10・29狭山中央闘争で 再審実現をきりひらこう

(2017年09月06日)

全国の兄弟姉妹、たたかう仲間の皆さん。私たち、部落解放同盟全国連合会は、10月29日、東京・日比谷において、狭山事件の再審を求める集会と、霞ヶ関~銀座でデモを行います。また、中央役員、地域代表者は、9月23~24日、大阪で拡大中央委員会を行います。皆さんの参加を心から訴えます。


いいかげん差別裁判やめろ!公正に事実調べを行え!

1963年5月狭山事件発生から54年。「殺人犯」にされた、石川一雄さんは今年で77歳の喜寿をむかえました。

石川さんは無実です。しかし、当時相次いだ身代金誘拐事件で、犯人取り逃がしの大失態を繰り返した警察は、国家の威信をかけて「生きた犯人を捕らえるのだ」を至上命令にしました。そこから、狭山市内の被差別部落への集中した見込み捜査が行われ、マスコミをフル動員して「部落ならやりかねない」と露骨に部落差別を使って宣伝し、その国家ぐるみの謀略のなかで、犠牲にされたのが石川さんです。

石川さんは、孤立無援のなか1ヶ月も、超人的に否認してがんばりました。しかし、ついには「お前が認めなければお前の兄を逮捕してやる」「認めれば10年で出してやる」という、取り調べの刑事の悪魔のささやきの前に、ついにウソの自供をしてしまいました。この自供の評価・分析はともかく、以上のような状況のなかで、百人いれば百人とも、否認を続けることは不可能でしょう。

狭山事件の場合、かくもひどいでっち上げが、部落差別を使うことで、はじめて可能になったのです。

一審の浦和地裁では、異例のわずか半年のスピードで死刑判決。二審・東京高裁では、「民主派」の皮を被った寺尾裁判長の登場で、ペテンにかけ、事実審理を早々にうちきり無期懲役。この寺尾判決が、いまなお石川さんを「殺人犯」にしている確定判決です。無実でありながら、一度も公正な審理も行わず、部落差別でしくんだ国家犯罪を隠蔽し、ただただ擁護し続けているのです。

それを50年、半世紀をこえて維持し続けているのです。「部落差別解消推進法」ができても、狭山事件が解決しないかぎり、生きた部落差別は無くなりません。1974年の寺尾・確定判決からも、はや43年。裁判所は、どこまで差別の片棒を担ぎ続けるのか。いいかげん差別裁判やめろ!石川さんに、一度でも公正な態度を示せ!

現在、3回目の再審が東京高裁にはかられています。この第3次再審になって、裁判官、検察、弁護士の三者による協議が始まり、すでに33回を経過しました。そのなかで、新証拠として、「被害者のもの」とする万年筆のインキがだされました。下山博士が鑑定した結果、インキの違いは明白、万年筆は被害者のものではなく、警察のねつ造であるという結果がでました。

下山鑑定がでて1年。ようやく事態は動きだしました。検察はまともに科学的鑑定で反論できず、「民間人の意見書」を出してきました。今後、弁護団の再反論、さらには下山博士を呼んだ事実調べの要求へと、この攻防が焦点化します。今度こそ、公正な事実調べを。その実現以外にありません。

下山鑑定の大々的キャンペーンと事実調べを求める国民的な運動へ。私たちは、この大きな声をあげ、寺尾判決の終焉を宣言しましょう。


戦争と差別に反対する東京行動

トランプ大統領のアメリカと、金正恩委員長の朝鮮民主主義人民共和国との緊張は刻一刻と極限に達しようとしています。スレスレの言葉と行動の応酬は、それじたいが戦争状態と言っても過言ではありません。いつ何時、一線をこえて爆発しても、何ら不思議ではありません。

しかも、双方共に、核戦争を辞さないと言っています。また、朝鮮半島―東アジアをこえて、ロシア、中国、ひいては地球規模の世界戦争の導火線ともなりうるものです。人類存亡の問題です。

私たちは、絶対に認めることはできません。今すでに、行動をおこさなくてはなりません。

とりわけ私たちは、トランプが「戦争になれば、戦場は北朝鮮であり、アメリカ本土ではない」「北朝鮮の全滅・・・」と、かってのヒットラー同様の、民族抹殺の大量虐殺を口走っていることを見過ごすことはできません。排外主義、差別主義をむき出しにして、核をも使った軍事行使を正当化しようと言うのです。トランプの白人至上主義は、「白人さえ生き残れば、アジア人など死に絶えてもかまわない」と言うまでにいきつくのです。

安倍政権は、このトランプを全面支持し、一緒にやりますと誓っています。麻生(副総理・財務大臣)の二度にわたるヒットラー賛美発言は、こうした日米支配層のこんにちの風潮、背景があって、そこからこぼれ落ちたものです。

