鳥取ループ・示現舎への公開質問状

2019220
               部落解放同盟全国連合会中央本部

公開質問状を出す理由

2016年5月、部落解放同盟全国連合会(以下、全国連と略)は、中央本部を手始めに、鳥取ループ・示現舎(以下、示現舎と略)への糾弾状を何通も出した。以来3年が経過する。しかし、全国連への回答は何一つない。そのくせ、解放同盟との裁判では「脅迫的な文言」「異常・異様な主張」などと騒ぎ、失礼にも解放同盟と同一線上に全国連を並べている。あげく、「別団体であるが、解放同盟が釈明しろ」など的外れな事を言っている。

 要するに、逃げている。示現舎は「ガチで自由な論議」を謳い文句にするくせに、その信念に反するのではないか。反論なり、回答の一文でも寄こすのが当然だ。3年かかっても回答できないということは、反論する気力も能力も無いということだろうか。

 しかし、こちらは、待ってばかりもいられない。別団体だが、解放同盟の裁判の進展も考慮して、限界まで待った。全国連は、決して裁判闘争じたいを否定するものではない。しかし、裁判の準備書面をはじめ検討したが、はっきり言ってフラストレーションが高じるばかりだ。「全国連の出番だ」と期待の声も聞こえる。

 そこで、この度、公開質問状をだすことにした。そして、公開質問状だから当然だが、当該の示現舎をこえて、全国的に公表する。裁くのは裁判所ばかりでなく、一片のことわりもなく自分が晒し者にされている全国の部落大衆なのだ。したがって、あえて、公開質問状にした。

その場合、示現舎や全国連には周知の事実も、前提にはできないので、いささか長文になる。また、この公開質問状に対し、所属を超えて、自主参加大歓迎だ。ただし、参加する人は、必ず文書を全国連に送ってほしい。

 

示現舎への質問-1 <以下の事実関係について釈明せよ>

示現舎が何を言っているかではなく、まず、何をやっているのかが問題だ。

本題に入る前に、前提として、そもそも鳥取ループ・示現舎とは何者なのか、簡単に見ておきたい。

  鳥取ループとは 宮部龍彦という人物が、2005年にたちあげたインターネット上のブログの名前。

 ループとは「輪」「繰り返し」のこと。宮部は「解放運動が差別を再生産させるので、解放運動がある限り、ループのように無限に差別は無くならない、という意味で名付けた」と言っている。

  示現舎とは宮部の作った「出版社」の名前。2015年11月には、宮部と三品純の二人で合同会社を設立した。

 宮部龍彦(40歳)とは鳥取県東部(鳥取市下味野)の出身。長野の信州大学工学部を卒業。

 住所は、神奈川県座間市緑ヶ丘6-1-23 102号。

 近年、神奈川県川崎市多摩区三田4-1-11塩山壮5号室を合同会社の住所にしている。

 職業は、自称「ジャーナリスト」「ソフトウェアアーキテクト(ITソフトをつくる 会社の技術責任者)」。また「地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究」と称している。

 三品純(43歳)とは、岐阜県出身のフリーライター。法政大学法学部卒。宮部と二人で示現舎・合同会社を設立した。「新たな部落地名総鑑」の共犯者。

1)宮部龍彦は部落民なのか???

示現舎・宮部は、ある時は「正真正銘の部落民」の如く称し、ある時はシラ~と否定する。また「部落解放協議会」(・・研究会ではなく、部落民の大衆団体であるかのように)を自称している。しかも、裁判の準備書面では、自由同和会(自民党系)、人権連(共産党系)と「部落解放協議会」を並べて粋がっている。笑ってしまう。

最近(2018年11月)宮部が解放同盟の裁判に対抗して起こした反訴状でも、「全国部落調査に掲載された部落に住民登録しているから、正に部落出身者である。部落民として自分の出身地や部落に関してどう発表するかは自由のはず」と、あたかも部落民であるかのように主張する。

しかしある時は、「被告宮部の場合は本籍と出身地が一致しており・・・地名は全国部落調査に掲載されているので、短絡的に考えれば被差別部落出身者ということになるが、これも誤った考えである」(裁判の準備書面)と否定する。それにしても何と言う遠まわしの、この言い方!

