のつどい」


 8月6日、被爆から78年を迎えた広島・福島町で、「8・6ヒロシマ 福島地区のつどい」を行いました。地元実行委員会メンバー、そして福岡、山口、大阪、奈良、また東京など各地から35名が参加し、被爆や戦争を経験した方々の思いを受け継ぎ、「過去の過ちを繰り返さない」「核も戦争も差別も許さない」ことを確認した会となりました。
 はじめに「原爆を許すまじ」歌唱、「黙とう」をおこないました。
 続いて、実行委の初期から携わり、昨年12月に亡くなった藤本安馬さんの生涯にふれ、その功績をかえりみました。藤本さんは1926年竹原市の部落で生まれ育ち、貧しい家計を支えるため、15歳のとき養成工として大久野島での毒ガス製造に従事させられました。「中国人を殺すことが英雄だった、私は大久野島で鬼になった」。毒ガスの後遺症ともたたかいながら、「鬼」にされた怒りを力にし、語り部や被害者の補償をかちとる活動をつづけてきた経歴を紹介するとともに、その生きざまやたたかいを引き継いていくことを確認しました。
 実行委からは、福島地区在住被爆者・三浦茂文さん(2017年死去)の証言記録を朗読し、被爆直後の映像を流しながら、当時負傷者を治療した医師の証言をクローズアップして、「原爆投下にかかわった者は全員絞首刑にすべき」との一言に、原爆被害の恐ろしさやすさまじさを伝えました。
 また中島晋二さんのアピールでは、「はだしのゲン」を一つのツールに、被爆の実態や当時広島に生きる人の思いなどをとらえ返してほしいこと、現在においても原発で放射線被害や問題が起こっていることをとりあげました。
 松井邦雄さんは、両親が原爆遺体の処理をした影響で、きょうだいの体が弱く、仕事もできず32歳で亡くなるなど家族の苦悩を話され、いまのロシアとウクライナの戦争や核使用に反対していくことを表明しました。
 山根努さんは、今年5月広島G7での「広島ビジョン」の核抑止路線保持に対し、被爆者の怒り・失望にふれるとともに、「広島の名のもとに核を認めているのは許せない」「このまま世界戦争に流れ込むことに強い危機感をもち、過ちをくりかえさないために行動しなければならない」と警鐘をならしました。
 平岡恭子さんは、自身の結婚差別の経験や被爆について、「許さないけど妬むのではなく、相手を取り合っていくことも大事」。今年5月急死した地元の岡本花子さんについて、幼少期預けられた施設での差別体験について、あまりに辛すぎて「言わないよ」と話していたこと。三浦さんも8・6とかかわらなかったら原爆の話はしなかったことなどを振り返りました。
 各地から集まった方々の声もいただきました。東京から新城せつこさん、けしば誠一さんからは沖縄基地そして原発の使用延長や上関新設反対にもとりくむ決意を発しました。
 山口の井上洋子さんは、岡本花子さんの差別とたたかいぬいた生涯を涙ながらに話しました。
 また長生炭鉱の水没事故によって、強制労働で働かされ今も海底に沈んだままの朝鮮人遺骨発掘をめざすとりくみを、韓日両政府共同で実現させること、それが日本の植民地支配、加害の歴史を学ぶことだと訴えました。
 そして、全国連滝岡副委員長は、アメリカの原爆投下の正当化と、日本の天皇、政府や軍部の戦争継続を問題視しました。そして現在の狭山第三次再審情勢の煮詰まりに、7・17関西集会の盛り上がりのもと、市民・世論による裁判所、検察に対する再審実現を訴える行動にうってでようと呼びかけました。
 今回の開催を通じて、差別や戦争をゆるさない思いの結集とその団結力が、未来を変える力だとあらためて実感しました。当実行委員会でお世話になった先人たちの遺志を引き継ぎつつ、新たなたたかいに皆さんとともに挑戦してとりくんでまいります。
(実行委より追伸):
安馬さんの「生き通さなくては!」半端ない力強さを感じました。
はなちゃんの笑い声や明るさは、みんなを元気にしてくれました。
本当にありがとうございます。ゆっくり休んでください。
天国から明るく見守っていてね!


2023年7月の記事
緊急アピール

狭山大攻勢で停滞・逆流を突き破れ!

6・23座り込みにつづき、

      7・25要請行動へ!


 6月23日、東京高裁前には、巨大な横断幕があがった。全国から集まった人々は、路上に座り込んだ。道行く人々は、ことごとく巨大幕を眺め、座り込みに注目した。東京高裁大野裁判長のいる刑事第4部からも、植え込みを超えて、その光景がはっきり見えたはず。午前には検察、午後には裁判所に対して、全国各地からの火の出るような要請文が叩き付けられた。
 ここに、狭山大攻勢の開始が、雷鳴の如く宣言された。大運動共同代表・長谷川弁護士、「袴田事件」村崎弁護士も、マイクを手にし、裁判所を激しく糾弾しつつ、事実調べを訴えた。6・23行動は、すばらしく成功した。  東京高裁前は、狭山大攻勢の熱いステージに変貌した。いざ、この道を突き進まん。7月は、7・17関西集会を大成功させ、7・25要請行動へ、再び決起しよう。84歳、石川一雄さんの命運は、ここにかかっている。私たちの人生も、ここにかかっている。心おきなく、戦いぬこう。

一部の日和見主義をのりこえよう

 しかしまた次のことも見過ごせない。「袴田事件」では、検察が有罪立証の意向で、裁判官も同調しているという。怒りに耐えない。大崎事件では、再審請求が棄却された。断じて許せない。
 狭山事件では、検察が遅れに遅れ、やっと5月に最後の「法医学」意見書を提出した。妨害のための妨害。事実調べをさせないための時間稼ぎに他ならない。これに対し、弁護団はこの「法医学」の件も含めて、意見を提出するのだろうが、果たしてそれが、次回の三者協議(8月上旬)までに間に合うのかどうか。もしも遅れる場合、どういうことになるか・・・。強い危機感を持たざるを得ない。
 これらは、「袴田事件」「日野町事件」いらいの再審の流れに対する、明らかな逆流である。この事態に際して、他人事では済まされない。あえて声を大に発言する。
 たとえ、ひとつぐらいの案件を残しても、すでに昨年8月に11人の鑑定人尋問・インク鑑定を請求したのだから、その実現にしぼってガンガン攻勢にでるべきではないでしようか。 戦列の一部には、そういう突破力が感じられない。「すべて出そろってから」「運動は弁護団の後押し」「無方針が方針」「裁判長を刺激するな」という一部の考えが聞こえてくる。
 率直に言う。事ここに至って、検察の妨害に引きずられ、大野裁判長退官までに間に合わない公算もでてきた。もしも間に合わなければ、また新たな裁判長に交替ということになる。ここまできて、また一からのやり直しを繰り返すのか! もしもそうなったら、一体どう責任をとるのか! 石川一雄さんに何と言い訳するのか!
 いまここを、この停滞・逆流をぶち破る、運動体の行動が決定的に必要だ。6・23で道は開かれた。さらに7・17関西集会、7・25要請行動から夏の陣へ。
(なお、7・25は茨城・東京の当番ですが、可能な人は駆けつけましょう。8月以降は毎月行動1年で仕切り直ししますが、予定の当番態勢は堅持してください。)
 

第32回大会を開催

 6月11日、大阪府大東市民会館において、会場満杯の代議員・来賓の出席のもと、第32回全国大会を開催しました。その概要を報告します。
 大会運営委員より、議長に茨城県連・山田幸子さん、書記に野崎支部・新さんが指名されました。大橋中執の温度で「解放歌」斉唱の後、主催者挨拶を村上久義委員長より行いました。次に、東大阪市議会議員・松平要氏、三里塚開催実行委・安藤眞一氏より来賓挨拶を受けました。三里塚芝山連合空港反対同盟・萩原さん、狭山大運動共同代表・長谷川弁護士、同部落史研究家・本田豊氏のメッセージが紹介されました。
 議案の提案にはいり、最初に北浦財務委員長より、2022年活動報告を行いました。楠木書記長より、2023年度運動方針の基調報告を行いました(いずれも、既報)。さらに、各担当役員より課題別報告を以下3点行いました。
 ① 狭山春夏決戦を全力でたたかい、事実調べをかちとろう。② 9・24長野市議選に勝利しよう。③ マイナンバー、インボイスから命と生活を守ろう。
 役員選考委員長より役員人事案を提案しました。財務委員長より会計報告(2022年度決算、2023年度予算案)、会計監査より監査報告がありました。
 つづいて全体討論を行い、9人の代議員が発言しました(一部を以下に報告します)。これに対して楠木書記長から本部答弁をしました。
 大会決議を以下3点提案しました。「事実調べをかちとり、狭山再審を実現する決議」、「核や戦争、差別を許さない8・6ヒロシマをつくる決議」、「大軍拡・憲法改悪に反対する決議」。
 議長より以上のすべての提案について賛否をはかり、参加者の総意で採択されました。村上委員長による「団結ガンバロー」でしめくくりました。
 この大会で、全国連は狭山で勝ちに行く大攻勢の方針を確立し、9月長野、東大阪の選挙必勝を誓いました。


歴史を決する年にしよう 委員長・村上久義

 この大会は、歴史を決するものになります。ロシアによるウクライナ侵略戦争、そしてウクライナの反転攻勢、世界戦争・核戦争の危機をはらんで激化拡大しています。岸田政権は、これを機に防衛費倍増、「敵基地攻撃能力」の獲得、憲法改悪、原発推進、そしてまた大増税、生活破壊、と新たな戦前に突き進んでいます。その最前線として、沖縄に基地を増強し、再び沖縄戦の犠牲を強いようとしています。三里塚には、まっさきに襲いかかり、市東さんの農地を強奪しました。帝国主義の強権発動で、私たちの人権や生活をどのように踏みにじるのか、目の当たりにしました。決して許すことはできません。
 狭山闘争は、事件から60年をむかえ、第3次再審申し立てから17年が経過しました。いよいよ、今が事実調べをかちとる決戦です。「袴田事件」でも、捜査機関による証拠のねつ造が明らかになり、再審開始となりました。狭山はまさに、証拠のねつ造が、事実調べによってこそはっきりします。検察は、事実調べの必要なしとして、妨害に必死です。これは追い詰められた検察の悲鳴でもあります。検察の悪あがきを粉砕し、この第3次で何としても勝利しましょう。
 9月の長野市議選に組織内候補の中村俊二さん、東大阪市議選に連帯候補の松平要さんが立候補します。選挙に勝利し、部落解放運動の広がりをかちとりましょう。


9月選挙の必勝へ 長野市議選予定候補

          全国連中央委員・中村俊二

 2年前に、長野市議選への立候補を決意しました。定数36議席、ボーダーライン2000票の選挙です。後援会を立ち上げ、今現在の会員を倍にすべく、一つめの輪から、二つめの輪に広がりを追求しています。災害復興要求者組合機関紙「結」の定期発行、事務所の大看板などで、知名度も上がってきました。
 自民、共産、公明と4人で地元地区の支持の取り合いになります。わたしは、部落の代表として議席に挑戦します。部落の団結の回復、部落解放運動の復権のための選挙闘争です。
 ネット選挙にも挑戦しています。長野市議会選挙・選挙ドットコムから検索してみてください。全国から支援をお願いします。


東大阪市議会議員・松平要さん

 昨年の水平社100年を区切りにして、今年は新たな元年として、狭山闘争に勝利しましょう。岸田政権は、軍事力世界3位を目指す一方で、医療も、教育も、福祉もきりすて、「欲しがりません。勝つまでは」という、戦時下の世の中にしてしまおうとしています。それは、人権蹂躙がまかり通る状況にほかなりません。それに対する反撃の先頭にたつのが、狭山闘争です。
 9月には、長野の中村さんとともに、東大阪での選挙がひかえています。荒本の皆さん、すべての労働者の皆さんの声を市政に届けるための貴重な1議席です。何としても7選を果たすべく、たたかいぬきます。


全体討論より

茨城県連・石川清

 土浦児童クラブ差別事件の当該の親御さんが市の職員。その方と、経過報告を話をしながら確認会を進めてきた。狭山の資料を渡し読んでもらったら、「石川さんに勇気をもらった」と言っていました。
ところが、示現舎が、6月5日に市役所に行って、資料をもらったり、地元の部落に入って話を聞いたところ、当然にも、地元の部落の人が見も知らない相手に「私は部落です、差別を受けてます」なんて言わない。それをもって「差別なんか、全国連が勝手に言っていること」と示現舎は宣伝しています。それを動画などで流しています。本当に許せない。これをどうしていくか、一緒に考えてほしい。


西之阪支部・大橋ひかり

 全国連青年部は、5月21日に狭山現地調査、翌日に要請行動にとりくみました。長野や茨城からは小学生も参加して、総勢で25名でした。畑仕事のおじさんが声をかけ「もう終わりにしないとね。がんばってください」と言ってくれました。カモイを実際に見て、万年筆のねつ造を確信しました。
 わたしは、全国連結成の1992年に生まれ、両親、兄弟と狭山をやってきました。保育園の頃には、ゼッケンをつくり登園したり、人通りの多い奈良市内の通りでゼッケン・マラソンをしたり。今は若い人が集まるのは、なかなか厳しいけど、頑張って事実調べを実現し、再審無罪をかちとりましょう。




第32回大会で選出された三役
 委員長  村上久義 福岡・あさくら支部
 副委員長 山田幸助 茨城・中田支部
 同    滝岡広治 大阪・野崎支部
 書記長  楠木吉秀 大阪・荒本支部



2023年6月の記事

毎月連続 要請行動へ!

大野裁判長による退官直前棄却策動を粉砕しよう!

東京高等裁判所前に全国津々浦々から結集しよう!

 さあ、山場の夏、決戦の夏がくる! あれやこれや、四の五の言わず、東京高裁に結集しよう! 大野裁判長に事実調べを求め、再審を開始するよう訴えに行こう! 要請行動に参加しよう! まず何よりもこのことを断々固として確認し、声を大にして強く広く訴えます!
 いよいよ狭山第三次再審闘争は事実調べ・再審開始か、それとも棄却を許してしまうのか。文字通り本当の正念場、本当の決戦期を迎えた。おおげさでもなんでもない。危機をあおるだけのアジテーションでもない。なぜか。狭山を担当する東京高等裁判所の大野勝則裁判長が今年、退官するのだ。その重大な任務を放棄して狭山から逃亡しようとしているのだ。こんなことに黙っていられるわけがない。いや、それだけではない。退官直前になんらかの決定を下すことが十二分にありえるからだ。楽観できるわけがない。弁護団と検事との三者協議を何度も積み重ねながら結論を出さずに引き延ばしを続けてきたその裁判長が、このまま石川さんや我々が歓喜する決定を出すということなど考えられない。きわめて危険で切迫した時期である。まさに決戦。狭山第三次再審闘争の最大にして最高の山場であり決戦期なのだ。勝負はこの夏―秋で決まる。だから今こそ東京高裁に駆けつけようということだ。
 狭山事件の裁判で石川さんをクロにした最大のねつ造物証ともいうべき「被害者の万年筆」。この万年筆のインクをめぐる下山鑑定という科学的で具体的で決定的な新証拠に対して、東京高等検察庁は二年以上も反論ができずにきた。そればかりか憶測・推論・暴論で時間と決定を引き延ばし、石川さんと弁護団や我々に敵対し続けてきた。そしてその引き延ばしの共犯者こそ東京高裁である。決して幻想を持ってはならない。だからこそ東京高裁に対するたたかいを強化し、これまでにないような巨大な要請団とその支援勢力で事実調べと再審を迫らなくてはならない。当然ではないか。

狭山の勝利なくして部落完全解放などありえない 

 本年5月、狭山は事件発生と石川一雄さんへの不当な別件逮捕から60年を迎えた。石川さんは警察・検察・裁判所によって身に覚えのない事件の「犯人」にでっち上げられた。青春、人生、家族をも奪われた筆舌に尽くしがたい石川さんの60年。部落差別を受けてきた当事者の、人間としての深い悲しみ、耐えきれない苦しみ、切実な願いを思うとき、今さらながら全身が怒りで震え、感情が爆発しそうで止まらない。
 石川さんは84歳になった。誰が考えても「あとがない」ところまできている。この事実、この現実に我々は何を思い、何をもって応えるのか。時間がない。悠長に構えている余裕はない。やることできることはすでに決まっている。狭山の勝利なくして部落完全解放などありえない。いまこそ差別徹底糾弾精神の真骨頂を発揮するときである。
 大野裁判長による退官直前棄却策動をふっとばそう! そのために今こそ『狭山大運動』を盛り上げよう! 署名を取り、会員を増やし、東京高裁に結集しよう! 全国津々浦々から毎月の要請行動に連続的に決起しよう!


いまこそ力をあわせて! 事実調べ開始を!

「狭山事件の再審を実現する

     7・17関西集会」へ!

と き:2023年7月17日(月・休) ごご1じ30分~
ところ:エル大阪6階大会議室(京阪「天満橋」)
主 催:狭山事件の再審を実現する大運動
  


 狭山再審を願うすべてのみなさん! いまこそ力をあわせて、その力の限りをふり絞って「事実調べ開始!」「狭山再審実現!」を東京高裁・大野裁判長に迫るときが来ました。
 6月上旬の三者協議以降、「11人の鑑定人尋問と下山鑑定の実施」=事実調べについて、裁判所はいつでも判断を下せる段階に入ります。
 「狭山事件の再審を実現する大運動」は、この第三次再審請求の最大の山場に、再審実現の一点において、すべてのみなさんの総決起を訴える「7・17関西集会」の開催を決めました。
 狭山再審開始の世論をもっと沸騰させ、東京高裁に正しい判断を迫るべき時です。
 全国連は6月23日、要請行動と高裁前座り込みから毎月連続の要請行動をたたかいます。みんなの力で連日高裁前を埋め尽くしましょう。
 7・17集会にみなさんの総結集を心より訴えます。



5・21 狭山現地調査、全国青年交流集会

5・22 東京高検要請行動を取り組む


 要請行動を主体とした全国青年交流集会を行いました。
 現地調査では、確定判決のウソのルートをたどりました。
 途中、畑作業中の農家が「もう早く終わりにしないとね。がんばってください」と石川さんの無実を確信して声をかけてくれました。
 復元された当時の石川さんの家も見せてもらいました。カモイを実際に見て「証拠」とされている万年筆がねつ造であることを確信できました。現在も、インクについての下山第二鑑定が出されています。裁判所は、すみやかに下山鑑定人を法廷に呼んで、鑑定人尋問を行うべきです。
 現地調査の後は富士見集会所に集まり、参加者に感想を書いてもらいました。今回は、青年と小学生ががたくさん参加してくれていました。狭山事件は学校で名前だけ聴いたことはあるが詳しくは知らなかったという人、実際判決のルートを歩いてみて時間の矛盾や走っている自転車を止める不自然な判決文から石川さんの無実を確信した人、無実を訴えつづけている石川さんの姿に力をもらった人、早く石川さんの冤罪が晴れてほしいと願う人、現調に参加した思いを様々に書いてくれました。
 夜は短く交流会をしてその翌日は東京に出て、検察庁への要請行動を行いました。担当検事は都合で会えず事務官2人の対応でした。要請文読み上げの後、一審差別論告の取り消しをはじめ口頭での要請を行い、40分の要請が終わりました。
 最後に裁判所前で街宣を行い、20筆以上の署名を集めました。
 今回、現調も要請も青年が主導するということで私たちも勉強して臨みました。一人でできることは小さいかもしれませんが、自分にできることを一人一人がやって、石川さんの無実を必ず勝ち取りたいと思います。(青年部 新)


マイナンバーカードとこれからの医療

「コロナ後」すさまじい勢いで

          生存権をおびやかす岸田政権!


1、健康保険証を廃止するな!

デジタル弱者を理由にした患者、医療機関の切り捨て反対!

 マイナンバーカード取得は、「任意」です。マイナ保険証も「任意」です。
 国は、マイナンバーカード法を成立させ、2016年1月にスタートしました。しかし、個人情報がもれたり、プライバシーの侵害が危惧され、普及しませんでした。
 そこで近年、ポイント還元などさまざまな手法を使って普及させ、申請者が7割弱に達したと言われています。さらに「新型コロナ対策の経験により、デジタル化の必要性が明らかとなった」として今年3月、マイナンバー法を改定しました。
 健康保険証とマイナンバーカードを一体化し、「マイナ保険証」に切り替えるというものです。今持っている健康保険証は2024年秋に廃止され、医療機関などを受診する際、マイナンバーカードでオンライン資格確認をおこない、紙の保険証もプラスチックの保険証も使えないようになります。まさに「医者にかかりたいのならマイナンバーカードをつくれ」という、強要以外のなにものでもありません。
 デジタル庁は、「経過措置」としてマイナ保険証を持たない場合「資格確認書」(紙らしい)を発行し、有効期間最長1年とする、といいます。
 一体全体、この性急ぶりは、なんなのか! 健康保険証の次は、自動車免許証の紐付きです。このままいけば、身分証明になるものはマイナンバーカードだけになります。
 健康保険証の廃止反対をとりくみましょう。紙の保険証を使えなくするのは、絶対許せません。

なんのためのマイナ保険証か

 コロナ前、保健師が特定検診のデータ打ち込みに奔走していた時期がありました。「医療ビッグデータ」づくりのためでした。
 昨年10月、内閣府は、医療個人データの提供拡充方針をうちだしました。医療機関の膨大な個人診療録=「医療ビッグデータ」を、研究機関や製薬会社に提供拡充し、そのデータを使った創薬や治療法の研究開発をするというのです。
 ここまで見ていくと、個人情報を取っ払い、巨大な医療情報のデジタル化を急速に進めるためのマイナンバーカードであり、マイナ保険証です。
 また、高齢者の年金の受取口座を紐付けし、診療内容や医療・介護費などのデータをまる見え化し、そうして減免外しや自己負担増が考えられます。
 一方、医療機関には、「オンライン資格確認」の導入を原則義務化し、顔認証付きカードリーダの設置をもとめました。今年の4月以降、「経過措置」として「できない理由」の届け出で猶予することになっていますが、来年の9月末までです。
 システム導入には、巨大な費用がかかります。診療費の請求は、オンライン請求への切り替えをもとめています。電子カルテ導入やオンライン請求回線工事など、経済的基盤の弱い医療機関は、閉鎖においこまれます。デジタル化できない医療機関は、必要なしと言わんばかりです。実施しない医療機関には、保険医をはく奪する罰則まであるのです。

地域医療の破壊

 今は役所の窓口に行けば、保険料の滞納相談や減免手続きができます。しかし、健康保険証の廃止にともなって、短期被保険者証も廃止するとしていますから、窓口負担は、3割でも1割でもない全額負担になるのです。
 健康保険法では、保険者は、保険料が支払われた人に健康保険証を発行することが義務づけられており、保険証の交付に申請の必要はありません。
 しかし、マイナンバーカード、マイナ保険証を申請していないと、1年間限定の「資格確認書」が発行されます。ただし、申請が必要なのです。
 そうなると、保険料は支払っていても、申請漏れなどで、「無保険」や「資格喪失」扱いになる可能性は大です。認知症に限らず高齢者が「資格確認書」の申請ができなければ「無保険」となるリスクがあり、その数は膨大です。
 誰もが安心して医療を受けるため、皆保険制度がたたかいとられて62年。今あらたに医療・介護をうける権利を、今を生きるわたしたちがたたかう番です。
 患者に寄り添う医師のきりすて。近くの町医者の姿が見えなくなる。無保険のため医者にもかかれない高齢者切り捨て。こうして地域医療を破壊します。

2、新型コロナウイルスの5類への移行 

 新型コロナが、5月8日から季節性インフルエンザなみの5類に移行しました。「限られた医療機関」から「幅広い医療機関による・・通常の対応」にするとしています。公の責任において用意された大きな病院ではなく、感染対策が不十分な小さな医療機関に、感染症やその疑いの患者を拒ませない診察義務をおしつけました。
 これまで毎日、感染者数などが公表されていましたが、定点把握となり、本来の実態が見えなくなっています。しかし、まだまだ新型コロナは、収まってはいません。
 検査も自己負担になります。治療薬は、公費ですが9月末までです。保健所からの案内もありません。受診せず入院の機会を逃し、悪化しないか危惧されます。電話で症状を確認しても対価はなく、医療者の良心に頼るしかありません。
 感染拡大の調査、感染症の後遺症、ワクチン接種後の後遺症、そのケア体制や法整備など全く放置したままです。季節性インフルエンザの数倍の感染力をもつ新型コロナが、高齢者施設で集団感染をひきおこすことは必至で、予断は許されません。強制力のない身近な医院が入院先を調整するわけですから、ベッドが確保されるかも不明です。「感染も治療も自己責任」―それが5類への引き下げです。
 そのくせ、マイナンバー法を改定した理由に「新型コロナの経験から」とありますが、地域の医療機関に「コロナ後」の重い荷物を背負わせ、他方、デジタル弱者として廃業を迫るわけですから、断じて許すわけにはいきません。

「有事」に応える医療者、公的医療機関づくりのためのマイナンバーカード

 今年3月7日の閣議決定は次のとおり―
〇新型コロナ対策の経験により、社会におけるデジタル化の必要性が顕在化。デジタル社 会の基盤であるマイナンバーカードについて国民の利便性向上等の観点から、行政手続 における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(マイナンバー法)等 の一部改正を行う。
〇マイナンバーの利用範囲の拡大(社会保障制度、税制、災害対策以外の行政事務)、  国家資格等、自動車登録、在留資格に係る許可。 
〇事務の性質が同一である事務も、マイナンバーの利用を可能とする。
〇マイナンバーカードと健康保険証の一体化。
〇マイナンバーカードの普及・利用促進。
〇戸籍等の記載事項への「氏名への振り仮名」の追加。
〇公金受取口座の登録推進(行政機関等経由登録の特例制度の創設)。

 注目すべきところは、「国家資格に係る許可」のうち保険医・保険薬剤師に係る事務に、マイナンバーを利用するとする点です。「コロナ有事」に応えない医者は、誰なのか一目瞭然にしたいという本音が見え見えです。
 政府は、感染者が入院できず自宅で死亡する事態に、非難の目を受け入れが少ない公的病院に向けました。実際は、ベッドはあるが医者や医療者がいないため、感染者の受け入れができない病院。このことから政府は、言うことを聞かない医療機関や、医者、公的機関さえ思うようにいかない経験をしたのではないでしょうか。今後、医療費抑制のためのベッド削減や病院の統廃合を加速させつつ、有事に応える医者づくりへ締め付けがはじまったといえます。

3、医療・介護を受ける権利は生きる権利そのもの

 2024年は、介護保険法のもと介護報酬改定の年です。ケアプランの有料化、利用料2割負担、3割負担の対象拡大、要介護1・2の総合事業への移行などと、改悪されようとしています。
 75歳以上の後期高齢者の保険料の値上げが決まり、2024年から出産育児一時金の一部を後期高齢者が負担することになります。「異次元の子育て支援」とは高齢者からも絞りとることなのか。
 また、75歳以上の窓口負担2割化によって、受診回数を減らしたり、薬がなくなっても「我慢する」など、問題は切実です。医療費抑制のため、国は、あらゆる方法を使ってきます。
 医療・介護は、生きる権利そのものです。まさに生きるために、力を合わせ、医療・介護の権利を守りましょう。


2023年5月の記事

2023年度運動方針(案)の基調

第32回大会の獲得目標

1、部落の実態・ニーズや支部の実状に応じた、きめ細かく、真剣な地域活動の方針をつくり出すこと。
2、狭山決戦の必勝態勢と方針を確立すること。狭山闘争基軸の三大闘争路線を、はっきりと確立し、組織建設路線にまで高めること。
3、日帝・岸田の戦争と生活破壊の大暴走と対決し、地方選必勝をかちとること。



部落解放運動をとりまく情勢と部落の実態

 ロシアによるウクライナ侵略戦争は、核戦争の危機をもはらみながら、激化拡大の一途をたどっています。他方、「台湾有事」や朝鮮民主主義人民共和国のミサイルを口実にした、岸田政権の大軍拡への暴走が目の前で始まりました。
 また、西欧やアメリカ、ブラジルでの極右、差別排外主義の台頭は決して対岸の火ではありません。
 詳しくは情勢論でふれられます。この世界戦争の危機と全世界的な物価高騰・生活破壊の嵐のなかで、部落は今、どんな状態に置かれているでしょうか。
 

部落、とくに青年層は

     どんな状態に置かれているでしょうか


 政府の公表でも、非正規雇用の割合は約4割、2000万人を超えます。部落の青年の場合はその約2倍、7~8割が非正規労働者といわれます。加えて、都市部の部落では、公営住宅法(公住法)による労働者層の追い出しが、深刻な影を落としたままです。
 こうした青年層の失業・半失業状態と労働者層の追い出しは、こんにちの部落全体の生活を根底からおびやかしています。
 また、世間の相対的貧困(おおよそ「可処分所得」が世帯年収で127万円以下)が15・7%、2000万人といわれます。国民の6人に1人が貧困ライン以下の生活を余儀なくされていることになります。とくに、ひとり親世帯では2世帯に1世帯といわれます。
 部落のなかでは、単身高齢者世帯が圧倒的に多く、無年金や低額年金で苦しいくらしを余儀なくされ、加えて、公住法の一般公募によって、一般の貧困層の部落への流入が増えつづけています。
 これらの複合要因で部落の生活実態は、総体として相対的貧困の域をこえ、最低限の生活すらままならない絶対的貧困スレスレのなかに置かれている、と言っても過言ではありません。
*こんにち的な青年の労働・生活実態調査が切実に望まれます。
 こうした生活実態のなかで、部落の兄弟姉妹の多くは、生きるだけで精いっぱいの現実にあります。
 70年代の高度成長期、大量の公務員採用(その場合も現業部門が主ですが)の時代とは、一変しています。
 本当に生きるだけで精一杯、青年は結婚も子育ても将来を描けない、その毎日の現実―そこのところの共有。「青年よ生きろ!青年を生かせよ!」なしには、一切は始まりません。他方、狭山街宣で署名する青年、環境問題など世の不条理に怒る青年、青年は熱いマグマを秘めています。決して捨てたもんではない。
 自分もたいへん、だからこそ、石川さんの生い立ちや殺人犯の濡れ衣が、こうした青年層にとって、無関心でいられない情勢が深まっているのです。意見広告でのモニタリング調査でも明らかです。狭山街宣で署名に応じてくれる青年も、まさにそうです。狭山活動家づくりを、青年の組織化のテーマそのものとして、かってその道を歩んだ全国連の老闘士が、はっきりと自覚し、青年層と向き合いましょう。
 解同本部派も、組織の高齢化、部落大衆の運動離れや村出、とりわけ青年層との断絶に悩んではいます。そこで「ムラを出ていった人々と繋がるネットワーク。SNSや文化運動」を方針にしています。外とのネットワークもけっこうですが、しかし、その前に、ムラのなかに元気な運動体がなければはじまらない。元気な全国連(拠点)、そして繋がる(ネットワーク)。それらを結ぶ一本の赤い糸が狭山なのです。


2023年度の運動の基調

 1、活動報告や情勢論をふまえ、それに対応したものに挑戦します。部落のおかれた実態や、支部の実状にマッチした地域活動の創造が求められています。
 昨今、インボイス制度に対する説明会や個別相談会が、一部の支部で開かれています。わからないことは本部に相談してください。インボイス制度は、中小零細業者や個人事業者、フリーランスなどから、根こそぎ消費税をまきあげる大増税であり、とりわけ部落の生業にとって死活問題です。すべての支部でとりあげ、部落の生業・生活防衛の緊急課題としなければなりません。
 また、個人、事業者を問わず、税申告での非課税の追求は生活防衛の一切の基礎になるとりくみです。チラシをまき、相談会や説明会を開催し、納税組合や支部に組織化して、非課税を追求しましょう。非課税から、医療費や家賃の減免などにつながっていきます。茨城での新支部誕生のように、支部建設と結合することはとくに重要です。団結して、生業破壊・生活破壊とたたかいましょう。
 また、例えば高齢者の日常の買い物、使用後の食用油の回収など、各地の村々の多種多様な住民ニーズに応じた、繋がりのチャンネルをつくりだしましょう。

 2、狭山闘争必勝の方針と態勢の確立、そのための戦争・差別と総対決する狭山闘争基軸の三大闘争路線の再確立が求められます。
 昨年の大会では、水平社100年、全国連30年、狭山60年の総括(概要)のうえに、三大闘争路線(糾弾、要求、共同)を新たに再構築し、狭山闘争基軸の三大闘争路線を提起しました。狭山闘争基軸の三大闘争路線―これは、従来と同じように見えて、実は決定的なターニングポイントにほかなりません。5年後、10年後に「あの時が・・・」という新路線なのであります。
 それは、生きて狭山に勝利するという瀬川さん、中田さん、片岡さんへの誓いをかたちにしたものです。84歳になった石川一雄さんへの血盟の証でもあります。私たちのその執念、人生を狭山にかけきる、その覚悟は尋常ではありません。
 意見広告も、大運動誕生も、毎月要請行動も、そのあらわれであり、この覚悟があればこそ実現できたものなのです。この点で、全国連は解同本部派を圧倒しています。全国各地の狭山人の心と繋がっています。
 言い換えれば、狭山闘争がもつ、権力犯罪、差別裁判との不屈非妥協の糾弾闘争のなかに醸成されたものを取り出したということにほかなりません。
 結婚差別をめぐって部落民を誘拐罪にでっちあげた高松差別裁判の糾弾闘争など、戦前の水平社がたたかった差別糾弾闘争は数知れませんが、それらに比しても、狭山闘争は60年におよぶ史上最大の対権力糾弾闘争として、ひときわ高くそびえたっています。そのでかさ、とてつもない大きな意義は計り知れません。
 たとえば狭山闘争が無ければ、解同本部派はとっくの昔に荊冠旗をまいてしまったことでしょう。解同本部派中央が、運動路線を権力とたたかわない、融和主義に総転向しようにも、狭山闘争があるかぎり差別とたたかわざるを得ませんし、部落解放運動として存在し続けます。総じて、戦争・差別洪水にたいする生きた防波堤の役割を、狭山闘争が果たしていることは疑う余地がありません。

 いまひとつ、これは、今日の全国連の背水の陣にたった、組織建設路線でもあります。昨年の10・30現調で、われわれじしん、久方ぶりのとりくみをしたなかで、目から鱗の再発見をしました。
 全国連はまぎれもなく、狭山再審闘争の情勢決定要因になり、自他ともに予想を超えて、存在感をみせつけています。だがその全国連に5年先、10年先はあるのか・・・。その危機に際して、どこに舵を切るのか。本当に思い切った舵切なしには、未来はない。こうした、組織的な現状に目をつぶることはできません。
 その点、30年間やってきたことの延長で、三大闘争をあれこれやっていくだけでは、無力でしかない。背丈に合わない位の運動への挑戦なしに、組織建設は純粋培養ではできません。しかし、ただ運動をやれば組織がついてくるというものでもありません。また、あれこれを無いものねだりしても始まりません。
 全国連の土台となる、組織の再生産構造を、いかにして自前でつくりだすのか。これは、5万人組織建設論いらい、また革共同との断絶いらい、組織の再生産構造がいったん仕切り直しとなるなかで、宿願の課題となってきたのです。
 かつて、政治闘争が組織の再生産の役割を果たすこともありました。〈狭山、三里塚、反天皇〉が、部落青年の共感をよびおこし、合流への水路となりました。また、公住法の改悪=応能応益制の導入に対する同住連のたたかいが、全国各地で大量の新たな人々との出会い、合流への水路となりました。それらにかわって、今の全国連の自力自闘のありかたにそって、自前の再生産構造を持たねばなりません。
 良く考えてみますと、実は、今の全国連が育ってきた原点のなかに、答えがあるのではないでしょうか。それは、狭山闘争のなかに再発見できるのではないでしょうか。
 私たち自身が、狭山で体験した石川さんの無実、権力の差別犯罪への気づき、これを中央闘争、現地調査、署名や学習会の草の根運動などを通して身に着けてきたなかで、はじめて解放戦士として成長してきました。こうしたことの追体験のなかに、明らかにこんにちなお通用する狭山活動家の育成、全国連組織の再生産構造があるのだと確信しています。

 では、いかにして。その具体化にまで踏み込んで論議しましょう。
  現地調査の狭山活動家づくりにとっての、かけがえのない役割です。自分の足で狭山現地を歩いてみよう。自分の目で、万年筆がでてきたとされる鴨居を見てみよう。机上の学習ではなく、現地に行って、自分の体で、無実・差別をつかみとることです。
  狭山DVD「私は無実」を活用し、学習会やオルグの武器にしていきましょう。
 また、狭山大運動の会報を活用し、登場する狭山人の「わたしと狭山」から学んでいきましょう。
  積極的な人を、要請行動に連れて行きましょう。要請行動を学びの場としても工夫しましょう。
 これらを保障するのは、狭山活動家づくりへの中執を先頭とした総力戦です。中執自らが先頭にたつことぬきに、この方針はありません。全国各地に、大量の狭山活動家をつくりだそう。その中心対象は青年層です。5・21狭山現調・現地集会をそのステップに活かしきって、有意義にしていきしょう。

 3、岸田の暴走を地方選で止めよう
 今年は統一地方選挙の年です。4月9日に東京、大阪など、23日に茨城など、9月には17日告示~24日投票で長野市、東大阪市の選挙があります。組織内候補の長野市・中村俊二さん、連帯候補の茨城・土浦市・坂本繁雄さん、東大阪市・松平要さんらの必勝を期して、候補者と地元を先頭に死力を尽くしてたたかいましょう。
 各地の選挙戦じたいのなかみは、当該からの報告を受けて、それに学んでいきましょう。
 そのうえで、全国連の選挙闘争の基本は、(1)住民との生きた繋がりのうえに、候補者を先頭に、住民主人公の選挙戦をたたかう。言い換えれば、住民の自己解放性をトコトン信頼し、そこに徹底依拠して、住民要求の実現のためにたたかう。(2)地方選であっても、悪しき国政の暴走に待ったをかける重要な役割があります。あくまで、当該住民の要求・気運に密着しつつ、岸田政権の目に余る暴走―大軍拡・改憲、原発推進や大増税・物価高騰・生活破壊との対決の場として位置づけてたたかいましょう。(3)こころある人は、「袴田事件」に注目し、「次は狭山だ」と関心を高めています。狭山闘争の要素もとりいれる工夫をしましょう。



2023年4月の記事

狭山春夏決戦を全力で闘い

      事実調べかちとろう


昨年からの死力を尽くしたたたかい

 私たちは昨年から、死力を尽くした狭山決戦をたたかい抜いてきました。それは、「この第3次再審が最後のたたかい」という石川一雄さんの決意を真正面から受け止め、私たち自身としてもまさに人生をかけた最後の狭山決戦として、心の底からの決意をしたからでした。
 5月までの意見広告カンパ決戦、5月8日の毎日新聞二面ぶち抜きカラーの意見広告掲載、連続要請行動実現のための再度のカンパ決戦、7月からの毎月の要請行動と息継ぐまもなくたたかってきました。
 そして今、毎月毎月、要請団が東京高裁と高検に押しかけ、「事実調べを行え」「証拠隠しをやめろ」と大野裁判長や担当検察官に迫っています。
 この全国連の必死のたたかいは、良心的な解同本部派の人々や共闘の労働者にも伝わり、昨年秋から始められた事実調べを求める全国署名は50万人となりました。
 またこの間、再審開始決定が、日野町事件(2月)、袴田事件(3月)と続き、えん罪・再審に対する国民的関心が大きく高まっています。検察は厳しい批判にさらされて袴田事件の特別抗告を断念しました。
 私たちのたたかいは裁判所や検察を動かすことができる、そのことに改めて確信を持つことができます。
 ただ、検察も東京高裁も、権力のメンツにかけて必死の巻き返しに出てくることは明らかです。それをも上回るたたかいが絶対に必要です。

事実調べ実現の春夏決戦

 昨年8月末に、弁護団は東京高裁に対して、11名の鑑定人尋問とインク鑑定の実施を求める「事実調べ請求」を提出しました。狭山再審では、第1次再審請求以来、これまで46年以上、ただの一度の事実調べも行われていません。いま狭山再審闘争史上、初めて「事実調べ」が真正面から争点となったのです。
 これに対して検察は、2月に「鑑定人尋問もインク鑑定も必要ない」「再審を棄却せよ」という意見書を出してきました。故意に証拠を隠し、ねつ造し、真相を明らかにするための事実調べに反対する、この検察こそ犯罪者集団です。絶対に許すことはできません。
 検察と弁護団双方の意見書の提出が終わり、大野裁判長は5月からはいつでも決定を出せる状況に入りました。12月には定年退官を控えています。今現在のたたかいが、勝敗を決するのです。
 「東京高裁・大野裁判長は鑑定人尋問とインク鑑定を行え!」。この旗を高く掲げて、春夏決戦をたたかいぬきましょう。

証拠ねつ造を暴き、検察意見書を粉砕しよう

 東京高裁が再審を棄却しようとすれば、検察意見書に依存する以外にはありません。第3次再審闘争の新証拠の核心は下山鑑定ですが、大野裁判長が再審を否定するには、検察意見書を採用する以外にないのです。
 従って再審勝利の道は、下山鑑定を否定するためのペテン的な検察意見書を徹底的に粉砕することです。
 特に焦点は、「証拠のねつ造」です。袴田事件でも、証拠のねつ造の認定が再審開始に直結しました。狭山再審では、万年筆という重要証拠のねつ造が下山鑑定によって明らかにされました。ここが権力の最大の弱点であり、権力犯罪を徹底的に暴いていくことが再審勝利の道なのです。

春夏の狭山決戦の具体的な方針

 第1は、東京高裁に直接迫る毎月の要請行動を全力でたたかうことです。要請行動は、11月まで延長します。また昨年はカモイの実物大の模型を受け取らせましたが、さらに創意工夫した要請行動を展開していきます。
 特に6月の要請行動は、早ければ決定が出されることもあり得る重要な時期となります。高裁前座り込みも含めて、最大限強化してたたかいます。
 第2は5・23石川さん不当逮捕60カ年糾弾闘争を青年中心の狭山現地調査闘争(21日)としてたたかいとることです。「狭山を基軸とした三大闘争」の実践、また全国連の未来をかけた青年部づくりの実践として、組織建設的にたたかいとりましょう。
 第3は、狭山再審を実現する大運動(狭山大運動)の強化拡大のたたかいです。現在、会員が450口に増えていますが、1000口会員を早期に実現するために奮闘します。狭山大運動を、全国的で独自の大衆団体として発展させていくために、全国連は責任を持って支えていきます。
 第4に、全国各地での署名、情宣、映画会や集会などの草の根の取り組みです。新しい統一ビラと署名を作ります。それを全国の部落や街頭、職場にどんどん持ち込みましょう。

 第3次再審の勝敗が間違いなく決まる本年、全国連は死力を尽くして石川一雄さんとともに勝利をかちとりましょう。 


  青年のみなさんへ

今こそ、5・21狭山現地調査

  ―5・22東京高検要請行動へ

  石川一雄さんの再審をかちとろう!