私たちの10・29は、戦争と差別に反対する東京行動です。100年前、第一次大戦のさなかに、ロシアでは、「パンよこせ」の国際婦人デーのデモから、たちまち国中の反戦デモに広がり、戦争を止め、世の中まで変えてしまいました。差別裁判反対のデモが同時に反戦デモであっても、何らおかしくありません。

皆さん。家族、友人、知人、みんな揃って、10・29東京で会いましょう。


狭山中央集会

 10月29日 12:30開場 日比谷図書文化館・ホール

「被爆72周年 8・6ヒロシマ 福島地区のつどい」をふりかえって

(2017年09月06日)

                          実行委員会・山根


 福島地区では3度目のつどいを,地元や全国から協賛金のご協力,ご参加のもと開催できましたことを,ここに深くお礼申しあげます。

 スーパー猛暑のつづくなか,強大な風雨を伴う台風5号の接近により,急きょ午前午後とも旧りんぽ館「いきいきプラザ

にて行うこととなりました。

 「福島地区のつどい」は2年ぶりに復帰された森島代表の司会あいさつで始まりました。

被爆から72年を経て,一番の柱である被爆者からの訴えについては,実行委員会の場においても,「被爆の実態を直接学びたい」との強い要望があり,これまでの発言者を中心に依頼しました。

ことし3月三浦さんが亡くなられ,ほかの被爆者も,「もう振り返りたくない

「体力的にきびしい」という返答が重なるなか、平野さんに参加していただき,ご自身の被爆後の苦悩などお話しいただきました。

 それを補う形で,実行委員会の李さんから3歳での入市被爆と,在日としてその後の差別や後遺症とのたたかい,そしていまの戦争政治への警鐘について。松井さんから,疎開先から広島に帰還された際みられた現状の詳しいお話をされました。

 とくに李さんが8・6において,在日の立場から堂々と主張されることは大変意義深いことと思います。日本による朝鮮侵略が,原爆投下後にようやく解放された歴史的経緯があります。侵略の拠点だった広島が被爆の被害だけを強く主張する8・6ではなく,加害の歴史も照らし合わせて,はじめて反戦反核そして反差別を掲げて真正面から平和を訴えるアピールに意味が出てくのではないでしょうか。

2011年に亡くなられた被爆者の沼田鈴子さんも,加害の歴史と向き合うその内容に大きく賛同された方です。

 また,大久野島で毒ガス製造した藤本安馬さんも,実行委員会アピールでも書かせていただいたとおり,戦争加害とたたかってこられてきた方です。部落解放運動を通じて,部落民のご自身が,中国人を「人間外の人間,殺して当たり前」と差別してきたことを自己批判され,いまも中国への謝罪や被害者の賠償請求裁判を求める運動をつづけていらっしゃいます。

 そして中田書記長のまとめからは,革共同による差別事件から独自の8・6をつくってきた経緯を振り返っていただき,あらためて「福島地区のつどい」の意義深さと継続することの必要性を感じました。

 今回,発言された皆さん一人ひとりの訴えの力強さを今まで以上に感じられました。

 被爆や侵略戦争,そして6年前の福島第一原発事故…それらは過去のことかもしれません。

 しかし,その出来事はいまもつながっています。安倍政治は,かつての戦争や被爆,そして原発事故の歴史はなかったことにしようとしています。

けれど,その責任はいまの人たちに相続されていて,何も解決はしていないこと。そして過ちを繰り返させてはならないことを,私たちに突き付けているのだと強く感じます。


平和公園の式典では,市長がありきたりの言葉を口走り,安倍総理に至ってはこの日にしか発言しない公約を並べていましたが,そんな国家や行政をつき動かすために,「福島地区のつどい」の内容を広げていかなければならないと,あらためて心に刻みました。

そして,午後の「きずなインふくしま」においても,毎年司会進行や原爆詩の朗読や歌唱,またフェイスペイント,三線演奏などと,いままでの絆のもと集まっていただき,表現いただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

また,福岡の水害に遭われた方々からも大変ななかかけつけていただきありがとうございます。会場に募金箱を設置し,7108円集まりました。集会カンパも43648円集まりました。

集会カンパの一部を,福岡への義援金にあてさせていただきます。ご協力ありがとうございました。

 また全国連本部より狭山再審を求める署名や下山鑑定の図表を掲示していただきました。

会場内の掲示となり,参加者に大きくアピールできる形式にすることが課題として浮き彫りになりました。

 そして会場内に,炊き込みご飯や飲み物,せんじがらの販売もあり,売れ行きも好調でした。準備いただいた皆様にも感謝申し上げます。

 今後さらにきびしい差別攻撃に対峙できるように,町内外の団結や連帯を深め,運動や内容を強化できる8・6ヒロシマに育てて,関係者との信頼を築き,継続したとりくみとなるよう邁進したいと思います。これからも団結してたたかいましょう!