真実は、宮部は鳥取市内の被差別部落に近接する、一般地区の出身である。

原告・解放同盟の出身については、言いたい放題のことを吹きまくっている。そこまでいうなら、自分の出身について、ズバリ単純明快にはっきりさせるべきではないだろうか。まず、そこから論議は始まる。

宮部は、部落民になりすまし、悪意をもって詐称しているのだ。それは明白だ。(その意図は後で見る。)そうしながら、全国連の糾弾状でその正体を暴かれ、指摘され、それ以来、うろたえているのだ。

結婚や、様々な契機で部落に住み、かつ、部落解放運動と出会い、「このムラに骨を埋める」真剣な人生選択として部落民として生きる立場の人々を、全国連は否定しない。むしろ、その人の人生選択を尊重し、仲間として歓迎する。しかし、言うまでもないが、宮部はまったくそれとは違う。

以上のような問題の設定はできればしたくない。しかし、宮部相手では致し方ないのだ。再度、宮部に問う。宮部は部落民なのか?そうではないのか?

また、宮部は、そもそも「解放令によって被差別部落民はなくなった」とか「全国部落調査でいう部落は被差別部落ではない」などと言う。では宮部の言う「部落」とか「私は部落民です」とは、どのような意味なのか?

 2)「同和地区Wiki」について

2016年2月、示現舎は、ネット上で「復刻・全国部落調査 部落地名総鑑の原点」の出版を予告した。また、ネット上でも「同和地区Wiki」を掲載し「部落地名総鑑」がいつでも、誰でも見られる状態にしていた。

解放同盟の申し立てを受け、同年3月28日、横浜地裁は同書籍についての「出版・販売を禁止する」仮処分を決定した。しかし、示現舎側は、その腹いせに、何と、解放同盟の出した裁判資料(「全国部落調査」のコピー)を、ネットのヤフーオークションにかけるという、居直り強盗の挙に出た。全国からの抗議の殺到にもかかわらず、オークションは行われ、51000円で何者かに落札された。

他方、ネットでは、裁判で「同和地区Wiki」の掲載が削除されたとはいえ、宮部は自分の手で拡散させた。今も、ネット上に「同和地区Wiki」は存在する。

全国5360ヶ所の被差別部落の地名(昔の地名と現在の地名)、戸数、人口、主業、副業、「中下」など生活程度、備考=コメント(苗字など)を一覧にして掲載し、晒し者にしている。地名をたどり、その備考欄を見ただけで、部落にヒットするケースもある。

このように示現舎・宮部がやった(現在進行中)ことは、戦前の「全国部落調査の復刻」のかぎりではない。それをはるかに超える悪質なまさに新たな地名総鑑である。                                   

宮部は「同和地区Wikiは、現在ネットでやっているのは、別の誰か」としらを切っている。しかし、拡散させた張本人であることは自認していた。宮部に問う。「同和地区Wiki」は宮部が始めたこと、さらにその拡散も宮部が始めたこと、この点に相違ないか?

3)「ネットの電話帳」について

また、ネットで示現舎を検索すれば、冒頭部分に「ネットの電話帳」がリンクできるようにしている。ほかにも、示現舎の掲載したいろんなサイトに「ネットの電話帳」がでてくる。前後関係もなく、唐突に。「ネットの電話帳」管理人は、示現舎である。

そこでは、全国市町村の地区名、個人の電話番号、さらになぜかこの地区の希少苗字、多い苗字が並べられ別掲されている。

「同和地区Wiki」と「ネットの電話帳」を照合すれば、被差別部落の地区名ばかりか、地区内住民の苗字までわかる。

示現舎に問う。「ネットの電話帳」は、何故、存在するのか?普通の電話帳以外に、なぜ別掲の地区内苗字一覧が必要なのか?

4)「部落探訪」について

 さらにまた、示現舎はネット上に「差別を無くそう・部落探訪」と称して、写真・コメント、あるいは動画(youtube)・ナレーション付きで、神奈川をはじめ、全国各地の部落を晒している。

 画面は、神社(白山神社など)、寺(浄土真宗本願寺派など)、過去・現在の主な職業、家の門札=苗字、墓地(墓石の名前も表示)、会館などの施設、共同浴場、改良住宅、掲示板、道路の様子(「道が整備されている」とか、「狭い」とか、「路駐が多い」車のナンバーも丸見えで「高級車が多い」など)、こうしたことが、全国百ヶ所以上の部落に対して行われている。

実際に、興信所などは、結婚相手や就職採用など個別の依頼に対応して、戸籍などの状況調査のうえで、聞き込みなどの現地調査に入る。まさに、部落探訪する。これらがセットで、可能なかぎり特定し、結婚差別、就職差別などがおこる。

示現舎の問題も、「新地名総鑑」「ネットで電話帳」「部落探訪」などがワンセットで、被差別部落を特定できるようにしくまれている。示現舎はネットで興信所まで演出しているのだ。目的は部落・部落民なのか、そうではないのかをつきとめ、晒すことである。