 全国の部落のきょうだいと仲間のみなさん。
 全国連青年部は、5・21―22全国青年交流集会として、狭山市内の現地調査、翌日の東京高検への要請行動と連続したとりくみを行います。
全国からの結集を訴えます。

 狭山事件発生から今年で60年、石川一雄さんはずっと無実、無罪を訴えているにもかかわらず、いまだ身に覚えのない殺人犯の汚名をきせられています。

 石川さんは埼玉県狭山市の被差別部落で生まれ育ちました。
家の貧しさや差別の厳しさから、学校にも満足に通えず、幼い頃から働きに出て生計をたてていました。
 1963年5月1日、石川さんが24歳のとき、狭山市内で女子高校生殺人事件が起こります。
 犯人逮捕にあせった警察は、被差別部落に集中捜査をかけ、5月23日石川さんを別件逮捕。
 連日刑事に囲まれ「おまえがやったと言え!」と迫られるも、石川さんは身に覚えはないとして抵抗をつづけます。1か月ほど経つ頃、「お前がやったと言わないのなら、兄を逮捕するぞ」と脅され、家計の中心を担う兄が捕まれば大変だとして、石川さんはウソの「自白」を始めたのです。
 さらに裁判も一審で死刑、二審では無期懲役と、とんでもない重刑をつきつけられています。
 無実の部落民を生贄にして、「部落民ならやりかねない」と世間の差別意識をあおってきた国家権力の責任は、とてつもなく重大です。
 この事件、差別裁判を、断じて許してはなりません。

 いま第三次再審請求で、今年中にも再審か否かの決定が出る重要な局面を迎えています。

 そこで、私たち青年部は5月21日、実際に狭山市を訪ね、石川さんのウソの「自白」をたどる現地調査をおこないます。
 そこには実際にはありえない矛盾だらけの「自白」の中身、そして石川さんの無実を実感できる内容となっています。
 また翌日は、東京高等検察庁に、証拠の開示、反省と謝罪を求めて要請行動を行います。
 差別を許さない思いを、直接届ける絶好の機会です。
 石川さんの無罪への思いとともに、再審への扉を切り開きましょう!
 ぜひ5・21―22は狭山現地、そして東京高検へ!


3・23狭山要請行動報告

 狭山要請行動が3月23日に取り組まれた。今回は九州を中心に茨城、東京、本部の計12名が参加。あいにくの雨模様だったが、最後までやりぬいた。
 11時から東京高検要請行動。当初乙部担当検事は出席予定だったが、事前連絡で欠席が伝えられた。この間の要請行動で乙部検事との激しいやりとりがあり、さらに袴田事件は東京高裁で再審開始決定直後であり、東京高検が乙部検事を欠席させる政治的対応をとった可能性がある。
 東京高検は、萩原検察事務官と公判事務課・高橋の2名が出席。要請団は怒りの高検前シュプレヒコールを行い、介助者を含め11名が参加した。
 要請文4通の読み上げと、口頭の要請を含め制限時間を超える要請となった。
 東京高裁前の昼休み宣伝活動は、雨が降り続く悪天候の中、マイク宣伝とビラ配付のみの取り組み。大阪から来た青年から「狭山の話を聞きたい」と話しかけてきたのをはじめ、袴田事件弁護団の村﨑修弁護士から「狭山事件も再審をかちとって」との激励など、悪条件下で反応が寄せられた。
[村﨑修弁護士とは、本人の了解のもと後日電話取材を行った。要旨は、会報「狭山大運動」第10号(4月号)掲載] 
 午後2時から東京高裁要請行動。東京高裁から今井訟廷管理官、小寺訟廷副管理官、総務課西田の3人が出席。要請団は12人全員が参加。冒頭、今井訟廷管理官から「この後予定が入っており、30分間で終えたい」と申し入れがあった。4通の要請文読み上げと口頭での要請で時間内で終了。
 弁護士会館での総括集会では警察の証拠ねつ造にまで踏み込んだ袴田事件の再審開始決定のもつ意味と、狭山再審へ毎月の要請行動の重要性を確認した。



2023年3月の記事

狭山事件60ヵ年!5・21狭山現地へ!

6・11第32回全国連大会を成功させよう!


 2月26日、大阪・本部事務所において、第31期第3回中央執行委員会および第32回全国大会議案書起草委員会がおこなわれました。長期強靭に狭山決戦をたたかいつつ、5・21狭山現地調査、6・11全国大会の成功へ、総力戦でとりくもう、と団結を固めました。また、4月、9月の統一地方選に組織内候補・連帯候補の必勝を期すことを決定しました。

たたかう議員の倍増で岸田の暴走を止めよう

 三里塚の市東さんにたいして、2月15日農地強奪の強制執行がおこなわれました。腹の底からの怒りで弾劾し、反対同盟との変わらぬ連帯を誓いました。
 三里塚にみるように、岸田政権は、大軍拡、増税、原発推進など、目に余る暴走をしています。真っ向から対決し、民衆の利害を擁護する議員が必要です。 
 4月、9月には、統一地方選があります。全国連は、狭山に協力的な人、軍事費増大・大増税反対で鮮明な候補を支持します。4月茨城・土浦市、9月長野市&東大阪市での組織内候補、連帯候補の必勝を期して、地元とともにたたかいましょう。

狭山事件60ヵ年に現地結集を

 1月31日に三者協議が行われ、2月末に事実調べについての検察意見書が出され、4月中旬には弁護側も意見書を出して、以降いよいよ裁判所の判断が出される段階に入ります。大野裁判長は12月10日で定年退官です。早ければ今春、遅くとも11月まで、息の抜けない攻防です。
 大野裁判長への期待や幻想は禁物です。下山鑑定をはじめ新証拠、意見広告・要請行動・ハガキ・署名などの世論の高まりを、裁判長といえども完全無視はできなくなりつつあるということです。検察―国家権力が、おめおめと指をくわえて許すはずもありません。事実調べの実際の実現へ、もっともっと強靭にがんばりましょう。毎月の要請行動も、11月までの延長を覚悟します。
 石川一雄さんは84歳。狭山事件は今年5月で60ヵ年です。全国連は、5・21に青年を中心に狭山現地調査・現地集会を行います。婦人部も参加します。徹底して組織建設的に、狭山活動家づくりの願っても無い機会として、中執が総力戦でとりくみます。
 狭山大運動(狭山事件の再審を実現する大運動)の1000口会員を早期に達成しましょう。現在450口です。大運動とその会報を、狭山人の共有テーブルとして大きくしていきましょう。
 3・13に「袴田事件」の判決があります。「福岡マルヨ無線事件」の証拠開示、「滋賀日野町事件」の2・27再審開始決定と注目すべきことが続きます。

差別者宮部に追い込みを

 全国連の公開質問状6にたいし、示現舎宮部は回答することもできません。ネットで「土浦差別事件なんか知らん。筋違い」と喚き、逃げまくっています。質問状7をはじめ、無慈悲に追撃していきます。

インボイス制度と生業防衛

 各地で税申告とともにインボイス制度の学習・周知と、具体的対応に格闘しています。インボイス制度は、大増税であり、部落の零細な業者にとって死活問題です。わからないことがあれば、すぐに本部に相談ください。

議案書起草委員会を開催

 全国連は、6月11日、大東市民会館において、第32回全国大会を開催します。中執につづいて、議案書起草委員会をおこない、大会の内容論議を開始しました。次は、4・2拡大中央委員会(荒本人権文化センター)です。
 最初の論議を通して、大会での獲得目標が見えてきました。① 部落の現状や支部の実態に向き合い、きめ細かく、真剣に活動方針をつくりあげること。② 狭山闘争基軸の三大闘争路線をはっきりと確立し、組織建設路線にまで深めること。③ 日帝岸田の大軍拡・改憲、大増税路線や、インボイス制度・マイナンバーと対決し、地方選必勝をかちとること。
 原稿の第一次〆切は3月末。最終〆切は5・14です。大いに論議しましょう。



生業破壊のインボイス制度を撤回させよう!

  (インボイス制度と部落の事業者)


 今年10月1日からインボイス制度が始まる。会計処理ソフトのコマーシャルばかりが先行していて、その内容はよくわからないというのが正直なところだ。
 しかしこの「インボイス制度」、知れば知るほど、おそろしいと言うことがわかる。とくに零細企業や個人事業者などにとっては、事業の継続さえ危ぶまれることになりかねない一大事なのである。

(1)インボイス制度

 インボイス制度(適格請求書等保存方式)は、消費税に軽減税率(8%)が導入されたとき、その導入も決定されていたとのことである。だから消費税に関わる制度と言うことになる。
 ではインボイス制度とはどんなものか。
 一言でいえば、事業者が仕入れから仕入税額控除(注1)をする際、課税事業者(注2)が発行するインボイス(適格請求書等)に記載された税額のみ控除できるというもの。
 この税額の計算は、これまでは帳簿と請求書等を残しておけば仕入税額控除が認められ来た(帳簿方式)。それがインボイス導入後は、仕入れ先からのインボイス(請求書や領収書)の保存が仕入税額控除の要件となる。
 それでは、今までの請求書や領収書とインボイスとはどう違うのか。
 重要なのは、請求書は誰でも発行できるがインボイスを発行できるのは税務署で「適格請求書発行事業者」として登録した事業者だけ。インボイスには今までの請求書に加えてこの登録番号と税率ごとの合計額を記載することになる。それは同時に課税事業者になることでもある。
 さて、ここで問題が起こる。
 ある事業者は、年間の課税売上高が1000万円以下で免税事業者(注3)です。インボイスを発行するために「適格請求書発行事業者」になるとすると、税務署に届けて課税事業者にならなくてはなりません。今まで消費税が免除されてきたけれど、今後は消費税の納付が義務づけられます。今まで消費税を価格に転嫁できていない事業所は、取引先に消費税分の値上げ交渉が必要になります。難しい交渉ですが、でないと消費税分をどこからか捻出しなければなりません。また、免税事業者のままでいると取引先の事業所は仕入れで支払った消費税を控除することが出来なくなり、消費税を丸々かぶる事になります。
 当然取引先の事業所はインボイスの発行を要求してきますが、それが出来ないとなれば消費税分の値下げを迫るか、取引の停止を言い出してきます。実際にある大手量販店は「インボイスを発行できない事業者とは取引できなくなります」という通知を出しているとの事です。これではこの事業者はどちらにしても苦境に立たされます。
 現在こうした免税事業者は500万事業所、個人事業者・フリーランスが1000万人いると言われています。小売店をはじめ飲食店、サービス業、ひとり親方、個人タクシー、宅配員、農家、町工場、弁護士、税理士、フリーライターなど、ありとあらゆる職種にわたり影響を受けます。

(注1)仕入税額控除:売り上げに含まれる消費税額から、仕入れにかかる消費税額を差し引くこと。
 例えば売り上げに含まれる消費税が200円、一方で仕入にかかる消費税が100円だとすると、200円から100円差し引いて100円が納める消費税となる。

(注2、注3)課税事業者・免税事業者:現在年間売り上げ高が1000万円以下の事業者は消費税の納税が免除されています。これを免税事業者と言い、1000万円以上は課税事業者といいます。課税売上高1000万円以下の事業者の消費税納付を免除することを「免税点制度」と言います。利益が薄い、あるいは赤字の事業者でも消費税はかかってきます。事業者は消費税を払っていたら生活できなくなる可能性があるので設けられた、所得税の基礎控除のようなものです。

(2)部落の零細・個人事業者が受ける影響

 部落の企業規模は小規模零細な事業所が圧倒的ですし、個人事業者も多くいます。こうした事業者は今まで消費税を価格に転嫁することなく、薄利で事業を続けてきました。価格が需要と供給、競争と力関係で決まることから、価格に消費税を含めることが出来ないのが実態です。
 ところがインボイス制度が始まれば、課税事業者になろうと免税事業者のままであろうと消費税の重みに耐えられなくなります。今までやっとの事で利益を出してきた事業でもそれを上回る消費税がかかってきたり、事業が赤字になってもかかってくるのが消費税です。免税事業者は消費税分を利益から持ち出さなくてはなりません。
 茨城では、くず米業者が大打撃を受けようとしています。くず米業者は県内外の農家を回って米やくず米を買い入れ、それを運んで米問屋や米販売業者に売ります。農家は農協に売る場合は特例によってインボイス登録を免除されるために、ほとんど登録をしていません。従って、くず米業者は農家からの仕入控除が出来ないまま消費税を支払わなくてはならなくなります。
 しかも現在は、所得税は米を運搬する運賃分を売り上げとしていますが、もしインボイス制度が始まったら、くず米や米の本体を含めた売上高に対する消費税がかかるので、名目上の売上額は何千万円にもなり、消費税も大変高額になってしまいます。「とてもそんな消費税を支払えない。廃業するしかない」という悲痛な声が上がっています。
 こうしたケースは例外ではなく、様々な業種で、課税事業者との関係で起こります。

(3)軍拡のための大増税に反対しよう

 インボイス制度は、このほかにも事業者の事務負担、経費の増大、取引情報の漏洩などさまざまな問題があります。
 政府はインボイス制度実施に伴って6年間に2段階の経過措置を設けていますが、この間に免税事業者を一掃し、消費税収の取りこぼしのないよう100%確実に徴収しようと狙っています。
 安倍-菅-岸田と失敗続きの経済政策で、所得・法人税収が減少しているのに(過去最高だったバブル崩壊直前の90年度と比較。主要税収の二つは戻っていない)、消費税収だけが大きな伸びを示し、20年度には所得税を上回って、主要三税収のトップになりました。
 岸田政権は、予算のあても示さず、安保三文書の改訂と敵基地先制攻撃を打ち出し、防衛費の大幅増を決めました。インボイス制度による増税は、岸田大軍拡路線の予算に使われる事は必至です。しかも許されないことに、この制度導入の陰で、零細な事業者は廃業に追い込まれ、路頭に放り出されることになるのです。
 私たちは生きんがための仕事を守るため、零細・個人事業者とともに闘いをつくりだしていかなくてはなりません。荒本平和商工会の闘いはその先例であり、各地での税申告相談会はその手がかりです。それとともに、この生活防衛の闘い、大増税反対の闘いが、岸田の改憲-大軍拡攻撃とそれがもたらす社会の困窮化との闘いです。
 インボイス制度導入を撤回させ、岸田改憲-大軍拡攻撃を阻止しよう。



この暴挙!未来永劫許すまじ!
 
 部落解放同盟全国連合会・岩崎喜子


 2月15日、ついに空港会社と国は、三里塚芝山連合空港反対同盟の土地、建物の明け渡しを、機動隊でうめつくして強制執行をおこなった。この暴挙は、未来永劫絶対許されない。怒りをもって弾劾する。全国連は、市東孝雄さんはじめ、同盟のみなさんと共にあります。 この日を前に2月5日、天神峰現地闘争がおこなわれ、参加した。ここ10年近く現地に来ていない。いつ強制執行があるかもしれない緊迫した現地に今、行かずしてどうするか、気後れしている場合ではないと言い聞かし、茨城、東京の面々と合流し、連れて行ってもらった。車のタイヤが回るごとに粉のような土煙をあげる。空の青は、澄み切っている。塀だらけ、その先から騒音のジェット機が飛ぶ。
 あ~三里塚だと思う。品川駅に着くまでグルグル頭の中で思いめぐらしていた。大型バスを連ねて、250動員、次は300動員と支部の方針は村ごと移動するような勢いだった。赤ちゃんから高齢者まで時にはぎゅうぎゅう詰めのバスの時もあった。ただ、当時の高齢者は、いまは、誰もいなくなったが足が不自由なOさんは、助けを拒み、ぬかるむ土を踏みしめた。Oさんだけでなく、だれもが年を感じさせないシャキシャキと会場入りをした。
 参加した婦人部長のMさんに帰ってから感想を聞いた。
 「土がきれいやった」。この意味が分かるのは、自身が高齢になってから。
 昨日、今日、自然にできたわけではない。何年も何十年も手をかけ、耕し、人間の営みが生み出した「土」なのだ。その農地を取り上げても取り上げても奪うことができない。根本のところで権力を圧倒し、勝利を続けている。それが三里塚だ。こんな思いで発言した。
 会場入り口に、毎日新聞2面ぶちぬきの石川一雄さんの表情をとらえた意見広告が張り出されていた。両者、後はない。心から連帯を。



2・21東京高検・乙部検事を追及

      狭山要請行動報告


 この日、強風下の厳しい寒さの中、狭山要請行動が取り組まれた。今回は、関西を中心に12名が参加した。
 11時からの東京高検要請行動は、介助者を含め11名。東京高検から、乙部担当検事他2名が出席した。
 冒頭、昨年10・31の要請行動の際、視覚「障害者」の介助者を参加人数の枠に含めて10人とした対応について「その後、高検内部でどのように議論されたのか」と要請団の追及が行われた。
 乙部検事らは、「当日、突然のことで配慮が足らなかった」とそれぞれが謝罪した。
 その後、要請文がそれぞれから読み上げられた。
 
一審検事論告を差別論告と暗に認める

 続いて前回の要請行動で一審検事論告を読んでいないとの乙部検事の発言について追及した。
 乙部検事からの「読みました」との回答に、「検事論告は差別的内容だと思うか」と質問。乙部検事は、「感想は控えさせてもらいたい。差別言動はしないように気をつける」との回答。要請団からは「検察は一審論告の部落差別を謝罪していない。過去の問題として放置することなく、検察の組織が過ち認めてのぞむと、この場ではっきりしてもらいたい」などと追及した。
 乙部検事は「要請の内容は分かりますが、当時のことについて触れるのは控えさせていただく」と防戦一方の回答だったが、実質上一審検事論告が、部落差別にもとづく差別論告であることを認めた形となった。
 最後に証拠開示について、「不見当」と拒否するのではなく、証拠開示をおこなうことなど要請して終了した。
 12時からの昼休み時間には、東京高裁前で宣伝・署名活動が行われた。高裁門前の横に、カモイの模型が設置され、マイク宣伝の音が霞ヶ関にこだました。
 寒波による強風下で寒く、閑散とした人通りは、毎月の取り組みではこれまでで一番少なかった。それでも頑張って13筆の署名をいただいた。

カモイの模型が第4刑事部に

 14時からの高裁要請行動は、12名全員で要請行動に臨んだ。
 まず、12月2日に要請文に添付して提出したカモイの実物大模型はその後どう扱われているのか質問。今井訟廷管理官から「カモイの模型は組み立てられた状態で、裁判長が直接見えるよう刑事第4部に置かれている」との回答があった。
 また、万年筆がカモイの上から発見されたことについて、裁判所の判断が「見えやすいから、かえって見逃した」「見えにくい場所」と正反対の主張となっている事への批判。今回の事実調べの重要性。証拠開示をめぐって裁判所がきちんと勧告を提起すべきなど、参加者からの意見が相次いだ。
 狭山第3次再審闘争は、昨年8月の弁護団による事実調請求書に対して、2月末にも検察側の反論が提出される予定となっており、重大な山場をむかえている。

狭山再審勝利! 要請行動にたとう

 毎月の狭山要請行動は、要請ハガキ・署名運動とならび、東京高検に対しては「全証拠を開示せよ」、東京高裁に対しては「鑑定人尋問を行え」との声を直接訴える、極めて重要な取り組みとなっている。各地での取り組みをふまえ、何としても再審を実現し、石川さんの無実をかちとろうとの思いをこめて、毎月の要請行動に全国からたちあがろう。



2023年2月の記事

23年狭山再審決戦の幕開け!

高検・高裁に要請行動の第1弾!

 
                   
     
長野を中心とした要請行動を貫徹

 1月30日、長野県連主体の狭山要請行動をたたかいました。長野から要請団6名(初めて参加した青年1名)、中央本部や茨城県連・江戸川支部などから6名の総勢12名の参加です。

<東京高検要請行動>

 冒頭、滝岡副委員長から「検察の理念にのっとって、積極的に証拠開示に応じてほしい。2月中に意見書出して、裁判所の事実調べを検察は後押しするように」と要請行動の核心点を申し入れました。
 ついで、長野県連から合計5通(県連・婦人部・青年部・二睦支部・豊野支部)の要請文を読み上げ、その後口頭での要請を行いました。
 小林書記長から、「殺害現場の撮影フィルム、死体発見現場の写真、血痕ルミノール検査報告書などを、なぜ開示しない。犯行現場を特定できない殺人事件などない。開示された取り調べ録音テープでは、『自白』の内容を石川さんは体験してないことが明らかになった。『自白』のみの憶測、推測しかない。なぜ証拠を開示してはっきりさせないのか」と追及をされました。
 この追及を皮切りに、検察官の「不見当」に対して「ちゃんと精査しているのか」「証拠は国民の財産だ。全部出せ」「被害者を目隠しするために使ったとされるタオルを、石川さんが入手したとされる確たる証拠は何もない。また、被害者の後ろ手をしばったとされる手ぬぐいも数字が改ざんされている。このようなデタラメで真実に向き合っていると言えるのか」「検察の理念にのっとれば開示以外の回答はないはずだ」など、追及が続きました。乙部検事は「三者協議で答えています」「裁判所が判断することです」と回答にならない回答をするのが精いっぱいでした。
 最後に、県連の要請文の中で高松差別裁判の差別論告を糾弾しているのですが、差別した先輩検事がいたことを知っているのか質問すると「知らない」という。さらに狭山事件の一審検事論告は読んだのかと聞くと「読んでいない」という驚くべき回答でした。自分が担当している裁判の一審の記録すら読まずに、なぜ真摯な対応ができるのかと要請団の怒りがわき、次回の宿題として、「一審差別論告を読んで感想を持ってくること」を伝え、要請行動を終えました。

<昼休み街宣>

 お昼休みにあわせて東京高裁前で街宣行動をとり組みました。袴田事件の支援団体と同時になったので、マイクを使ったアジテーションは時間を区切って交替して行いました。
 1時間弱の行動で署名14名、ハガキ8枚の協力を得ました。狭山市の70代の婦人が「この事件はすごく不思議に思う。なぜ証拠を調べないのか。事件のおきた1960年代は、国も警察も裁判所も悪いことばかりしてきた。えん罪ばかりだ。友人にも協力をお願いするから、ハガキとビラを4枚下さい」と受けとっていきました。

<東京高裁要請行動>

 冒頭、本部から「検察は不見当ばかり。殺害現場の証拠開示もしていない。つまり犯行を裏付けるものはないといういう事。検察に対して裁判所はき然とした態度で臨み、早急に11人の鑑定人尋問とインクの鑑定をしてほしい」と裁判所の姿勢をまず糾しました。 
 最初に、井橋さんから「カモイの模型を裁判長に見せたのか。第四刑事部でどう扱われているのか」と質問。裁判所は「第四刑事部の書記官室に組み立てられた状態でおいてある。裁判官もそこを通るので見ているはずだ」と回答しました。
 長野県連から合計5通の要請文を読み上げ、口頭での要請に入りました。
 小林書記長が「狭山事件は60年という長い裁判。この間、裁判長が何人替わったのか。一人も事実調べをやっていない。こんなことがあるのか! 署名に応じる人たちは誰もが事実調べをやらないことに異議を唱えている。先ほど街宣で70歳の婦人も国や裁判所はひどいことをしてきたと言っていた。証拠を調べないからえん罪をくり返す。しかも狭山事件は単なるえん罪ではない。部落差別に基づく差別裁判だ」と事実調べを要求しました。
 要請団からも「下山鑑定と同じ鑑定を裁判所が行うべき」「検事が何を言おうが、裁判所の職権で事実調べをすることが必要だ」「要請ハガキを裁判長は見ているのか。30万人分の署名の重みをどう考えるのか」等、追及をしていきました。
 訟廷管理官の回答は「皆さんの要請内容、お気持ちなどはきちんと私が第四刑事部にもっていきます。それが私の責務です」とくり返し答えるだけです。具体的には何も回答はできませんでした。
 最後に、長野県連が部落の村を回って集めてきた90名分の再審署名を提出して、要請行動を締めくくりました。

 弁護士会館外での総括集会では、本部から「要請文がきちんと準備されて、追及もするどかった。これを継続して2月からの要請行動をとり組もう」とまとめられました。



三里塚旗びらきに参加して

     大久保支部(準)三宅法雄

 雲ひとつないまさに晴天下で1月8日、三里塚芝山連合空港反対同盟の旗開きが開催された。
 まず目を引いたのが会場入り口に掲げられた狭山意見広告運動のポスターである。まるで私たちを迎え入れるかのように入り口に掲示されていた。誰が掲示してくれたのだろう。私たちはポスターの前でしばし立ち止まり、感激すること止まずであった。
 デモのために一旦会場を離れ、出発点の市東さんの畑へ移動した。ここから旗開き会場までデモ行進だ。色とりどりの各団体の旗や幟が青空にひらめいている。市東さんの住居と耕作地以外は空き地か空港関連施設だ。どれだけ農民は泣かされ、絶望のうちにこの土地を去っていったのだろうかと怒りがこみ上げて来る。すぐ目の前を巨大な飛行機が我が物顔で通り過ぎていく。「市東さんの土地取り上げを許さないぞ」と空へ突き刺されとばかり声を上げる。
 会場へ着くと、旗開きの準備がすっかりできていた。畑にブルーシートを敷きテーブルと椅子が用意されている。 早速旗開きが始まった。まず萩原富雄さん、そして市東孝雄さんから挨拶が述べられた。裁判所が強制収用を認め、いつ執行が来るかわからないという緊迫した情勢の下での旗開きとなった。
 反対同盟と支援者は24時間体制で強制執行と対峙し、泊まり込み体制を継続中とのことである。そんな中で市東さんは「来るなら来い、闘争は楽しくやらなくては」と一歩も引かない決意を示された。
 いよいよビールやジュースが運ばれ宴会の開始だ。次々とあふれんばかりの料理が運ばれて来る。これがまたどれも本当にうまい。
 趙博さん(パギヤン)の歌に続いて各団体からの挨拶。私も全国連を代表してマイクを持った。まず、意見広告への感謝の念を伝え、石川さんへの連帯を訴えた。市東さんの土地へ強制収用がたくらまれていることを見据えて、「洞部落強制移転」について述べた。「100年前に洞部落では『天皇の墓を部落民が見下ろすのは恐れ多い』として部落差別によって強制執行が行われ無理やり移転させられた。その過程で13名の命が奪われた。市東さんへの強制執行は絶対に許せない。全国連は裏切りません。共に闘います」と表明した。
 その後、「いなのとひら・のことば」というフォークデュオが強烈な政治風刺ソングを次々と熱唱。私は初めて聞くお二人でしたがプロテストソングの原点を見たような気がしました。調子に乗ってCDを買いサインまでしてもらいました。
 会場準備、食事の提供、防衛体制と、反対同盟そして現地支援の方達には本当にお世話になりました。聞くところによると、このあとすぐに強制執行に備え泊まり込み臨戦体制に戻るとのこと。
 汗ばむくらい天気がよく暖かな1日でしたが、「団結がんばろう」の頃には寒くなり始め、程よくお開きとなりました。



憲法改悪絶対阻止!

安保関連3文書の閣議決定を許さず、

侵略戦争、大増税につき進む

岸田政権を打倒しよう!


 岸田政権は、戦後の安全保障政策を大転換し、侵略戦争国家への道へと大きく踏みだした。12月16日、岸田政権は、基本指針となる「国家安全保障戦略」、防衛の目標と手段を示す「国家防衛戦略」、装備品の数量や経費などを定める「防衛力整備計画」の三文書を閣議決定した。
  それは、「攻撃を受けたときはじめて防衛力を行使し、それも自衛のための必要最小限にとどめる」憲法9条【註1】に基づく「専守防衛」と真逆の方向であり、絶対に許すことはできない。

 ① 「国家安全保障戦略」では、ロシアのウクライナ侵略をあげて危機感を煽り、「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境にある」とし、これに対して「専守防衛を基本戦略とする」とペテン的言辞を弄しながら、軍事大国化を正当化する。また、中国の脅威を煽り、「台湾海峡の平和と安定について・・・・急速な懸念が高まっている」とし、朝鮮民主主義人民共和国に対しても「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」、ロシアを「安全保障上の強い懸念」と記している。
 そして、こうした安全保障の強い懸念に対して、「我が国は日米同盟を基軸としつつ日米豪印(クアッド)や日米韓の枠組みを活用しつつ・・・・東南アジア諸国連合(ASEAN)、北大西洋条約機構(NATO)・・・・などと安全保障上の協力の強化」をかかげ、「防衛体制の強化」として、「今後、既存のミサイル防衛網だけで完全に対応することは難しく」、「相手国から、ミサイル攻撃があった場合・・・・我が国から有効な反撃を加える能力を保有する」とし、相手国のミサイル発射基地などに攻撃を加えると踏み込んだのである。
 政府は、集団的自衛権行使を認めた2015年の安保法制につづき、このたびの「安全保障戦略」の改定によって、アメリカの攻撃を補完し、一体となって相手国に攻撃を加えることを可能としたのだ。
 これは、中国との争闘を戦略課題とするアメリカの世界戦略の一翼を軍事的にも担うことを明確にした歴史的大転換である。岸田政権は、日米、日欧、日米韓などと軍事的結びつきを強めつつ、中国を敵視し、全世界的規模の戦争さえ見据え、準備していると言っても過言ではない。

 ② 「国家防衛戦略」では、「中国の強大化、台湾有事、朝鮮民主主義人民共和国が弾道ミサイルに核兵器を搭載し攻撃する能力の保有、ロシアのウクライナ侵略」は、国際秩序の根幹を揺るがすなどと強い懸念を表明。基本方針として、「力による現状変更には、同盟国、同志国などと連携して抑止する」とし、そのために、重視する能力を具体的に示した。そして、その核心として、「27年度までに地上発射型及び艦艇発射型を含め、スタンド・オフ・ミサイル【註2】の運用可能な能力を強化。国産ミサイル増産体制確立までは、外国製スタンド・オフ・ミサイルを早期に取得する」とし、自衛隊のあり方として、「沖縄で部隊を強化する」ことをあげ、持続可能な防衛産業の構築、販路拡大などをあげている。
 このように、「国家防衛戦略」では、スタンド・オフ・ミサイルの生産、外国からの取得、沖縄の陸上部隊の強化、防衛産業の育成などを明確にしているのである。

 ③ こうした国家安全保障戦略、国家防衛戦略に基づく「防衛力整備計画」において、敵の対空ミサイル射程圏外から敵基地を攻撃するためのスタンド・オフ・ミサイルについて25年度までに陸上発射型、26年度までに艦艇発射型、航空発射型を28年度までに開発完了を目指す。米国製巡航ミサイル「トマホーク」など外国製スタンド・オフ・ミサイルを導入する。10年後までに、スタンド・オフ・ミサイルを運用する能力の獲得とミサイルの十分な獲得。まさに、遅くとも10年後までに、敵基地攻撃を可能とするミサイルを十分に確保し、アメリカなどと一体で、侵略戦争に突入できるミサイルを中心とした兵器の整備計画を記したのである。
 全国連は、全国水平社の教訓に踏まえ、憲法九条を守れ! 侵略戦争国家化阻止! を断固たたかう。

【註1】 憲法9条   日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

【註2】 スタンド・オフ・ミサイルとは、敵の対空ミサイルの射程圏外から攻撃できるミサイル。射程は2000キロと言われている。

沖縄県民と連帯しよう!

 この安全保障関連三文書の閣議決定に基づく長距離ミサイルの配備が予想される沖縄の島々の住民からは、「有事の際、戦場になる危険が高まる」などの懸念の声が上がっている。
 政府は中国への危機を煽り、台湾に近い南西諸島へ自衛隊の配備を進めている。沖縄の宮古島に2019年3月、陸上自衛隊宮古島駐屯地を開設し、1年後にミサイル基地を配備、さらに、石垣島にも陸上自衛隊駐屯地を置き、ミサイル部隊を配備する予定。
 今後は、相手国のミサイル発射拠点などをたたく長射程のミサイルの配備も想定されている。また、防衛計画整備計画には、那覇市を拠点とする陸自第15旅団を増強することなども明記されている。
 全国連は、辺野古新基地建設阻止を闘う沖縄県民、自衛隊基地の強化、敵基地攻撃・長距離ミサイル発射基地反対を闘う沖縄県民と共に闘います。

軍事力強化のための大増税に断固反対! 

 岸田政権は、この大軍拡の財源について「2027年までに現在の国内総生産(GDP)の2%にすることを目指す」「2023年度から5年間で総額43兆円とする」とし、毎年度4兆円の追加財政が必要。歳出改革などを通して税金以外の収入を活用する「防衛力強化資金」の創設で3兆円、1兆円を法人税とたばこ税の増税、さらに所得税に上乗されている「復興特別所得税」をも活用すると言っている。
 全国連は、狭山決戦のまっただ中です。東京高裁、高検への要請行動、要請はがき運動、署名運動、街頭宣伝など全力で取り組んでいます。この闘いを軸にしつつも、戦争と大増税の岸田政権打倒の大運動も闘います。労働者、市民と共に憲法改悪阻止! をたたかおう。4月地方選、次の国政選挙に勝利しよう。



2023年1月の記事

 新年のごあいさつ

狭山の事実調べ・再審かちとろう!

軍拡、農地強奪、原発推進―岸田の暴走を止めよう!
 