つまり、それじたいが、部落差別であり、裁判進行中も日々、手を変え品を変え、部落差別を拡大している。これらはワンセットの超・部落地名・人名総鑑なのだ。

しかも、宮部は「1975年の部落地名総鑑でさえ、具体的な人権侵害の事例は明らかでなく、完全に風評被害の類い」と、臆面もなく弁明する。

1975年の第一次地名総鑑事件の発行者・坪田義嗣も明言している。「身元調査の99%は、就職、結婚に際して、相手が同和地区であるかどうかを調べること」と。

さらに、具体的な人権侵害は後で触れる。

示現舎に問う。示現舎版「部落探訪」は、「自由な研究、そのための情報公開」どころか、「同和地区Wiki」「ネットの電話帳」とリンクした、ネットの興信所ではないのか?反論してみよ。

 5)部落解放同盟全国連合会関係人物一覧(解放同盟も同様)

 この「人物一覧」では、全国連の役員・同盟員63人(故人や除名も含む)の姓名、役職、住所、電話番号を記載。コメント付きの人もいる。まさに、特定の人々を、晒し者にしている。そのなかには、役員だけでなく、前途ある青年も晒されている。家族全員の場合もある。到底許すことはできない。怒りなしに見ることはできない。

宮部は、「自分がやったものではない」と言うが、舌の根も乾かぬ内、「ネットは拡散するから禁止しても無意味」と擁護している。

「自分ではない」と言うが、では、「人物一覧」について、示現舎じしんは、どう評価するのか?示現舎の、この点での態度表明をせよ。

 示現舎への質問-2 <部落地名総鑑をどうみるのか>

示現舎・宮部は言う「そもそも全国部落調査は、被差別部落の出自かどうか判明する資料ではない。全国部落調査を文字通り公然のものとし、その内容の研究と議論を行うことは必ず有意義であり、真の部落解放に資するものである」(裁判の準備書面ほか。以下、とくにことわりの無い引用は同じく)

 また「復刻版は、部落地名総鑑と言われたものが、実は部落差別解消のために作られた行政資料がもとになっていた・・・まさに表現の自由の範囲内である」と言う。

 さらに「全国部落調査が出版されても新たな権利侵害はおこらない」「旅行のお伴に、あるいは図書館に持ち込んで参考資料として、手軽に活用できるものをめざします」とふざけている。

 そこで宮部に問う。そもそも、「全国部落調査」の「部落」とは、被差別部落のことではないのか?そうでないのなら、一体何か?

 さらに、すでに述べたように、宮部らが「全国部落調査の復刻版」と称しているものは、「同和地区Wiki」をみるだけでも、すでに原本を超えた内容である。何の必要で、何の目的で、宮部は、現在の地名、生活程度、苗字などを記した備考欄、まで付け加えたのか?

 また、すでに述べたように、プラス「ネットで電話帳」や「部落探訪」や「・・人物一覧」が加われば、超・部落地名・人名総鑑である。

裁判では、「全国部落調査はもともと戦前に融和事業のために水平社も要求した行政資料だ」とか「解放同盟が(元ネタを)出したものだ」とか「学問、研究の資料だ」(宮部側)とか、「いや、戸籍謄本と照合すれば部落出身が特定され差別につながる」(解放同盟側)とか言い合いになっている。

「全国部落調査」の品評会につきあう暇は、全国連にはない。全国連は、これらがワンセットで、極悪の差別事件と断じる。

 宮部は、これらによって「新たな権利侵害はおこらない」と言う。寝言は寝てから言え。では、次の事件をどう思うのか。

昨年8月、茨城県古河市役所の現職係長がストーカー行為で逮捕される事件が起きた。この係長は、相手の女性に対する嫌がらせの一環として、地元の運動団体に匿名の手紙を出して、この女性は家族ぐるみで部落差別をしている、「〇○は部落だから結婚するな、特に△△姓はやめろ、エタ・ひにんは何されるか分からない、〇○には怖いから一人では行かない」などと差別発言している、というウソの差別告発文を送りつけた。〇○や△△には、相手の女性の住む町にある実際の部落の地名や苗字が書かれていた。

 この係長は、この地名や苗字をどのように知ったのか、という問いに対して、「『同和地区Wiki』の中の『茨城県』で知りました」「サイトを見て正直、驚きました。全国の被差別部落が一覧として掲載されており、このようなデータが簡単に閲覧できてしまったからです」と回答している。

 このように実際の差別事件に使われているのだ。差別に利用する以外に、どのように使うというのか?宮部よ、答えてみよ。

 示現舎への質問3 <なぜ、こんなことをするのか>

 宮部龍彦らは、なぜ、どんな理由、目的で、こんなことをするのか?誰しも疑問に思う。ここは、まずは宮部みずからに語らせよう。

  「理由は様々ですが、第一に、<同和はタブー>と思い込んでいる人をおちょくるためです」と言う。部落・部落民を暴露、晒すことじたいが自己目的?

  「啓発・教育という名目で行政や企業から利益を引き出し、金もうけしている人がいることは事実です。NTTとかトヨタ系企業とか、名だたる企業で人権同和研修があったりしますが、そういうことです」「(これまで)差別ネタは私の収入のごく一部。全国部落調査の発禁が解除されたら、今度は本格的にバンバン売って金もうけしますよ」(示現舎のツイッター)と、臆面もなく言う。自分も分け前にありつきたいという、汚い銭儲けが目的?

  解放同盟への根深い敵がい心

1、宮部の主張では、「部落差別とは血統による差別であり、住む場所による差別ではない。明治4年以降、血統は否定されており、被差別部落出身者はいない」

2、「解放同盟は、狭山同盟休校や部落民宣言を子供たちにやらせて、強制的に部落をカミングアウトさせてきた」「差別をつくりだしているのは、解放同盟のような歪んだ考えを持つごく一部の人々である」

3、「原告らは数々の差別事象を挙げるが、これらの評価においては地対協意見具申が挙げる部落差別の新しい要因の4つ目を踏まえなければならない。すなわち、何が差別かということを民間運動団体が主観的な立場から、恣意的に判断し、抗議行動の可能性をほのめかしつつ、さ細なことにも抗議することは、同和問題の言論について国民に警戒心を植え付け、この問題に対する意見の表明を抑制してしまっている、ということである」

4、「原告らの、部落差別による婚約破棄、婚姻関係の破壊という事例は多い、ということには何の客観的データも示されていない・・・部落差別があるとすれば、それは地名以外に別の原因があるからである。例えば、鳥取市の市報は、結婚差別の事例として自分から被差別部落出身だと言ったら相手の家族に反対されたことを紹介したことがある。しかし、自分から被差別部落出身者と言えば、面倒くさいやつ、頭がおかしいのではないか、と思われても当然である。自分から被差別と主張する人は、単に部落民というよりも、また別のカテゴリーの人々と考えざるを得ない」

5、「どこが部落かを隠すとよけい見たくなり、差別は無くならない。部落を普通に公開していくことが差別解消につながる。全国部落調査はむしろ差別解消に役立つ」。

以上、いささか引用が長くなった。

 この辺で、宮部の心のうちに分け入り、宮部の内心を探訪してみよう。

部落差別論、結婚差別については、のちほど触れる。ここでは、宮部が「もはや部落差別など無いのに、解放同盟が新たな差別をつくりだしている」と明言している点に注目したい。

1)果たして「部落民宣言」への反発だけなのか?

それは原体験としての狭山同盟休校~部落民宣言への反発に根差し、1986年の地対協意見具申を手本にしているようだ。

狭山同盟休校は、1976年に始まり、以後数年間取り組まれ、さらに、集団ゼッケン登校に引き継がれていった。

同盟休校は、狭山差別裁判に抗議して、被差別部落の児童や、所によっては連帯した一般地区の児童も含めて、学校の授業をボイコットすることだが、当然のことだが、学校や行政ばかりか、保護者・地域全体をまきこんだ論議が不可欠だ。

そのような困難をおして、1976年5月22日には、19都府県1500校10万人が参加した。

なぜか。1974年、東京高裁・寺尾判決(狭山事件の無期懲役判決)への怒り、当時、上告審・最高裁への要求がそれほど広範にあり、東京・日比谷公園に全国結集した闘い方と並んで、各地の地域レベルの社会的な世論形成が不可欠だったからだ。詳しくは触れないが、戦前の水平社の差別事件に対する、三大義務(納税、教育、兵役)拒否のたたかいから、教訓化したものだ。

宮部が、クラスメートの部落民宣言を体験したのは、1990年だと言う。宮部は自分で認めるように、部落に近接した一般地区に生まれ育った。では、それ以前には、部落のことをどのように見聞きし、どのように思い、接してきたのだろう?

そこが不明では、「部落民宣言」に反発したと言うが、なぜここまで解放同盟への憎悪・敵がい心を持ったのか、理解できない。

鳥取の友人からの情報によると、「宮部の父親は教師で部落問題にもかかわっていたが、解放同盟から糾弾されたことがある。宮部はそのことを、よく見ていたはずだ」ということである。実に興味深い情報である。宮部は、このことになぜか触れない。父親が糾弾されて、家庭では、どういう話題になったのだろう?宮部はどう思ったのだろう?宮部はしっかり答えるべきだ。

2)差別糾弾闘争の撲滅が真の目的?