                   
           部落解放同盟全国連合会
           中央執行委員長村上久義


 2023年の新春にあたり、部落解放同盟全国連合会から、年頭のあいさつを致します。昨年は、一言で言って、転換の年でした。狭山の意見広告から、連続要請行動、狭山事件の再審を実現する大運動の誕生、ついに8・29事実調べの請求と、狭山闘争の大きな転換点でした。また、ロシアによるウクライナ侵略によって、世界戦争・核戦争の危機がもたらされるなかで、安倍元首相の銃撃事件から国葬の強行をステップにして、岸田政権は支持率の低下を開き直るかのように、防衛費倍増・大軍拡、原発推進=核武装に舵を切りました。まさに100年に一度と言うべき、時代の転換点が始まっています。
 今年は、これらをめぐる攻防が、火の出るような激突の年になります。全国連は固く団結し、狭山闘争の勝利を絶対の使命として2023年をたたかいます。三里塚農民と連帯し、軍事空港建設・農地強奪を阻止して、狭山闘争と反戦闘争を結合して勝利をきり拓きます。

第32回全国大会の成功へ

 去る12月18日、中央執行委員会が開かれ、今春の方針が決定されました。  
 第32回全国大会については、6月11日に大阪府大東市民会館(キラリエホール)で開催します。32回大会はどのような位置を持つのか(獲得目標は何か)。何をおいても、石にかじりついても狭山の事実調べをかちとる。そのうえでの大会です。また、三里塚や統一地方選をめぐって、岸田政権の大軍拡・改憲路線との対決も焦点化します。三里塚、選挙がもう一方の柱になります。
 さらには、組織建設の最大テーマとしての青年の育成に関して、5月(5・21-22)を青年部建設の狭山現調&全青交&要請行動として、青年を先頭に全国あげて成功させ、大会を迎えることが決定されました。議案書起草委員会が2月26日、拡大中央委員会が4月16日となりました。
 
今春にも事実調べ実現へ
 
 狭山闘争について、再審情勢は事実調べの攻防は年をこしたものの、1月下旬三者協議、2月検察意見、その先の裁判官の判断と、今春のうちには超緊迫した段階をむかえます。
 全国連は、昨年5月の第2次意見広告の大成功と、それを毎月要請行動、狭山大運動を両輪に引き継いで、決戦を長期強靭にたたかっています。
 現地調査は、狭山活動家づくりとして、他に替えられない取り組みであることが、改めてはっきりしました。次は5月、青年部建設の目的意識性をもって、全国あげた取り組みにします。
 要請行動では、8・24福岡、9・28中四、10・31関西、11・25婦人部、12・2茨城・東京と5回にわたって計画を実行しました。いずれも10人を超える参加です。自画自賛でなく、これ自体がすごいことで、どこも真似できません。財政的にも、特別カンパの取り組みなしにはできなかったことです。さらに今春、1・30長野、2月関西、3月福岡、4月茨城・東京、5・22青年と続けます。
 「大運動」入会は、11・18リーフ郵送~12・13現在で215口22万円。郵送だけでこんなに集まるのです。1000口目標は十分に勝算ありです。意見広告の際とまったく同じ(それ以上に)どんどんオルグしましょう。ハガキ、署名も各地で旺盛に取り組んでいますが、一層進めましょう。
 今春4月末か5月初旬に「大運動」の関西集会を開催します。狭山中央集会か「大運動」総会は臨機応変に再審情勢を睨んで構えます。

選挙、三里塚で軍拡・改憲阻止へ
 
 三里塚連帯について、現地闘争の報告を受け、真剣に方針を討議しました。座り込みやデモへの参加、野菜市への協力を検討しました。全国連として、狭山は絶対です。同時に大木よねさん以来の農地強奪を目の前に、三里塚を看過して狭山無しです。
 示現舎糾弾闘争では、公開質問状6の討議を行い、決定しました。部落差別事件をめぐって、宮部龍彦を打倒するまで追及していくことを確認しました。
 今年は統一地方選の年です。組織内候補、連帯候補は4月茨城、杉並、9月長野、東大阪とすでに連日の死闘に突入しています。全国連としてのこの選挙闘争の基本は、防衛費倍増反対、消費税反対の鮮明な態度の人を支持します。許しがたい選挙妨害を吹っ飛ばし、必勝の二文字にむかって頑張りましょう。



実物大カモイの模型を

要請書とともに高裁第4刑事部に


       12・2要請行動、高裁前行動報告

 12月2日、毎月の狭山要請行動の第5波として、茨城と東京を中心とした要請行動に取り組みました。 午前中は東京高検でしたが、検察官は欠席で公判事務課長らが対応しました。
 要請文を読み上げ、「すべての証拠を開示せよ」「検察は鑑定人尋問やインク鑑定に同意しろ」「乙部検事が出席できないときは別の検事が出席すべきだ」と口頭で要請しました。
 お昼の高裁前行動は、2つの横断幕を広げて、裁判所に向かってマイクで訴えました。またチラシやハガキの配布、署名活動に取り組みました。
 午後の東京高裁への要請は、今井訟廷管理官らが対応しました。
 今回は要請文の添付資料として、石川さん宅のカモイとまったく同じ寸法で作った木の模型を提出しました。
 要請室の中で組み立てて後方の壁に立てかけ、座って対応している訟廷管理官に「あなたから万年筆が見えるか」と問うと、「見えます」という答えでした。
 そして万年筆のねつ造は、下山鑑定とあわせて重要な争点になっていることを説明しました。「このカモイの模型を組み立てたまま第4刑事部に運び、大野裁判長が見える位置に置くように」と要請すると、訟廷管理官は「わかりました。責任を持って届けます」ということでした。
 今回は、要請行動の中で初めて、実物大のカモイの模型を第4刑事部に入れることができました。また要請文4通を読み上げて提出しました。


【参加者の感想】  茨城の山田委員長「要請後、(今井発言やカモイを高裁が受け取ったことで)笑顔で帰れるというのは初めてだ」
 茨城の婦人「検察庁は責任者がいないので、こちらの言うことを聞くだけだった。高裁はあんな大きな木の模型を受け取るとは思わなかった。今日は来て良かった」



示現舎・宮部龍彦への公開質問状 6
                 
             部落解放同盟全国連合会
 

1、宮部は、自分を部落民だとする

   大ウソつきであることが明白になった


 私たち全国連は、宮部の差別拡散行為をやめさせるために、これまで公開質問状を出してきた。
 初めの2回は、宮部の悪行に対して全面的な質問をした。すなわち、① 部落民だというウソ、② ネットでの部落情報の差別的な拡散、③ 部落地名総鑑への評価、④ 動機、⑤ 部落差別への認識(部落差別の存在、結婚差別等)についてである。
 これに対する宮部の回答は、のらりくらりと論点をずらしたりするものばかりであった。そこで3回目以降は、宮部が「自分は部落民である」と公言しているウソに絞って質問をしてきた。宮部は「全国連は部落民であるかどうかになぜこだわるのか」などと言っているが、それは宮部という人物がいかにウソつきで、その言動が信用できない人物であるかを明らかにするためであった。
 また宮部は「自分は部落民だ」と言うことで、多くの労働者市民に「差別を受けている部落出身者が主張していること」「部落民同士の意見の対立」と思わせることをねらっているが、その差別的な意図を粉砕するためであった。
 宮部は引くに引けなくなり、今も自分が部落民だという主張を撤回していない。しかし私たちは、この点については決着がついたと断じる。いつまでたっても宮部は自分のウソを認めることなく、居直っていくだろうが、私たちはそのようなウソに延々と付き合っていく暇はない。そこで今までのやりとりを整理し、次の論点に移る。
 これまでの公開質問状の応酬を見ている部落大衆や労働者市民は、いかに宮部がウソつきで信用できない人物であるかを理解したと思う。

2、宮部は鳥取市下味野の本村で生まれた一般地区

  住民である


(1) 宮部は、自分の出身地である「鳥取市下味野」は全国部落調査に掲載されている、そして下味野は部落であると全国部落調査や裁判所が認めている、という理屈で、自分は部落民であると主張している。
 これに対して私たちは、① 行政が指定する部落の対象地区指定はほとんどの場所で、大字単位で広く指定されている、② その地区内には一般地区住民も混住しており、かつての行政調査でも混住率などが示されていた、③ 宮部の実家の「下味野415番地の1」は下味野の本村であり、被差別部落ではない、と具体的に指摘した。
 こんなことは常識的なことで、宮部が知らないはずがない。知っていて、ウソを重ねている。そして「番地がどうであろうと、下味野と付けばそこは部落なのである」などと開き直るしかなくなっている。しかし自分の実家や隣近所を部落探訪で映して、「ここが部落です」とは決して流さない。いや、流せない。
 しかしさすがにそんなへ理屈は通らないと思ったのか、現在は下味野から逃げ出し、神奈川県の解放同盟員宅(裁判の原告の家)に本籍を移した。そして「本籍地を解放同盟員の家に移したんで、正真正銘、部落民ですね。いいかげんな話で、部落に本籍を移せば部落民なわけですから」などと言っている。なぜ本籍地を、「正真正銘の部落」に移す必要があるのか。「下味野415番地の1」は「正真正銘の部落」ではなかったのか。この行為自体が、宮部が部落出身でないことを自認したことである。
(2) 宮部の理屈は、「裁判所が、戸籍や住民票が全国部落調査に掲載された地区にあれば部落民だと言っている。だから下味野の私は部落民だ」ということに尽きる。
 自分のウソを自覚している宮部は、「解放同盟や裁判所が言うところの部落民です」などと、「条件付き部落民」のような表現もしている。そのデタラメさは、(1) で指摘したとおりだ。
 さらに宮部は、さかんに「部落は権力がつくった、裁判所という権力が下味野地区は部落だと言っている」などと権力にすがっている。しかし宮部はかつて同和事業の制度を利用しようとして、その対象ではないと裁判所にも判断されていた。宮部自身がブログで「鳥取市と鳥取地裁によって私の実家は同和地区でないことが証明された」と書いている。私たちがこの点を指摘すると、「この時点では同和かどうか分からないということが前提となっている」などと、いつも通りの意味不明の回答だった。
 宮部のいう権力が認定云々などというものは、ご都合主義の言い訳でしかない。

3、「全国部落調査」の拡散を阻止されていることが

  唯一の「差別体験」?


 部落出身者は、部落にルーツが有り、部落に本籍や住所があろうがなかろうが、いまも身分的差別としての部落差別を受けている。戸籍や住民票などの書類だけで、部落出身者かどうかが決まる問題ではない。だから裁判の原告となった解放同盟員は、自らの差別体験を陳述書として提出している。
 私たちは宮部に、親は部落出身者か、宮部自身の差別体験はあるのかと質問した。宮部の回答は、両親については「被差別部落出身者である」(第3回―3)と答えたが、どこの部落の出身かと具体的に問われると、「答えるべきものでもないし、答えられないし、答えたくもない。質問が非常識だ…」(第4回)と回答した。他人の部落には勝手に入り込んで墓まで映像を流している人物が、よく言えたものだ。その後、父親系統は下味野(本村の一般地区だ)だと認めた。
 さらに宮部自身の差別体験についての質問には「被差別部落民であることに苦しみや悩みはない」、小中学生の時に「部落民宣言に誘われたことはない」、親からは「部落民だと言い張れば部落民ということになるとは聞いている」と回答した。そして唯一の差別体験は「部落研究を妨害されるという悪質な部落差別」(!)を受けているという。
 宮部はまた、「アイヌ地区の優遇策が始まればアイヌになろうと思う」などと、アイヌの人人への差別を平気で書いている。宮部の「自分は部落民だ」という主張も、このような薄っぺらで差別的なウソである。今後も宮部が、自分は部落民だとウソをつき続けても、もはや誰も信用しないだろう。

4、人間性のカケラもない対応

 宮部に対して鳥取県の部落出身の支部員が、部落出身者は誰もが悩み苦しんだ経験を持っているが、あなたはどんな苦しみ・悩みを持って生きてきたかと質問した。宮部の答えは「『誰もが苦しんだ経験を持っている』ということに根拠はない」、自分自身は「被差別部落民であるということで苦しみ・悩みはない」と回答した。部落差別を受けることのない一般地区出身者の宮部だからこそ言える言葉だ。
 またその支部員が、部落差別は命まで奪うという具体的な例として、中学校時代の友人Hが職場で部落出身であることをさらされて悩み自死したことを挙げて、宮部の見解を求めた。これについて宮部は「『部落差別によって命さえ失った被差別部落民も数多い』という根拠がない」「詳細を確認できない…誰のことか分からない」と回答した。さらに宮部のやっている行為は、命に関わる深刻な問題だという指摘に対しては、「既に部落地名がインターネットで公になって何年も経ているのであるから、『命を絶つ人』が出ているはずなのに現実は出ていないのであるから……予想が誤りであることが証明され続けている」と回答した。
 さらに婦人部が、母親として子どもの結婚に際してどんなに差別への心配をしているかについて述べると、宮部は「結婚差別などという言説は悪質デマ、オカルト、陰謀論の類いである」と回答した。
 これは宮部の人間性のゆがみを示して余りある回答だ。そこには差別を受ける者への冷たい憎しみしかない。
 この間の公開質問状でのやりとりをみている皆さんは、宮部がいかにウソつきであるか、差別者であるかを充分に理解されたことと思う。
 宮部は最近、全国連が荒本支部と野崎支部で不当な利権行為をしているかのようなことを書いている。自分のウソを追及されて、論点をずらしたいという魂胆が見え見えである。私たちはこのような見え透いた挑発に乗るものではない。

 私たちは、以上の1~4について、宮部の回答ならざる回答は求めない。もうこれ以上、宮部のへ理屈に付きあっても意味はないと判断し、次の論点に移る。

5、解放運動があるから部落差別がおきる

  というウソについて

 宮部は、結婚差別はない、親が解放運動などやっているから相手が忌避するのだと言っている。また「部落に住むと差別されるなどという根拠のない風評被害を広めている側こそが言動を撤回し謝罪しなければならない」と解放運動を批判している。
 これは、部落差別はもうない、あるとしたら解放運動が引き起こしているのだとする地対協意見具申の立場である。宮部は、権力とは闘うなどと言いながら、解放運動を解体しようとする権力の手先そのものである。
 この宮部のウソと差別性について明らかにするために、以下、質問する。
 一つの具体的な差別事件として、茨城県で今年発覚した差別事件を取り上げる。土浦市の小学校児童クラブの支援員3名が、地元の部落からクラブに通っている児童に対して、大勢の児童の前で次のような差別発言をした。
 支援員1は、大便の粗相をした子に「部落出身だからねえ、ウンコも漏らすよねえ」と発言して他の支援員と一緒に笑っていた。
 支援員2は、別の女児に「Aちゃんは部落だから、頭が悪くて、私らが言っている話が理解できない」と発言。さらにその子の家が廃品回収業をしていることについて「ゴミ屋です。○○では被差別部落カーボを△△の連中と呼ぶのだけれど、Aの家はゴミ屋の仕事なんです。ゴミ屋なんて普通はやらないでしょう、△△人だからなんですよ」と発言。隣にいた支援員1も「そうなんですよ。コジキだったんですよ」と発言した。
 支援員3は、市内の別の小学校児童クラブに勤務していたが、同僚がこの小学校のクラブに異動することが決まると、その同僚に「○○は部落が沢山あって、親が普通じゃないから、あんな所に行ったら大変だわ。私なら怖すぎて行けないよ。部落だよ、相手は」と発言した。
 差別発言した支援員は「部落については、近所のおばあちゃんから△△という所は同和の人たちが住んでいる…と聞きました」と言っている。
 この差別事件の背景には、運動団体はまったく関係していない。地域の一般地区住民が被差別部落に対して根深い差別意識を今も持っていることを示している。
 宮部は、これも解放運動のせいだというのか。私たちが「部落に住むと差別されるなどという根拠のない風評被害を広めている」というのか。そのような見解を撤回し、謝罪するべきである。
 回答を求める。      以 上

2022年12月19日   部落解放同盟全国連合会 



2022年12月の記事

権力の部落差別を弾劾して要請行動

お昼の高裁前を「狭山再審」で席巻


 10月の現地調査、要請行動に続いて11月25日、全国連婦人部8名を中心に12名による東京高検、高裁への要請行動、お昼の高裁前訴え行動が闘われた。
 午前中の、高検に対する要請行動では、各地から計7通、狭山事件に貫かれた部落差別を弾劾する要請文が読み上げられ、担当検事の乙部欠席について追及した。
 お昼の高裁前での訴え行動では、午後からのアスベスト訴訟に集まった傍聴者が多かったこともあったが、これまでにない多くの署名や要請ハガキが集まった。
 1時間ほどの間、いたるところで署名やハガキに応じる人達の姿が見受けられた。
 初めて参加したという茨城の婦人は、10月の狭山現地調査に参加し、石川さんの無実をあらためて確信できたことが大きな自信となってがんばれたとのことです。
 署名39筆、要請ハガキ15枚はこれまで最高の成果です。東京高裁へ直接声を届けるマイク街宣にも力がこもりました。
 午後の東京高裁への要請行動では、各地から計8通の要請文が読み上げられました。
 事実調べを行えとの要請は勿論、一審検事論告や判決文の差別性や最近の茨城での差別事件について訴え、要請の時間をこえる集中した要請行動となりました。対応した訟廷管理官は「責任もって刑事第4部に渡します」と約束して終わりました。


逃げるな!乙部検事

婦人部 狭山要請行動に起つ

  11・25 要請行動報告(全国連婦人部)

 まず、乙部検事が出席できないことを知り、とても腹がたった。乙部検事にどう切り込んで話を引き出してやろうか、と色々策を練っていたのに私たちから逃げてしまったこと。そんなに追及されるのがこわいのか。わたしたちも暇で全国から集まっているわけじゃない。検察に乙部検事に直接要請するために上京しているのだ。事前に出席できないことが分かっていたなら早く連絡すれば私たちが調整することもできる。そこをまず、検察への要請とした。
 乙部検事が出席できないのなら、ほかの担当検事がいるだろう、狭山事件の担当検事は乙部ひとりだけなのか? と追及した。
 今回初めて要請行動を担当したのであろう事務官の人が、私たち婦人の話しかけるような口調に思わず口を開き、検察の組織の事情をいろいろ話してくれた。ついつい話にのってしまうところが婦人の要請らしくて素晴らしくもあり、おもしろいと思う。
 昼の高裁前街宣も、今回はじめて要請行動に参加した茨城の婦人が奮闘してくれて、たくさんの署名が集まった。10・30の狭山現地調査に参加して、石川一雄さんの無実を確信したのだと。
 婦人の底力は計り知れない。眠っている婦人がまだまだいるのだと可能性を感じた。参加した婦人で狭山のビラをまき署名を集め、ハガキを集めた。順番でマイクを握り、狭山を訴える。初めてマイクを握った婦人もいた。婦人たち、いけるぞ。久しぶりの婦人だけの要請行動。狭山を絶対に勝利させる気概に満ちている。自分も全国の婦人から元気をもらい、さらに狭山勝利までたたかいぬく決意をあらたにした。



岸田政権の大軍拡・改憲を阻止しよう

-狭山、三里塚はひとつの決戦

 
 狭山闘争は、日々刻々、事実調べをめぐって、緊迫しています。来春早々にも、結論はだされようとしています。後戻りも、やり直しもきかない、文字通りの決戦です。全国連はここにかけて、要請行動貫徹と「大運動」拡大を軸にたたかいます。

「反撃能力」の詭弁で憲法改悪

 岸田政権は、防衛費の倍増・先制攻撃能力の獲得に突き進んでいます。それ自体、国是の大転換であり、文字通りの実質改憲です。野党の一部も、その論議に加わり、貢献しようとしています。
 統一教会の問題自身は重要ですが、軍拡・改憲こそが統一教会の党是であり、奴らの撲滅と改憲阻止は一体のものです。自民党の改憲4項目は、統一教会の従来の主張と完全一体です。そこをあいまいにすることに、統一教会問題をもごまかす抜け道があります。野党を含めて、まんまとその罠にはまっています。
 狭山闘争は、そうした軍拡・改憲とひとつのたたかいです。戦争国家への道は、人権の抑圧、差別強化を不可避にします。

5年で11兆円の防衛費に!

 11月28日、岸田首相が5年先の2027年度に防衛費をGDP(国内総生産)の2%とするよう、鈴木財務大臣と浜田防衛大臣に指示しました。
 今年度の防衛費は6兆1千億円、GDPの1・09%。2%となると11兆円にもなります。あのロシアを抜いて、アメリカにつぎ、中国と並ぶ軍事力となります。
 それだけの大軍拡の核心は、「反撃能力」という詭弁を弄して、先制攻撃能力を獲得する点にあります。11月30日の自民公明の実務者協議で合意し、年内に改定する安保3文書に明記しようとしています。
 それに先立ち、11・13に岸田・バイデン会談で謀議し、11・22にはインチキ有識者会議で提言を出させました。

人殺しのミサイルなどいらない!

 より具体的には、2027年度をメドにアメリカから巡航ミサイル・トマホークを500発導入配備し、同時に、極超音速など10種類以上のミサイルを開発し、2028年度以降に配備すると報道されています。これらの経費は、実に5兆円と言われています。
 その財源はどうするのか。戦費優先がまかり通り、大増税、「戦時国債」の発行が謀議されています。また福祉や医療など社会保障に大ナタがふるわれることになります。消費税は、減税どころか、インボイス制度によって、中小零細事業からも、根こそぎ収奪するとしています。また、マイナンバーの徹底で、それらの実行を可能にし、将来の徴兵制にむけて準備しています。まさに、このままでは、いつか来た道―命、財産、人権をすべて国家に供する、戦時国家の再来です。

三里塚を看過して狭山なし

 大軍拡の最も先鋭な攻撃が、三里塚に襲いかかろうとしています。市東さんの農地を強奪し、軍事空港建設を強行しようとしているのです。この年末年始にも、事態は切迫しています。三里塚を看過して、狭山の勝利はありません。市東さん防衛へ、三里塚にかけつけよう。



歴史と情勢を動かした節目の2022年

<狭山>を柱に いざ勝負の2023年へ

 全国を覆うコロナ禍も三年目。さまざまな制限がある苦しい状況の中、私たちは昨年より総力をあげてその逆風を突破してきました。座していては停滞し、ともすれば逆流するばかりであり、切迫する狭山闘争の勝利も差別撤廃も実現しないからです。
 部落解放運動にとって画期をなし、歴史にその名を刻んだ全国水平社の創立と全国連の創立。その100周年と30周年という節目だった2022年。全国大会以降の奮闘をあらためてふりかえり、くる年2023年にむかいます。

■全国大会――昨年を大々的に上回る結集

 「コロナの第7波がピーク」とアナウンスされていた7月、これまで通り一部リモート参加と必要な対策をとりつつ、大阪で『第31回全国大会』を開催。様々な制約を圧倒するように、全国から昨年を大きく上回る代議員の熱気で大成功をかちとりました。5月までの狭山意見広告運動が大きなエネルギーになったのは言うまでもありません。
 大会では、部落民自身の決起でかちとった水平社の創立から100年に際し、全国連としての「水平社の総括」も提起。また部落解放運動100年のうち狭山闘争が59年を要しているということも再確認。5月の意見広告掲載を実現した運動と影響力を武器にしながら「『狭山全国連』としての本領を発揮して大運動を展開しよう」と決意を新たにしました。
 さらに、ロシアによるウクライナ侵略を弾劾し、同時に国内での憲法改悪策動を阻止する闘いを強めること、ムラびとの生活要求に寄り添うこと、「示現舎・宮部」の居直りや「茨城・土浦市児童クラブ差別事件」など、全国であいつぐ部落差別を徹底的に糾弾することを宣言。また、「本土返還50年」ということもあり、沖縄の人々と連帯して基地と戦争反対を貫くことをあらためて誓い合いました。

■被爆77年――ヒロシマ・ナガサキから訴え

 8・6広島現地で、8・9長崎現地で、それぞれの『つどい』がおこなわれました。ロシアによるウクライナ侵略に乗じた岸田政権の(朝鮮半島・中国情勢をにらんだ)軍拡路線に対して「自国日本の政権が進める侵略戦争国家化・集団的自衛権行使・沖縄基地強化・改憲への明確な反対運動なしに『ロシアのウクライナ侵略反対』を唱えることはペテンである。それは真の戦争反対とはいえない」という立場で、世界の戦争反対に立ち上がる人々への連帯を訴え、発信しました。

■青年と婦人――全青交・全婦大会を貫徹

 困難な状況が好転しない中、青年も婦人も定期的に幹事会をおこなってきました。各地の情報交換も密にしながら青年部は8月27日~28日に『全国青年交流集会』を奈良で、婦人部は9月10日~11日に『全国婦人部大会』を静岡で、どちらも三年ぶりの宿泊開催を敢行しました。昨年同様、現地会場に参加できないそれぞれの各地をオンラインでつなぎ研修し、同時に交流と親睦を深めました。

■安倍の国葬反対――各地で抗議行動

 旧統一教会とズブズブの関係だった安倍。「アベノミクス」で一部の資本家だけをボロ儲けさせた安倍。格差社会を拡大し、低所得者をますます貧困に陥れた安倍。憲法9条の解釈の変更と集団的自衛権行使を容認する閣議決定をした安倍。次々と戦争準備体制の極悪な法律を成立させた安倍。福島原発事故の解決もせず、オリンピック招致には「放射能のアンダーコントロールはできている」と全世界にウソを発した安倍。「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」では国家財政を私物のように使った安倍。追及されると、ウソの上塗りをし、官僚たちに忖度させ続けた安倍。そのうえ真面目な公務員を自死に追い込んだ安倍。トランプがアメリカ大統領になったときには真っ先に訪れて媚びを売り、アメリカの兵器を爆買いした安倍。列挙し出せばキリがないほどの悪行を重ねた安倍。なぜこの安倍を弔う必要あるのか! 「国葬」に異議を唱える声は当然にも広がり、9月は全国各地で反対・抗議の行動が爆発しました。

■狭山大運動始動――全国各地で活発化

 5月8日付けの全国紙(毎日新聞)でのカラー見開き二面ぶち抜き狭山意見広告の掲載は想像通り部落のきょうだいをはじめ、たくさんの人々を鼓舞しました。
 7月からは幅広い陣形によって新たに『狭山事件の再審を実現する大運動』がスタート。またリニューアルした機関紙『狭山大運動』も創刊しました。さらに年内3000枚を目標とした裁判長あての要請ハガキの全国展開を開始。同時に8月から毎月、東京高検と東京高裁に対しての再審要請行動をおこなっています。各ブロック参加者がそれぞれの要請文をたずさえ上京し、自分の思いを訴え司法権力を追及しています。また、ビラ・署名を中心とした街宣活動や集会・講演会、戸別訪問など工夫をこらした「23デー行動」も各地で活発におこなわれるようになりました。10月には久々の狭山現地調査も実施しました。
 石川さんがよびかけ訴える20万人緊急署名運動にも連帯し、精力的にとりくんでいます。

■いざ、勝負の2023年へ!

 長野では2019年10月の「台風19号」以来続く大衆の生活をかけた闘いと連動し、県連の中村副委員長を市議会に送り出す選挙闘争が本格的に始まりました。負けるわけにはいきません。そのほか全国各地でも様々な奮闘が続いています。
 私たちの運動の大黒柱は狭山闘争です。この闘いはあともどりのきかない、やり直しもきかない、決戦のゴングが鳴りました。まず、なんとしても「鑑定人尋問・事実調べ」をおこなわせましょう。そして再審を実現しましょう。この決戦に、「勝つためにはどうすればいいのか」すべての闘争の場でそう発想し、あらゆる手段を展開しましょう。きたる2023年もさらに一致団結・総力決起で勝負にうって出ましょう。




2022年11月の記事
 
 全国連からの緊急アピール   
 
 部落解放同盟全国連合会は、狭山事件の第3次再審請求が大詰めを迎えるにあたり、全国300万の兄弟姉妹と労働者人民に心から訴えます。

 
臨戦態勢に突入し、勝利に向かって総決起しましょう
 
 石川一雄さん・弁護団の事実調べ請求に対して、検察の意見がもうじき出されます。さらに、裁判官の判断は、早ければ年内にも出されようとしています。
 事実調べぬきの再審はありません。狭山事件だけが、45年間も事実調べが行われていません。下山博士など11名の鑑定人尋問を行え!裁判官みずからインクの鑑定を行え!これは狭山事件59年のすべてをこめた、血涙の要求です。事実調べをめぐるこの攻防で、すべてが決まります。
 後戻りのきかない、やり直しもきかない決戦のゴングが鳴り響いています。「空気。めし。狭山」日々刻々、寝ても覚めても、事実調べのみを求め、生活と命をなげうって総決起しましょう。

 
狭山大運動を国民的大運動に発展させましょう
 
 狭山闘争は尋常一様なたたかいではありません。実際に勝つためには、もっともっと大きな世論、力が必要です。
 解同、住民の会、個人、いろんな動きがあります。大歓迎です。しかし「運動体は弁護団の後押し」だけでは勝てません。
 狭山闘争は未曾有の権力犯罪に対する、差別糾弾闘争です。部落差別に気づき、怒る巨万の世論が裁判所を包囲・監視して、初めて勝機はあるのです。
 5・8毎日新聞全国版の意見広告には、私たちの想像をこえた大きな反響がありました。そこにこめられた声なき声を東京高裁に届ける形にする、それが狭山大運動(狭山事件の再審を実現する大運動)です。今こそ、ムラに街頭に、友人知人にうって出て、狭山大運動を全国的な国民運動に成長させましょう。
 

毎月要請行動をやりぬき東京高裁を政治焦点の渦に
 
 要請ハガキは、連日、全国各地から殺到し、第4刑事部の裁判官の目の前に山のように積みあがっています。あなたの思いをハガキにこめ、裁判官室を埋め尽くそうではありませんか。また、緊急20万人署名にもとりくみましょう。
 その急先鋒として、要請行動で、検察、裁判所を直接に追求しましょう。11月は25日、12月は2日、1月は30日、東京高裁で会いましょう。


狭山事件の再審を実現する大運動

狭山現地調査と東京高裁・高検への要請行動

                                  
カモイの低さにあらためて万年筆の    デッチあげを実感する(2022年10    月30日)







出会い地点とされた場所で「自白」の   不自然さを指摘する本田豊・狭山大運  動共同代表(2022年10月30日)







現地調査の後、行われた集会であいさ  つする長谷川直彦・狭山大運動共同代  表(2022年10月30日)





東京高裁・高検への要請行動にあわ   せてカモイの模型を持ち込んで街頭   宣伝(2022年10月31日)









2022年10月の記事
 
 下山博士など11名の鑑定人尋問を!
 
 東京高裁じしんがインクの鑑定を行え!
 
10・30現地調査・集会~10・31要請行動へ

 安倍国葬に反対して、全国各地で行動が行われました。全国連もその場に参加し、安倍国葬を糾弾しました。
 前号既報のように、8月29日、ついに弁護団は下山博士をはじめ11名の鑑定人の尋問を求める、事実取り調べ請求を提出しました。あわせて、万年筆・インクの裁判所による鑑定を請求しました。検察は「今後検討して意見書を出す」とのべました。
 いよいよ山が動き出しました。8・24要請行動で全国連は先陣をきりました。さらに9・28要請行動に決起しました。また他方では、5・8意見広告以降各地に相乗的波及効果が生まれ、全国各地で独自に街宣、座り込み、ハガキなどにとりくんでいます。

寺尾判決48ヶ年糾弾!

 寺尾判決から48ヶ年をむかえます。狭山事件の再審を実現する大運動では、10・30に共同代表を先頭に狭山大運動主催の狭山現地調査・現地集会とすることを決定しました。 翌日10・31には、寺尾判決を糾弾し、要請行動に決起します。
狭山大運動のよびかけに応え全国連としても、久方ぶりのとりくみに全国から参加しましょう。とくに青年の参加獲得を全支部で努力しましょう。狭山の原風景から体験しましょう。この10・30方針は、青年のためにこそあります。

今こそ権力犯罪糾弾の大運動を

 中央(東京高裁に迫る)と地域との循環を確立して熱気を高め、世論を沸騰させて事実調べをもぎとりましょう。明らかに、もう後戻りのきかない、やり直しもきかない、決戦のゴングが鳴りました。次は、勝つためにはどうするかです。
 勝つためには、もっともっと巨大な世論、力が必要です。解同、住民の会、個人、いろんな動きがあってよい。大歓迎です。しかし運動体は常に先鋒を果たさねばならなりません。
 狭山闘争は未曾有の権力犯罪に対する、糾弾闘争です。部落差別に気づき、怒る巨万の世論が裁判所を包囲・監視して初めて勝機はあるのです。運動体が「弁護団の後押し」では勝てません。
 つい最近でも、意見広告の電話に、「ハガキはまだ出してもよいか」と話がありました。実に、4カ月も新聞を残してくれている。恐らく、この人は解同とも直接の繋がりがない。しいていえば、それらを超えて、われわれと繋がり始めているのです。こういう人が全国各地に何万といます。5・8意見広告のときの巨大な反響を思いおこしましょう。
 その声なき声を、東京高裁に届く声にするのは誰か。狭山大運動はそのために生まれたのです。今こそムラに街頭に、市中に、友人知人に向かってうって出て、狭山大運動を巻き起こしましょう。
 ① 今年中に狭山大運動の会員1000口を実現しましょう。意見広告コピー、入会案内チラシ・振込用紙、ハガキを3点セットに、よびかけ人、賛同人はもれなく総当たりしましょう。「会報」、QRコード(での学習)を活用しましょう。
 ② 第1次ハガキは、年内に完了しましょう。
 ③ 23デー(とくに10・23、11・23)を全国一斉行動日としましょう。



とどろく、アベ国葬糾弾の声!
                               
奈良 党派・団体を超えた呼びかけ人で構成する「安倍元首相の国葬反対奈良県実行委員会」の主催で9月24日に集会と市内デモ行進がおこなわれ、100人を超える人々が参加しました。
 また、27日(国葬当日)にはコンサートを開催。平日の昼間にもかかわらず、道行く市民も合流して約300人が結集しました。全国連同盟員も呼びかけ人に名を連ね、両日ともに参加しました。

大阪 大阪では大阪総がかり行動実行委員会の呼びかけで、9月26日夕方から中之島・女神像前公園で集会とデモが行われ、一千人近くの労働者・市民が集まり、安倍政治の悪行を断罪して国葬反対を訴えました。集会後西梅田までデモで道行く市民に訴えました。



事実調べを実現し再審開始を!

       ~9月28日裁判所と検察に要請行動

 狭山の事実調べを実現するたたかいのまっただ中で、狭山事件の再審を実現する大運動と全国連は、9月28日、前月に続いて第2波の要請行動に取り組みました。今回は中四国から広島、山口の仲間を中心とした要請となりました。
 午前中は東京高検に対する要請で、この日は担当検事の都合がつかず、公判部の事務官が対応しました。最初に要請団を代表して楠木書記長が「弁護団から、11名の鑑定人尋問とインクの鑑定実施を求める事実取調請求書が出された。検察は真実を明らかにするというなら、事実調べに同意せよ」と迫りました。参加者からも要請書や口頭で、すべての証拠を開示せよ、検事の差別論告を撤回して謝罪せよ、という追求が行われました。
 正午から、東京高裁の正門前でアピール行動を展開しました。「東京高裁は狭山事件の再審を行え」という横断幕がかかげられ、参加者が次々に高裁に向けてマイクで訴えました。通行する人たちへはビラが手渡され、「ああ狭山事件ですか」と足を止める人もいました。新聞意見広告を見せると、「これはすごい」と感動し、要請ハガキを出してほしいと話すと「友人にもやってもらうので何枚か下さい」といって持ち帰る人もいました。
 午後からは、東京高裁への要請で、訟廷管理官が対応しました。要請ハガキについては「毎日来ている。2006年以降に来たものはすべて第4刑事部の書記官室に保管してある。主任書記官を通さなくても、裁判官がいつでも見られる状態にしてある」ということでした。
 要請では、最初に「事実調べを行うかどうかに狭山再審の実現がかかっている。鑑定人尋問とインク鑑定を必ず実施せよ。検察も独自の実験をやっており、反対する理由はないはずだ。すべては東京高裁の決断にかかっている。1審内田判決は貧困家庭に育ったから犯罪者になったとする差別判決だ。裁判所の見解を示せ」と追求しました。
 参加者からは、「わたしの親は石川さんと同じ年で、差別と貧困の生活もまったく同じだった」「安倍銃撃事件で、犯人は部落民だとネットで流された。重大事件が起きるといつもそうだ。石川さんの時も大々的なマスコミの差別報道で部落は悪の巣くつとされる中で不当逮捕された」「裁判所は最後の砦だ。差別裁判をやめ、当たり前の裁判を行え」など多くの意見をぶつけました。
 終了後の総括会議では、この日の要請行動を、10・30狭山現地調査、10・31第3派要請行動につなげて、今秋何としても事実調べを実現し再審開始をかちとろう提起されました。



2022年9月の記事
9・23、10・23狭山デー

全国一斉行動にうって出よう!

10・30-31

狭山大運動の創造的行動に総決起しよう!


事実調べ請求を提出!いよいよ本番だ

 8月24日、全国連と狭山大運動は、東京高裁、高検に対して、要請行動を行いました。8月29日には、弁護団が鑑定人尋問をはじめとする事実調べ請求を提出しました。9月1日には、裁判官、検察、弁護団の三者協議が行われました。年内か来春には、事実調べ請求に対する裁判所の判断が、出されるみこみです。いよいよ狭山闘争最大最高の決戦が始まりました。下山鑑定人の尋問を行え!「水洗い」を採用するな!勝利のためには、何でもやろう!