次に、宮部が持ち出し、盾にしている地対協意見具申だが、当時「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄分割・民営化を強行、国労・総評解体を策した、中曽根政権時代のものだ。部落解放運動においては、戦後~高度成長期の同対審答申・特措法時代から、大きく転換する位置にあるものだ。

そこでは、宮部の言うように、戦後はじめて、公然と部落解放運動つぶしを宣言している。その核心部には「部落差別は解消する方向にむかっているのに、部落民の差別糾弾闘争が新しい差別をつくりだしている。部落差別解消のためには、差別糾弾闘争をなくさなければならない」と、差別糾弾闘争への解体がすえられている。

新たな部落地名総鑑事件のメダルの反面には、これがある。この点は、実に重要だ。「40年前の地名総鑑のときは、解放同盟にみんな頭を下げてしまい、解放同盟の思うままになった。今回はそれを打ち破るため」(2016年のブログ)と宮部は言う。単に、暴露マニアやぼろ儲けをしようというばかりでなく、権力犯罪の狭山差別裁判と並んで、極めて目的意識的に民間から糾弾闘争を解体・撲滅しよう、それが宮部の怨念にも似た目的なのではないのか?そして、それが宮部の原体験として隠していることと一致するのではないのか?宮部には答える義務がある。

示現舎への質問―4 <部落問題入門を入門しなおしたらどうか>

宮部龍彦は、「部落問題入門」など発行し、さも物知りにみせかけ、実は中身は空洞、賤民起源説で大雑把に御託を並べたにすぎない。

宮部は言う。部落差別とは、元来は賤民に対する、血統による差別であった。しかし、明治維新後に人口の移動が激しくなり、都市の各所に貧困者が集まる地域があった。そのような地域には、かつて賤民の居住地域だった場所が多かったことから、全国部落調査が作られた昭和初期の頃には、部落問題とは貧困問題であり、融和事業の対象は貧困者が集まる地域であった。

いわゆる解放令が出されてからは戸籍に身分が記載されることもなくなり、明らかにその時点で世襲は途絶えている。

他方では「部落差別がないとは言っていない」と言いながら、原告=解放同盟が陳述書で様々な差別体験を述べると、例えば結婚差別なら「解放同盟員と名乗るから嫌われたのだ」とか「何十年も前の話だ」などと、ことごとく部落差別を否定する。

1)  部落差別はあるという認識なのか?ないと言う認識なのか?

改めて問う。一体、宮部は、現在部落差別はあるという認識なのか?無いという認識なのか?

  部落差別とは何か、結婚差別とは何か、その現在のあらわれ方はどうか。これは、部落問題の根本テーマである。 

全国連は次のように考える。

 部落差別とは、身分的差別であり、それは「賤民」「血統」に単純化できるものではない。そのあらわれ方は、世につれて変わってくる。

 結婚差別では、その本質と、あらわれ方が典型的にでてくる。

 一般論で言えば、「政治起源説」が正しい。賤民は起源の一要因、支流のひとつにすぎない。戦国時代の末期、織豊政権時代の一向一揆への徹底した弾圧~徳川幕府による再編封建制=身分制度の確立が起源の本流である。

 決定的には明治以降、資本主義になっても、身分制度は基本的に解体されず、むしろ温存され再生産された。明治維新をやらかした薩摩が、琉球支配とともに、一向宗(浄土真宗)をキリスト教同様、禁制にし、1597年から1876年(明治9年)まで、300年間も徹底的に弾圧してきた(隠れ念仏の存在)ことも軽視できない。

それ以上に、日本資本主義にとって、それが必要だったからだ。

 「資本と賃労働」に分解、封建遺制をどんどん解体―原理的な資本主義では確かにそうだ。しかし、遅れて出発した日本ではそうは単純にいかなかった。天皇、華族、士族、平民、新平民など身分制を新たな装いで内包した。特殊部落なる呼称も用いた。

明治4年の解放令に対しては、反対一揆での強烈なカウンターもあった。

 日本資本主義が明治維新で支配権を握ってから、間もなく先住民族であるアイヌ民族への占領・支配、琉球侵略=併合、日清戦争・台湾植民地化、韓国強制併合などの侵略戦争を繰り返した。同時に農民を一方では分解して賃労働者として搾取しつつも、他の一方では資本の支配のために不可欠の産業予備軍(相対的過剰人口)として、また兵役の対象として地主制のもとに貧農を温存し、搾取、収奪した。この矛盾、歪さ。

日本の資本主義が、欧米列強と伍して成立していくには、天皇を頂点に置く強権国家が主導して、絶えざる侵略戦争と過酷すぎる搾取、暴力的な収奪で原始的蓄積をするほかなかった。こうした明治以降の天皇制国家の国内支配体制の必要から、琉球・沖縄とアイヌ(「土人」と蔑称した)を差別的に組み込むとともに、身分制そのものではないが、それに似た身分的差別を支配構造の不可欠の構成要素にした。