要請行動が先陣をきる

 8・24要請行動は、決戦突入の先陣をきって、行われました。まさに時宣を得たタイミングでした。5・8意見広告を見たか、連日殺到するハガキを見たか、自分で現地に行き、かもいの前に立て、自ら万年筆・インク・「水洗い」の実験をしろ、という鋭い追求を裁判所、検察に浴びせました。担当検事は突如、田沢から乙部に替わりましたが、案の定です。
 7月提出の総括意見書へのわれわれの追求を恐れ、田沢は異動して、雲隠れしたのです。8・24は、福岡の当番で、13名でした。次は9・28中四国の当番です。毎月、波状的にとりくまれ、その準備は万全です。
 8月24日夜、狭山事件の再審を実現する大運動の代表者・よびかけ人会議が開かれました。いよいよ本番という、緊迫した雰囲気のなか、状況分析、方針討議が行われました。
 5・8意見広告、5・22東京集会、6・19茨城、7・10福岡の報告集会の成功から、各地に相乗的波及効果があらわれ、要請ハガキに数千枚単位でとりくむところが続出しています。また、映画会、街宣、座り込み、スタンディング、独自の要請行動、現地調査など、意欲的行動が各地に始まっています。

安倍国葬と対峙し狭山大運動で席巻しよう

 こうした気運を受けて、大運動では次の方向性が出されました。
① ハガキをさらに進め、大運動の入会活動を本格化する。1口千円、1000口を目標に。よびかけ人、賛同人に9月から総当たり。そのための道具も揃える。
② 毎月の要請行動・高裁前行動を貫徹し、狭山・東京高裁を焦点化する。
③ 狭山現地調査に大運動として意欲的創意的にとりくむ。とくに、10月30日(日)を有効に活用する。次回9・28の会議で煮詰める。
④ 9・23、10・23、11・23はいずれも休日であり、全国一斉行動として街宣、スタンディングなど、目に見える行動にうってでる。
 9・27安倍国葬などぶっ飛ばして、大運動のもと、狭山決戦で席巻しましょう。


東京高裁、東京高検要請行動に参加して

        反戦共同行動・福岡


 8月24日、何としても狭山再審を勝ち取るぞという決意をもって東京に馳せ参じました。
 7月10日、5月の意見広告の熱気を受けて福岡市内で行われた「狭山新聞意見広告報告集会」は、桜井昌司さんの講演で盛り上がり、第3次再審の実現を絶対に勝ち取るために全力を振り絞るんだと言う決意があふれました。その中で「東京高裁・東京高検要請行動と要請葉書行動」が提起されました。しかも、要請行動は単発ではなく、数波に渡って全国から東京に集中するというではありませんか!  まさに石川さんの無実を勝ち取り59年の闘いに決着をつけるという意気込みを感じました。
 福岡が要請行動の第一弾を担うことになりました。福岡から5人が参加しましたが、これは、7月10日の集会に結集した100名と集会を支えた多くの人びとの総意としての5人のたたかいです。
 弁護士会館で当日の行動を確認し、13名で東京高等検察庁に向かいました。東京高検庁舎前で狭山再審勝利、東京高検弾劾のシュプレヒコールをあげて庁舎に入りました。応対したのは、担当検事と二人の事務官でした。
 要請行動の冒頭に、検事に対して、「冤罪に対してどう思うのか」というきわめて当然な確認がなされました。検事はそんなことはあってはならない、許されないことだと答えました。 しかし検察側は、要請団からの質問に答える事を全く拒否しました。要請をうけているというアリバイ的な態度に終始する対応から、検事の「冤罪は許されない」の真意は、自分たちの主張が正しいのだ、それは冤罪では無いと言うことでしょう。
 参加した各自が国家権力の差別犯罪を弾劾する要請文を読み上げたり、狭山事件の理不尽を訴えたりして、当初確認した時間を超過して要請行動を終えました。要請行動で検察の主張をほり崩すことの積み上げが重要だと感じました。
 昼休みに高裁前で1時間のマイクアピールを行いました。横断幕とチラシ配りで道行く人びとに狭山再審を訴えました。マイクを持った面々が、東京高裁・大野裁判長に向かって、確定判決の不当性と部落差別による冤罪であり鑑定人尋問、事実調べを行えと訴えました。
 東京高裁は、3人の裁判所事務官がしました。要請行動は、高検と同じく裁判所の姿勢をただすことから開始されました。要請団は、様々な観点から高裁を追及しました。事務官は裁判官に要請の内容を伝えると言うのみです。しかし、予定の時間を超過しても打ち切る事はできませんでした。
 高裁には、福岡の街頭署名510筆を提出しました。
 意見広告を印刷したものを提出しましたが、高検も高裁も5月8日の意見広告を見なかった、知らなかったと答えました。全国的にも大きな反響があったものが庁内で話題にならないはずがありません。このような高裁・高検に対して逃げを許さないたたかいとして要請行動が勝ち取られました。
 一つ残念だったのは、要請団の構成が男性ばかりだったことです。要請団が男女混成、様々な年齢層で構成されれぱ、さらに力強くたたかわれていくに違いないと思いました。



被爆77年を迎えた広島ー8・6ヒロシマ報告

 この特別な日の福島町で、今年も「福島地区のつどい」をおこないました。
 コロナ感染が拡大している状況にもかかわらず、九州、関西や関東など各地からも結集し、あらためて反戦、反核、反差別の立場にたち切り、被爆や侵略の歴史をくりかえさず、岸田政権による改憲、軍拡に反対してたたかうことを確認しあいました。
 毎回証言されてきた被爆者・横野きよ子さん。現在退院直後でリハビリ専念のため、動画でメッセージを発信しました。「戦争はいりません」、その一言のなかに苦渋の生活を強いられながら生き抜いてきた被爆者のメッセージの重みをあらためてかみしめました。
 大久野島で毒ガス製造に従事させられた藤本安馬さんはメッセージを寄せ、「いま世界は第三次大戦、核戦争、宇宙侵略競争の真っ最中である。岸田首相は、広島県民でありながら、県民の声に背く憲法9条改正を主張している」と現情勢に警鐘を鳴らした。それを乗り越えるため、「今回のつどいは、一人は万人のために万人は一人のために、意思統一で闘い抜く歴史的使命であることを訴える」と団結、共闘を力強く訴えました。
 今回も被爆二世、三世の実行委メンバーが中心に会の企画運営を担い、高齢化し減少している被爆者に代わり、自分たちが主体的に被爆問題を継承していく決意を示しました。
 中島晋二さんは、自身の体に溜まる放射能による体調悪化からいま全国に点在する原発の影響で、だれもが身近に放射能の恐ろしさ、被曝の危険性があることを訴えました。
 山根努さんは戦争加害の歴史として、高暮ダムでの朝鮮人強制労働について紹介し、差別排外主義のもと無理やり連行されて危険な工事現場に送られ、多数の死者や「逃亡者」を生み出してしまった反省にたちかえり、人間が人間として生きられる社会をつくるためにたたかう決意を示しました。
 ウクライナ侵略に乗じた岸田政権の軍拡に対しては、「自国日本の政権が進める戦争国家化・集団自衛権行使・沖縄基地強化・改憲への明確な反対運動なしに、『ロシアのウクライナ侵攻反対』を唱えることはペテンである。それは真の戦争反対とはいえない」と、世界の戦争反対に立ち上がる人々への連帯の拡大をこのつどいから発信したいと訴えました。
 元広島市議・松井邦雄さんは多くの視点から未来への反戦平和を呼びかけました。
 両親の被爆、胎内被爆者の弟は体が弱く、両親が面倒を見ながらも32歳で亡くなったこと。核保有国の実態とロシアの侵略を関連づけ、「核兵器もいつかは処理・使用せねばなりません。戦争は必要悪だと、プーチン大統領がウクライナを攻撃するのも、こんなところに理由があるのかもしれません」。
 昭和天皇の戦争責任の追及については、「徴用工問題、慰安婦問題、朝鮮民主主義人民共和国との拉致被害者もなかなか解決しません。天皇陛下がお詫びすれば解決がちかづくでしょう」と、冷静な語り口から反戦への熱き思いを提起しました。
 換気、休憩を挟み、皆さんからの声を頂きました。
「森島先生、三浦さん、金平さんの遺志をあらためて継承してたたかいたい。」
「朝鮮人強制労働の歴史をかえりみてとりくんでいく市民活動が、両国の友好、親善につながることと信じている。」
「岸田は安倍の継承として憲法を変えて戦争しようとしている。とんでもない。安倍の国葬にも断固反対する。」
「大学を広島で過ごし反戦闘争をとりくんできた。8・9ナガサキでもヒロシマと思いを一つにとりくんでいく。」
「自分の親の話では、博多が空襲で燃え、山の向こうの空が3日間ずっと赤く染まっていたのをぼーっと見ていた。また北九州の上空を戦闘機が旋回して爆撃しているのを山の上からぼーっと見ていた。義母は岩国から広島に手鞠ほどの大きさの赤い火の玉を何気なくみたという。それらをぼーっとみてしまう社会にはしたくない。」
 そして楠木書記長は午前中平和公園や資料館等みてまわり、そこで若者が熱心に学んでいる姿勢に感銘を受けたことや、狭山勝利にむけ要請行動など連読した闘争への決起を訴えました。
 過去の血と汗と涙を流した歴史にたちかえり、戦争政治をきびしく弾劾し、垣根を超えた連帯の輪をひろげ、人間として生きられる社会を追求する「8・6ヒロシマ 福島地区のつどい」を今後もともに創造してまいりましょう。



9・27安倍「国葬」に断固反対!

     憲法改悪阻止!


 7月14日岸田首相は、参院選の街頭演説中に銃撃され死去した安倍晋三元首相の「国葬」を行うと発表した。元首相の「国葬」を行うことや政府がその経費を支出する法的根拠や基準が何もなにもかかわらず、「国の儀式に関する事務を所掌」として定めた内閣府設置法に基づき「閣議決定を根拠として行政が国を代表して行える」と説明し、全額国庫負担で行う方針を明らかにした。(内閣府設置法に基づいて、「国葬」決定することは違法であると明言する法学者もいます)。

「国葬」の理由はデタラメ

 岸田は「国葬」とする理由に「安倍元首相の様々な実績」を4点上げています。
(1)安倍元首相が参議院選挙演説中に銃撃され、殺されたことに国内外から哀悼の意が大きく寄せられたこと。(2)最長8年8ヶ月もの間、首相の重責を担う。(3)内政・外交で大きな成果。(4)国際社会からの高い評価。ということです。
 しかし、この4点の安倍の実績をこそ、全国連は徹底的に弾劾する。安倍元首相が銃撃で死亡したからと言って、許される理由にはならない。全国連は、安倍政治の継続を企む岸田政権を絶対に許さない。国葬から憲法改悪へと、一気に突き進むことを狙う岸田政権を打倒しよう。

統一教会との癒着の頭目

 まず(1)国内外から哀悼の意が大きく寄せられたというが、私たちは、安倍が何を行ったのかを考えたとき、殺害されたことを悲しいとは思えません。
 報道によると、銃撃した山上容疑者は、母親が1億円以上の献金を強要され、家庭が破壊され、ボロボロにされた旧統一教会を憎み、韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁への攻撃を狙ったが、失敗。その後、UPF天宇平和連合(旧統一教会関連団体)にビデオメッセージを送り韓鶴子総裁を最大限賛美した安倍に目標を変え、殺害するに至ったということです。 全国連は、山上容疑者を賛美はできませんが、その背景と山上容疑者の気持ちは理解できます。
 さらに、安倍は、参議院選挙全国区で旧統一教会の10数万票もの票を、自民党候補者に差配したと言われています。そして、自民党(一部野党も含む)と旧統一教会とのズブズブの関係も明らかになりました。
 そうしたなか支持率が下がるや岸田首相は、9月の予定を早めて8月20日、岸田改造内閣を成立させ、ばん回を図ろうとしました。ところが、荻生田政調会長、林外務大臣、山際経済再生担当大臣など、自民党と政府の骨格を占めている議員をはじめ大臣、副大臣、政務官の多くが旧統一教会と関係していたことが明確になったのです。何と全政務三役78人中、35人です。
 安倍が、この旧統一教会と繋がっていた自民党の頭目的存在であったことは明白です。だからこそ、旧統一教会の10数万票の票を差配していたのです。「国葬」を認めることはカルト集団である旧統一教会とのおぞましい癒着を認めることであり、断じて許されません。
 *統一教会は正式名称・世界基督教統一神霊教会。反共産主義を掲げ岸信介、笹川良一ら反共右翼と結びつき信者を拡大。壺、印鑑などの霊感商法、合同結婚式などで問題化したカルト集団。2015年下村文科大臣の時、世界平和統一家庭連合に名称変更。関連団体は多数。
 *安倍元首相がビデオメッセージを送った天宇平和連合(UPF)は旧統一教会の政治的関連団体であり、「平和軍と平和警察を創設し、世界平和を守る番人の役割を目指す」とする反共右翼団体。

アベノミクスで何が起こったのか

 (2)8年8ヶ月首相の重責を担ったと褒め称えますが、その間、私たちの生活はどうだったでしょうか。
 2012年末に首相に返り咲いた安倍は、大胆な金融緩和を主軸に「アベノミクス」を推進しました。株を上げ、金持ちだけがボロ儲け、低所得者(とりわけ非正規労働者)は、ますます貧困になっていきました。格差が圧倒的に拡大したのです。その上に消費税が、2014年に5%から8%へ、2019年10月には10%へ引き上げられました。安倍政権の8年8ヶ月は、労働者人民にとっては悲惨な生活を強いられた年月だったのです。

戦争と暗黒の政治

 次に、(3)「内政・外交に大きな成果を上げた」というが中味はどうだったでしょうか。
 安倍元首相の政治とは戦争と労働者抑圧の暗黒政治です。
 2014年7月、憲法9条解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認する閣議決定。2015年には「安保関連法案」を国民の反対を押し切って強行採決、成立。それに先だって2013年12月には「特定秘密保護法」が成立。2017年6月には共謀罪の構成要件をあらためる「改正組織犯罪処罰法」も成立させました。
 まさに、安倍政権は極右反動政権であり、国民に襲いかかる政権だったのです。また、オリンピックとの関連で福島原発事故が今だ解決もせず、その方法さえわかっていないのにアンダーコントロールと全世界にウソを発しました。
 さらに、「モリカケ」問題、「桜を見る会」では国家財政を私物のように扱い、追及されるとウソを重ねて乗り切り、一人の公務員を自死に追い込みました。また、桜を見る会では公費で地元の後援会等々を招待していました。
 国権の最高機関である国会をないがしろにし、国会で空気を吸うようにウソ(118回のウソの発言)をつき、政治を私物化したのです。これが「内政、外交の実績」なのです。

トランプにコビを売り兵器を爆買い

 (4)外交について付け加えると、「外交で大きな成果を上げ、国際社会から高い評価がある」とは、ただただ何回も外遊し、やってる感を醸しだしただけで、別の言葉で言えば諸外国の首脳に、いいように扱われたと言うことです。
 目立ったことでは、トランプがアメリカ大統領になったとき、真っ先に訪れ、媚びを売り、アメリカの兵器を爆買いしたこと、韓国に対しては、上から目線で相手にもしないという態度をとったことです。
 このように、「国葬」にする理由全部が、私たちにとっては、すべて認められないことなのです。

「国葬」反対の盛上り

 8月27日、岸田は、記者会見で9月27日6000名規模で「国葬」を行うこと、外国からの弔問者は多数にのぼり、国家予算として2億5000万円を当てることを決定しました。その後、実は費用は16.6億円にのぼることが明らかになりました。また、「国葬」反対の声に追い詰められ、弔意を国民に強制しないと言わざるを得ませんでした。
 この発表後、「国葬」反対の声は、ますます盛り上がり、全国に広まっています。マスコミのアンケート調査で国民の半数以上が「国葬」に反対しています。8月31日夜には、国会前に4000人以上が集まり「国葬」反対の声を上げました。
 全国連は、たたかう労働者市民と共に「国葬」反対を断固貫きます。憲法改悪反対をたたかい抜いぬきます。
 9・26大阪総がかり「国葬」反対集会とデモ(18時30分~19時集会、19時10分デモ出発、中之島公園女神像前)をはじめ、各地の行動に参加しよう。



2022年8月の記事

「狭山全国連で勝利しよう」

      第31回大会が大成功


 第31回全国大会が、7月17日、大東市民会館において開催されました。
 コロナ第7波の只中で、昨年を大幅にこえ会場を満杯にした熱気にあふれ、万全の戦闘態勢を打ち立てました。
 7月末には、検察側の「総括意見書」が出され、全国連は先陣を切って、8・24から狭山要請行動に入ります。安倍「国葬」~憲法改悪と対決し、第3次狭山再審決戦の大高揚をかちとりましょう。

水平社創立100周年を総括

 松元運営委員の司会あいさつで、大会は始まりました。議長に奈良・西之阪支部の大橋ひかりさん、書記に寺垣運営委員を指名。大橋中執の音頭で「解放歌」を斉唱。水平社宣言を、婦人部・阪口由貴美さんが、高らかに朗読しました。
 村上久義委員長の主催者あいさつでは、水平社100年に触れつつ、参議院選挙で改憲勢力が3分の2をこえた今、「人民戦線」でたたかう必要を強調しました。
 連帯挨拶が、動労西日本・小川委員長、東大阪市・松平市議、三里塚関西実行委の安藤さんから行われました。狭山大運動共同代表・長谷川直彦、本田豊両氏のメッセージが紹介されました。
 2021年度活動報告を、北浦財務委員長が行い、とりわけ第2次狭山意見広告の大成功を確認しました。

「安倍を受け継ぐ」岸田はろくなもんじゃない

 つづいて2022年度の運動の基調を楠木書記長が提案しました。
 水平社100年、全国連30年を総括しつつ、ついに狭山でブレークスルーしたこと、「狭山全国連」で勝利しようと、強調されました。
 安倍銃撃事件について、今こそ、存在感のある発言を。問題は安倍の死がどうこうではなく、生きている時の安倍政治がどうであったのか。
 アベノミクスで、非正規が4割をこえ、部落は8割。一握りの金持ちだけが肥え太り、毎年2~3万人も自殺に追いやられる。そのくせ安倍が愛してやまなかった自衛隊。こんな安倍政治が、事件を生んだ。それを反省どころか、受け継ぐという岸田はろくなもんじゃない。

「狭山全国連」で勝利しよう

 課題別報告として、狭山を井橋中執、長野市議選を中村中央委員、医療・介護を岩崎中執が行いました。役員人事案は坂本選考委員長から、会計報告・予算案は北浦財務委員長から、風間監査から会計監査が報告されました。
 8・6ヒロシマ、狭山、改憲阻止の3本の決議案が提案されました。
 提案の全ては、一括採択されました。村上委員長のまとめ、山田幸助副委員長の団結ガンバローで、大会をしめくくりました。


◎主催者挨拶(村上久義委員長)

 参集されたみなさん。本当にご苦労様です。
 今から一〇〇年前、私たちの先輩は、差別・迫害、差別して当たり前という社会の闇を切り裂く稲妻のような激しい憤り、怒りをもって全国水平社を結成しました。それは本当に苦難の長い長い歴史の始まりでもあったろうと思います。融和運動を一切拒否して、人間は尊敬すべきものと宣言して起ち上がりました。これが水平社の自主解放の精神でありました。
 差別に対しては徹底的に糾弾する激しい闘いでありました。軍隊や警察、あるいは裁判所や役所や学校、これらは差別の巣窟でもあります。これらに向かって闘って闘って闘い抜くという、こういう精神が水平社のなかに息づいていたのです。
 これに対して当時の天皇制国家権力は何千人もの部落の活動家を、あるものは獄死させられて、その闘いの犠牲になったのであります。私達はそれから100年、その犠牲を受けて部落解放運動、人民解放運動の闘いの地平を受けついでいます。あらゆる差別をなくすための闘いに起ち上がっていかなければならないと思います。
 さて、不当逮捕から59年になります狭山事件も、水平社100年の歴史のうち、59年という半分以上を闘って来ました。いま第3次再審は大詰めを迎えました。鑑定人尋問・事実調べをおこなわせるかどうか瀬戸際にきています。
 私たちが大きく切りひらいてきた闘いでもあります。5月8日の毎日新聞に掲載された第2次意見広告運動で本当に全国に大反響を呼び起こしました。もっともっと、このような闘いを強めていくそのような礎を築いていきたいと思います。
 さて7月10日におこなわれました参議院選挙、改憲勢力が三分の二と言う異常な事態になりました。私たちはこの改憲勢力が今後どのような動きをし、どんな形で日本の政治を作っていくのかほんとにしっかり注視しなければなりません。そのために闘っている人たちが手を握って「人民戦線」のような戦い方を新たに創造していく、その闘いの一翼を全国連が担っていかなくてはならないのではないかと思います。
 最後になりますが、どうかみなさん、平和憲法を守り、九条改憲を許さないためにあらゆる人々と手を握り、改憲阻止の闘いを作っていきましょう。


◎2022年度運動方針案・基調報告要旨(楠木書記長)

はじめに
 参議院選挙に全国で取り組みました。ご苦労様でした。
 全国連が推薦した候補は善戦しました。大阪のやはた愛さんは、当選は果たせませんでしたが、衆議院の時より大幅に票を伸ばしました。れいわ新選組は3議席を獲得し、社民党は福島さんが当選し生き残りました。沖縄では、伊波さんが自民を破って当選しました。
 しかし、全体としては自民や維新が議席を増やし、立憲の後退が目立ちました。国会の3分の2を改憲派で占めることになってしまいました。憲法を変えるかどうか、いよいよ本番です。
 このなかで、安倍銃撃事件がありました。これについて、存在感のある発言を求められています。問題は、安倍の死をどう思うかではなく、生きてる時に安倍がどんな政治をしたのか、この点にあります。岸田は「安倍さんの遺志を継ぐ」と言います。冗談じゃない。
 アベノミクスで、非正規が4割超え、部落は8割ですよ。ほんの一握りの金持ちだけ肥え太り、庶民は生きていくだけで精一杯。毎年、2~3万人が自殺に追いやられる。そのくせ安倍が愛してやまなかった自衛隊。こんな安倍政治が、今回の事件を生み出した。それを反省どころか、「受け継ぐ」という岸田はろくなもんじゃない。所得倍増ではなく、自衛隊倍増。そのための憲法改悪。ろくなもんじゃない。安倍の国葬?とんでもない。
 選挙があった日、福岡では大きな成功をおさめました。5・8の意見広告から、狭山の潮目は、確実に変わっています。狭山をもっと前へ!これを念頭に、基調報告にはいっていきます。
 
1、 水平社創立100周年・全国連創立30周年
 略。7月の掲載を参照してください。
 
2、狭山闘争と三大闘争路線の意義
 全国連はなぜ生まれたのか
 私たち全国連は、1980年代の解同本部派による処分と権力弾圧との熾烈なたたかいを繰り広げた末に誕生しました。狭山・三里塚・反天皇を最もよくたたかうが故の処分、弾圧でした。狭山・三里塚・反天皇は、既成指導部の抑制を踏み越えて、階級的力関係全体の変革で狭山闘争に勝利する部落解放運動をつくり出す、三位一体のスローガンでした。だからこそ、「狭山闘争に勝利するために全国連は生まれた」と言うのは真実ですし、そう言い切っても決して過言ではありません。
 同時にそれは、水平社の教訓を徹底して自分たちの運動に汲み取り、その正しさを自分たちの血肉にするとともに、敗北への道を峻拒(しゅんきょ)する進路を打ち立てるという、新しい全国運動への果敢な挑戦でした。
 当時、折しも、「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根内閣が登場しました。中曽根は、攻撃の中心に国鉄の分割・民営化をすえ、その暴力的強行によって、総評、ひいては社会党を解体に追い込みました。
 この中曽根が、新たな同和政策として打ち出したのが、「地対協路線」でした。1965年同対審答申、1969年特措法いらい18年間のやり方を、根本的に転換し、個人給付を始めとした同和事業の打ち切りに舵を切り、「行政の主体性」「部落側の自立向上」を強調しました。決定的には、「糾弾の行き過ぎが、かえって差別解消を妨げている決定的要因」として差別糾弾闘争を口を極めてののしり、「差別事件は法務省へ」と権力による介入、取り締まりを方針化したことです。
 これに対して、解放同盟本部派はどうだったでしょう。「個人給付はもうやめてもいいのではないか」「部落差別は許しがたい社会悪であることが、日本の国是になったらいい。権力と解放同盟とのたたかいに狭山がなっている。これを元に戻さなくてはならない」。これが、当時解放同盟委員長の上杉の発言でした。地対協の連中の言い分と、見事に調子をあわせ、中曽根の前に白旗を差し出したのです。
 30年前、私たちが全国連を創立した当時、部落解放運動をめぐる情勢は、おおよそこうしたものでした。戦後部落解放運動は完全に終焉をむかえ、総屈服・総転向か否かの、歴史的な曲がり角にあったのです。その中心問題は狭山闘争を差別裁判糾弾から転換し、権力とのたたかいではないもの、権力との和解路線に変質させる点にあり、それが解放同盟じしんの変質の身の証とされようとしたのです。「仮釈放」はては「天皇恩赦による釈放」で、狭山の幕引きをはかるという、とんでもない陰謀が進んでいました。
 私たちは、これに対して、三里塚1千人決起・千葉刑包囲闘争を空前の大衆決起でたたかい、その土台のうえに1985年三里塚実力闘争・同年浅草橋戦闘への福岡、長野を先頭とした決起、そして乾坤一擲、1990年三人の仲間による東京高裁突入に決起しました。こうした渾身のたたかいで、天皇恩赦・狭山幕引きを粉砕し、部落解放運動の恐るべき危機に仁王立ちしたのです。1992年3月3日、大阪中之島公会堂を満杯にした全国連の創立は、以上のような歴史的瞬間であったのです。
 全国連第2回大会は、全国連のたたかう部落解放運動の道筋をつけるものでした。
全国連はその大会で「2回大会テーゼ」と言われる、解放論をうちだしました。
 解放同盟本部派は、朝田理論以来「部落が差別されるのは、スラムのような悲惨な生活実態だからだ」「部落差別の本質は、部落民が市民的権利を保障されていないこと」としてきました。この考えでいけば、住環境をはじめ部落の生活改善が進めば、当然のように部落差別は薄められ、解消していくことになります。「日本が近代化していけば、おのずから封建的な遺物も無くなり、部落差別も無くなる」という、日本共産党に典型的な差別解消論のなかに、解放同盟本部派も属しています。
 全国連は、この朝田理論を徹底的に批判し、日共由来の解消論を根底からのりこえる見解を明らかにしました。
 では、この考えの上で全国連は何をするところなのか、既成解同の、「行政闘争主導路線」に対して、全国連のたたかいの路線を打ち立てる必要があります。
 部落解放運動とは、あらゆる身分的差別のあらわれと対決する、差別糾弾闘争でなければなりません。差別行政とのたたかいだけに留めるのではなく、政治、経済、社会、教育、文化など全社会場面での差別に対して、差別糾弾闘争でもってたたかうということです。部落差別に怒り、反対する人々は、その点で一致できるならば、全員一緒にたたかおうという運動です。ですから、全国連は、水平社の変遷のなかで否定されてきた、差別徹底糾弾を、改めて土俵の真ん中に据えなおし、水平社創立時の根本精神を現代によみがえらせたのです。
 同時に全国連は、部落大衆の困難と向き合い、生活要求闘争を果敢にたたかいます。住宅、労働、教育、医療・介護、税金など、本部派が見捨てた、部落大衆の困窮と向き合い、全方位で取り組んでいます。しかし、生活要求闘争は、差別糾弾闘争と別物として、並列的に並べられるものではありません。その点で、水平社の創意的なとりくみは、豊かな教訓に満ちており、大いに学ぶ必要があります。
 さらに、こうした取り組みを、たたかう労働者、農民、被差別民衆との共同闘争として展開します。
 以上のように、全国連は三大闘争路線でたたかってきました。そのいずれをとっても、身分的差別とのたたかい、即ち差別糾弾闘争が中心にあります。差別糾弾、生活要求、共同闘争がバラバラではなく、差別糾弾闘争を基軸にして、混然一体の課題としてあるというたたかい方です。差別糾弾闘争基軸に三大闘争路線でたたかうこと、このことに水平社の血涙で綴られた教訓があり、また水平社の果たせなかった「良き日」への未来が開かれています。
 この指導路線の生きた見本ともいうべきたたかいが、狭山闘争です。石川一雄さんが不当逮捕され、身に覚えのない「誘拐殺人犯」とされてから、今年で59年が過ぎました。水平社100年と言いますが、実にその半分を超える59年間、狭山闘争が続いています。この59年にもわたる狭山闘争の、部落解放運動史上に刻む歴史的意義について見ておきましょう。
 言うまでもなく狭山闘争は、石川さんの無実を晴らすたたかいです。私たちは、83歳になられた石川一雄さんが健在なうちに、何としても再審を実現し、無罪判決をかちとらねばなりません。それが狭山闘争のすべてです。 同時に、それは一人石川一雄さんばかりでなく、300万部落民と労働者人民にとって「石川命わが命」、自分の人生がかかっています。その本気さ、熱意こそが、巨万の人々の魂を揺さぶり、共鳴し合い、意見広告の空前の成功をかちとりました。この成功は、なぜあったのでしょう。
 ①  59年に及ぶ石川さんの無実の叫び、それへの驚きと圧倒的共感です。② 権力犯
罪を真正面から、下山鑑定1本にしぼって告発したからです。「まさか!この時代に!ショック」と言う感想が、初めて狭山を知ったという人からもたくさん寄せられました。それは、狭山の真相を薄めたから、優しく説いたからということでは全然なく、権力犯罪・差別裁判に対する、渾身の糾弾だからです。③ 部落民だけでなく、労働者人民の心も鷲掴みにしたことです。しかも、20代30代の若者も反応しました。 私たちは、この成功のなかに、狭山闘争の生きた意義を再発見しました。それは、何をかくそう、国家権力犯罪と不屈非妥協にたたかうこと、対権力糾弾闘争の大きさその圧倒的な正義性です。これは戦前の水平社の糾弾闘争、高松差別裁判糾弾闘争などを、はるかにしのぐ可能性を示しています。同時に、差別糾弾闘争のたたかい方のお手本としても、いわゆる「糾弾主義」や「自由な論議」をのりこえて、絶対的な社会的正義にたって、基軸堅持・戦術柔軟の方法を編み出しました。
 こうして狭山闘争は、差別糾弾闘争の天王山として、部落解放運動の歴史を塗り替えるべく、そびえたっています。それが、解放同盟本部派によってではなく、全国連と心ある人々によってなしえていることが重要です。私たちが今どこにいるのか、どこに向かうのか、このなかに照らし出されています。

3、組織建設について
 私たちの組織的な現状は、同盟員・役員の高齢化、亡くなる人の増加、他方で若者の減少が否応なく進んでいます。コロナ禍でも支部・県連大会を開催したところもありますが、もう何年も支部大会が開けないところも多々あります。大半のところは、月々の新聞配布と併せて会費を徴収し、本部にも納入していますが、数カ所の支部で、恒例のように半年、1年の滞納があります。
 確かに厳しいことは否めませんが、狭山・三大闘争では、どんなに少数でも奮闘していることも事実です。とりわけ狭山闘争のなかで、新しい人との繋がり、若者の注目が始まっていることを重視し、ここに未来を確信しましょう。
 全国連の組織建設は、第1に、闘いつつ学ぶ、闘いの中で学ぶ、ここと切断した純粋培養の組織づくりはありえないことを、しっかり押さえなければなりません。そのいい手本が、水平社の差別糾弾闘争と支部結成の関係にあったことは見てきました。「全国連は小なりとも解放運動をしょってたつ」その気概に燃えて、狭山・三大闘争を展開し、そのなかで部落民的自覚を形成する、これが一番大事なことです。
 ただし、やりっぱなしの運動では、やはり組織は疲弊します。たたかいつつ、同時にたたかう意味について、理論学習と結合してこそ、部落民的自覚が芽生え、深まっていきます。
 今、最も重要なことは次の点です。全国連は、狭山闘争のために生まれ、そしてついに30年かけて、ブレークスルーした、壁を突き抜けた、このチャンスを徹底して活かしてください。
 これは、故中田書記長の遺言です。4年前、第1次の意見広告が出たすぐあと、中田書記長は私に「もう一度やろう」と言いました。正直、私はためらいました。ほかの中執も皆そうだったと思います。間もなく、中田書記長に深刻な病が見つかりました。私は、そのあと決意しました。それから色々あって、全国連の正式決定まで半年かかりました。中田書記長をぬきには、第2次意見広告は無かった。5月8日朝、まっさきに瀬川さん、中田さんの墓前に毎日新聞を届けました。
 意見広告やその反応を大宣伝し、そしてハガキへの協力、新たな大運動への入会を、例外の無い全国一斉の大運動としてとりくみましょう。
 さらにこれを、要請行動の組織化、そのためのオルグ・学習活動と結合することが決定的です。無実への確信、そして権力犯罪への怒り、部落差別への気づきです。下山鑑定などの学習を入り口に、検事論告、死刑判決の暴露。また、石川さんの生い立ちと59年の無実の叫び、部落解放運動への目覚めを追体験する学習や現地調査。
 これは、狭山にたちあがるなかで、誰もが体験してきたことです。いわば、狭山闘争の原風景です。これを、狭山決戦の今、よみがえらせましょう。そのための財政も、私たちは準備しています。要請行動の新幹線代、宿泊費、これくらいは、本部で保障します。
 組織建設の第2は、独自の理論学習が必要なことです。この取組みは、全国連においては、たたかいに比して圧倒的に不足しています。
 解放講座の定期的開催を、今年は各地で実行しましょう。その場合、全国連の役員じしんが先頭に立ち、役員の自分史をあえて晒して始めていくことが肝要です。本部や役員と言っても、生まれた時から活動家ではありません。それぞれの過程を経て、いろんなきっかけで、今の姿になっていきました。いわば、全員が、もともとは一部落大衆です。いきなり難しい理論を振り回すのではなく、生身の人間像を語ることが、講座の成功の半分を握っています。
 第3に、こんにち部落の若者は非正規が3人に2人、世間一般の2倍と言われています。村の中に大量の公務員を軸に子供、青年、婦人がいつも溢れていた時代とは、まるで違う条件に置かれています。「新自由主義」の過酷な競争に投げ込まれ、毎日生きることに精一杯、そんな厳しさに置かれています。
 この困難の前に足がすくんで、役員・同盟員の子弟にも運動のことが言えない現実があります。しかし、全国連の子弟は狭山を知っています。世の中の不正にも、怒りを持っています。他方、「お父ちゃん、お母ちゃんのようにはできない」と言われます。そう言うことが、むしろ道理にかなっている世の中なのです。そこを認めることなしには、全国連青年部は大きくなれません。そう言わざるをえない困難に耳を傾け、共有しつつ、それでもこの若者が自己解放の主体であり、未来の主人公なのです。
 青年部は、レクレーションなどでの出会い自体を重視し、一定の意識的な若者を学習会=解放講座に組織しましょう。とくに、いま始まった狭山大運動を、青年部こそが最も重視し、大いに活用して狭山で組織しましょう。
 3月の拡中委に、故池本中央委員の意見書が提出されました。彼の、支部を思う危機感が、胸の中に痛い程響いてきます。池本君の遺志に、1ミリでも応えたい、そういう思いで組織建設に立ち向かいます。
 今年の運動方針は、憲法問題を避けて通ることはできません。やがては、国民投票となり、全国民が選択しなければなりません。反戦闘争の刺し身のつまにしてしまわないで、憲法自体を一度真剣に検討することが必要です。
 日本国憲法の主な条文を見ておきましょう。
第1条 天皇は、日本の象徴
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第14条 全て国民は、法の下に平等。社会的身分又は門地(家柄)により差別されない。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 これに対し自民党は、4項目の変更を言っています。とりわけ注目する点は、「9条のなかに、自衛隊を明記すべき」「自衛権にも言及すべき」。緊急事態への対応を入れるべき。この2点です。実際のところ政府・自民党は何をしようとしているのかを見なければなりません。最近のウクライナや、朝鮮民主主義人民共和国を口実にした、政府の軍事費の大幅拡大・軍備増強、敵基地攻撃能力の保持などの動きと関連してみなければなりません。
 賛成か反対か
 自民党の改憲案と憲法9条とは、絶対に相容れません。日本は、今でも世界第5位の軍事力と言われています。フランスやイギリス、ドイツよりも上位です。すでに日本は、それほどの世界有数の軍事力を持っています。
 9条をもう一度見てください。9条は、今ある軍事力すら認めていません。まして、戦前の日本やドイツなどの歴史を見ても、軍事力というものは、一度堰をきったら歯止めが利きません。一体、何のためにそんな軍備増強が必要なのでしょうか。
 しかも、9条を変えたら、その先には何があるのかが問題です。今回はスルーされても、1条の天皇の位置、14条や25条、法の下の平等や生存権はどうなるのか。
 歴史の教訓は、普段は平和な日常にいても、変わるときは一気に変わります。自民党副総裁の麻生太郎は、「憲法のことはナチスに学んだらいい」「わーわー騒がないで、ある日気づいたら変わっていればいい」と発言しました。
 緊急事態への対応など、最初は大地震対策などと言います。しかしその先には、国民の基本的人権を踏み従える戒厳令が待っています。現行法でも間に合うのに、なぜわざわざ新たに憲法に盛り込むのか、その狙いが透けて見えます。
 では、部落と憲法との関係は、どう考えればよいでしょうか。
 日本国憲法は、部落民にとって、決して満足なものではありません。憲法ができても、部落差別そのものは頑強に残りました。劣悪な生活環境、義務教育すら満足に通えない、労働は不安定で借金なしには生きれない、医療もほとんどの人が保険証を持てず死ぬ間際しか受けられない、これが戦後部落の実状でした。何より狭山事件です。石川さんの生い立ち。「部落ならやりかねない」と言う差別扇動、部落への絨毯爆撃のような見込み捜査、そしてでっち上げ。差別しても罰せられない。差別し放題。それが戦後憲法のもとで部落の置かれた状態でした。
 しかし、憲法は部落解放運動の武器にもなってきました。憲法の平等権、生存権を使って、同対審答申をださせ、特措法を制定させました。それは憲法のもたらす恩恵ではなく、部落の側の自主解放があって、初めてたたかいの武器として役立ったのです。それでも、それすら無くなったらどうなるのか。私たちは無関心ではいられません。
 狭山闘争の勝利なしに人権無し。反戦平和なしに、狭山の勝利なし。狭山と反戦平和を両輪にして憲法改悪を阻止しましょう。


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 7月10日、大きな反響を生んだ狭山第2次意見広告の報告集会が福岡で開かれ、かつてない参加者を集め大成功した。
 狭山再審の決戦局面に、新たな狭山大運動が始まった。


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2022年7月の記事

水平社創立100周年・

 全国連創立30周年にあたって


 今年は、水平社創立100周年・全国連創立30周年にあたります。その機会にあって、部落解放運動の役割と全国連の意義とは、何でしょうか。言い換えると「私たちは今、どこにいるのか」、水平社運動の総括に照らして考えてみましょう。

全国水平社の創立

 今から百年前、1922年3月3日、京都岡崎公会堂に全国から部落の兄弟姉妹が参集し、全国水平社の創立大会が行われました。その意義は、有名な「水平社宣言」に凝縮されています。
 ① 同情融和を拒絶し、部落民じしんの手による自主解放を宣言したこと。
 ② 「おれは人間だ」という叫び。「人間は尊敬すべきもの」とうたったこと。
 これまで「人間外の人間」とされ、蔑まれてきた存在が、逆転的に「人間」としての存在に目覚め、世の中に向かって主張し、部落民的自覚と団結を発現したこと。
 ③ 唯一のたたかい方としての差別徹底糾弾をうちだしたこと。
 しかし水平社は「瓢箪から駒」のように突然生まれたのではありません。1916年には、福岡で博多毎日糾弾闘争がありました。博多毎日新聞(当時)が、「火葬場の隠亡」という露骨な差別記事を記載したことにたいして、豊富・金平部落の部落大衆が村民大会を重ね、ついには堪忍袋の緒が切れて、新聞社を襲撃・実力糾弾しました。
 警察はこれに対して「騒擾罪」を適用し、部落の男性を片っ端から逮捕し、うち300名を拘留するという大事件でした。
 1918年には有名な米騒動がおこり、婦人を先頭に、部落大衆が全国各地で活躍しました。これに対し、天皇制権力は大掛かりな弾圧を行い、そのなかで「こんな騒動を起こすのは部落民のせいだ」として、民衆を分断し、部落民を見せしめにしました。
 こうした民衆決起の背景には、1914年からの第1次世界大戦があり、その大戦争のさなかに、1917年ロシア革命が起こり、「俺たちを虫けら扱いするな」「労働者こそがこの世の主人公だ」と世界中に知らしめた歴史的出来事がありました。
 またもうひとつ重要な側面として、米騒動と部落大衆の怒りの大きさに直面した政府は、それ以降、融和政策にうんと力を入れ、村ボスの育成と、融和教育や改善運動を進めていました。部落差別の解消のためには、部落民の側が差別されないように襟を正し、品行方正に言動を改め、環境衛生に努めるべきだという融和運動が、役所や警察の肝いりで進められました。水平社創立は、この融和主義とのたたかい、キッパリとした拒絶によって、初めてなしえたと言っても過言ではありません。その宣言の内容も、融和主義に対する激しい戦闘宣言にほかなりません。