明治以降の部落差別は、宮部のような客観的評論でとらえきることは、到底できない。血の滴る圧政が生み出したものであり、非常に主体的な問題なのだ。

「賤民起源」や「差別解消」などは、軽薄な代物にすぎない。宮部は、部落問題入門から、顔を洗って、入門しなおしたらどうだ。

  

2)結婚差別への差別的見識を謝罪・撤回せよ

宮部の結婚差別への見識は、その内容じたいが差別そのものであり、これを法廷で言わせている東京地裁も、大いに問題だ。宮部の謝罪・撤回、裁判官の態度表明、裁判記録からの削除が必要だ。自分の子どもに「婚約の前には、必ず、堂々と出身を告げ、それで態度を変えるような相手とはこちらからお断りしなさい」と教えてきた、部落の親にとっては、怒りのやり場もない。これは、教育でも、強制でもない。差別の中で、子どもが差別に負けずに生きていく、人生訓だ。未だに、多くの親がそういわざるを得ない現実がある。

部落民が百人いれば、百人とも、何らかの形で結婚差別を体験する。その99・9%は沈黙する。事件化するのは、0・1%にも満たない。その理由が、宮部にはわかるまい。

確かに、昔と比べてその在り様は変化してきた。差別の壁をこえて無事ゴールインするケース、そこにも幾多の苦悩がある。結婚して、子どももできたのに、家族づきあいがいっさい許されず、ついには離婚するケース。結婚以前に、部落民とわかったとたん態度が一変し、破談になるケース。ほかにも、いろんなケースがある。

その場合、どれほどの人が、あえて解放同盟に相談しますか。人間としてのデリカシーを持った人ならわかるはず。運動体に相談し、問題が表面化するケースは、ほんの氷山の一角、否ひとかけらにすぎない。

氷山のひとかけらでは氷山が見えない、だから氷山はない、と宮部は駄々をこねる。それは、氷山の責任なのか。それが、どれほど滑稽で、身勝手なことであるか。それを無自覚ならば、それだけで自分の胸に手を当てて考えるべきではないのか。

結婚差別は、部落問題を映し出す鏡だ。見た目、人柄、職業・経済力、健康、そういった基準ではない、まさに「部落民かどうか」その一点で評価が決まるのだ。一軒の家できょうだい2人もが結婚差別に悩んで、家のなかで自殺した例もある。隣近所、どの方向を見ても、未婚のまま中年期をすぎる人が、一軒に1人いる。これが、現代日本の部落差別の現実なのだ。しかも、その人たちは沈黙したままである。

宮部は、じしんの結婚差別への差別的見識を謝罪し、撤回せよ。

回答期限は310日とする。

文書にて以下の宛先に必着のこと

 〒577-0023 東大阪市荒本2丁目5-31 荒本会館気付

          部落解放同盟全国連合会中央本部

 

 

28回全国大会に総結集を!

 2・24沖縄県民投票に連帯しよう!

全国の部落の兄弟姉妹、たたかう仲間の皆さん!部落解放同盟全国連合会(全国連)は、3月30~31日、第28回全国大会を開催します。今年は、狭山をはじめ、最も重要な大会です。皆さんの総結集と熱い討論が、部落と明日の世の中を決定します。集まろう!3・30、31東大阪・荒本人権文化センターへ!

  改憲決戦は沖縄から始まる

昨年後半から、沖縄・辺野古の海に土砂が投入されています。玉城知事を選んだ民意も、きれいな自然も、実力行使で踏みにじっています。国家の金と暴力にものをいわせ、民主主義も、土地も海も、抵抗権や魂の自由までも、軍事優先で奪い去る、憲法改悪の生きた教科書です。

2月24日、県民投票が行われます。沖縄の歴史・現実を学び、県民の心の奥底で結びつき、万感の連帯をこめて、戦争・基地・差別とたたかうことなしに、部落解放運動の資格はありません。

安倍政権は、天皇代替わり、戦争・武力放棄の憲法9条の改悪をもって、日本を戦争をする国にひっくり返そうとしています。また、今年は、4月末の統一地方選、7月参議院、場合によっては憲法を変える国民投票、と選挙イヤーと言われています。それらの真っ先にあるのが、2・24沖縄県民投票です。決して他人事ではありません。本土からできることは何でもやりましょう。

戦争も差別も無い世の中に天皇制はいらない

ところで、皆さんは、天皇の代替わりについて、どのように思いますか?田舎では、先祖の写真と並んで、天皇の写真をいまだに掲げています。マスコミは連日のように特集をくみ、天皇賛美・代替わり祝賀ムードを煽っています。私たちの周りにも、今の天皇は腰が低い、と好意的に見る人もいます。