水平社はいかにたたかったのか

 ① 水平社といえば何をおいても、差別徹底糾弾闘争です。しかも、その方法に注目すべきです。
 差別事件が起きたら、まずもって村民大会を開いて方針をきめ、住民総決起をよびかけています。文字通りの村民大会です。一部の活動家だけで論議して決めるのではありません。寺や共同浴場などを使った、家族総出の論議を徹底してやります。水平社の結成が即糾弾闘争の開始、また糾弾闘争をやるために、水平社を結成している例も珍しくありません。
 獲得目標は、差別者に反省文を書かせる、また新聞などに謝罪広告を出させることが一般的でした。パンフを買わせたり、講演会を開かせることもやっています。
 さらに見るべきは、権力機構(軍隊、警察、裁判所、刑務所、役所、学校など)やその手先(右翼など)が相手の場合、あるいは糾弾闘争への弾圧や襲撃の場合、近隣地方一帯の水平社の総決起で実力対峙し、武装してたたかいました。1923年の奈良水国闘争は有名です。また、糾弾闘争と結合して、同盟休校、税金不払い、在郷軍人会脱会の戦術も駆使しています。「部落民を人間扱いしないならば、税金、教育、軍隊などの義務も果たす必要は無い」ということです。さらに労働者、農民と合流し、対決しています。
 ② 水平社は糾弾闘争ばかりでなく、部落の生活要求闘争にも果敢にとりくみました。それは、何より糾弾闘争に対する弾圧と懐柔をはねかえすために必要でした。権力は、過酷な弾圧とともに、必ず、村ボスを手先にした融和政策による部落大衆の懐柔を常套手段にしてきました。 これへの対抗策として、反失業、住宅、電灯料値下げ、借金棒引き・返済猶予猶、小作料引き下げなどを水平社の運動の一環として取り組んでいます。
 ③ 労働運動、農民運動との結合にも熱心でした。「労農水三角同盟」と言われますが、むしろ労農水渾然一体とも言うべきあり方でした。
 当時の活動家は昼は職場で労働組合、夜は村で水平社が当たり前のように活躍していました。一方、水平社の左派活動家の人々のなかには、「部落内階級闘争激化」論という、専ら部落産業を相手に労働争議を熱心に取り組む誤りもありました。
 ④ 水平社運動=絶えざる弾圧・懐柔とのたたかいでした。
 天皇制権力は、時として、白色テロルをむき出しに部落を襲いました。1917年洞部落強制移転、1922年(水平社創立の年)別府的が浜焼き討ち事件と、水平社創立を前後して、残虐な差別襲撃が起こりました。他方、南梅吉水平社初代委員長ら幹部の買収・スパイ化工作に手を染めました。
 天皇制権力の暴圧の最たる攻撃が、1928年の3・15弾圧での当時日本共産党千数百名の一斉検挙でした。水平社の左派活動家も根こそぎ弾圧されました。これに対して、水平社の「本部派」は、救援や弾圧粉砕を一切放棄したばかりか、代表者会議を開いて「彼らこそ迷惑千万」とばかりにレッテルを貼り、弾圧への総屈服を誓ったのでした。

1930年代―戦争の時代への突入と戦争協力への転落

 1927年に世界的な大恐慌がおき、1930年代に入って、15年戦争と呼ばれる日本帝国主義の中国侵略戦争が本格的になっていきます。
 戦時下にあって、共産党や労働運動がへたっても、部落大衆は果敢にたたかっていました。有名な1933年の高松差別裁判糾弾闘争では、全国100万人と言われた部落大衆・民衆の決起で、差別した裁判官、検事、警察署長などの処分、被告とされたきょうだいの奪還・釈放をかちとりました。戦時下でも、水平社が差別糾弾闘争を堅持したことによって、挙国一致を根底から揺るがすたたかいが実現したのです。
 がしかしまさにそこから、指導部の治安弾圧からの逃亡が決定的になってきます。天皇制権力が、差別糾弾闘争を治安維持法が弾圧の対象とする「犯罪」として扱ってきたことに対し、糾弾闘争を否定・清算する指導路線―1931年水平社解消意見、1934年部落委員会活動が水平社を覆っていきます。そこにおいて、革命党(当時共産党)が「糾弾闘争はやめよう」と率先して言いだす始末でした。
 ここの変質が、その後の道のりに決定的悪影響を果たします。糾弾否定と利用主義(水平社を経済主義の先兵に駆り立てる)が、戦時下、戦後を問わず、部落解放運動の底流となってしまったのです。
 差別糾弾闘争を自らの指導方針から下ろしてしまった水平社は、1936年「人民融和への道」、1937年「非常時における運動方針」と、帝国主義戦争への協力と転向の急坂を転がり落ちていきます。
 「非常時における運動方針」では「国家が重大なる危機に直面して要求するところの『挙国一致』には、もとより国内相克の原因となるがごとき身分的賤視的差別が存続してはならぬ筈である。かかる故に、われわれは差別を徹底して取り除いて、真の『挙国一致』を可能ならしめ」と、「挙国一致で差別解消」をうたい、戦争協力の走狗に成り下がったのです。また、同じく「非常時経済の苦難を切り抜けるために、貧困なる部落経済の向上に最大の努力を傾注する」というこの方針は、水平社の幹部が満蒙開拓団の組織化や軍需産業の労働力供給の先頭に立つことに道をつけるものでした。そして1940年には、水平社を解散し、侵略翼賛運動に解消されていきます。

何を学び、どう乗り越えるか

 ① 全国連は、水平社と同じように、法無き時代にあり、戦争の時代にあります。でも正しい指導路線のもとであれば、たたかえることを水平社は示しています。全国連は、変質した革共同とはキッパリ絶縁し、自前の自主解放闘争を突き進んでいます。全国連「小なりとも、自前の大衆運動」の誇りが、私たちの運動の源泉です。
 ② 私たち全国連の指導路線とは、2回大会テーゼと差別糾弾闘争基軸の三大闘争路線です。その正しさは、以上の水平社の総括に照らしても圧倒的です。そのなかで、狭山闘争には、決定的な歴史的意義があります。ここは、別途詳しく触れます。
 ③ 大弾圧には躊躇なくムラ・全国の総決起と共同闘争でたたかう。1980年代の荒本弾圧になぜ負けなかったのか、その教訓はこの点に尽きます。水平社の負の教訓をしっかりと見据え、その敗北の歴史を痛苦に反省し、二度と誤りを繰り返さない誓いを実践します。

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示現舎・宮部龍彦への公開質問状 5
                 
             部落解放同盟全国連合会

 婦人部Yさんが公開質問状に参加寄稿されたので、これを全国連の公開質問状-5として、発出します。

 1、「示現舎・宮部龍彦」という人物像が、あなたの回答書を重ねるごとに、よりはっきりと見えるようになってきました。
 そもそもは、部落をさらし、金儲けの道具にして糧を得て、ご飯を食べ、日常を送るとは、おぞましい限りです。こんなろくでもないやつを相手にする必要はないと思いつつも、自分自身を部落民だとして嘘をつきとうそうとしている示現舎の宮部龍彦さん、あなたを放置するわけにはいきませんし、絶対許さない。
 差別が現存する世の中で、ほんらい自分が部落民なら、部落民と名乗ることじたいに緊張するのが当然なのに、宮部龍彦にあっては自分が部落民でもないのに「自分は部落民」と平気で言いふらすのも金儲けのため。「部落民」を詐称して、ネットを見る人々から閲覧され「支持」されている限りお金になるわけです。
 一度、正直に「自分は、部落民ではない」とはっきり言ってみてはどうか。本当の自身をさらして、「部落民ではない宮部龍彦」が「研究」や「部落解消」と称してみてみなさい。
 そもそも、宮部龍彦の出身、鳥取市下味野415番地の1は被差別部落ではないのだから。繰り返し指摘しているが、下味野全体が被差別部落ではない。被差別部落は下味野のなかのA地区だけである。415番地の1はA地区ではない。この歴然たる現実を認めなさい。
 さらに、両親、祖父母は、どこの出身なのか、逃げずに答えなさい。宮部の祖先は、いつ、どこから、どうやって現在の場所に来たのか。現在が被差別部落とははっきり違うのに、「両親とも被差別部落出身者」と宮部じしんが言い切っているわけだから、それならその証明をしてみたらどうなのか。部落民は身元を隠していても、興信所や宮部ごときに、無理やり出身を暴かれて差別される。宮部龍彦のやっていることはそういうことなので、自分の祖先が暴かれることに悲鳴を上げる資格はありません。

2、部落差別がどれほど人の心をズタズタにし、傷つけるか、その経験もないし、そもそも部落民でないから傷つけられる理由もない。だからこそ、そこで暮らしている部落民の息遣いを無視することだってできるのだ。一方的にさらし続けられている側に宮部さん、あなたはいない。
 宮部は「H部落探訪」の中で、「親戚(母方?)先で線路向こうは、柄が悪いで』といわれていたが・・(どちらもいっしょ)」と語っている場面がある。その「線路向こう」こそは部落をさし、そしてまたその「親戚」は部落ではないと認めていることになるのではないか。
 わたしのことだが、小学校のときの体験がある。隣村の同級生と遊んでいて、ムラとの境で待たされたこと境がある。実は同級生の親から「家に連れてくるな」と言われていたことを、中学生ごろになって初めて知った。
 このように、差別の壁は冷厳と存在している。前回の質問状で、宮部の父母、祖父母、その方々の兄弟姉妹の出身について尋ねたことに対して、宮部は「父母の兄弟姉妹までいちいち調べるほど、暇ではない」などと、質問から逃げている。父母の出身についてすら回答を拒否している。はぐらかさないで前回の質問状にしっかり回答しなさい。回答できないとは言わせません。

3、さらに「結婚差別」について無責任極まりない知ったかぶりはやめなさい。 部落差別のせいで子供がつまずかない様、しっかり人生をおくってくれるよう、大きくなっても部落の親の心配はつきものです。心配ごとは深く、その深さゆえ、むらの結びつきも強いのです。
 子の恋愛や結婚については、親として最も緊張します。相手や、その家族に対して、自分は部落であることを告げるよう、子に諭す場面は今も忘れたことはない。それは、ただ単に親が子に諭すというようなものではなくひとりの人と人として、差別を許さない思いを込めているのです。
 わたしは、一度は、差別されるのが嫌でムラを飛び出しました。しかし、どこにいっても逃げることはできないと観念し、解放運動との出会いで、差別は部落のせいではないと気づき、自己解放の道にすすむことができた。
 結婚差別についての、宮部の言動を、すべて撤回することを要求します。

4、同和対策事業のなかで、ムラの周辺に住んでいた人も事業に参加し、ムラの課題をいっしょにとりくんだ住民の方もたくさんいます。
 また、外からムラにきて部落の一員として生活するか、またはムラに世話になっても部落民とはちがう、どこそこの外の出身だという人もいるでしょう。しかし、ムラの結びつきのなかで、そうであるがゆえの厳しさと同時に懐のおおきさは、どこのムラにもあります。宮部さん。あなたは、その懐の広さを感じたことはありますか。最後にお尋ねします。 
                 全国連婦人部 Y

以上、7月2日までに回答することを要求する。

2022年6月20日 部落解放同盟全国連合会




2022年6月の記事
始まった!新たな狭山大運動!

5・22東京で意見広告報告集会、

     再審実現大運動結成式


 毎日新聞全国版での狭山意見広告掲載を受け、運動よびかけ人主催の『狭山意見広告運動報告集会』と『狭山事件の再審を実現する大運動結成式』が5月22日、東京・日比谷で開催されました。全国連からも各地の代表が結集。ついに新しい狭山大運動が始動しました。(※『狭山闘争ニュース』312号に詳報)

 会場の受付には時間前から運動よびかけ人、賛同人、全国各地から上京してきた兄弟姉妹、そして「新聞を見て来ました」という飛び入り参加の人々などでにぎわいました。
 第一部『報告集会』が山口の須原さんの司会で定刻に開会しました。
 冒頭あいさつで全国連の村上委員長が登壇。狭山事件当時の時代背景、特に国家権力と部落差別の関係性などを丁寧にふりかえり、今回の運動の、歴史的な意義を確認しました。
    ■■■
 続いて賛同団体「8・6ヒロシマ実行委員会」の山根さんが石川一雄さんからのメッセージを代読。「殺人犯」にでっち上げられていく当時の生々しい様子、怒りと再審への思い、不屈に闘う決意が読み上げられました。
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 第一部の最後に、今回の運動の事務局を代表して井橋さんが経過報告と、早くも寄せられた反響の紹介をおこないました。「さっそく裁判所にハガキを出した」など事務局にかかってきた電話、送られてきたメールの数々、ホームページでのアンケート、毎日新聞社による紙面反響調査の結果等々…。すでに新たな運動が始まっていることを実感させられました。
    ■■■
 第二部の『新たな運動の結成式』に移り、そのよびかけを「狭山事件と人権を考える茨城の会」代表・弁護士の尾池さん、共同代表として弁護士の長谷川さんがおこないました。
 休憩と換気の時間をはさんで、よびかけ人・賛同人から「福岡SAYAMA上映実行委員会」の真名子さん、「大阪狭山実行委員会」の鶴丸さんからの報告と決意の表明を受けました。そのあと、感想・意見を自由に語ってもらう「会場発言」の時間では、たくさんの参加者がマイクを握りました。
 意見広告運動の果たしている役割、新しい運動の展望、層の厚さ、幅の広さ、それらを感じる感動的な発言があいつぎました。
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 終盤、特別企画として全国連婦人部劇団「なんとかなる座」が登場。狭山事件発生・不当逮捕・差別裁判の経緯、そして焦点である万年筆のインク問題をクローズアップした朗読劇を発表しました。石川さんの苦闘をふりかえるスクリーン画像を駆使し、ユーモアも織り交ぜた芝居もあり、会場から大きな拍手を浴びました。
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 第二部のまとめとして全国連の小森さんが立ち、今後の具体的活動方針の「① 報告集会、学習会、街頭宣伝行動を展開しよう、② 東京高裁へのハガキ運動を大々的に広げよう、③ 狭山現地調査や石川さん夫妻との交流を深めよう、④ 東京高裁への再審要請行動をより一層強めよう」という提起がありました。
 集会と式の最後に奈良の賛同人である北浦さんの音頭による団結ガンバローを全体で三唱し、終了しました。
 さあ、文字通りの大運動にするため、各地で具体的活動方針を実践・実行していきましょう。



2022年5月の記事
部落解放運動の歴史を変える、

100年に1度の狭山最終決戦へ!


第3次再審は大詰めを迎えた

 4月26日に、第50回三者協議(裁判所、弁護団、検察)が開かれた。そこにおいて、弁護団は、6月中に下山第2鑑定(万年筆・インク)、赤根鑑定(死体関係)に対する検察意見書への反論を提出する予定を伝えた。検察は、7月末をめどに、総括的な意見書を提出すると述べた。次回の三者協議は、これまでの3カ月毎のペースをとばして、9月上旬に行われることになった。事実調べー鑑定人尋問を訴えて第2次狭山意見広告 【5月8日(日)毎日新聞全国版2面見開きカラーで】掲載される ここに第3次再審請求は大詰めを迎えた。まだ断定はできないが、ようやく9月には、弁護団から鑑定人尋問の請求が出されるものと思われる。検察側も「反論を待っている」(1月要請行動での発言)と構えている。総括意見で、下山鑑定・第2鑑定をはじめ、新証拠をことごとく否定し、「事実調べの必要なし」と主張することは不可避だ。「水洗い」論をはじめ、検察のデタラメな総括意見を粉砕し尽し、裁判所によるこれの採用を絶対に許さず、鑑定人尋問を実現しよう。
 石川一雄さんのお連れ合い、早智子さんから、全国連婦人部の寄せ書きに返信がきた。「復讐に燃えた日もあり泣いた日も 今は黙して三次で決着」と、一雄さんの短歌が添えられていた。「今年は勝負の年です」と述べておられる。

最終決戦が始まった

 下山鑑定・第2鑑定を超える新証拠はない。下山博士の鑑定人尋問の実現無しに事実調べなし。第3次での勝利なしに、狭山の勝利はない。59年間たたかってきた、石川一雄さん(83歳)に「次は無い」。余り、こういう表現は使いたくはないが、それでも敢えて、狭山最終決戦と言い切っても何ら過言ではない。
 この一戦に、石川一雄さんと我々一人一人の人生がかかっている。しかし、そればかりではない。部落解放運動史上、水平社時代も含めた、この100年で、対権力糾弾闘争の最大最高の決戦だ。水平社創立100周年のうち、実に59年が狭山闘争。この一戦で、全国連の真価が問われ、部落解放運動の流れも変わる。
 この機会にあることの幸せと栄誉を、亡くなった人の分まで五感に刻んで勝利のために、為すべきことを悔いを残さずやりきろう。しかも、この決戦は、ウクライナ侵略戦争と日帝の戦争国家化・改憲攻撃と切り結んでたたかわれる。こころおきなく、たたかいぬこう。
 5・8の第2次狭山意見広告は、三者協議の密室での攻防を、一気に社会問題に押し広げた。恐るべき権力犯罪を打ち砕く、反撃ののろしだ。ここからが勝負だ。意見広告を足場に、下山鑑定・第2鑑定と「水洗い」論粉砕を大社会問題に、攻めて攻めて攻めまくろう。そこに勝利のカギがある。
 5・22集会で、共にたたかう新たな主人公が登場した。狭山意見広告運動が、意見広告の作成に重要な役割を果たし、報告集会を主催し、新たな大人民運動の誕生を宣言された。全国連は、心からの敬意を払い、共にたたかいぬくものである。

決戦方針のもとに闘い抜こう

 決戦方針の1は、5・8意見広告の効果を発揮し、新たな大運動を思い切り拡大することである。5・22東京・狭山意見広告報告集会は同時に、「狭山事件の再審を実現する大運動」の結成式となった。さらに、夏秋にかけて全国に広がっていく。
 何のための大運動か。「下山博士の鑑定人尋問を実現しよう」を唯一の合言葉に、同盟員を含めよびかけ人、賛同人は漏れなく大運動の会員になろう。さらに、意見広告コピーとよびかけ文、ハガキ運動で思い切り拡大する。
 決戦方針の2は、波状的集中的な要請行動・高裁前行動である。全国で10班を編成し、夏場以降、20日を基本に、毎月最低1班、高裁前行動もセットでとりくむ。
 決戦方針の3は、全国ハガキ運動である。切手つきハガキで5・22から開始する。
 決戦方針の4は特別カンパである。ハガキ代、遠方からの要請行動の交通費、宣伝費等に支出する。すでに100万円、退職金よりカンパが寄せられた。中執・中央委員は1人1万円、給与ある人は3万円を拠出する。別途、大運動の会費も集める。


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土浦市の児童クラブで教育支援者

3名が悪質な差別発言を繰り返す


    (「部落解放新聞茨城版384号」―2022年3月1日より転載)

◆経過について

 今年1月、県連事務所に実名での投書がありました。それは土浦市内の小学校の児童クラブ支援員3名が、悪質な部落差別発言をしている、市の担当者に訴えても動いてくれないと言うものでした。
 告発の内容は、支援員Aは、部落からクラブに通っている子供が、大便の粗相をした際に、「部落出身だからねえ、ウンコも漏らすよねえ」と発言した。Bは部落の別の子供の家庭について「被差別部落カーボを○○の連中と呼ぶのだけれど、▲▲の家はゴミ屋の仕事なんです。ゴミ屋なんて普通やらないでしょう。○○人(じん)だからなんですよ」と発言した(○○は地元の部落の呼び名)、Cは同僚がクラブを異動する際に「(この地区は)部落が沢山あって、親が普通じゃないから、あんな所に行ったら大変だわ。私なら怖すぎて行けないよ。部落だよ、相手は」と差別発言したというものです。
 これらは2年前ですが、当時この事実を市役所の担当係長に訴えたが、調査指導もせず「そんなことが親や団体に知れたら大変だぞ」と言って事件を放置したということです(告発者は係長がそんなことが知れたら殺されるまであっかんな」と言ったと証言しています)。

◆確認会で認める

 支援員は「先生」と呼ばれて、教室で子供たちの学習や生活を指導しています。3名の支援員は、当時は委託先のNPO職員、現在は市役所の会計年度職員です。そのような立場の者が告発にあるような発言をしていたなら決して許すことはできません。
 市職員でもあるため私たちはまず市に事実を伝えて3名への聞き取り調査を依頼しました。しかし結果はいずれも「そんな発言はしていない」と完全に否定するものでした。
 また係長は「当時そのような報告は受けた」ということでした。
 そこで3月25日、土浦市役所で3名と告発者も参加して事実確認会を開きました。
 そこでも3名は当初「差別発言はしていない」と言い張りました。しかし次々と事実関係でウソが明らかになり、最終的にBとCは差別発言していたことを認めました。
 差別発言の内容も極めて悪質ですが、市の調査に対しても「知らぬ、存ぜぬ」とウソを繰り返してきたことも悪質です。
 Aは最後まで「言ってない。部落も知らない」と言い続けました。そこで再調査することになりましたがウソはすぐに明らかになるでしょう。
 現在、差別事件の事実の一部が明らかになったに過ぎません。また児童クラブの中で発達障害のある子や貧困家庭、外国人親の子供などへの差別も日常的に行われているという報告もされています。これから事件の背景や、市役所の責任なども、明らかにしていきます。
 
2022年4月の記事

 いよいよ5・8(予定)狭山意見広告掲載!

5・22報告集会(東京)に集まろう

 5月8日、全国紙において、第2次狭山意見広告が掲載の予定です。5月22日には東京・日比谷図書文化館において、報告集会が開催されます。その場で、狭山再審を求める、新たな人民運動が結成されます。

無実を訴え59年! 狭山は私たちの人生

 ひとりのお年寄りが、59年もの長きにわたって、身に覚えのない「殺人犯」にされ、今も無実を叫びつづけていることを御存知でしょうか。
 埼玉県狭山市の被差別部落に、石川一雄さんは83年前生まれました。その狭山市で、1963年5月1日、女子高校生・中田善枝さんが、「誘拐」・殺害される事件が発生しました。この時警察は「身代金」を取りに来た犯人を、目の前で取り逃がす大失態をおかしました。
 その直前に、東京で「吉展ちゃん事件」がおき、警察は身代金ごと犯人を取り逃がしています。警察の威信はグラグラ、当時の警察庁長官の首はとび、国家公安委員長が「必ず生きた犯人をつかまえろ」と号令する国家レベルの治安問題になりました。
 そこから、狭山市内の被差別部落に対する、絨毯(じゅうたん)爆撃のような見込み捜査が行われました。「部落ならやりかねない」という、根も葉もない恐ろしい風評がふりまかれました。
 5月23日、石川一雄さんは、別件逮捕されました。孤立無援にありながら、1ヵ月以上も無実を主張してがんばりました。しかし、「お前がしらを切りとおすなら、兄をしょっぴくぞ」という悪魔の恫喝のまえに、ついにうその「自白」におちてしまいました。
 以来59年。石川一雄さんは、「殺人犯」の汚名を着せられ、1964年第一審死刑、1974年第二審無期懲役、1977年最高裁で確定、31年7カ月の獄中生活の末に1994年に仮出獄してもなお、見えない手錠に縛られて生きています。

今度こそ鑑定人尋問・事実調べを

 現在3回目の再審請求を申し立て、いらい異例の16年が経過しています。この第三次再審請求で、246点におよぶ石川さん無実の新証拠が出されました。
 「ゴッホの絵に隠されていた黒猫」の発見で有名な下山進博士は、被害者のもので、石川さん宅の家宅捜索で発見したとされ、石川=犯人の決め手としてきた万年筆は、実はニセモノで、警察が捏造したものであるという、決定的な新証拠を提出しました。下山博士が万年筆のインクの色素や、元素を鑑定した結果、それが証明されたのです。
 東京高等裁判所は、この1点をとっても、ただちに下山博士の鑑定人尋問を行い、事件を洗いなおさなければなりません。ところが、事実調べをするという当然のことが、狭山事件では第二審いらい48年間、ただの一度も行われていません。
 第三次再審もクライマックスを迎えました。証拠もほぼ出そろって、弁護側から事実調べが請求され、裁判所の判断が年内にも出される段階にきました。今度こそ、鑑定人尋問・事実調べを行わせ、裁判所に正義の判断をさせねばなりません。
 しかし、これまでの支援だけでは、この権力犯罪を打ち破るには足りません。支援を何倍にもして、裁判所を包囲・監視する大きな世論が必要です。狭山意見広告運動は、まったくのゼロから、心ある人々のカンパによって大きな広告を実現し、不可能を可能にしています。狭山事件の再審を開くために、あなたもこの場に参加してください。



改憲の先兵―維新の会との対決を鮮明に

「憲法改悪反対!」の

 7月参議院選挙を闘おう!


(大阪選挙区)

れいわ新選組
「やはた愛」さん推薦決定

 7月参議院選挙は、ロシアによるウクライナ侵略と、それを利用した岸田らの改憲圧力の中でたたかわれる。
 全国連は、軍備の増強、核武装、憲法改悪へつき進む岸田政権とその先兵―維新の会の台頭を許さず、全国で改憲反対の参議院選をたたかうことを決定した。
 大阪選挙区では、唯一、維新の会と対決する「れいわ・やはた愛」候補を推薦することを全国連大阪支部代表者会議で決定した。このたたかいを全国に広げていこう。

比例区にはれいわ、社民、立憲の候補を

 全国連は、比例区に関して、改憲に反対する、れいわ・社民・立憲の各候補を推薦することを決定しました。




示現舎・宮部龍彦への公開質問状 4
                 
             部落解放同盟全国連合会

 貴殿は、部落出身と認定されるのが嬉しくて仕方ないようですが、以下のような、こんな事にもお答え下さい。世間では、部落と認定されても何の得にもなりません。貴殿はどのような理由から部落と認定されたいのですか? 部落といわれるのが、そんなに嬉しそうなのは何故ですか? ぜひお知らせください。
 基本的な問題ですが、〈部落出身〉と〈部落住民〉とでは雲泥の差があり、性格がまったく違います。貴殿が部落出身を名乗るのであれば、自分がこれまで生きてきた中で、部落出身を理由としたどのような差別を受けた体験があるのか明らかにされたい。部落出身であるのなら、人生の中で何もなかった筈がありません。その時に差別事件として、どのような対応をしたのか、ぜひ明らかにされたい。
 その点と関係しますが、貴殿は部落出身を名乗っているのですから、ぜひ貴殿の父親がどこの部落で生まれているのか、旧市町村名でもかまいませんから、ぜひお知らせください。また貴殿の母親はどこの部落で生まれているのか、明らかにされたい。ただいまの市町村名ではなく、旧市町村名でもかまいません。
 また、貴殿の父親の父親、ようするに貴殿から見たら祖父ちゃんですが、祖父ちゃんはどこの部落で生まれているのですか。また貴殿の父親の母親、ようするに貴殿から見たら祖母ちゃんですが、祖母ちゃんはどこの部落で生まれているのですか。ただいまの市町村名でなくてもかまいませんから、ぜひお知らせ下さい。
 また、貴殿の父親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。誰もいなかったはずはありませんから、ぜひ一人一人についてお知らせください。ただいまの市町村名でなくてもかまいません。また母親についても兄弟姉妹は何人いて、兄弟姉妹の方はどこの部落で生まれているのですか。ぜひお知らせください。
 貴殿の母親の父親はどこの部落で生まれているのですか。また母親の父親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。お知らせください。また母親の母親はどこの部落で生まれているのですか。また母親の母親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。それに、どのような仕事をやって生活しているのでしょうか。ぜひお知らせ下さい。
 貴殿からみて、自分の父親や母親の兄弟姉妹には、誰か解放運動に関係していた人はいなかったのですか。部落出身者でしたら、解放運動に関係した人がまったくいなかった、ということは年齢からみて考えにくいのです。どこの部落で生まれていても、年齢から考えて、貴殿の父親や母親、貴殿の両親の父親や母親、といった祖父ちゃん祖母ちゃんの世代ならば、解放運動に関係していなかったはずがないのです。そのような人がいなかったとしたら、貴殿を部落出身者とはとても考えにくいのです。部落と関係がなければ、解放運動をする必要がないからです。
 また、どこかの解放運動団体に関係していたと言っても、ただいまの貴殿のような、一人一社の〈組織名〉は解放運動組織とは言えませんから、ちゃんとした資料や文献で後追い調査のできる組織名のみお知らせください。一人一社の〈組織〉では追跡調査が出来ませんし、貴殿が好き勝手に〈組織〉をでっち上げる可能性が非常に高いからです。
 東京といえば、人口移動の激しい都市としてよく知られています。東京で「東京出身」といわれるためには、三世代続けて都内に住み続けていた人に限られます。ようするに、たまたま都内に住んでいるだけでは「東京出身」とは言えないのです。たんなる「東京在住者」なのです。
 貴殿があくまで「部落出身」であると主張するのであれば、貴殿から視て父方の祖父ちゃん・ 祖母ちゃんと、貴殿から視て母方の祖父ちゃん・祖母ちゃんくらいまでの人たちが、ずっとどこかの部落で生まれて、生活していて、世間から〈部落〉として差別されてきた、蔑まれた歴史があるはずです。そうした歴史が客観的にも証明できれば、貴殿が〈部落出身〉であると主張しても、役所からも解放運動団体からも、「部落出身」と扱われるでしょう。差別された歴史が証明できなければ、部落を詐称しているだけ、としか見られないのは言うまでもありません。
 解放運動団体や、ただいま部落に住んでいる人達は、長い間にわたる差別の中を生きてきたのであり、貴殿のように、嬉しそうに部落を語ったり、楽しそうに語ったりは出来ないのです。誰か一人でも解放運動に立ち上がれば、その人の親や兄弟姉妹、親戚は、皆さんが「部落出身」として扱われるだけでなく、将来にわたって「部落出身」の看板を背負って生きなければならないからです。
 貴殿が一人だけで、一代限りで部落出身になる、ということは100%ありえません。ただいまの貴殿は、役所が同和対策事業を進めるために「同和地区指定」をした、その線引き内にたまたま住んでいたことがあるだけ、であるのは言うまでもありません。こうした人達は、現在では全国で3千万人は下らないと思われます。全国的に部落の混住がものすごく進んでいるからです。世間から部落といわれている地域に、〈土地代が安いから〉という理由から、移住する人達は全国的に見られる傾向です。しかしこれらの人達は「部落出身」ではなく、たんなる「部落在住者」、という存在です。在住者には、「 部落出身」として差別されてきた歴史はないでしょう。貴殿に差別された歴史があるのでしたら、ぜひお知らせください。
 どう考えても貴殿の主張には無理があります。
 
 以上。3月末までに回答を要求する。

2022年3月17日 部落解放同盟全国連合会



ロシアによるウクライナ侵略戦争弾劾!

―戦後的秩序の崩壊=新たな対立と分断のはじまり―

1 歴史を画するロシアのウクライナ侵略戦争
 ロシアによるウクライナ侵略戦争は、戦後的秩序やあり方を根本から覆し、対立と分裂をつくりだし、新たな戦争の時代が到来したことを示している。
 プーチンは、歴史をひもとけばすぐにばれる「元々クリミアはロシアのものである」とのウソの主張をもって、クリミアをロシアに併合した。そして8年前ウクライナ東部に自身が蒔いた紛争の火種に油を注ぎ、「ネオナチ政権からウクライナ住民を解放する」「ウクライナ東部のロシア系住民を保護する」との口実で、ウクライナに攻め入った。
 しかし当初のプーチンの目論見ははずれ、さらなる戦争を激化させて突き進む以外ないところに追い詰められている。歴史上、最も破壊し尽くされた都市と言われるチェチェン共和国の中心都市グロズヌイは、プーチンによって作りだされた現実であるが、キーウ(キエフ)近郊のブチャやマリウポリで目にするすさまじい破壊と殺戮に示されるように、このままではグロズヌイの再現、否それをこえるものとなりかねない。
 米欧はNATOの東方拡大によってロシアを封じ込め、存立の危機にたたき込んできた。とりわけアメリカはロシア敵視政策をとり続け、ロシアをウクライナ侵略戦争へと駆り立てた共犯者であり、ロシアを非難する資格は微塵もない。
 プーチンは領土的野望を隠そうとしていない。余談になるが、プーチンは歴史上で尊敬に値する人物を尋ねられ、帝政ロシアの女帝エカチェリーナ2世をあげている。理由は南下政策に伴う戦争によって、ロシア領土を最も拡大したことだと言う。一方、歴代ソ連指導部はロシア領土の一体性を解体したことを理由に、口汚くののしっている。
 今回のウクライナ侵略戦争は、NATOの東方拡大や封じ込め政策によってロシアが存立の危機にたたされたからという理由だけでは、すべては説明できない。プーチンは侵略戦争に先立って様々な主張をしているが、事実に反することや、理屈として成立しない内容も多く含まれている。プーチン独自の世界観では、事実や史実はまったく問題ではないのかも知れない。
 話を元に戻そう。ウクライナでの戦争が長期化するなかで、ロシアへの経済制裁が強化され、ウクライナへの軍事支援が拡大されているが、これはプーチンのウクライナ侵略戦争にさらに油を注ぐ結果しかもたらさない。戦争の長期化で破壊と殺戮(りく)が続けば、双方の思惑をこえた事態に発展し、第三次世界大戦へと突き進みかねない危機が加速している。
 これまでの戦争と完全に一線を画す深刻さの理由は、核兵器・化学兵器を保有する帝国主義ロシアがその使用をちらつかせて世界を脅迫し侵略戦争を続けていることである。そして米欧(特にドイツ)やとりわけ日本の岸田政権が、この危機をあおり口実にして、歴史的制約を取っ払って戦争国家への道をひたすら走り始めていることである。今や、大量破壊兵器を武器として使用することが当然と化した新しい戦争の時代が始まりつつある。

2  戦争国家へと突き進む岸田内閣を打倒しよう

① ウクライナ侵略戦争をめぐる欧米の対応
 ロシアによるウクライナ侵略戦争をめぐって、今後の世界のあり方と方向性を決定づけるであろう2つの特徴的出来事があった。ひとつは、戦後世界の中心として覇権を握りその存在感を示し続けてきたアメリカが、ロシアのウクライナ侵略戦争とそれをめぐるプーチンの恫喝の前に、なすすべもない姿をさらしアメリカの凋落をはっきりと世界に印象づけたことである。
 アメリカ大統領バイデンは、ロシアのウクライナ侵略戦争が不可避となる中で、「(ロシアがウクライナ侵略戦争を開始しても)アメリカは軍を派遣しない」と明言した。この発言が、プーチンのウクライナ侵略戦争に最後のゴーサインを与えたことは明らかだ。
 今ひとつは、EUの結成以来今日まで政治的経済的に牽引してきたドイツが、戦後的制約のもとで掲げてきた「平和主義」をかなぐりすて、軍拡へと舵を切り戦争へと突き進むことを決断したことである。
 ドイツのショルツ首相は2月27日、ロシアのウクライナ侵略戦争をうけ急遽(きょ)開催した連邦議会で、国防費を増額すると発表した。2022年予算から緊急で一千億ユーロ(約13兆円)を連邦軍の戦闘機、軍艦、兵の装備強化などに充て、さらにGDP比1・5%程度にとどまる国防費を、今後は毎年2%以上に引き上げる。ショルツ首相は「世界は転換点にいる」「自由と民主主義を守るには、国防に大きく投資する必要がある」「プーチン大統領がウクライナ侵攻によって新たな現実を作った。これには明確な対応が必要だ」と指摘した。
 アメリカは以前からNATO加盟国にGDP比2%を国防費の目標とするよう求めてきた。だがドイツは国防費に重点を置かなかったメルケル前政権下で目標に届かず批判されてきた経緯がある。今回の増額は、これまでのあり方からの歴史的とも言える方針転換といえる。
 このアメリカの凋落とドイツの軍拡へ転換は、今後の新たな再編へとつながる可能性を秘めている。

② 岸田のウクライナ避難民への人道支援のでたらめさ
 岸田は、ウクライナの数百万人の人々が戦火からのがれ、隣国ポーランドをはじめ近隣諸国に避難していることに対し、日本からも人道支援の手をさしのべると言って、希望するウクライナの避難民の人々への、日本での生活支援を始めた。企業や自治体からの受け入れ体制も確保しているという。戦争によって住居が破壊され、生活や仕事が奪われた人々に生きる希望を与え人道支援の手をさしのべることはよいことであり、そこに文句を言うつもりはない。
 しかし、アジアや中東、アフリカから難民として逃れてきた人たちとの対応のあまりの違いをどう理解すればいいのか。彼、彼女らは難民申請をしても長期間放置され、よほどのことがない限り受理されることはない。本国への強制送還か収容所での期限のない拘束が待つだけである。
 岸田の言う人道支援とはまやかしである。このダブルスタンダードは断じて許すことはできない。非人道的な入管行政の現状を直ちに改めろ。

③ 岸田内閣がすすめる敵基地攻撃能力の保持は戦争そのもの
 ロシアによるウクライナ侵略戦争が長期化するにつれ、プーチンの核や化学兵器使用の恫喝やロシア軍による無差別爆撃による破壊や民間人の大量殺戮(りく)など悲惨な状況が日々報道されるなかで、評論家やマスコミ等がこぞって「日本も軍備を増強すべき」「台湾有事は日本の有事」などの大合唱をくりひろげる情勢が生み出されている。こうした扇動に乗ずる形で、岸田内閣や自民党内から憲法「改正」やさらなる軍備増強にむけた動きが激しくなってきた。
 安倍元首相は、「核の共有」を叫び、自民党・高市を使って岸田内閣に揺さぶりをかけている。
 さらに「専守防衛では国土と日本人の生命財産は守れない」として「敵基地攻撃能力の保持は当然」との声をあげている。また、来年度の当初予算で防衛費を6兆円程度確保するよう主張している。この男は、今も総理大臣と思っているのか。
 こうした声に対応して岸田は、中国を念頭に「今回のような(ロシアによるウクライナ侵略戦争)力による一方的な現状変更をインド太平洋、とりわけ東アジアにおいて決して許してはいけない。あらゆる選択肢を排除せずに検討し、防衛力を抜本的に強化する」と発言した。あらゆる選択肢とは、敵基地攻撃能力の保持を念頭にしているが、最新兵器の購入や陸海空軍の攻撃の強化にむけたすべての手段を含む。
 自民党安全保障調査会(会長・小野寺五典元防衛相)は4月11日の会合で、憲法9条に基づく「専守防衛」の名称や解釈を変更すべきとの意見がだされた。岸田政権が検討を進める「敵基地攻撃能力」保持にむけた地ならしを行おうとするものだ。
 小野寺元防衛相は来年度の防衛費について、「防衛力の抜本的強化のため、必要な予算を確保したい」と述べ、今年度からの大幅増にめざすという。
 自民党は、台湾有事を念頭に防衛費増額を求める提言を4月中にまとめるとし、政府に抑止力を高める装備の導入を促し、年末に改訂する「国家安全保障戦略」に反映させようとしている。
 敵基地攻撃能力の保持とは、他国と戦争ができる戦力をもつことを意味し、従来の「専守防衛」とは内容と質においてまったく別物であり、これまでとは次元が異なる概念だ。
 相手の反撃能力を完全にたたきつぶし、戦争に勝利する能力を保持することと同義語である。相手が攻撃してきたらそこに反撃を加えるという単純なことではない。その先にあるのは全面戦争にほかならない。
 岸田の「敵基地攻撃能力の保持」を絶対に許してはならない。戦争国家へと突き進む岸田内閣打倒にたちあがろう。



2022年3月の記事
プーチン政権による

     
ウクライナ侵略弾劾!

  人民による反戦闘争に連帯を!

狭山意見広告運動の成功~再審実現へ


    
“悔いのない一年”を!

■3・6第30期拡大中央委員会で論議、意志一致
 3月6日、全国連は大阪で拡大中央委員会(拡中委)を開催し、昨年の第30回全国大会からのとりくみについての中間総括と春から夏~秋にむけての方向性を論議しました。

■ウクライナ侵略戦争を許すな

 拡中委はまず、ロシア・プーチン政権によるウクライナ侵略戦争を弾劾して開会しました。そして、ウクライナ人民の抵抗闘争とロシア国内においても果敢にたたかわれている反プーチン闘争に対して断固支持する全国連としての立場をあきらかにしました。
 今回のこの事態は、世界戦争・核戦争に火をつけるものであり、絶対に許すことはできません。連日にわたって人々の生活が破壊され多くの命が奪われています。「正義」「中立」を装うアメリカ・EU・日本政府も〝共犯者〟です。私たちは全世界で巻き起こる反戦・反核闘争・反政府闘争と連帯します。
 今後、世界の情勢が激変していくことは避けられません。そして岸田政権はこれに乗じて憲法改悪、軍備増強、核武装を急速に推し進めようとするのは間違いありません。私たちはあらためて階級的共同闘争を柱に国内の反戦・反核・改憲阻止のたたかいと連帯を強めていきます。このことを冒頭に確認しました。

■第30期の奮闘と課題が鮮明に

 つづいて、昨年7月に開催した節目の第30回全国大会と、それ以降の半年余りの奮闘をふりかえりました(※基本的な内容は昨年12月の記事を参照ください)。
 一方で、衆議院選挙をめぐって国政選挙・全国政治へのかかわりと具体的なたたかい方について、各地とも課題があきらかになりました。改憲阻止闘争をたたかう主体として選挙戦は最も重要視すべきであり、本年7月に予定されている参議院選挙にどうかかわるのかということを議論しました。
 また、支部活動の「建て直し」という点でも課題があきらかになりました。具体的には支部大会を開催できていない支部、地元の大衆や支部員さんたちと、接する活動や新聞の配達、会費の集金活動等が停滞している支部の問題があります。各地の定期的活動の活性化と、全国各地で支部大会の復活をかちとるための方策については、中央執行部の役割の重要性も浮き彫りになりました。

■2022年は狭山最終決戦の年

 結論から言うと「悔いのない一年にしよう」ということです。本当に「次は無い」ということです。石川一雄さんと命運を共にし、「狭山に勝つために作った」という全国連創立時の精神を思い起こし、つらぬき、これまでのそのすべてを賭けるということです。その覚悟がないと今回の意見広告運動も第三次再審闘争も全部ふっとんでしまうということです。
 狭山事件から59年、石川さんは今年1月に83歳になりました。高齢です。私たちが知っている「あの頃の石川さん」でなくなりつつあります。これまで苦汁をなめさせられた第一次や第二次の再審闘争の歴史をふりかえってみても、棄却が下されてから次の再審請求までは約5年を要します。石川さんの寿命はどうなるのか、そもそも狭山闘争をたたかう我々はどうなっているのか。そういうことです。
 創立時の委員長、副委員長、書記長、そして中央役員ばかりか各地の兄弟姉妹、なかまを我々はどれだけ喪ったか。「狭山事件から60年、65年、70年」といつまでも語り続けるのか。「人生をかけた最終決戦」そのことを肝に銘じ、私たち一人ひとりの腹の底からの決起が必要です。そうした論議をおこないました。
 では具体的に「勝つために何が必要か」。まずは5月に二面ぶち抜きの意見広告掲載を実現する。その衝撃力はすごいものにしなくてはならない。東京高等検察庁・東京高等裁判所を揺るがし、かつ、全国の部落の兄弟姉妹も旧活動家をも鼓舞し、狭山を知らない世代にも振り向かせなくてはならない。そのためにはどんな紙面がいいのか。ケンケンガクガクの議論と意見交換をしました。
 そして意見広告掲載後のたたかいとして、5月22日に東京(日比谷)での中央報告集会の開催、連続的な東京高検・東京高裁への要請行動、その司法権力に集中させる全国ハガキ大運動の展開、「1000人運動」「1000人委員会」といった市民大運動の立ち上げ、夏から秋にかけて各地の報告集会…。そうした提案があり、全国世論を沸騰させるために本気になってその核をつくっていこうという基本的方向性を確認し合いました。また運動財政(軍資金)を作り出すための活動も論議しました。

■春から夏にむかって

 7月の参議院選挙について。全国それぞれの地域で事情は異なりますが、とりわけ自民党や維新の会と真っ向から勝負する候補者を推薦し、最大限のとりくみをしようということになりました。
 具体的な要求闘争について。4月3日に『住宅問題交流会』を開催します。これは「同住連」によって展開された家賃の値上げ反対運動の延長ではありません。供託の分納、老朽化、修繕、建て替えや入居、まちづくり、災害復興、またそれに伴う家賃の問題、管理の問題、住民生活に関する案件を率直に出し合い、一緒に討論する情報交換や意見交換の場として「全国連住宅闘争委員会」を開催します。
 そのほか青年対策部、婦人部からの報告、会計報告がありました。また、第31回全国大会は7月17日に開催することを決定しました。大会にむけた中央執行委員会および大会議案書起草委員会を4月24日に開催することもあわせて決定しました。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の3
                 
             部落解放同盟全国連合会

 鳥取市出身の役員から、以下の文書が寄せられたので、全国連の公開質問状3の3として扱い、示現舎・宮部龍彦に発出する。公開質問ゆえ、このような参加は大歓迎である。
 今後も、大いに期待するものである。なお、名前を伏せることは、晒しマニアの宮部ごとき人物から、筆者を無用な攻撃から防衛するために必要であり、宮部がそのことで不平不満を述べることは、自ら天に唾するものであると心得よ。


 私たちの公開質問状3の2に対して宮部龍彦から回答が寄せられた。その中でとりわけ回答書の下味野・鳥取市に関わることに絞って改めて質問する。今回質問状を書いている私自身が鳥取市高草中学校区域の被差別部落の出身であり、下味野はすぐ近くである。 しかも、「示現舎・宮部龍彦は被差別部落民ではない」と被差別部落・下味野A地区の知人、部落解放運動の仲間、部落外にあっても部落差別撤廃のために学習会を組織していた地域の人たちなど多くの人たちから聞いていたからである。
 宮部は「貴団体は、何故被差別部落出身にこだわるだろうか」と問題にするが、実は、宮部は己は被差別部落民ではないと強烈に自覚している。しかしながら宮部は、下味野の被差別部落出身者だと嘘をつき、部落解放運動をあざ笑い、全国の被差別部落や個人を晒し差別を扇動しているから下味野の被差別部落出身かどうかにこだわるのだ。もちろん、私たちが繰り返し明らかにしているように下味野415番地の1は被差別部落ではない。

【Ⅰ】
 何よりも、宮部自身のブログで、「鳥取市と鳥取地裁(平成25年10月9日)によって私の実家は同和地区でないことが証明されました。」と被差別部落民ではないと白状している。
 「私の実家でも鳥取市では同和と思われているらしいですよ。境界の引き方がいい加減だから、うちでも申請すれば同和減免が受け入れられると親父が言っていましたので実際同和減免の申請をし、鳥取市と鳥取地裁によって私の実家は同和地区でないことが証明された。」「鳥取地裁は同和減免の対象区域を地域外の人間に開示しなくて良いと言い、さらに事実として、鳥取市は私の実家に対して開示しなかったから」と、宮部自身が言っている。
 宮部に問う。
(1)「私の実家でも鳥取市では同和と思われているらしい」とは「同和ではない」ということが前提になっているのではないのか。答えよ。
(2)父親は「境界の引き方がいいかげんだから、うちでも申請すれば同和減免が受け入れられる」といっているが、ここから明らかになることは父親は被差別部落ではないと自覚しているということだ。宮部龍彦自身は被差別部落出身だと聞いたことがあるかどうか。あれば何歳頃、誰に聞いたのか。答えよ。
(3)父親は被差別部落出身者なのか。
(4)母親は被差別部落出身者なのか。

【Ⅱ】
 宮部は同和減免を受けたいと思い、被差別部落に隣接していることを奇貨として同和減免を申請している。そもそも「同和問題」は同和減免・同和事業の問題だけではない。私は団塊世代の一人で、学校で同和事業に基づく教育は一度も受けたことがない。解放奨学金も受けたこともなく、小学生時代に教師から差別され放題で差別に悩み部落という文字も怖いぐらいであった。高校生になって被差別部落出身の公務員の方から本を借りて必死に読んだ。東上高志の本であったと覚えている。私にとって部落差別とは小学校の教師によって自覚させられ、貧困、学校生活や友人との関係で悩み苦しみ抜いた人生の始まりだった。高校時代は被差別部落から逃げることばかりを考え、大学も被差別部落出身と誰もわからないように関東地方を選んだものだ。もちろん生活が苦しかったから送金は一度もなく、育英会の奨学金とアルバイトでしのいだものである。この学生時代に学生運動に触れ、部落解放運動を闘いたいと決意し、初めて自分が被差別部落出身者であることを宣言し、学生運動と共に狭山闘争や生活要求闘争に入っていったのである。

 宮部に問う。
(1)宮部は自分が同和減免を申請して通らなかったことを逆恨みし、ゆがんだ差別感情 を増幅させ、部落を晒す行為を続けているのではないか。
(2)部落差別は同和事業を受けるかどうかの問題だけではなく、身分的差別全体の問題 であり、誰もが悩み苦しんだ経験を持っている。宮部は被差別部落民だと言うが、どんな苦しみ・悩みをもって生きてきたのか。
(3)差別によって命さえ失った被差別部落民も数多い。本当に残念でならないが、私の 中学校時代の友人であるH君は職場でH君の被差別部落の出身地を隣接する地域の人から晒され、悩み苦しみながら、その職場である大阪中央郵便局で自死しました。それほどの苦しみの中で生き、其処まで追い詰められる被差別部落出身者がいることを考えたことがあるか。
(4)宮部が、今やっていることは、インターネット上に被差別部落を晒すことであり、差別によって命を絶つ人もいるかもしれない深刻な問題だ。絶対に許せない。宮部は、どう 思うか。

【Ⅲ】
 鳥取市下味野A地区の人たちは誇り高く部落解放運動を担ってきた。
 珍しいことであるが下味野神社は2つある。東側にある下味野神社は地図上に神社マークがついていないが、460年前のえのきが立ち、「アマテラス」、「スサノオ」に加えて、赤池助左衛門ノ命がまつられている。鳥取の被差別部落・下味野は豊臣秀吉の鳥取城の兵糧攻めの囲みを破り、毛利方に連絡しようとした郷士・赤池助左衛門が治めた地域であり、一向宗門徒(浄土真宗)が強い地域であった。豊臣秀吉の軍勢に鳥取城主・吉川経家が破れ、赤池助左衛門の治める地域の民衆は、その後、身分貶下(へんげ)されたものと考えられる。まさに、当時の下味野A地区の民衆は赤池助左衛門を中心に豊臣秀吉の軍勢と闘った誇り高き民衆だったのである。鳥取の被差別部落は、この下味野A地区を中心に形成されたと言われている。
 戦後の解放運動は、この下味野A地区が鳥取の部落解放運動の中心だった。高校生の時、被差別部落の同級生で友人が「相談できる人が大切だから市議会議員の前田さんを応援せないけん」と初めて前田さんという名前を聞いたことを覚えている。前田さんは、私が学生になり、狭山闘争で日比谷小公園に参加したとき、初めて解放同盟中央本部執行委員であることを知ったその人だった。
 前田さんは戦後、1947年に国鉄をやめ、郷里(下味野)に帰り、いち早く農民運動に身を投じ部落の完全解放を願い精力的に活動した。解放同盟鳥取県連書記長、中央本部執行委員として解放運動を指導し、1962年、37歳で鳥取市議会に当選して連続26年間勤め、地域住民の生活、教育、文化の向上と地域の発展の貢献した(ブログより)。
 まさに、「戦後の鳥取における部落解放運動の中心は下味野A地区だった」と言っても過言ではない。

 宮部に問う。
(1)下味野の東側(千代川沿い)にある下味野神社を知っているか。被差別部落・下味野の起源について見聞きしたことがあるか。
 あるならば、宮部はどう思ったか。
(2)前田さんは1989年に亡くなり、親族が意志を継ぎ、市議会議員を務めているが知っているか。その人と話したことはあるか。あるならばどんな話をしたのか。
 以上、真実を答えよ。

【Ⅳ】
 私が部落出身者であることに、より一層誇りを持つようになった本が「一向一揆と部落
 被差別部落の起源」である。
 この本は鳥取市出身の石尾芳久さんの書であり、その他、多数の研究を通して被差別部落の起源論に新たな視点で迫り、被差別部落民を励ます内容である。

 宮部に問う。
(1)石尾芳久さんを知っているか。書物を読んだことがあるか。読んでいるなら、その 感想を述べよ。
(2)あらためて問う。示現舎・宮部は何を目的にしてインターネット上に被差別部落や 名前を全国に晒し続けるか。
(3)鳥取の下味野A地区の人たちや部落解放運動のきょうだい、共に闘う仲間に「被差別部落民ではない宮部が何故部落出身者だ」と嘘をつくのか?問いかけると「ようわからんけど結局金目当てだろう」と答えていた。このように、「金目当てだろう」という地域の意見にどう思うか。真正面から答えよ。

 最後に、示現舎・宮部龍彦よ!
 下味野A地区や鳥取市の被差別部落民の怒り、全国の被差別部落民、共に闘うすべての仲間たちの怒りを真正面から受けとめ、心底謝罪せよ!

 以上。3月15日までに回答を要求する。

2022年2月28日 部落解放同盟全国連合会


2022年2月の記事

鑑定人尋問・事実調べかちとり

狭山再審の決戦にたちあがろう!


5月意見広告を成功させ

鑑定人尋問迫る大運動を巻き起こせ!


●事実調べ=鑑定人尋問の実現へ

 狭山第3次再審闘争は、いよいよ事実調べ・鑑定人尋問を実現し、再審開始をかちとる最終的な決戦を迎えました。
 弁護団は、今春までに万年筆、殺害方法、自白についての追加鑑定を提出し、それをふまえて鑑定人尋問を請求するとしています。私たちは、全狭山勢力の力を結集して、東京高裁に鑑定人尋問の実施を迫っていかなければなりません。
 これまで、重大事件の再審において、事実調べがなされずに再審が開かれたものは一つもありません。事実調べが拒否され、密室の書面審理だけで判決が出された事件は、ことごとく再審が棄却されています。まさしく「事実調べなくして、再審なし」なのです。
 狭山事件でも、第1次再審からこれまで、実に45年の間、ただの一度の事実調べも行われず棄却決定がくり返されてきました。「権力による部落差別犯罪を闇に葬る」ことが、国家の意思として貫徹されてきたのです。
 これまでも「事実調べを行え」ということは要求してきましたが、今ほどそれが正面課題となったのは、狭山再審闘争の中で初めてです。それは、私たちが下山鑑定という決定的な武器を手にしたからです。

●事実調べの核心は下山鑑定人尋問

 下山鑑定は、石川さんの「自白」にもとづいて石川さん宅から発見された万年筆が、被害者のものではないことを科学的に証明しました。検察は2年間も、世界有数といわれる科警研の総力を挙げて反論の鑑定を試みましたが、ついにあきらめざるを得ませんでした。下山鑑定は、それほどの科学的証明力を持っています。
 しかもそれにとどまりません。重要証拠である万年筆が、ニセ物であったということを通じて、捜査当局が証拠をねつ造したことが証明されました。狭山事件が国家による権力犯罪であることが、明確な科学的裏付けをもって明らかにされたのです。
 私たちが本年1月17日に行った狭山要請行動においても、対応した担当検事は、「下山鑑定が反論の余地なく正しいとされれば、それだけで再審開始になる」と言わざるを得ませんでした。当然です。万年筆の証拠ねつ造が明らかになれば、文字が同じだとか、足跡が同じだとかいう検察の主張はすべて吹っ飛んでしまいます。
 だからこそ、検察、裁判所はなりふり構わずに下山鑑定をつぶそうとしています。検察が科学的反論を放棄して「水洗い論」なる空想的な可能性で下山鑑定を無力化しようとしているのもその表れです。
 私たちは、検察の下山鑑定つぶしに対してさらに科学的な反論をたたきつけ、東京高裁が検察意見書を採用することを阻止しなければなりません。そして何としても東京高裁に鑑定人尋問を実施させていきましょう。

●証拠開示を拒否する検察弾劾

 検察は、弁護団の出す新証拠に対して次々と反論の意見や鑑定を出してくる一方で、本来やるべき証拠開示については、ことごとくこれを拒否しています。
 1月27日に行われた三者協議でも、スコップやタオルに関して弁護団が求めていた証拠開示について、検察は「見当たらない」「開示に応じる必要はない」などと回答。またどこを探したのかという求釈明に対しても、「これ以上証拠を探す必要はない」と開き直っています。絶対に許すことはできません。
 布川事件の国賠訴訟では、検察の取り調べについて「虚偽の事実を述べて強い心理的動揺を与え…自白を強要する違法な行為」だと弾劾しました。また証拠開示についても、「検察官は、公益の代表者として、事案の真相を明らかにする職責を負っている…被告人に有利不利な証拠を問わずに法廷に顕出すべき義務を負う」「具体的に特定された証拠開示の申立てがあったような場合には…開示をしない合理的理由がない場合には、検察官は、その証拠の開示義務を負う」と明確に指摘されました。
 しかし狭山担当検事は、そのようなことはまったく無視しています。それどころか裁判所の開示勧告さえも守ろうとしていません。
 私たちは下山鑑定を武器に徹底してたたかい、警察・検察による権力犯罪を満天下に明らかにしていきましょう。

●意見広告と新たな国民的運動を

 今年の事実調べ決戦を前にして、検察はなんとかして。早期の幕引きを図ろうとしています。先の要請行動の中で、私たちは最終意見書の提出の前に鑑定人尋問を実施せよと迫りました。それに対して検察は「二度手間になるので、これまで出している個別の意見書や鑑定書をもって最終意見書の一部となるならば…」などと、鑑定人尋問なき最終意見書に突き進みたい意向を露骨に述べました。
 事態はギリギリの攻防を迎えています。私たちは、一昨年から第2次狭山意見広告運動を全力で取り組んできました。それは今年5月、毎日新聞で実現されます
 そして、この意見広告運動を母体として、狭山再審を動かし、再審開始を求める新たな、そして大きな国民運動を結成し、たたかいを開始します。
 コロナ禍で、体を鍛えながら無実を訴え続けている石川一雄さんとかたく連帯し、今年の決戦に勝利しましょう。

2022年1月の記事
勝負の1年!

5月狭山意見広告を実現し、

鑑定人尋問をかちとろう!


             部落解放同盟全国連合会
             中央執行委員長 村上久義

 吹雪舞う日もあるなか、勝負の年の新春を迎えました。身の引き締まる思いです。
 同盟員の皆さんには、今年もまた御骨折りをおかけしますが、一致団結して進むことをお願い致します。

7月参議院選挙では大阪で維新と決戦

 昨年の衆議院選挙は立憲民主党が敗北し、憲法改悪への道を開ける結果となりました。今年の夏の参議院選挙では、憲法を変える国民投票となるかもしれません。これまではどの政党、どの候補を支持するのか、全国連としては苦心することもありましたが、今度の参議院選挙は、大阪でれいわ新選組が立つとのこと。憲法改悪の急先鋒・維新と大阪で決戦を構え、全国焦点にして思い切りたたかいましょう。
 私たちには、日々の要求闘争をはじめ、たくさんの課題があります。コロナ禍で医療を要求し、仕事と労働者の権利を守るとりくみ。長野の災害復興のとりくみ。住宅問題も様々な課題があります。たくさんのテーマをとりくみつつ、それらを繋げ、何に焦点をおいて、全体がレベルアップするように進むのか。

83才になられた石川一雄さんに勝利を誓う

 それは、とりわけ、5月の第2次狭山意見広告の掲載と、1000人市民委員会の立ち上げにあると思います。広告掲載を5月に延期したことは正解でした。時間の余裕ができ、豊かなとりくみで準備することができます。5月を焦点に、今春は狭山の決戦です。事実調べ=鑑定人尋問は、いよいよ弁護団も含め請求が出され、裁判所に採用を迫ることになります。何としても勝利しましょう。
 石川一雄さんは、この1月で83歳になられます。全国連は、お誓いします。今年は、鑑定人尋問を実現し、再審開始元年とします。
 示現舎・宮部をはじめ、差別主義を徹底糾弾で圧倒しましょう。
 全国の同盟員の皆さん、仲間の皆さん、ともにがんばりましょう。


2021年12月の記事
くる年もみんなで団結がんばろう!

~狭山勝利・要求貫徹・改憲阻止の本格的闘争へ~

逆風を突破した2021年のたたかい

 瀬川委員長、中田書記長、片岡副委員長と、全国連の顔というべき指導者をあいついで喪うという大きな試練と「新型コロナ」という世界的パンデミックにみまわれたこの二年。大会・集会のみならず、各ブロックや各支部の会合も部会ごとの集まりも制限され、私たちはかつてない苦境に立たされました。しかし、全国連は各地各階層とも現実を受け止めつつ差別を許さず部落大衆の生活と尊厳を守る精神とたたかいを絶やすことなく、創意工夫と試行錯誤を重ねて奮闘してきました。
 とりわけ、二年ぶりに開催した全国大会以降の2021年をあらためてふりかえり、くる年2022年を展望します。

全国結集でかちとった全国大会

 第30回全国大会。この記念すべき節目の大会はコロナ禍で様々な制約があるなか各地からの代議員を最小限におさえ、必要な対策をとって一部リモートでの参加をふくめながら7月に大阪で開催しました。
 自粛ばかりでなく目の前の現実と向き合い、絶対に逃げず、部落大衆の様々な問題を共有して困難に向き合うことから始めるということ。亡き諸先輩がそうであったようにたとえ少数であってもムラ全体、運動全体を背負って立ち、身分的差別を撤廃するという全国連としての基本路線を確認しました。特に、①狭山第二次意見広告運動の成功、②コロナ禍における大衆的要求闘争への決起、③衆議院選挙を契機とした憲法改悪阻止のたたかい、この三つを大きな課題としました。さらに「示現舎・宮部」の徹底糾弾に立つことを宣言。また、沖縄・三里塚、アジア人民と連帯して侵略戦争反対を貫くことをあらためて誓い合いました。
 こうして村上委員長、楠木書記長を先頭とする新体制のもと『新たな挑戦5ヵ年決戦』の完遂にむけて突き進む一歩を踏み出しました。

ぶっ立った青年と婦人

 青年部と婦人部は超困難な状況が変わらない渦中、8月に全青交(全国青年交流集会)を、9月に全婦大会(全国婦人部大会)を、それぞれ各地オンラインでつなぎやりぬきました。インターネットやリモート操作の専門家などいないなか、「今やれることは全部やる」を合言葉に青年も婦人も事務局が中心となって機器の準備などに奔走し、パソコンと格闘しながら開催にこぎつけました。当日は通信の不具合などのハプニングもあったものの、「コロナ時代の全国交流・情報交換・学習・討論」を貫徹し成功させました。

全力でとりくんだ狭山意見広告運動

 三年前の2018年に実現した全国紙(毎日新聞)での狭山意見広告掲載。それは部落大衆や古くからの活動家のみならず、たくさんの人々を鼓舞しました。しかも、第三次再審闘争の土俵でもある司法権力中枢の東京高等裁判所と東京高等検察庁を確実に揺り動かしました。
 しかし、事実調べ・再審開始には至っていません。そこで、再び意見広告掲載をめざして取り組みをおこない、賛同を拡大しました。各地で地を這うような草の根的運動の甲斐あって、記事掲載に必要な資金が集まりました。
 具体的には本紙10月号でもおしらせしたように、カラー見開き二面で来年5月の掲載に決まりました。現在、紙面のレイアウトなど編集作業に入っており、部落解放新聞・狭山闘争ニュース読者をふくむみなさんの積極的建設的な意見を募集中です。

差別を居直る示現舎・宮部を徹底的に追及
 インターネットを駆使して差別をあおり、部落解放運動と全国の部落大衆に敵対し続ける示現舎・宮部に対して現在も徹底的に糾弾しています。9月には再度、宮部本人に質問状を送って責任を迫りました。(詳細は本紙9月号を参照ください)
 この全国連の追及に宮部は「回答書」を送りつけてきたものの、その内容たるや苦しまぎれの言い訳ばかり。支離滅裂で「回答」になっておらず差別者としての馬脚をあらわにし、そればかりか居直りを続ける一方です。
 とはいえ、全国連は手をゆるめません。この許しがたい差別者をさらに糾弾し、その罪状を認め謝罪するまで徹底的に追及し続けます。

各地のたたかいも活性

 全国大会、全青交、全婦、狭山10月闘争の過程で、各県連大会や支部大会も開催されました。全国ではさらに、関東ブロック長野における台風災害の復興をかけた地域ぐるみの行政とのたたかい、地方選への挑戦、茨城での、県行政を丸ごと巻き込んだ研修や集会、関西ブロックを中心とした同和住宅や医療・介護をはじめとする日常生活に密着した取り組み、中四国ブロックではヒロシマやアジア侵略の総括を軸とした反戦・反核闘争の継続、九州ブロック福岡における駅前・街頭での狭山街宣とPR行動の定期化等々、幅広く豊かな運動を展開してきました。また、各地で来年の参議院選挙での態度も見据えた具体的な取り組みも始まりました。
 1992年に創立した我が全国連は来年、丸30周年を迎えます。狭山再審、要求貫徹、改憲阻止を一体のものとして勝利するためにもより一層みんなで力を合わせていきましょう。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の2
                 
             部落解放同盟全国連合会

 私たちの「公開質問状3の1」に対して、宮部から11月5日付けで回答があった。
 私たちはこれまで公開質問状で宮部の主張のウソや差別性を様々な面から暴いてきたが、宮部は具体的に答えず、論点のすり替えやはぐらかしばかり書いてきた。そこで前回から論点を絞り、最初に宮部が主張している「自分は部落民だ」というウソについて追及した。
 今回の回答書は、ウソにウソを重ねるとこうなるという見本のようなものである。
 宮部は今回の質問状に対して、ネットでは「全国連は反権力でね。僕はむちゃくちゃ反権力ですよ。本来だったら全国連は示現舎の味方をするべきだと思うんですね…いい加減、やめませんか」などと泣き言をたれている。
 しかし宮部はいまだに「自分は部落民だ」というウソを撤回するどころか、一層振りまいている。私たちは宮部がウソを認めて謝罪するまで、徹底的に真実を明らかにしていくものである。

1、宮部は部落民、とする3つの根拠がデタラメであることを認めよ

 宮部は回答書で「不可解なので付言するが、貴団体はなぜ宮部が部落出身かどうかに
こだわるのだろうか」と言っている。ネットでは今回の質問状に対して「部落民かどうかというのは、はっきしどうでもいい話なんです」「こだわっているのが異常」「マウントをとろうとしている」などとも発言している。「これ以上追究しないでくれ」と言わんばかりである。
 私たちがこの問題を取り上げるのは、宮部自身が「自分は部落民だ」というウソをつき続けているからだ。そして自分の出身はごまかしながら、裁判では解放同盟員の出身地をさらし続けている。宮部が口先でいくら屁理屈を並べようと、その正体はウソつきの差別者であることを明らかにするために、私たちはこの問題を第1のテーマとしているのだ。
 私たちは公開質問状で、宮部が部落民だと主張する3つの根拠が、いずれも根拠など
になり得ず、宮部は一般地区出身者であることを明らかにしてきた。
 すなわち、(1)宮部の出身地である「鳥取市下味野415番地の1」は、下味野の中でも一般地区の本村であり、被差別部落ではないこと、(2)宮部は父親の職業を「屠殺業」などと言っているが実は「ジビエ」を趣味にしているに過ぎないこと、(3)宮部の土地が同和対策の土地改良事業の対象になったというが、隣接する一般地区の土地も含めて事業対象とすることは同和対策事業のイロハのイであること、などである。

(1)下味野の地番に関して

 ① 宮部は今回の回答書で、全国部落調査や鳥取市の同和地区の呼称などが下味野となっているから、「番地がどうであろうと、下味野とつけばそこは部落なのである」と言っている。「番地がどうであろうと」? 宮部は、とうとうここまでデタラメな言辞をはかなければ、自分が部落民だと言えなくなったのだ。
 また宮部は、部落は権力が作り、その権力が下味野は部落と言ったから部落だなどとくり返している。第1回目の回答書でも、「権力により部落民と認められた宮部龍彦が部落民以外の何であると言うのだ」などと息巻いていた。
 権力は戦前の融和事業や戦後の同和事業の対象として、全国の多くの地域で被差別部落を含む大字小字単位で地区指定し、事業の対象地区としてきた。被差別部落であるA地区を含む下味野もそうである。そんなことも知らないほど、宮部は無知なのか。いや、そうではない。知っていながら悪質なウソを重ねているから、その居直りがどんどんひどくなっているのだ。
 ② 宮部は、裁判所に出した陳述書で次のように言っている。「下味野の中でも千代川に近い地域が部落とされており、下味野本村の枝村である『A』という穢多村の存在が江戸時代の文献に出てきます。そして、実際に戦後間もない頃まではバラック小屋のような家が密集しており、差別のために近親婚が多かったと聞いています。」
 また、「鳥取市では下味野全体を部落と思っている人が多いです。…鳥取市によって
同和地区の呼称として『下味野』が使われたので、下味野の区域の住民は、よそからは部落民と思われている」と言い、自分も市職員からそのようにみられた経験を書いている。
 そして「下味野はもともと複数の自治会に別れているのだから、部落・一般という考え方はありません…少なくとも明治末期以降は下味野旧本村と旧Aの関係は差別した・されたというようなものではなくて、『なあなあ』の関係で。」などと書いている。
 これをみても、宮部は下味野の一般地区本村の出身で、隣接するA部落の差別的状況を聞いており、自分が部落民でないことは自覚していたことを白状している。

 宮部に問う。全国部落調査や鳥取市の地区指定が下味野であろうと、下味野415番地の1はA地区内ではなく、一般地区の本村であることを認め、これまで知っていながらウソをついてきたことを撤回し、謝罪せよ。

(2)父親を「屠殺業」とすることについて

 宮部は回答書において必死に論点をごまかし、父親の職業が「趣味」ではなく、保健所に届けた仕事だと言っている。
 宮部は第1回の回答書で、自分から「父親は不動産業者兼屠殺業者」だと言い、あたかも自分が部落民であるというウソの主張を補強するかのような回答をした。それに対して、私たちは父親がやっているのは「屠殺業」ではなく「ジビエ」であることを指摘し、「針小棒大にも程がある」と指摘したのだ。
 論点をごまかさず、潔くウソを認めて、撤回し、謝罪することを求める。

(3)同和対策の土地改良事業について

 宮部のような部落に隣接する一般地区の土地でも、同和対策事業の対象になることが常識であることはすでに述べた。
 宮部は第1回の回答書では「そこが部落でなければ鳥取市が『同和』予算を支出するわけがなかろう」などと無知をさらけだしているが、前回と今回の回答書ではまったく反論がない。できないのだ。これに関して宮部はネットでは「ああそうですか、まあそうですね。それがどうかしましたか」などと完全に認めざるを得なくなっている。
 それならば、こんなみっともない対応でなく、きちんと自分の誤りを認め、部落民である根拠としたことについて、撤回するべきである。

2、宮部は下味野での部落民宣言をどう受け止めたのか

 宮部は、「下味野の一部の児童がいわゆる『部落民宣言』をさせられたのですが…なぜ下味野という区域内で『部落民宣言』をさせられた児童とそうでない児童がいるのかということは全く教わっていません。」と言っている。
 ① 自分が部落民だというなら、宮部自身は「部落民宣言」をしようと誘われたことがあ
るのか。
 ② 宮部自身は部落差別を受けた経験があるのか。
 ③ 宮部の親は自分が部落民だと言っているのか。
 ④ 宮部は親から部落民だと教わったことがあるのか。答えよ。

3、神奈川県の原告の本籍地への転籍について

 宮部は、解放同盟が「戸籍や住民票」を根拠にしていることを逆手にとって、「それなら戸籍や住民票を移動すればだれでも部落民になれる」といって、自分も神奈川県の原告の本籍地に自分の本籍を移した。そして、「本籍地が部落に有るのだから宮部は間違いなく部落民である」なとど回答している。
 これは、宮部の差別者としてのあくどさを典型的に示すものである。宮部の言っていること、やっていることは、現実を無視した下らない言葉遊び、書類遊びに過ぎない。以前から興信所などを使って相手の戸籍をとり部落民かどうか身元調査をする人たちがいる。だから差別から逃れようと、つらい思いで本籍を転々と移す人もいたのだ。そのような部落の人たちをあざ笑う行為だ。
 また、それ以上に多いのは、先祖がどうかや、戸籍がどうなっているかなど分からなくても、「あそこの地区の出身だ」というだけで、部落出身者を差別し排除する人だ。「被差別部落」と周りが見なす地区に生まれたというだけで差別を受ける。この身分的差別としての部落差別は、今も厳然とある。
 被差別部落に生まれていない宮部は、いくら「自分は部落民だ」「本籍を部落に移した」などと絶叫しても、部落差別を受けることはない。興信所が調査すれば「彼は部落出身者ではないが、本籍を部落に移した変人である」という報告書が書かれるだろう。
 宮部を部落出身者などと言うのは、せいぜい「下味野」全部が被差別部落だと勘違いした市職員や市民がいるくらいだ。
 宮部の魂胆は見え透いている。自分が下味野の部落出身でないことを明らかにされたために、下味野から目をそらせ、神奈川へと焦点をずらしたいのだ。だが宮部が部落民かどうかは、下味野で決まる。そこから逃げることはできないのだ。
 宮部は、いい加減「部落」や「部落民」についての言葉遊び、書類遊びをやめたらどうなのか。そして自分が「部落民である」というウソを撤回して、謝罪したらどうなのか。答えよ。

4、部落民と主張するぶざけた動機について

 宮部は鳥取ループを初めた当初、ツイッターに「鳥取ループはガチの同和地区住民で、同和地区出身者です。本人が言うのだから間違いありません。アイヌ優遇策が始まったらアイヌにもなる予定です」とツイートした。
 また「本当かどうかはご想像に任せますが、この国では誰でも同和地区住民を自称できる」「(このプロフィールは)半分皮肉が入っています」などと述べている。
 このふざけた自己紹介だけでも、宮部は自分が部落民だなどと本気で主張しているのではないことがよく分かる。しかしこれは「冗談」などと言って逃げられるような言辞ではない。部落民やアイヌをからかいの対象とする差別者そのものではないか。
 ① 「本当かどうかはご想像に任せます」「半分皮肉が入っている」とはどのような意味
か。
 ② 宮部は、「次はアイヌになる」のか。答えよ。

5、部落所在地をたれ流すことの犯罪性

 宮部が部落出身者であるというウソを暴くことが、公開質問状3の趣旨であるが、宮部が回答書で、全国連は支部名=地域の部落名を公然化しながらゼッケン登校などを行ってきたが、これは寝た子を起こす論ではないのか、全国部落調査の公開に反対するのは寝た子を起こすな論であり、いつから転向したのか、その矛盾について理論的に説明を求める、としているので、一言触れておく。

 ① 宮部は全国部落調査の公開が、〈部落を明らかにする論〉と〈部落を隠す論〉の対立であり、前者の方が部落解放につながるという、路線論争のように押し出している。しかしそれは後からこじつけたものであり、宮部の本音は当初あけすけに自分で言っていたように、「ばんばん売って金儲けしますよ」ということだ。そんな宮部が、路線だ理論だなどと言うこと自体がおこがましい。
 この点については、質問状4以降で徹底的に明らかにする。

 ② 私たちが自分たちの部落名を支部名に冠し、ゼッケンや荊冠旗に書き、それを明らかにしながらゼッケン登校などを闘うのは、第1に、部落差別を受ける者としての自覚と、
差別と闘う主体をつくりあげるためだ。部落差別をなくしていく主体は、全国水平社綱領にあるように「部落民自身の行動によって絶対の解放を期す」ということだ。そのために自らの部落を誇りとして掲げて闘うのだ。その場合、差別が厳しい故に「寝た子」として生きる選択をしているきょうだいの痛い思いも引き受け、励まし、ともに闘う戦列に加わるように働きかけていく。
 第2に、その主体づくりの基盤の上に、多くの労働者人民との共同闘争を発展させ、部落差別を生み出し労働者階級を搾取・抑圧する国家権力を打倒し、部落解放・労働者解放の未来を切り開いていくのが私たちの運動だ。
 単に、「自ら明らかにするカミングアウト」か、「他者が暴露するアウティング」かといった平面的な問題ではない。
 私たちのこの立場と、ただ全国の部落地名をたれ流す宮部(しかも金儲けの手段とし
て!)とは、正反対だ。宮部は、即刻部落解放運動への敵対をやめるべきである。以上。

2021年12月14日 部落解放同盟全国連合会

2021年11月の記事
狭山全国統一行動

10.31寺尾差別判決47ヶ年糾弾!