しかし、天皇明仁(あきひと)も次の徳仁(なるひと)も、薩摩・島津家の末裔です。明仁の母方の曽祖父は島津家の第29代当主であり、薩摩・島津家は、琉球侵略・支配の元凶であり、同時に江戸から明治にかけ全国でも例のない残虐な部落差別を続けた元凶です。沖縄の今も、部落の今も、その点をぬきにはありません。

安倍政権は、天皇代替わり儀式をゴールデンウィークにもってきて、4月末から10連休にし、マスコミもこぞって興奮のるつぼにしようとしています。しかし、中小企業や不安定就労の労働者は、大幅収入減で「飯も食えない」不安や強労働にかられます。病院や介護はどうなるのでしょう。一体誰が労働者、高齢者の保証をしてくれるのでしょう。

昨年末1220日、天皇は「誕生日のお言葉」で言いました。「自分は憲法のもとで、象徴としての天皇の望ましい在り方を求めながら務めてきた」「次の天皇は、新しい時代、日々変わりゆく社会に応じつつ歩んでいくこと」と。自分は「象徴天皇制という形で天皇制を必死で守ってきた」しかし、「次は変わる」と示唆しているのです。

いくら騒いでも騙されるものか!部落解放のためには天皇制は廃止!代替わりなぞ、クソくらえ!

 狭山一年間決戦・示現舎糾弾

狭山の事実調べをどうするのか、今年は正念場です。事実調べなしには、再審への道はありません。しかも狭山は権力犯罪です。弁護団の奮闘とともに、大衆闘争や世論の高揚で大きな壁を打ち破るほかありません。勝負の土俵はまず下山鑑定です。下山鑑定の事実調べ実現へ、運動体としてやるべきことをやり尽くす、狭山1年間決戦にうってでます。

街宣、映画上映や学習会、署名を地域実行委づくりとして継続的にとりくみ、要請行動・中央行動を強化しましょう。

また、示現舎糾弾闘争は狭山と表裏一体です。差別糾弾闘争撲滅とのたたかいです。裁判の結審・判決が迫っています。今や遅し。待ったなし、全国連の出番です。

 

今年こそ狭山の再審かちとろう!

傘寿の石川一雄さんに再審勝利でお祝いを!

2019年1月                                          

                               部落解放同盟全国連合会 中央本部

  全国の兄弟姉妹の皆さん!共にたたかう仲間の皆さん!新年明けましておめでとうございます。昨年は狭山意見広告運動への尽力、ご苦労様でした。

昨年も西日本豪雨をはじめ、熱波、台風、大地震など、すさまじい災害が起こりました。多くの被害が部落にもありました。被災者は、復興までの遠い道のりのなか、日々の戦いとして生活再建に立ち上がっています。

全国連としては、緊急の義援金にはとりくみましたが、あいつぐ災害の集中には力不足を痛感させられました。「災害には、義援金やボランティアをこえて、生活要求闘争を組織して生活再建にとりくむ。現地を要求の主体として組織し、それと連帯して全国の団結で支援する」という方向は、朝倉の教訓からうちだしました。しかし、まだ第一歩を踏み出すこともできていません。悔しい限りです。たいへん巨大な課題ですが、決して過ぎさったことにすることはできません。

辺野古基地建設反対、憲法改悪・天皇代替わりと対決しよう

沖縄ではたいへんなことが起こっています。辺野古の海に、土砂投入が強行されています。2.24県民投票は、国家暴力と沖縄差別にたいして、県民の自己決定権をかちとる場です。断固支持し、共にたたかいましょう。

安倍政権は、憲法九条を改悪する行動を開始しました。同時的に、430日現天皇の退位、5月1日(何とメーデーの日に)新天皇即位を決定し、秋の即位の礼、大嘗祭まで大騒ぎを計画し、天皇ブームを煽っています。

天皇制は、支配と戦争の要であり、身分的差別の頂点に位置するものです。天皇制の賛美は、反面で差別を耐え難いものにし、だからこそ分裂と差別を超えた「超階級的」存在として暴力的に強化されます。

冗談ではありません。代替わりだの、結婚式だの、なぜ奴らのために税金を湯水のように使い、万歳三唱しなければならないのでしょう。全国連は天皇代替わりに反対します。

また、2020年オリンピック、さらに2025年大阪万博と数年にわたる大イベントを進めています。戦争国家への、どんでんがえしを策動しているのです。沖縄と連帯し、改憲阻止・安倍打倒へ、きむら選挙を先頭に統一地方選(4・21投票日)、7月参議院選挙をたたかいましょう。