全国各地で狭山署名活動

10月10日 大阪・京橋
狭山への関心が高まる

 緊急事態宣言解除後の第2日曜日、7ヶ月ぶりに京橋駅街宣を再開しました。さすが京橋は、大阪第3のターミナルと言われるだけあって人出は全く心配ありませんでした。この日は駅前の広場に荒本、寝屋川、西郡、野崎、大阪狭山実行委員会から13名が結集。11時から2時間の街頭宣伝で狭山ビラ300枚を配布、署名11名、カンパ500円を達成しました。
 第3次再審が今年、鑑定人尋問―事実調べをめぐる重大な局面を迎えていること、弁護団が下山第2鑑定の決定的証拠を提出したこと、そして、いよいよ来春には弁護団が、東京高裁に事実調べ―鑑定人尋問の請求を行うことを表明し、その同時期に狭山第2次意見広告が、全国紙にカラー2面掲載が決定したことを通行人にビラで訴えました。
 「今大切なことは、石川さん無罪を証明する下山鑑定をはじめ新規・明白な新証拠が、弁護団から次々と提出されている事と、『東京高裁は1日も早く事実調べを行え!』という声が、今後大きくなれば、再審のトビラは必ず開きます。みなさんの声をどうかこの狭山署名に託してください。」と、声を大にしてアピールしました。
 ビラを配る仲間も、足を止めた通行人に必死に食い下がって署名を促して、その熱意に応えた人は、署名用紙にペンを走らす時、とてもすがすがしい顔をされていました。
 それでも、まだまだビラを受け取る人達は、コロナ情勢とは言え少なかったように思えます。やはりもっと街頭宣伝の回数を増やして粘り強く訴えを繰り返し、毎回工夫をこらして狭山の最新情報を伝える中で関心を深めてもらうよう、たゆまぬ努力がこれからも必要です。
 大阪では、こうした街頭宣伝とともに、大阪狭山実行委員会を結成して6月20日には「狭山映画と講演の集い」を緊急事態宣言下にもかかわらず34名の参加で開催し大成功しました。そして来る12月5日には「久保敬(たかし)校長を招いての講演集会」を開催して、狭山再審に向けた広範囲な陣形を築くために奮闘努力しています。

10月17日 長野市内6地区
狭山署名で村の思いを実感

 10月17日(日)、長野市内の部落へ狭山署名に入りました。
〈大町(おおまち)地区〉
 この村は、台風19号災害によって数件しか残っていませんが、3軒の人が署名に協力してくれました。反応は「狭山事件、昔の話だね。聞いたことがある。裁判所を動かせるように頑張って下さい」と署名してくれました。
〈南堀(みなみぼり)地区〉
 高校時代の知り合いで、第1回目の狭山意見広告にも賛同してもらった人です。話をするとすぐに署名に応じてくれました。
〈吉田(よしだ)地区〉
 かつて解同の支部があったところですが、今は解散しています。「みなさんの声で、裁判所を動かしましょう」と訴えると、「署名だけなら協力します」と言って署名に応じてもらいました。
〈篠ノ井(しののい)地区〉
 60代男性が「狭山事件は長いですね。若いころは何度か話を聞いたことはあります。ぜひがんばって下さい」と署名をしました。
 また、70代男性が、「昔は組織もあって、会合も開いていた。今はそれもなくなってしまった」と解放運動の衰退をなげきながら、狭山への想いを署名に託してくれました。
〈松代(まつしろ)地区〉
 部落と一般の混住が進んでおり、すべての家を訪問しました。
 70代男性が「若いころはバスに乗って狭山のことで裁判所に行ったものだ。署名は当然のことだ」とすぐに応じてくれました。
 30代の若い夫婦が「ちゃんとした裁判をすべきですね」とすぐに署名に応じてくれ、「家族が多いのですが、全員の分を書きましょうか」と言って、6名分の署名をいただきました。
〈若穂(わかほ)地区〉
 「狭山署名のお願いに来ました」と伝えると、皆さん二つ返事で「協力するよ」とボールペンをとってくれて、またたく間に署名が集まりました。
 また、K地域では2軒で若い婦人が署名に応じてくれて家族にも声をかけて複数人分を書いてくれました。
 解同本部派の運動が衰退し、村の中では運動がありません。しかし狭山闘争は村の人の関心事であることが、署名を通じて改めて実感できました。
 今後も署名運動を続けますので、ご協力をお願いします。

10月31日 狭山学習会(山口・陶支部)
写真による報告

茨城では狭山報道特集のDVDで学習

 茨城ではコロナウイルス感染が収まっていないため、未だになかなか集まることが厳しい状況です。そのため狭山統一行動として、『次は私の番~動き出した狭山事件』のDVDを各支部に送り活用・学習しました。1日も早く、要請行動、5月の中央集会、意見広告運動で事実調べ、証人・鑑定人尋問を勝ち取るため頑張ります。
 また、今後の予定としては11月20日~21日に、中田支部研修会が行われる予定で、この中での上映も企画しています。

10月31日 福岡・天神
寺尾判決糾弾!再審を訴え(投稿)


 今年も10月31日がやってきました。私たちにとっては絶対に忘れることのできない47年前の東京高裁寺尾判決(無期懲役)の日です。当日、背広に革靴を持参して無罪放免を確信し臨んだ石川一雄さんにとっては、言い表すことのできない怒りの日となっていることでしょう。私たち実行委員会のメンバーも、この10・31寺尾判決糾弾!第3次再審勝利の決意を胸に、全国でとりくまれている闘いと連帯して第47回狭山街宣を行いました。
 いつもは第4日曜日の取り組みですが、今回は31日に合わせて行動することを会議で決めてのとりくみです。18名のメンバーが早々と街頭に立ち、行き交う人々に声を掛けます。
 開始早々、年配の女性があらわれ「みなさんが毎月がんばっているから」と千円のカンパをいただきました。当たり前のようにやっている街宣ですが、このように見てくれている人がいることに、石川さんの無実と運動の正義を改めて感じさせてもらった瞬間でした。
 万年筆がニセモノであることを明らかにしているパネル数点。興味深そうに見ている若い女性がいました。メンバーのひとりがチラシを渡し狭山の話をすると、「初めてこの運動を知りました。はじめてなので、ちゃんと知っておかないと、と思い見ていました」と言い、そしてメンバーに「あなたはどうしてこの運動をしているのか?」とたずね、解放運動へのかかわりや狭山のことを丁寧に話し、詳しい本があることを紹介しました。署名を訴えると、個人情報のことでフルネームを書くのを躊躇(ちゅうちょ)されましたが、責任をもって東京高裁へ提出することを確認して一筆いただきました。
 一人の女性が、署名を訴えている仲間の前に立ち止まり、自分が教師で「狭山を学校で教えている」と言い、自ら署名をしていかれました。更に、若い男性も女性もチラシを受け取り署名に応じる姿がいくつも見られました。
 また、この日は大通りを挟んだ反対側で、日本キリスト教団の方が、10・31狭山を訴える独自のチラシを配布しており、ともに頑張りましょう!とエールの交換を行いました。
 途中、YouTubeにアップされていた、石川一雄さんと早智子さんのアピールを見つけた仲間が、早速マイクで流し通り行く人の耳目を集めていました。チラシ250余を配り、30筆の署名をいただきました。
 最高裁判事の信任をはかる投票がこの日行われましたが、石川さんは「当たった裁判官が悪かった、という司法では元来ダメなんだ」と訴えます。全くその通り!東京高裁・大野裁判長が正しい判断をするためには、5月意見広告とその運動が決定的です。石川さんと共に、権力犯罪を許さず、事実調べの実現と再審の門を開くために奮闘しましょう!


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の1
                 
        部落解放同盟全国連合会

 示現舎・宮部龍彦(以下宮部と略)への公開質問状2に対して、宮部からの回答書が、9月15日付けできた(以下回答書と略)。
 今回の回答書では、ほとんど全ての質問に対して、何一つまともな回答はない。とくに、具体的な質問点に対して、具体的な回答がない。あるのは、宮部の苛立ちに満ちた感情的作文である。
 こうなると、公開質問状のやりとりとしては、体をなすことが難しい。宮部には、具体的な質問点について、逃げずに、回答することを求める。そのため、公開質問状の3においては、ひとつひとつ、項目をしぼって、宮部回答書の矛盾、問題点を指摘し、再回答を求めることにしたい。そうすることで、宮部の感情、暴言に惑うことなく、より本性が見えてくるにちがいない。
 したがって、今回はひとまず3の1とし、宮部がイの一番に主張する「俺は部落民だ」というウソについてとりあげる。

 回答書において、宮部は、またしても「俺は部落民だ」と主張する。そして、「宮部は部落民ではない」と証言した出身地の近くの住民に八つ当たりし、「証言者をだせ」といきまいている。苛立ち、感情にかられ、故郷の住民にまで敵意をむきだしにしている。
 宮部にひとこと言っておくが、君が部落民ではないことは、故郷の住民の間ではとっくに知れ渡ったことであり、周知の事実である。それが、人々の口の端に上るようになったのは、誰あろう、宮部自身が「俺は正真正銘の部落民だ」などと吹聴するからである。身から出た錆とはこのことだ。それを、逆切れして、住民に毒つくとは、いかにも宮部らしいが、「誰が言ったのか」と問われれば、それは君の故郷の全住民だと言っておこう。
 宮部がこの点でいたく気に病んでいるので、逆に聞こう。宮部よ、君があくまでも「部落民だ」と言い張るなら、君こそ、その証人を下味野の住民から一人でも出してみよ。自分で、故郷の住民をくまなく回り、自分の評判を聞いてくればいいのだ。

 さて、回答書では、次の何点かで、こちらの質問には何一つ答えず、回答の欠片もない。

(1) 宮部の出身の住所を、全国連が、鳥取市下味野415番地の1と表記したことについて、そしてそこは、明白に被差別部落ではないと指摘したことについて、具体的な反論がない。具体的に反論できないのか。「部落探訪」で、散々各地の被差別部落を晒しものにし、他人の住所氏名を勝手に暴露して悦に入っているくせに、自分のことになると逃げ回る。とんだお笑い草ではないか。

(2) 宮部の父親の職業について、全国連が、ジビエを趣味にしているに過ぎずそれをもって「屠殺業」というには、針小棒大にも程があると指摘したことに対して、全く反論がない。何も反論がないということは、全国連の指摘通りということか。しかし、これは宮部のほうから、第1次質問状への回答として言いだしたことである。それに全国連が正解を出したに過ぎない。まさか、真相が簡単にばれるとは思っていなかったのか。何一つ反論ができないなら、「父親が屠殺業」というウソをついたことを認め、はっきりと撤回せよ。

(3) 土地改良の件について、これも全く反論がない。宮部は、自分の親の土地が、同和対策事業で改良工事に付されたので、それをもって「俺は部落民だ」という根拠のひとつに主張した。しかし、全国各地、同和対策事業での土地改良に際して、同和地区だけでは土地が狭く改良事業が困難なことから、近隣の一般地区の土地も一部に含めて工事が成立することは、ままあることである。こんなことは、世間の常識の範囲だ。宮部が、自分のウソの陣立てにするには、余りにもお粗末というもの。この点も、宮部自身の浅はかさ故、身から出た錆だ。何一つ反論ができないなら、ウソを認め、はっきりと撤回せよ。

 以上、3点について、再度質問し、宮部の回答ないし態度表明を求める。
 なお、言うまでもないが、これら3点は、宮部の「俺は部落民だ」という主張の是非を洗い出す決定的な論点である。このまま、宮部が具体的な反論ができなければ、即ち、宮部はウソつきであると、満天下に晒すものとなろう。
 11月15日を期限として回答を求める。
 
2021年10月30日 部落解放同盟全国連合会


総選挙結果を踏まえ、闘う市民と共に

憲法改悪阻止!侵略国家化阻止!に決起しよう


 10月31日投開票の衆議院選挙は、立憲民主党96(公示前110)、共産10(同12)、れいわ3(同1)社民1(同1)の野党共闘は議席を減らし、自民261(同271)、公明32(同29)、維新41(同11)となり、自民は15人減らしたが、公明3人増、維新が30人増、その他、国民11(同8)、無所属11(同11)となりました。
 この結果、今回の衆議院選挙で自民、公明、維新を合わせて334議席となり、引き続き憲法改悪を発議できる3分の2の議席を占める結果となりました。
 一方野党は、市民連合と4野党(立憲・共産・社民・れいわ)の政策合意という形をとって、「自民・公明対野党共闘、国民民主」という形で7割超えの小選挙区で接戦に持ち込みました。
 そして、甘利・自民党幹事長や石原伸晃元自民幹事長など自民党幹部を小選挙区で破り、一定の成果を上げました。しかしながら期待したほど票を伸ばすことができず、比例で大きく議席を減らし、非常に厳しい選挙結果となりました。
 とりわけ大阪府では19の小選挙区のうち、維新が15の小選挙区、公明が4の選挙区をとり、10区の辻元清美さん(立憲)までが落選しました。
 選挙の結果は改憲阻止闘争の厳しさを示しています。自民党は選挙公約で「衆参両院の憲法審査会で憲法論議を深め、改正原案の国会提案・発議を行い国民投票を実施し、早期の改正を実現する」ことを掲げました。さらに、敵基地攻撃能力の保有や軍事費のGDP比2%以上の増額」などを掲げています。
 そして、岸田文雄首相は選挙後の記者会見で「党是である憲法改正に向け精力的に取り組んでいきます。与野党の枠を超え、憲法改正の発議に必要な国会での3分の2以上の賛成を得られるよう議論を深めていく」と改憲に積極的に取り組むと発言しています。
 「自民党の右側(に位置する)政党」と自負する維新代表の松井(大阪市長)は、2日の記者会見で憲法改正について「来年の参議院選までに改正案を固めて参議院の投票と共に国民投票を実施すべきだ。参議院の大きなテーマになる」といいました。そして松井代表は「まずは憲法審査会を正常化させることだ、立憲民主党と共産党のボイコットで議論が進んでいない、キチッとスケジュールを決めて各党・各会派が出席することだ、ボイコットする側をいくら待ってもしかたがない」と数の力で押し切る暴言を吐きました。
 わたしたちは、大きな危機感を持って憲法改悪阻止へ立ち上がらなければなりません。改憲派が3分の2以上であっても9条改憲を巡って一致しているわけではなく私たちの闘い方いかんで阻止できます。
 今こそ闘う市民と共に憲法改悪阻止!敵基地攻撃能力保有・侵略国家化攻撃と闘おう。沖縄県民と連帯し辺野古新基地建設阻止を闘い抜こう。


2021年10月の記事

寺尾判決47ヶ年糾弾

10・31狭山全国統一行動にたとう

 1974年10・31寺尾判決から47ヶ年をむかえる。寺尾判決は、今なお、石川一雄さんに殺人犯の汚名をきせ、見えない手錠で縛り付けている。絶対に許すことはできない。

10・31、全国で寺尾判決糾弾の統一行動に総決起しよう

 47年前、寺尾判決をなぜ許したのか。十万を超える人々で、日比谷公園を埋めた。にもかかわらず、なぜ。
 私たちは、第3次狭山再審で寺尾判決崩壊に迫っている今こそ、この点にこだわり、二度と寺尾判決を繰り返さない深い意識で武装しなければならない。 当時、裁判では、事実調べが日程に登っていた。狭山での事実調べとは、権力犯罪を暴き、覆すことに他ならない。それは、法廷を包囲する大衆的糾弾闘争と一体のものである。
 しかし、寺尾裁判長が狭山担当に就任し、事実調べが後退したとき、既成指導部はそのことに固執するかわりに、公正裁判に期待し、寺尾判決を促進する方向を選んだが、それは大きな間違いだった。事実調べで徹底的に争うことはどこかに消し飛び、寺尾が公安条例違反事件を無罪にしたことに期待をつのらせた。しかし、その寺尾が、当時狭山と並行して審理していた東大裁判で、超強硬な事実審理打ち切り、60年安保いらい初の重刑判決を下したことには、一顧だにされなかった。
 狭山事件は、権力犯罪である。この真実から一刻も目を離してはならない。大衆的な糾弾闘争と、法廷での徹底的な事実調べとが結合することではじめて打ち破ることができる。下山鑑定・第2鑑定は、その点で、最も鋭角的な切っ先である。
 私たちは、処分、全国連創立、いやもっと前の寺尾判決いらい、辛酸を舐めてきた。30年,40年、50年かけて、どん底から這い上がってきた。そして艱難辛苦の果てに、ついに事実調べの渡口に着いた。石川一雄さんは82歳。次はない。共に背水の陣にたって、寺尾判決に引導を渡そう。
 来春の意見広告、報告集会に向かって、一千人の決起を。 


狭山意見広告の掲載時期と10・31狭山中央集会の

        変更についてのお詫びとおことわり

        
            2021年9月28日 
              部落解放同盟全国連合会
              中央本部 三役会議


 ご苦労様です。日々の取組み、とりわけ狭山意見広告運動の全力での取組みに深く敬意と感謝を表します。
 9月27日に、東京にて、狭山意見広告運動のよびかけ人会議が開かれました。そこにおいて、率直な意見交換・協議のすえ、次のような結論となりました。

9・27よびかけ人会議の結論
 意見広告の掲載時期等については来春5月連休、全国紙の2面見開きカラーとする。
 その理由は、ごく最近の情報として、中北弁護団事務局長が、狭山弁護団としてはじめて「来春ころ事実調べ請求」と明言されたこと。故に、意見広告のタイミングとしては、10月ではピントがずれ、来年5月が最も適当であること。
 また、2面見開き・カラーのインパクトは物凄く大きいこと。
 また、コロナ禍で実行委としての動きが制約され、何もできないうちに10月掲載ではなく、来春5月なら実行委として動いたうえで迎えられること。
 しかも10月では、総選挙がかぶり、そんなときに広告を出しても選挙に消されてしまい、余りにもったいないこと。
 意見広告のレイアウト等についても、ついては十分な時間をかけ、よびかけ人・賛同人からも広く意見を募ること。
 報告集会を、5・22東京ほか全国数カ所で開催する。よびかけ人、賛同人の協力を得て、実行委をきちんともって、積極的に裾野を広げていく。
 2度の意見広告運動を継承し、事実調べ・再審実現まで繋げるものとして仮称「狭山の再審を動かす1000人市民委員会」を構想していく。
 鑑定人尋問を要求する署名、要請行動、現地調査などにとりくむ。
 以上の4点について、賛同人に丁寧な説明を要する。

全国連としての緊急判断
 以上の緊急かつ重大な事態を聞き、全国連本部三役会議としては、呼びかけ人会議の状況判断、結論を潔く受け入れ、改めて以下の方針変更を提案します。
 意見広告の掲載時期等については来春5月連休、全国紙の2面見開きカラーとする。
 ついては、10・31に予定した狭山中央集会についても、5・23(5・22)東京ほかでの意見広告報告集会に変更する。意見広告報告集会にふさわしく実行委員会をもって準備し、東京をはじめ、全国数カ所で開催を追求する。またその取り組みの中で「1000人市民委員会」の創設を追求する。
 なお、10・31については全国統一行動とする。
 以上について、できるだけ早急に臨時の中央執行委員会を開催したいところ、各地とも秋のムラ行事等で一堂に会する機会がもてず、やむを得ず、文書持ち回りで中執にかえさせていただきます。

心からお詫びします
 同盟員、賛同人の皆様には、狭山弁護団が来春に証人調べを請求するという重大な進展のため、意見広告の時期がこの10月から来年5月に変更となり、昨年の1年延期につぐ2度目の延期となってしまい、心からお詫びを申し上げます。
 しかし、3度目の延期は、全国連の政治生命にかけて絶対にありません。
 これまで、今度こそ、10月掲載に向かって、全国各地で懸命に取り組んでまいりました。それを信頼し、貴重なカンパを寄せてくださったことに、改めて深く感謝を申し上げます。その期待通りにならず、また半年の延期となることには、心苦しいかぎりです。
 しかし、皆様のカンパは1円1銭、決して無駄にせず、当初の予定よりよりはるかに素晴らしい、狭山では初めての2面見開き・カラーとして、半年先には見事な果実を実らせることをお誓いします。


プライバシー権の侵害認め

 出版差し止め、電子データ削除


「全国部落調査」復刻版出版事件裁判判決


 9月27日(月)午後2時から東京地裁で、「全国部落調査」復刻版出版事件裁判の判決公判が行われた。その後、部落解放同盟主催の報告集会が、日比谷図書文化館地下1階ホールでもたれた。
 責任者に取材の了解をいただき、判決公判と報告集会の報告をします。

 原告は部落解放同盟と部落出身者248名。被告は示現舎。
 判決公判には、各地から100名以上の同盟員・支援者が駆けつけ、さらに20名を超える報道陣が正門前に陣取り、地裁前は異様な雰囲気に包まれた。この判決公判が社会的注目度の極めて高いものであることが実感できた。
 コロナ渦で傍聴席が半数に抑えられるなか、抽選で約50名が傍聴席を埋めた。私は運良く抽選に当たり、公判を傍聴することができた。
 公判廷では、原告側は弁護団ら6人が出席。被告席は欠席のまま、主文が読み上げられた。
 主文は15項目で構成され、それぞれに別紙や目録の番号が読み上げられるといった内容のため、傍聴人にとって判決主文はほとんど理解できないものだった。

 判決後、報道陣と解放同盟員・支援者が歩道上を埋め尽くして見守る中、弁護団から簡単に判決内容が報告された。
 終了後場所を移して、午後3時過ぎから報告集会が行われた。
 
 このうち弁護団報告、解放同盟代表あいさつと質疑応答での会場からの発言者3人の発言要旨を紹介します。

□弁護団報告
●河村弁護士
 「全国部落調査」復刻版出版差し止めを認めた。しかし全部ではなく千葉、三重、富山、山口、佐賀、長崎の6県は認められなかった。何故、一部は認められないのか。
 プライバシー権について、解放同盟役員や一部の原告は、自ら情報を開示しているとの理由で権利侵害を否定し、所属する県には出版差し止めを認めない。
 原告が県で一人の場合、権利侵害なしとされれば、出版差し止めは認められない。
 損害賠償は、一人5,500円から44,000円の間の金額となった。原告のうち、本籍は部落だが現住所が違う人は賠償額が低く見積もられている
 カミングアウトについて、果たして裁判所はきちんと理解しているのか。控訴審で訴えていく。
 差別をされない権利は、どの原告がどういう状況にあるかではなくて、部落全体の問題であるにも関わらず、裁判所はこの点を全く認めていない。
 大勝利として喜ぶわけにはいかないが、宮部のやっていることに、一部歯止めがかけられた。
●山本弁護士
 裁判は勝利したと言える。しかし同時に、司法の限界がある。
 特に、差別されない権利が認められなかった。復刻版出版は、全体に差し止めが認められなかった。
 しかしプライバシーの権利侵害が認められたことで、評価できる点があるのではないかと思う。
●中井弁護士
 判決主文は、第1番目から第15番目まであり、別紙、目録の番号を読み上げた。
 例えば、削除せよ。そのうちの別紙〇号、〇号と言うように。だから聞いてても分かりにくい判決だった。
 この裁判は5年以上かかり、皆さんは大変だったと思います。県連の方も。
 判決には不当な部分もあるが、約250人が原告として起ち上がって裁判しなければ、この判決は無かった。皆さんが起ち上がった結果、今日の判決を勝ち取った。
□解放同盟代表あいさつ
●西島書記長

 この裁判を21都府県から248名が原告としてたたかった。
 出版の差し止め、WEBへの掲載差し止めというわれわれの主張は通った。しかし一部の県を除く、それ以外でという中身だった。
 われわれは了解できない。直ちに控訴を準備する。
 損害賠償についても、原告248名は個人でそれぞれ違う。これも不満である。
 裁判の勝利にむけ本部としてがんばる。
□質疑応答から
●Aさん

 「(出版差し止めを)限定的に認めるとは、そんなこともあるのか。私らは全国で差し止めを求めた。こんなことは認められない。地域を区別しているのか。
 こんな判決では、今後、地域ごとに裁判をやらなければならない、という構図になる。この点どう考えるのか」
●Bさん
 「私たちの県が差し止め除外となったのは原告のCさんが亡くなったことが理由か?県連はこれまで、C県連と言われてきた。
 Cさん一人が原告になっていたが、亡くなってしまった。何故言ってくれなかったのか。言ってくれれば、ムラから5人でも6人でも原告は出せた。
 3月にYouTube(ユーチューブ)で、地域の白山神社を撮影したのが公開された。地域は80世帯あり、半分は『寝た子』だが、ユーチューブの件で地域の人は皆、針の上に立たされた思いでいる。
 今後、県連としてどうしたらいいのか。県とも話をしたが、YouTube(ユーチューブ)はそのまま。どうしたらいいのか」
●Dさん
 私は79歳にもなって。この30~40年人権問題に関わってきたが、どういう教育でこんな判決ができたのか。裁判を傍聴して裁判長の顔が見たかった。
 どれだけ差別に耐えて生きてきたのか。それを土足で踏みにじられた。
 
 今回の判決について宮部は、WEBの「全国部落調査事件 東京地裁判決の全内容」に判決文全文を公開し、「この裁判は私的な民事訴訟であって、全国部落調査の公開の是非を公に問う裁判ではない」と暴論を吐き、「無論、示現舎としては控訴することを決定している」と主張している。断じて許せない。
 今後控訴審が始まる。「全国部落調査」復刻版出版の全面差し止め実現へ、私も共にたたかいぬきたい。(投稿・K)


2021年09月の記事

意見広告10月掲載の成功かちとり


10・31狭山中央集会

       ー11・1要請行動へ


  
衆議院選挙に全国でとりくもう


寺尾判決47ヶ年糾弾

47年前(1974年)の10月31日を忘れることはできません。この日、東京高裁・寺尾裁判長は、無実の部落民、石川一雄さんに強姦殺人の罪を着せ無期懲役の判決をくだしました。仮出獄されたとはいえ、石川さんは今も見えない手錠で繋がれたまま、82歳になりました。
 3回目の再審申し立てから15年、寺尾判決を打ち破るときがついにきました。この第三次再審請求の中で、多くの証拠開示をさせ、弁護団は240点をこえる石川さん無実の新証拠を明らかにしました。とりわけ、石川さんの家から「発見」されたとされ、決めての証拠とされた万年筆が、被害者のものではなく、警察によって捏造されたものであることを、インクの科学的鑑定・下山鑑定によって完全に証明しました。寺尾判決は崩壊したのです。来る10・31、東京に総結集し、このことを高らかに宣言しましょう。

意見広告の成功で事実調べへ

 現在の第三次再審において、狭山では一度もやられていない事実調べを実現する、これなしに勝利はありません。その突破口を開くのは、万年筆をめぐる下山鑑定人の尋問を実現することです。
 そのためには、大きな世論が必要です。2回目の狭山意見広告運動がよびかけられ、あと一息のところまできています。この成功をかちとるため、いま一つの尽力を心から訴えます。全国紙の意見広告10月掲載を実現し、10・31中央集会―11・1要請行動の熱気で、事実調べ・再審の扉を押し開けましょう。
 これに対して、検察は、突如として「万年筆の水洗い」を唱え、下山鑑定を無きものにおしやろうとしています。絶対に許してはなりません。仮に「水洗い」しても、万年筆のインクは消えません。検察の卑劣な策動を粉砕し、下山鑑定の事実調べを実現しましょう。

コロナに便乗した改憲許すな
 
 すでに、選挙戦は始まっています。この度の選挙は、憲法改悪の是非を問う選挙です。自民党の掲げる憲法9条への自衛隊明記とは、帝国軍隊の復活のことです。緊急事態法創設とは災害対策を口実とした戒厳令の復活のことです。
 菅政権は、新型コロナウイルス・デルタ株の感染爆発に便乗して、火事場泥棒よろしく憲法を変えようとしています。それを認めることはまさにいつか来た道です。改憲に反対する候補・党を支持し、全国で総決起しましょう。


示現舎・宮部龍彦への再質問


1、宮部龍彦は「部落民だ」というウソを撤回し謝罪すること
 

 示現舎・宮部龍彦は、みずからの回答書において「宮部龍彦は間違いなく部落民」と断言しています。しかし、宮部龍彦は部落民ではありません。
 宮部龍彦に問う。なぜ、こんな見え透いたウソをつくのか?「宮部龍彦は間違いなく部落民」というのは、ウソであることを潔く認め、謝罪・撤回し、ネットや裁判においても公表すべきだと思うが、どうか?
 宮部龍彦の出身地は、鳥取市下味野415番地の1です。この下味野地区には、確かに被差別部落は存在しますが、それは下味野地区全体ではなく、下味野の中の限られた一部の区域でしかありません。宮部龍彦の出身地、下味野415番地の1は、そうした一部の区域ではなく、それ以外の一般区域にあります。
 宮部龍彦が並べている理由も、みんなデタラメです。その点も、潔く認めて謝罪・撤回すべきだと思うがどうか?
 例えば、宮部龍彦は、回答書において、「父親が屠殺業」と言い、あたかも部落産業に従事しているかのように言います。だが、これもウソです。父親は、猪、鹿などのジビエに係っているというだけのことです。
 また、同じく、「父親が所有する田んぼが同和予算で改良されたから」と言います。しかし、これも単に、鳥取市が同和事業の関連対象地区としたものであり、その土地の所有者が部落民であることにはあたりません。全国的にも、部落に近接する地区では、部落の中に存在する場所だけでは、事業として成立しないことから、同和事業対象地区として改良事業にふされることはよくあることです。

2、「同和地区Wiki」の創設者としての責任を明確にすること

 宮部龍彦は、回答書において「間違いなく同和地区Wikiの創設者」と、認めています。しかし、「ある時から大衆運動化し、完全に宮部龍彦の管理を離れている」と言います。
 「同和地区Wiki」の創設者である、と認めたことは重要です。であるならば、創設者として、最も重い責任を問われるのは当然です。「同和地区Wiki」が、ネット上で全国の被差別部落の存在を晒しものにし、茨城県古河市のような差別事件を生み出したし、今も日々その状態が続いている、その最大の責任は宮部龍彦にあります。
 宮部龍彦に問う。創設者であると認めた以上、その責任を明らかにし、そこから派生する問題も含めて、謝罪することが当然だと思うが、どうか?
 「大衆運動化」云々とは、何が言いたいのか?「大衆」のせいにして、自分は責任逃れをしたいのか? 「大衆運動化」が、仮にそうだとしても、であれば尚更、創設者として「大衆運動化」に火をつけた宮部龍彦の責任はどこまでも免れません。
 どんな言い逃れをしようとも、「全国部落調査」をヤフーオークションにかけたのは一体誰なのか?
 「全国部落調査の復刻版を禁止されたから、ネット上の同和地区Wikiをやった」と、腹いせまぎれの捨て台詞を吐いたのはどこの誰であろうか?
 今更、これらの犯行を「大衆」のせいにするほど、宮部龍彦は度し難い卑劣漢なのか?

3、部落探訪は、勝手に部落を晒すだけのものであることを認めること

 同じく、部落探訪について、「部落についての正しい知識を広め、正しい寝た子の起こし方を実践した」「学術研究のため」と言っています。
 「正しい知識(?)」「正しい寝た子の起こし方(?)」。ではなぜ、わざわざ断りも無しに、家の門札や車のナンバー、墓石の名前まで、ことさら事細かに晒す必要があるのか?。それと「正しい知識」のどこが関係あるのか?。そもそも、当該の部落側から頼みもしないのに、なぜ各地の部落を晒すのか?。頼みもしないばかりか、被写体とされた部落側から、大勢の部落大衆がやめろと言っているのに、なぜ聞く耳を持たないのか?。そのようなものの一体どこに「正しい知識」があるのか?。
 ふざけるにもいい加減にしろ。
 宮部龍彦の「学術研究」なるものは、アジア侵略戦争を「アジア解放のため」と言い生体解剖を「医学の進歩のため」と言った、帝国主義侵略者の極悪の論理と、まったく同じです。宮部龍彦は「差別を無くそう、と掲げる興信所が一体どこにあるのか」と開き直っていますが、現に「侵略」を「解放」と言い、「殺人」を「医学」とうそぶく連中は存在します。宮部龍彦の言い分は、それとどこが違うのか?

4、古河市元係長による差別事件をひきおこした責任を認めること

 さらに、回答書とは別に、最近になって宮部龍彦は、茨城県の古河市元係長の差別事件についてネット上でデマを流し、また、古河市内の未組織の部落を含む「部落探訪」を執拗にくりかえしています。
 古河市元係長の差別事件については、「日頃から愛する会が役所に対して糾弾しており、そこでK係長が愛する会を利用することを思いついた」と、K係長を擁護し、差別事件の原因を、地元の運動団体である部落解放愛する会に転嫁して、愛する会を非難しています。また、「同和地区Wikiは流れの中でたまたま出てきたに過ぎず・・・むしろ運動団体や行政が反省すべき」とも述べて、「同和地区Wiki」を擁護し、この問題の原因を「むしろ運動団体の糾弾が悪い」と、差別糾弾闘争に転嫁しています。
 宮部龍彦は、ストーカー行為をくりかえし、ニセの「差別告発」の手紙まででっち上げた、卑劣極まるK係長を、糾弾すべきではなかったと言いたいのか?。
 では、改めてこの点を再質問します。
 2018年8月、茨城県古河市役所の当時現職のK係長が、ストーカー行為で逮捕される事件がおきました。K係長は、相手の女性に対する嫌がらせの一環として、差別を告発するという匿名の手紙を、地元の運動団体に出しました。その内容は、この女性は家族ぐるみで部落差別をしている、とでっち上げた卑劣極まるものです。そこには、女性の住む町にある実際の部落の地名や苗字が書かれていました。
 K係長は、この部落の地名や苗字を、どのようにして知ったのか。K係長は「同和地区Wikiで知りました。サイトを見て正直、驚きました。このようなデータが簡単に閲覧できてしまったからです」と、はっきり認めています。
 「同和地区Wiki」は、このように実際の差別事件に使われています。宮部龍彦が言うような「差別に使われることはない」というのは、現実に「同和地区Wiki」を使って発生した差別事件と、その事実関係によって、完膚なきまでに粉砕されています。宮部龍彦は「同和地区Wiki」の二次被害を否定したいがために、「むしろ運動団体の糾弾が悪い」と詭弁を弄して、ひっくりかえしを図っているにすぎません。
 宮部龍彦は「同和地区Wikiの創設者」として、古河市差別事件のもう一方の主犯でもあります。宮部龍彦が創設し拡散させた「同和地区Wiki」が、K係長の卑劣な差別行為を教唆扇動したのです。古河市差別事件についてのネット上のデマと、茨城県の「部落探訪」を直ちに削除すべきです。宮部龍彦は差別事件の責任と謝罪を求められて当然の立場なのです。「同和地区Wikiはたまたま流れのなかででてきたにすぎない」など、事実にも反する見苦しい責任回避をやめ、自分の置かれた立場と正面から向き合ってはどうなのか?。

5、関係人物一覧について責任を認めるか、評価をあきらかにすること

 (略)


6、「部落地名総鑑」についてすり替えずに評価をあきらかにすること

 (略)


7、「徹底的な暴露」の真の目的は金儲けであることを認めること

 宮部龍彦は、なぜ、こんなことをするのか?。「隠蔽と暴露の不毛な対立は、徹底的な暴露により無意味化され終止符が打たれる」と言って、傲然と開き直り、全面合理化しています。
 宮部龍彦の本質は、ここにあけすけに自認されています。「徹底的な暴露」云々とはよくぞ言ったものです。
 精一杯もったいぶって見せますが、原点は金儲けです。どこからか聞きつけた「部落地名総鑑」にまつわるウラ話に飛びつき、自分もあわよくばぼろ儲けを企んだ。否、うまくネットを活用すれば、「部落地名総鑑」の場合以上に、濡れ手に粟の商売になるかもしれない。ネットでの販売予告といい、仮処分でそれが禁止されたとたんヤフーオークションにかけたことといい、明らかにこれが、宮部龍彦の動機であり、原点です。
 「部落地名総鑑」の屍肉をあさるハイエナ、それが宮部龍彦の正体です。「徹底的な暴露」云々は、この正体をごまかすための方便に過ぎません。宮部龍彦は、この指摘に反論があるなら、反論してみてはどうだろうか?
 ヒットラーが「ウソも百遍つけば真実になる」と言ったことは有名ですが、「徹底的な暴露」云々はその猿真似です。一度や二度の「部落地名総鑑」ではたいしたものではないが、無限に晒し者にすれば、誰もどうすることもできないとでも言いたいのでしょう。実際に、ネット上で、それを実行しているわけですから、その罪は刑万死に値します。ぼろ儲けのあてが外れ、その開き直りの中で、宮部龍彦はヒットラーの末裔、ミニナチスの差別主義者に変貌したのです。

8、部落差別はなくなったというのか

 前回の質問に答えられないようなので、設問を変えよう。宮部龍彦は、明治維新・明治4年の解放令をどう評価するのか?。それで部落差別は無くなった、と思うのか?。いかに、詭弁家の宮部龍彦でも、これには答えられるはずだ。答えてもらおう。
 以上、再質問する。
 示現舎・宮部龍彦は、9月末日までに回答することを要求する。

2021年9月1日
 部落解放同盟全国連合会


2021年08月の記事

東京高裁は下山鑑定人の尋問

       ー事実調べを行なえ!



第2次狭山意見広告の実現へ

     ラストスパートを!

10月狭山意見広告実現へ

 第3次狭山再審請求をめぐる情勢は、いよいよ事実調べ(鑑定人尋問)を行うかどうかのギリギリの局面に入った。
 狭山第2次意見広告運動はこの局面において、裁判所に事実調べ=鑑定人尋問を迫るものとしてこの10月、全国紙への掲載を目指して展開されてきた。
 まさに再審請求の山場ともいうべきこの情勢に、第2次意見広告は裁判所に事実調べを迫る大きな力となるに違いない。 
 意見広告に必要な賛同金は今現在、90パーセントを達成し、9月末の完全達成を実現すべく全国で運動が続けられている。学習会や狭山映画の上映会、地域での取り組みや街頭での宣伝。あらゆる場を意見広告実現のための場として、ラストスパート、エンジン全開で闘おう。



新たな体制のもと、

      5ヶ年決戦完遂へ



7・25全国連第30回大会開く 


 
部落解放同盟全国連合会第30回全国大会を7月25日、大阪・大東市立市民会館で行いました。コロナ禍での様々な制約があるなか、必要な対策をとり全国からの代表参加と一部リモートでの参加のもと2年ぶりに大会を成功させました。
 この2年間、私たちは瀬川博委員長、中田潔書記長、片岡副委員長というまさに全国連の顔というべき3人の指導者を亡くすという大きな試練に立ち向かってきました。大会の冒頭、3人に黙祷を捧げ、意志を引き継ぎ前進することを全体で誓い合いました。 
 村上久義委員長代行は開会宣言で「コロナで人と会うこともままならないが、私たちは地域としっかり結びついていく。狭山闘争、要求闘争を闘い、沖縄はじめ反戦・反核、反差別の闘いと連帯していく。秋の選挙で改憲阻止の議員を送り出そう」と訴えました。
 三里塚反対同盟ほかメッセージが紹介されました。

 楠木吉秀書記長代行が活動報告と2021年度の運動方針の提案を行いました。楠木書記長代行は「自粛ばかりしていない。目の前の現実と向き合い、全国連は絶対に逃げません。部落の人々と問題を共有し、ともに困難に向き合うことから始めます。瀬川委員長、中田書記長がそうであったように、たとえ少数でも全国連は村全体、運動全体を背負って立ち身分的差別を撤廃する」と全国連としての基本を明らかにしました。そして「新たな挑戦の最終年の決戦」として、①狭山第2次意見広告運動をなんとしても成功させよう。今年中に下山鑑定人の尋問を実現する、②コロナ禍であらたな要求闘争に立ち上がる、③衆議院選挙を改憲反対の選挙としてたたかう、との3つの大きな課題を提案しました。楠木書記長代行はさらに、「示現舎・宮部に対し、全同盟員からショート質問状を募集し徹底糾弾に立つ」と力強く宣言、最後に「沖縄・三里塚、アジア人民と連帯」を誓いました。

 課題別報告のはじめに、井橋昌夫中執が狭山闘争を報告。井橋中執は「第3次再審闘争では191点の証拠開示を実現、弁護団は241点の新証拠を出している。私たちは下山鑑定という決定的な証拠を手に入れた。検察のデタラメな意見書を許さず、鑑定人尋問をかちとろう。10月意見広告の実現へ奮闘しよう。各地で草の根の活動に取り組み、10・31狭山中央闘争に結集しよう」と訴えました。

 青年の組織化について北浦裕樹久青年対策部長が「地元のムラの同世代を合言葉に、まずは共有共感が出発点。ビラやSNSで自分のやりたいこと、できることを地元の同世代に投げかけていこう」と青年たちに呼びかけました。

 要求闘争と災害対策について、高見沢浩一中執が長野での「台風19号災害復興要求者組合」の取り組みを報告し自分たちの議員を送り出してたたかう方針を明らかにしました。

 規約の改正案と役員人事案、会計についての報告と予算案のあと、全体討論が行われました。また、「共に8・6ヒロシマへ」「全国の婦人は団結して要求闘争を実現する」「命を守れ、暮らしを守れ」の3本の決議案が読み上げられました。

 全ての議案は一括採択され、全国連は村上委員長、楠木書記長を先頭とする新たな指導体制のもと「新たな挑戦―5ヵ年決戦」を完遂するたたかいへと踏み出しました。


2024年1月の記事
あらゆる垣根をこえ訴える
どうしたら狭山に勝てるのか
ひとりひとり「自分がどうするのか」
           ―2024年の新春にさいして
                 部落解放同盟全国連合会中央本部

1)狭山事件を担当する東京高裁刑事第4部の裁判長が12月12日で、交代しました。大野勝則裁判長は、結局、無為のうちに退官しました。かわって、家令和典(かれいかずのり)裁判長が就任しました。
私たちは、ギリギリまで、事実調べを求めてたたかいました。しかし、実現とはなりませんでした。石川一雄さん、早智子さんの無念を思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
2)85歳の石川さんにとって、今の第3次再審で勝利する、それ以外にはありません。では、「どうしたら勝てるのか」。この節目に当たって、厳粛に、その問いかけがつきつけられています。
あえて言えば、全国連としてではなく、解放同盟としてではなく、市民の会・住民の会としてではなく、弁護団としてでもなく。一人一人、自分がどうするのか、どうやって石川さんの再審無罪を成就するのか、自分の心に問い、自分の五感で解答せよと迫られています。ある意味、最後の舞台として、七転八倒、悶絶して考える、いまがまさにそのときに遇うています。
3)私たちは、力のかぎり、身の丈をはるかにこえて、精いっぱいのことをしてきました。下山鑑定はじめ261点の新証拠、2回の意見広告、毎月の要請行動、52万の署名・・・。それでも、叶わない。一体どうすれば勝てるのか。勝つためには、何が足りなかったのか。
石川一雄さんは「自分には諦めという言葉はない」「新しい裁判長になっても私は焦らない。納得のいく判断をしてもらいたい」と述べておられる。「第3次再審。あとは無い。第3次で何としても再審無罪へ」と断崖絶壁に屹立しておられます。この不滅の闘魂。極限的な不退転の覚悟。それをワガモノとするとは、どういうことなのか。
4)他方、石川さんの人生をもてあそぶ者たち。裁判官。検察官。警察。そして・・・。権力の走狗共。権力とじゃれ合い、人の人生を貪り食らう者。
新任の家令裁判長。彼は62歳。定年まで3年。おそらく、この裁判長のもとで決定が出されます。果たして、この人に証拠の捏造=権力犯罪が裁けるのか。部落問題が、石川さんの無念が、わかるのか。やがて、待ったなしのときがきます。
そのとき、自分はどうするのか・・・
石川さんはどうするのだろうか・・・・
5)全国連の役員も、順次後期高齢者になります。この歳で何ができるだろうか。要請行動。署名。現地調査。学習会。マスコミ、議員対策・・・できることは何でもやりましょう。
しかし、争いの土俵は裁判闘争。やはり弁護士の役割が決定的です。石川さん、弁護団、支援。それらが本当に三者一体となって、初めて弁護士の力も発揮されます。これまでのように、三者バラバラでは、勝てるものも勝てません。また、「秘密主義」では団結できません。証拠開示・情報開示をまずこの三者でこそ、率先しようではありませんか。勝利のためあらゆる垣根をこえ、全支援の結束を。
新年のあいさつを求められますが、以上、断崖の苦悩をのべて、あいさつに代えます。京高裁第4刑事部大野勝則裁判長の12月退官を目前に控えた11月24日、狭山要請行動が取り組まれた。
2023年12月の記事

 大野裁判長は退官前に

    事実調べを決定せよ!


11・24高裁ー高検に要請行動

 東京高裁第4刑事部大野勝則裁判長の12月退官を目前に控えた11月24日、狭山要請行動が取り組まれた。今回は長野を中心に茨城、東京、中央本部、狭山大運動・鶴丸春吉共同代表、合計11人が参加した。
 午前11時から、東京高検要請行動が行われた。東京高検から、片野担当検事、渡部検察事務官、公判事務課清水の3人が出席。
 楠木全国連書記長あいさつ後、要請文6通を読み上げ。全国連中央本部の要請文読み上げ中の質問に対し、片野検事は「質問には答えません」と前回から一変して、頑なな態度で対応。長野から、一審検事論告をめぐるやり取りをふまえ、「なぜ石川さんが貧困であることを犯罪に結びつけるのか」の質問にも、「質問には答えません。前回は質問に答えたから時間がかかった。30分の約束を守ってもらう」と対応。
 片野検事の「質問に答えない」発言に対する要請団の意見が相次いだ。
 「前回答えて、今回答えないのは上司から言われたのか」「要請行動でのやり取りは社会的慣行であり、答えるべき」「この要請行動には担当検事が来られている。みなさんから聞きたいことがある。一言答えるべき」「この場しか直接声を届ける場がない。面と向かって、真摯に受けてくれているとの思いが感じられない。私たちが真剣なのは、一人の人生がかかっているから」。
 片野検事は「要請は真摯に受けとめている。質問に答えるのは別問題」と反論。さらに、「答える法的根拠はない」「証拠開示は裁判所、弁護団との話であり、この場ではない」。要請団から「片野検事は要請行動は国民の請願権と言った。請願権には誠実に答えなさいと書かれている。最大限の誠意を見せるべき。同対審答申には狭山事件の頃の部落差別の現実が書いてある」。
 片野検事「(同対審答申を)6~7月頃1回読んだ。もう一度読みます」。
 終了、11時51分。

 東京高裁前街宣

 12時すぎから午後1時まで、東京高裁前での街宣が取り組まれた。
 東京高裁前は、通行する市民がこれまでで一番少なかった。そのなかでも10人の方が署名に応じてくれた。

 東京高裁要請行動
 
 午後2時15分から高裁要請行動が取り組まれた。高裁からは、小寺訟廷管理官、荒川副訟廷管理官、総務課西田の3人が出席。
 冒頭、小寺訟廷管理官から「30分でお願いします」と発言。
 初めに、楠木全国連書記長から「要請したいことは一つ。大野裁判長は狭山を3~4年担当し、判断する材料は充分であるはず。退官する前に事実調べを決定してほしい」と発言を受け、5通の要請文が読み上げられた。
 その後要請団それぞれから、大野裁判長の12月退官前の鑑定人尋問を決定して欲しいとのの意見が続いた。小寺訟廷管理官は、「答えられない」「私からは、言われたことを伝えます」との対応に終始した。
 終了:午後3時56分。  


投稿 

第72回狭山街宣・リレートークと

   デモ報告(11月26日 福岡・天神)


 「私が逝ってから無罪を勝ち取っても遅い」不当逮捕から60年、もうすぐ85歳になる石川さんが今期にかける決意は天地を揺るがし私たちを鼓舞する。大野裁判長の12月に定年退官がせまっている中で、鑑定人尋問とインク鑑定の決定がいつ実現されるのか? この時、私たち実行委にできることは何か? を論議した中、世論に訴えるデモをやろう! と決定しました。
 秋晴れの下、14:30からリレートークと街頭宣伝・署名活動を行いました。今日は参加者の気合が違う感じです。フライング気味にリレートークが始まり、実行委の村上さんは狭山の事実調べとパレスチナ攻撃の非難を訴えました。ヤスミンライブラリーのOさんはパレスチナ問題を提起し、イスラエル政権の打倒を訴えました。司会のHさんが今日の取り組みを訴え、元教師のKさんは宝くじ売り場に並ぶ人々に、「購入後にぜひ署名に協力してください」と訴え、いつもは署名やチラシ配りを担っている仲間12人が狭山への思いを次々と発言していきました。
 中学生や高校生が立ち止まり署名に応じる姿や仲間の訴えに応じて署名台にやってくる男性などが見え、また新証拠のインク問題などのパネルに注目する男性やカップル、さらには、すうっとカンパ箱に近寄りカンパしてくれた女性など今日も手ごたえを感じました。街宣終了後デモまでの間元教師の女性がアピールをしていると「チラシをくれませんか」と言ってきた30代男性がいました。参加者21名、配ったチラシ123枚、署名24筆、カンパ3000円の成果を得ました。
 16時になり実行委結成から8年、初めてのデモに起ちました。“石川さんは無実だ!”“再審を行え!”と書かれた新調ののぼり旗が林立。街宣車が先導し、狭山事件が権力犯罪であることをアピールしながら、“狭山の裁判やり直せ”“イスラエルの虐殺やめさせよう”などとデモコールしながら福岡県民、特に若者注視の中、警固公園までのデモを貫徹。終わりに実行委の村上さんが「今日の行動は世界の反戦行動と一つながりである」ことと総括し、「差別裁判打ち砕こう」を歌い終了しました。


狭山再審を実現する大運動・関西 

        奈良・大阪でも街頭宣伝


JR奈良駅前で熱く狭山
再審を訴える
(2023年11月26日)


                                                  



ビラをまく手にも力が入ります
(11月26日JR奈良駅前)




 



狭山再審を実現する大運動・関西は、大阪・京橋駅で街宣
(11月23日)   





     

訴えに熱がこもる鶴丸共同代表
(2023年11月23日) 






 

2023年11月の記事

「大野裁判長は退官前に

鑑定人尋問の決定をおこなえ!」の

必死の訴え


10・31狭山大運動と全国連

東京高検へ要請行動 東京高裁前で4時間の訴え


 寺尾無期判決から49年を迎えた10月31日のこの日、11時からの東京高検要請行動に続いて、12時すぎから午後4時近くまで、東京高裁前でのマイク宣伝、チラシ配付・署名活動が行われた。東京高裁前では終日、東京高裁第4刑事部大野裁判長の11月三者協議・12月退官前の事実調べ・鑑定人尋問決定を求める訴えが鳴り響いた。

●東京高検要請行動●

 東京高検からは、片野担当検事ら3人が出席。要請団は「狭山大運動」と「狭山と人権を考える茨城の会」からの参加も含め29名、20名の枠を上回る参加者となった。
 はじめに、部落解放同盟全国連委員長村上久義さんから訴えを行った。
 「今日10月31日は49年前、東京高裁・寺尾裁判長が、石川さんに無期懲役判決を下した日だ。狭山事件は、袴田事件のように鑑定人尋問が行われていない。片野検事は無実の人間を罪に陥れますか」。これに対し、片野検事は「しません」と返答。「今、判断が迫られている。鑑定人尋問を行って真実を追求してほしい」と訴えた。
 これを皮切りに要請団から口頭での要請が始まった。「石川さんの年齢を知っているか、体調についてはどうか」と質問するも、検事は「知らない」と返答。「石川さんの人生について関心がないのか。狭山はえん罪が疑われている事件だ。彼の人生その人のことを考えて対応すべきだ」と追及した。
 また、一審の検事論告について、「検事は,差別論告と思わないと言った。ただ、『貧しいことが犯罪の理由と書かれていた』という。それでは部落差別をわからない。だから、無実の人を有罪にしても心痛まないのだ」と国家権力の部落差別を追及した。ほかにも証拠開示問題や下山鑑定の事実調べなど、時間いっぱいに追及を行った。その後9通の要請書を提出。最後に要請団から「事実調べは必要であり真実を究明してほしいと言っている。証拠開示をして真実を究明することを、三者協議の場で明らかにしてほしい」と締めくくり11時50分に終了した。

●東京高裁前 宣伝活動●

 正午過ぎから高裁前での宣伝活動が開始された。大横断幕が掲げられ、東京高裁正面横に木製のかもいを展示。道行く人々にチラシ配布、署名への協力を訴えた。
 マイク宣伝では、狭山大運動共同代表の長谷川弁護士、関西から新たに共同代表になった鶴丸春吉さん、狭山と人権を考える茨城の会代表の尾池誠司さんをはじめ、青年や婦人の発言など多様な人々から、大野裁判長は鑑定人尋問を行えなどの、必死の訴えが東京高裁に向け発せられた。
 マイク宣伝は4時頃まで続き、全国から集まった40名全員が10・31要請行動を最後までたたかいぬいた。


検察の再審妨害を許さず、

   第3次再審に全身全霊で闘いぬく

石川一雄さんの10・31アピール
    
                                                           (見出しは編集部)

 今年の極夏もやっと峠を越えたものの、熱中症、新型コロナ、インフルエンザが猛威を奮いました。支援者皆様方におかれましては、いかがお過ごしでしたでしょうか?私は元気そのものであります。
ただ、新型コロナ感染が拡大し、俳優の志村けんさんが新型コロナに感染し、急死されたこともあり、私も高齢のうえ糖尿病の持病もあることから、支援者皆様方には申し訳なく思いつつ、「生き抜いて冤罪を晴らす」ために、この2~3年、極力外出を控えさせて頂きました。
 また最近特に、目が見えにくくなり、階段等で転んだこともあったので、遠くの集会等に支援のお願いに出ていくことも遠慮させて頂いております。
 その間にも、支援者皆様方には、高裁に鑑定人尋問を求める署名を51万筆以上集めて頂いたり、「狭山の闘いを止めない」と高裁前アピール行動や各地での集会やスタンディング、座り込み、23デーの取り組み等を続けて下さっていたことは、私をどれほど奮い立たせ、また希望を頂いたかしれません。
 なにはともあれ、今は、第3次再審闘争の最重要な局面を迎えており、57回目の三者協議も来月に予定されていますが、現在の状況を直視すれば、大野裁判長の退官は12月に迫っている由で、事実調べ・再審開始の可否の判断は、次の裁判官に託すにしても、それほど時間はかからず判断されるものと思われます。49年前の寺尾確定判決の一部を引用すると「いやしくも捜査官において所論のうち重要な証拠収集過程においてその1つについてでも、弁護人が主張するような作為ないし証拠の捏造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件は極めて疑わしくなってくる」とあり、そうであるならば、鑑定人尋問の必要はないと主張する検察に対し、裁判官は毅然とした態度で鑑定人尋問を行うことが求められていますし、また、職権でインクの鑑定をして頂きたく切に願っています。 私自身は、確定判決のあげた証拠に対して、つぎのような疑問を追及することも重要ではないかと思っています。
 その一つは、解剖鑑定では被害者の死亡時刻は食後最短で三時間というように判断されておりますが、被害者の解剖結果によると胃に250CCもの残留物があり、担任教師によれば、昼の給食は12時5分ごろ終わったと述べており、当日給食に出ていないトマトも残留物に含まれていた由であり、確定判決のストーリーと食い違うという点です。
 2点目は、人間が死ねば重力によって血液は下に下がり、死斑が発生し、その死体を動かしても8~10時間経過していると消えないと言われております。死体の腹部、背部の両側に赤い斑点(死斑)があったそうですが、私を犯人とするならば、5時間以内に動かしたことになりますので、背中に斑点(死斑)が存在していたということは時間的におかしいのです。
 確かに確定判決の7点の情況証拠、秘密の暴露と自白を完全に潰し、事実調べ・再審開始を求めるのが一番と思われますし、そのように戦われていることは承知しておりますが、その都度、検察は時間をかけて反論等を提出してくるので、いたずらに時間が過ぎ、その結果、私の命が失われていくことになります。こうした検察官のやりかた(再審妨害)を止めるには、やはり再審法の改正しかないのかもしれません。
 第3に万年筆の件は今更私が申し上げる迄もありませんが、弁護団の皆様方には、何時如何なる時でも長期間に渡って多大なご尽力、ご協力を賜っていることに、心から敬意と感謝の念で一杯ですが、私が逝ってから無罪を勝ち取っても遅いので、つい泣き言、愚痴を零(こぼ)してしまいました。
 事実調べ・再審開始の可否の判断を次の裁判官に委ねることになっても、支援者、弁護団の皆様方と共に奮闘して参る決意は変わりませんが、何卒、皆様方も、今次の再審闘争に全勢力を傾注して下さいますよう伏してお願い申し上げます。
 先の見通せない中で、寺尾不当判決糾弾集会が全国各地で開催されている訳ですが、私も年齢的にみて今次の第3次再審請求にかけており、全国の支援者皆さん方のご支援、ご協力に応えるべく、全身全霊で闘い抜くことをお誓いして寺尾不当判決から49年を迎えての決意とさせていただきます。

 2023年10月
 寺尾不当判決49カ年糾弾・狭山再審要求集会

 ご参加ご一同様
                   石川 一雄


(寄稿)

ガザ~パレスチナについて

       爺谷 小平(10月27日記)

2008年~2023年(10月7日以前)パレスチナの犠牲者の概数

 08年  800人
 09年 1000人
 12年  250人
 14年 2300人
 18年  300人
 21年  400人
 22年  200人
 23年  250人
 この15年間のパレスチナの死者計6400人、負傷者15万2500人。
 これに対してイスラエルは死者300人、負傷者6000人。
 10月7日のハマスによるイスラエルへの攻撃は、なぜ起こったのか。そして、それは何なのか。私たちはどう声をあげるべきなのか。何を為すべきか。

史上最悪の大虐殺を全世界反戦闘争で止めよう

 113年前の1910年、「日韓併合」に際して石川啄木は次の歌を詠んだ。「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」。啄木当時24歳。日本帝国主義の朝鮮侵略・植民地化、それは朝鮮人民にとって、国の喪失であると同時に、民族の消滅であった。それはまた、抵抗する者に対する根絶・一掃、根こそぎの暴力的圧殺と一体である。これを目の前にして、啄木は精いっぱいの憤怒と、朝鮮人民への哀切をこめて、この歌を詠んだ。こんにち、私たちもまた、同じような歴史的事態を目の当たりにしている。
 中東・パレスチナ―ガザに対して、イスラエル(とアメリカ)による史上最悪とも言える、大虐殺の攻撃がおこっている。 ガザの保健省によると、10月7日のイスラエルによる空爆開始いらい27日までに、パレスチナ側の死者だけでも7326人にのぼる。うち子どもが3038人といわれる。とりわけ17日夜、病院の空爆では、死者471人をだした。
 おこっていることは、断じて「テロへの報復」ではない。まぎれもなく、ガザ地区のパレスチナ人民にたいする、ジェノサイド(大虐殺)である。イスラエルはまた、ガザ地区を完全封鎖し、食料、水、燃料など、生存に直結するすべてを遮断し、パレスチナ人民老若男女を問わず、死の淵に追い込んでいる。

パレスチナ人として生きてるだけで死刑宣告

 「パレスチナに住んでいるかぎり、いつミサイルや戦車で殺されるかわからない。イスラエルは、パレスチナ人であることを理由に死刑宣告している。
 死刑囚が毎朝、刑務官の靴音が自分のいる房の前で止まるか否かに、恐怖の全神経をとがらせている。それと同じ苦しみを全パレスチナ人に強いている。
 子どもたちは、生まれた時から、イスラエルによる占領・封鎖・虐殺の人生しか知らない。それが彼らの人生のすべてなのだ。パレスチナの地に生まれたというだけで、パレスチナ人というだけで、死刑宣告の理由にされる。イスラエルが占領・封鎖・虐殺を続けるかぎり、ハマスをテロ集団だとどんなに非難しても、子供たちはハマスになる。それしか人生の選択肢はないから」(ヤスミンライブラリ尾上光氏)。
 毎日のパレスチナ人民の苦境に、言葉もない。1人1人に家族があり、生活があり、人生がある。しかし、パレスチナ人として、生存するだけで死刑を宣告される。
 これまでの経過でも1日にして366人が毎日殺されている。うち、子どもが152人である。1年にすれば実に13万人、子ども5万人を超える犠牲がパレスチナに強いられている。それだけとっても、とてつもない凄惨な戦争であり、これこそがまさにナチスのユダヤ人迫害に匹敵する。 しかも本格的な地上戦が始まれば、どうなるのか。火を見るよりも明らかだ。
 日々、目の前で進行する虐殺にたいしてそれを止めるために、私たちに何ができるだろうか。パレスチナ人民支援のカンパをする。イスラエル大使館、共犯者アメリカ大使館への抗議の集会・デモに参加する。
 それで十分だろうか。何ができ、どうすればよいのか。
 イスラエルによるパレスチナへの攻撃に断固反対する。イスラエルを先兵とするアメリカ・バイデン政権のパレスチナ―中東侵略戦争に断固反対する。この史上最悪の大虐殺戦争にたいして、全世界の反戦闘争を巻き起こし、民衆の力で阻止しよう。

10・7はなぜおこったのか

 10月7日ハマスはイスラエルにたいし同時多発の攻撃を行った。イスラエル側に1400人の死者、人質220人と言われる。過去何度かのアラブ諸国との戦争とは異なり、パレスチナの抵抗運動による被害としては前例がない。
 アメリカ、ヨーロッパ、日本は、これにたいして「第2の9・11(2001年のアメリカ同時多発テロ)」「第2のホロコースト(第2次大戦中のナチスによるユダヤ人大虐殺)」と、一斉に非難の声をあげた。
 「ハマスはアルカイダ、ISと同類のテロリスト集団」「だからせん滅一掃するしかない」「市民の犠牲はやむを得ない」と口をそろえ、イスラエルを擁護し、虐殺に加担している。
 だが、果たしてどうだろうか。冒頭にみた経過を、もう一度見てほしい。事件は、10・7に突然おきたわけではない。長年のイスラエルによるパレスチナの占領・ガザの封鎖、そして毎日・毎月・毎年の虐殺。そして第1次、第2次のインティファーダ(民衆蜂起)をはじめ、営々たるパレスチナの抵抗運動。とりわけ、2007年のパレスチナの分断いらい、ガザ地区への攻撃は暴虐の限りを尽くしてきた。膨大な犠牲者、封鎖による失業、貧困、衛生・医療の貧弱さの強制。ガザ地区は、生存の基盤を根こそぎ奪われ、最低限の人間として生きる権利をはく奪され続けてきた。
 このとき、これに対して、欧米日は何をしたのか。異議の一つもとなえたことがあるのか。パレスチナの犠牲には、虫けらのように扱い、まるで無視してきたのは誰なのか。そんな奴らに、ハマスを非難する権利があるのか。
 ハマスは、イスラム抵抗運動の略称で、2006年のパレスチナ議会選挙では、「自治区」全体で勝利し、「自治政府」を掌握した。イスラエル、欧米はこれを認めず、ヨルダン川西岸はファタハによる「自治政府」をしたてあげ、ガザ地区にハマスを押し込めた。ハマスは「テロリスト集団」ではない。パレスチナ人民の多数に支持されるパレスチナ人民解放組織である。

全世界の反戦闘争に合流しよう

 イスラエルによるパレスチナ虐殺戦争にたいして、全世界各地で反戦闘争がまきおこっている。ヨーロッパ、アメリカ、中東、アジアに「パレスチナの子供を殺すな」「大虐殺の戦争をやめろ」の声が広がっている。ロンドンでは数万人、ワシントンではホワイトハウス近くの広場・通りを埋め尽くし、トルコでは数十万人、日本でもイスラエル大使館に1600人が抗議の声をあげた。イスラエルでも数千人の反政府デモがおこっている。
 中東・パレスチナ問題を歴史的全面的に触れるには、何冊もの本が必要だ。2度の世界大戦と、それを経たイギリス、さらにアメリカ帝国主義による石油支配・中東支配の先兵としてイスラエルのでっち上げ。パレスチナの一方的占領と追放・「自治区」への強制収容。恒常的な侵略軍事国家としてのイスラエル、そして日常的恒常的で無慈悲な暴力支配。パレスチナの生存をかけた抵抗運動、民族解放闘争。とても語り尽くせない。しかし、はっきりしていることは、アメリカ・イスラエルによる侵略戦争に反対し、パレスチナ人民の解放闘争を断固支持する。全世界の平和を民衆の力で実現し、「国境なき民族の共存」を実現する―夢のように見えても、それ以外の解決はない。
バイデンは「ウクライナとともに歴史の転換だ」と言った。ウクライナ、ガザ、ともに局地的紛争にとどまらない。新たな15年戦争~世界戦争への導火線ではないか。しかも、プーチンや、イスラエルの閣僚の発言にあるように、核戦争もはらんでいる。
 見過ごせないのは、日本の選択である。岸田政権は、「テロにたいするイスラエルの自衛権を支持する」「市民の避難のための一時的停戦は必要だ」と、欧米と完全に足並みを揃え、大虐殺に組している。私たちは何を為すべきか。パレスチナへの人道支援も必要だろう。しかし、それだけでは、この戦争を止めることはできない。ましてや「人道支援」が、虐殺の免罪符であってはならない。
 部落解放運動として、パレスチナ人民の苦しみに心かきむしられる。帝国主義とその先兵に怒り心頭に達する。自らの解放をかけ狭山闘争を不屈にたたかいつつ、パレスチナ人民の解放闘争に連帯し、反戦闘争に決起する。全世界反戦闘争の一翼を担う。イスラエル、アメリカ大使館に抗議に行こう。全国各地で、大中小の反戦集会・デモに合流しよう。



2023年10月の記事


石川一雄さんと連帯し、

事実調べ―再審実現へ

不退転にたたかいぬこう



10・31全国結集で東京高裁を包囲しよう


悲しみも獄友一人逝かれし今

    我れ無罪きかずに天国にたてず

 
     (ホームページ「冤罪 狭山事件」より」)


 8月10日、第56回三者協議が開かれた。8月23日、布川事件再審無罪の桜井昌司さんが亡くなられた。石川一雄さんにとっては、悲報つづきの8月だった。「最近落ち込んでいた」という。
 しかし、8月末から福岡県田川郡添田町住民の会を皮切りに、現地調査、手紙や激励の贈り物が各地から寄せられた。「皆さんに元気をいただいた。そのことがうれしかった」。
 1日3万歩のウオーキングを再開。84歳の体に鞭打って、黙々と、ひたすらに歩く。狭山事件発生から60年。どれほど、その日を心待ちにしたことでしょう。科学的鑑定の新証拠に勝利を確信し、50万の署名、意見広告に「袴田の次は狭山だ」と夢に見たことでしょう。

8・10ショックのりこえ永久不滅の連帯を誓う

 8・10三者協議の内容は、朗報を心待ちにしていた私たちにとって、たいへんなショックでした。誰より、そんな石川さん夫妻にとって、どれほど残酷なショックだったことでしょう。全国連は、意見広告、毎月要請行動と、力のかぎり、血の一滴までふりしぼって、たたかってきましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 しかし、石川一雄さんは、不死鳥のようにウオーキングを再開した。冒頭の短歌にはその思いがこめられている。泣き言を言わず、愚痴一つ言わず、ただ黙々と毎日、毎日歩く。その姿に、すべてがこめられている。私たちには、その道の先が見える気がしませんか。遠い遠い、無限に見える道の先・・・・・。
 目には何が見えますか。石川一雄さんは、どんな姿ですか。早智子さんは、どうですか。不死鳥となって空に舞い上がる、お二人の姿。道を埋め尽くす支援の人並。否、支援の人並が、二人の不死鳥を胴上げして空に舞いあげています。
 10・31寺尾判決から49年(来年は50年。半世紀!)。全国結集で、大野裁判長に事実調べを迫りましょう。そして、石川一雄さん、早智子さんに、永久不滅の連帯を誓いましょう。


子や孫の未来のために、

      狭山の勝利を誓う
 

 10月7~8日、婦人部第32回全国大会が

茨城・いこいの郷 常総で開催されました。

写真速報でお届けします。




  茨城県連総出演の

「劇

子どもと孫の未来のために」




  

大会議案の提案









交流会は

いつも楽しくハジけます






二日め

福田村事件の慰霊碑へ






2023年9月の記事

11月の三者協議で


大野裁判長は

事実調べを決定せよ!!



10・31全国結集で

要請行動~東京高裁前行動へ



 東京高裁刑事第4部大野裁判長。今こそ、あなたの英断で、狭山事件の事実調べを開始してください。11月初旬の三者協議において、事実調べを決定してください。
 大野裁判長は、今年の12月をもって定年退官されます。それまでに、是が非でも狭山事件で職責を全うし、歴史に名を残す裁判長として花道を飾って下さい。
 第3次再審の申し立てから、実に17年が経過します。他に類を見ない、異例の長さです。三者協議は、56回を重ねました。弁護団による新証拠の提出は261点にのぼります。2020年に大野裁判長が担当されて3年間、こうした経過の一部始終、すべて承知されていることでしょう。ことここに至って、さあどうする、いよいよあなたの軍配が運命を左右するときがやってきました。今更、何事もなく定年退官など、許される余地はありません。
 御存知のように、袴田さんの再審開始が確定し、「次は狭山」と世論の注目が狭山事件に集まっています。昨年末からの、事実調べを求める緊急署名は、50万を超えました。大野裁判長におかれましては、自らがこの歴史的瞬間の渦中にあることを強く自覚し、真実の追求に真摯に向き合い、間違っても世論に逆行することのないよう願ってやみません。
 大野裁判長。あなたの判断で、60年間、無実を叫びつづけ、84歳になられた石川一雄さんの命運が左右されます。差別に苦しむ無数の人々の人生も左右されます。過去の轍を踏まず、この事件にひめられた差別を見抜き、公正審理に徹底してください。
 とりわけ、私たちは、下山博士をはじめとした鑑定人の尋問と、裁判所によるインク鑑定を強く要求します。
 「袴田事件」では、捜査機関による証拠のねつ造に言及し、再審開始を決定しました。狭山事件は、それこそ権力者による、証拠ねつ造のデパートではありませんか。大野裁判長は、「袴田事件」に続き、その究明に道を開いてください。
 ただちに11人の鑑定人の尋問を開始してください。インクの鑑定を開始してください。そして、この第3次再審でこそ、狭山事件の再審を開始してください。


桜井昌司さんを追悼する

 8月23日、桜井昌司さんがガンのために亡くなりました。76歳でした。 桜井さんは、茨城県利根町で起きた布川事件の犯人として無期懲役判決を受け、29年間の獄中生活を強いられました。千葉刑務所では石川一雄さんと「獄友」でした。
 桜井さんは持ち前の明るさと行動力でたたかい、2009年に再審無罪判決を勝ち取り、国賠訴訟では検察の違法行為も認定させました。
 さらに「冤罪被害者の会」を立ち上げて全国をかけめぐり、「次は狭山だ」と訴えていました。私たちは桜井さんの遺志を受け継ぎ、必ず狭山の勝利をかちとる決意です。


2023年8月の記事

9月長野、東大阪の選挙に勝ち抜こう

 夏本番。例年以上の猛暑がつづきます。この炎天下で、長野、東大阪では、連日汗だくになって、選挙戦をたたかっています。
 長野市議選は9・10告示、9・17投開票、東大阪市議選は9・17告示9・24投開票と日程が確定しました。あとひと月足らずです。
 長野市議選には、組織内候補である中央委員・長野県連副委員長の中村俊二さんが初挑戦します。地元の解放同盟を含む、部落代表としての挑戦です。台風災害の復興という住民の命をかけた要求、地を這うような4年間の活動の中から、中村候補は誕生しました。何としても勝ってほしい。何としても勝たせたい。
 それは、部落解放運動の悲願を達成する道しるべとなります。候補者・地元の奮闘に、全国から支援を集中しよう。
東大阪市議選には、連帯候補の松平要さんが、7選をめざし挑戦します。松平さんは、荒本支部の盟友であり、狭山意見広告・狭山大運動では関西の柱です。維新は、この選挙で市長候補をたて、15人の議員候補をたてます。東大阪支配をほしいままにする狙いです。維新の思惑通りになれば、診療所、青少年センターなど、荒本の生きる寄る辺が奪われます。荒本支部、国健会とともに、関西の総力をあげましょう。

事実調べ・狭山再審へ渾身の行動を

 7月17日、大阪市内・エル大阪で、狭山事件の再審を実現する関西集会が開催されました。130人の参加で、会場はほぼ埋まり、さながら狭山夏の陣への出陣式となりました。
 主催は、狭山事件の再審を実現する大運動。共同代表の長谷川弁護士、部落史研究家の本田豊さんが遠方からかけつけ、集会をリードしました。「袴田再審の教訓」として村﨑弁護士から(ビデオメッセージ)、分断をこえた運動の重要性を訴えました。
 呼びかけ人の久保敬さん(元小学校校長)を筆頭に、関西各界のよびかけ人・賛同人から訴えられ、婦人部作「現調ビデオ」上映、要請行動報告、青年部、行動提起がありました(詳細は別途報道)。
 7月25日には、茨城県連が、猛暑をこえて要請行動を貫徹しました。高齢者もいるなかで、大横断幕をかかげ、検察、高裁前、裁判所への全行動をやりとげました。
 要請行動は、昨年8月から毎月欠かさずとりくみ、丸1年を経過しました。そのための財政は、全額、自力自闘のカンパで賄ってきました。まだまだ、1度や2度の全力動員には余力があります。
 8月上旬三者協議があり、12月には大野裁判長の定年退官を控えています。この数カ月、大詰めの山場です。この非常に大事な時期、全国連は情勢判断を一分の隙もなくしっかり行い、夏場以降の行動方針をたてます。この1年をエピソードにしてしまうような渾身の行動で、今こそ事実調べ・再審を実現します。


「分断」を超えた世論の力で

     再審を実現しよう!


狭山事件の再審を実現する7・17関西集会

 7月17日(月・休)大阪市内で、狭山事件の再審を実現する関西集会が開催。130人の参加で、会場はほぼ埋まりました。主催は、狭山事件の再審を実現する大運動。




反戦・反核・反差別

被爆78年「8・6ヒロシマ福島のつどい」


 8月6日、被爆から78年を迎えた広島・福島町で、「8・6ヒロシマ 福島地区のつどい」を行いました。地元実行委員会メンバー、そして福岡、山口、大阪、奈良、また東京など各地から35名が参加し、被爆や戦争を経験した方々の思いを受け継ぎ、「過去の過ちを繰り返さない」「核も戦争も差別も許さない」ことを確認した会となりました。
 はじめに「原爆を許すまじ」歌唱、「黙とう」をおこないました。
 続いて、実行委の初期から携わり、昨年12月に亡くなった藤本安馬さんの生涯にふれ、その功績をかえりみました。藤本さんは1926年竹原市の部落で生まれ育ち、貧しい家計を支えるため、15歳のとき養成工として大久野島での毒ガス製造に従事させられました。「中国人を殺すことが英雄だった、私は大久野島で鬼になった」。毒ガスの後遺症ともたたかいながら、「鬼」にされた怒りを力にし、語り部や被害者の補償をかちとる活動をつづけてきた経歴を紹介するとともに、その生きざまやたたかいを引き継いていくことを確認しました。
 実行委からは、福島地区在住被爆者・三浦茂文さん(2017年死去)の証言記録を朗読し、被爆直後の映像を流しながら、当時負傷者を治療した医師の証言をクローズアップして、「原爆投下にかかわった者は全員絞首刑にすべき」との一言に、原爆被害の恐ろしさやすさまじさを伝えました。
 また中島晋二さんのアピールでは、「はだしのゲン」を一つのツールに、被爆の実態や当時広島に生きる人の思いなどをとらえ返してほしいこと、現在においても原発で放射線被害や問題が起こっていることをとりあげました。
 松井邦雄さんは、両親が原爆遺体の処理をした影響で、きょうだいの体が弱く、仕事もできず32歳で亡くなるなど家族の苦悩を話され、いまのロシアとウクライナの戦争や核使用に反対していくことを表明しました。
 山根努