入管法改悪を弾劾し、外国人労働者と連帯しよう

2019年1月7日

入管法改悪を強行

 安倍政権が今国会の最重要法案とした「改定入管法」が12月8日に可決成立し、4月から施行される。

 現在の外国人技能実習制度の上に、新しく特定技能という最長5年の資格をつくり、最大で34万5千人の外国人労働者を受け入れるというものだ。家族の同伴は許されない。

 無権利な奴隷労働を一層拡大しようとする安倍内閣の入管政策を許してはならない。

  暴露された技能実習の実態

 これまでも政府は、労働人口の減少や人手不足への対応として、技能実習生というかたちで外国人労働者を入れてきた。しかしそれは「労働者」ではなく「日本の技術を学んでもらう国際貢献」がタテマエだ。

 そして現在28万人もの技能実習生が働いている。その実習生の労働・生活環境がいかに劣悪であるか、その一端が今回の国会で明らかになった。

 一昨年の調査では、全国の71%の実習実施機関で労働基準法違反が見つかった。

 失踪した実習生約3千人について、法務省は最低賃金以下だったのは22人などと発表していたが、これは資料の改ざんで、実際は7割の2千人にのぼる。1割が過労死ラインを超えており、労災は日本人労働者の2倍。またこの8年間に174名が溺死、自殺、凍死などで死亡していることも明らかになった。

 このような技能実習制度の問題をそのままにして、国際貢献といったタテマエもかなぐり捨てて、大規模な「労働力の導入」に転換するのが、今回の入管法改定である。

さらにひどい環境を拡大

 新しい資格には、現在の技能実習生の5割~9割が移行することを見込んでいる。要するに、この間明らかになった技能実習生への権利侵害、奴隷労働の現実を変えることなく、さらに拡大するものだ。

 いや、技能実習制度を、国際貢献でなく労働力不足を補う労働力の確保としてホンネをむき出しにし、新たな労働資格の下支えをするものに再編するものだ。

 技能実習生として来日した外国人労働者は、日本で長く働きたかったら、5年間の実習生としての期間を逃げ出さず、文句を言わずにガマンして働け、そうすればあと5年間、新たな資格を与えて日本で働かせてやる、というものだ。

 どんなにひどい環境でも技能実習生がガマンして働いているのは、日本に来るに当たって、本国の送り出し機関やブローカーに巨額のお金を払っているからだ。そのために何十万円も借金しており、返すまではやめられないのだ。日本の受入機関とそれらはつながっている。

 新しい制度のもとでも、このブローカーを排除する仕組みはつくられなかった。

  新しく入管庁を設置

 今回の入管法改定のもう一つの柱は、法務省に新しく「出入国在留管理庁」がつくられることである。「労働力の受け入れ、雇用対策」といっても、厚労省が中心になるのではない。あくまで法務省が中心であり、現在の入管局は入管庁に格上げされ、巨大化される。

 新たに入ってくる特定技能資格の外国人労働者も含めて、出入国時はもちろん、日常の生活の隅々まで入管に監視され、違反があれば常に強制送還をちらつかせて管理を強化していくのだ。

  連帯してたたかおう

 今回の入管法改悪は、安倍内閣の憲法改悪への策動と一体である。それは使い捨ての若い労働力を大量に入れるだけにとどまらず、日本人労働者の労働条件の引き下げ、外国人労働者への差別排外主義の拡大をもたらすものだ。

 私たちは、今よりもさらに多くの外国人労働者が隣人となる。彼らは機械のような労働力ではなく、生きた人間だ。日本人労働者はどうすべきなのか、彼らは私たちの生き方を告発する存在でもある。

 入管体制の強化、憲法改悪を許さず、外国人労働者の存在とたたかいに連帯する部落解放運動をすすめていこう。

全国の兄弟姉妹の皆さん!共闘の皆さん!新年、明けましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いいたします。

異常ともいえる早い寒波の襲来でしたが、思いのほか、新春は好天続きです。中央役員を務めていた、3人の戦友が故人となりました。共闘においても、恩人が亡くなりました。北部九州の豪雨災害では、大勢の方が亡くなり、家や田畑を奪われました。新春にあたり、故人の叱咤激励を受け、身の引き締まる思いがします。

生き残った者には、何がしかの使命があると言われます。故人は何を望み、何を私たちに託したのか。私たちは、命ある限り、何をなすべきであり、何をしたいのか。

なんだか、坊主の説教みたいで、新春の号令としては、ふさわしくないかもしれません。でも、新春くらいは、決まり文句をくりかえすよりは、戦友の声、仲間の声、自分の声に耳をすまし、それらの声の手先となって、喧噪な世の中に立ち向かう決心をしてみるのも、許されるでしょう。

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