九州北部水害の現地から 被災した水田へのポンプアップ作業レポート

(2017年09月06日)

1)豪雨災害から1週間目、田面にひび割れが入り出した表面は白く乾燥し始めた。赤谷川には、上井手(約6.5町歩)と下井手(約5町歩)の水田が広がっている。

35年前、私が解同甘木・朝倉地協の常任(書記次長)当時、二つの水路工事を同和対策事業で改修しようと話が持ち上がった。解同林田支部役員と東林田、西林田、その他関係世話人との協議で、同和対策事業としての着工の強い要望が出された。それは、ず~っと昔から干ばつになれば水の取り合いが起こり、いざこざが絶えなかった歴史を持っていたからである。

 当時、私は同和対策事業全般を担当していたが、一般地区での工事に難色を示していた行政とねばり強く交渉を行って実現させた事業のひとつだった。

 予算の関係で、5期くらいに分け工事は進められた。それまでの玉石の壁や土端だけで築かれた水路は、毎年5月の水利清掃では、総掛かりの作業を要する1日がかりの仕事だったのである。

 この水路改修事業によって、コンクリートの三面側溝と砂留の溜めマス、随所に開閉の水門と水落口がつけられたことを覚えている。それ以来、用水路はこの地の人々と水利関係者にとって大切な役割を果たしてきた。

 今度の災害で、上井手の用水路は幸いにして大きな被害はなく、取水口は壊れたが、それ以外はポンプアップで水は送れる。

一方、約5町歩の水田を擁する下井手は、約4㎞の水路を通って水を供給しているが、今回の災害で取水口のコンクリート擁壁が全て破壊され、水田や果樹園(ぶどう、梨、柿)、畑のほとんどに真砂土と流木が押しよせ、一面まっさらになってしまった。下井手の曲がりくねった水路は、あちこちで土砂に埋もれ、側溝は寸断。下流へ水が全く流れてこない状況になっている。


2)これを憂えて7月22日の夜、水利関係者の総会が開かれ、50数名が出席した。

  議案は、①被害状況と場所、および規模の大小の説明、②ポンプアップと工事場所、その経費の負担、③ポンプ管理人と水当番(各組合3名)、砂が詰まった時のポンプ引き上げと重機(ユンボ)代、④穂が出て収穫まで100日間の可動などで、それぞれについて出席者の意見を求めた。

  約2時間の議論では、各自から思い思いの意見が出されたが、経費の組合員負担や二次災害等の問題で、組合としてのポンプアップを断念せざるを得なく、来年度に向けて、水路の完全復旧をめざすことが了承された。

  我が家の水田は、下井手水路の一番下流に位置している。周辺約1町歩を10名の耕作者が耕している。この中で生き残ったのは、村上とTさんの3反歩だけだ。6月に田植えした水田は、全て土砂がかぶって、一面真砂土に埋まり、水田の境はまったく分からない。そこに巨大な流木やゴミ、がれきが溜まり、見るも無惨な水田となってしまった。(今も流木やがれきの撤去は続いている)

  我が家の水田のすぐ下にあった隣の田んぼとは3mの段差があったが、玉石で積み上げられた壁を一夜にして、ほぼ同じ高さまで真砂土で埋め尽くされてしまった。


3)水利総会で自力での給水が決定されてから、どうすべきかを考えた。①あと何日位、水の供給なしで稲は大丈夫か。②水中ポンプ(2インチ+50mホース1台)の給水で2枚の水田にどれだけ時間がかかるか。③費用をJAで見積もりしてもらうと、2インチポンプ1台3万円、ホース50m1万円。しかし注文しても取り寄せまでかなり時間がかかる。④この間、友人や知人にポンプ借用を頼む。

  7月28日夜、第2回全国連福岡災害対策会議が開かれた。13名のメンバーが、これまでの取り組みの経過、支援状況、今後の課題について検討し、最後に水田のポンプアップ問題を議論した。

  天神町支部長の玉城さんからポンプ(2インチ)を1台貸してくれる提案があった。更に新品のポンプ購入も了承され、発電機もAさんが中古を修理して提供してくれることになり、発電機も2台となった。


4)我が家の水田は2枚に分かれ、上が481㎡、下が643㎡と比較的小さい。

  29日の朝、早速ポンプアップ作業の準備に入った。幸いにも水田から15mくらいの所が川となって水が流れている。そこをスコップで真砂土を掘り、目の小さなプラスティック籠とポンプを沈めた。

  上の水田まで50m、下の水田までは20mの距離だ。ホース2本を準備し、乾燥が激しい下の水田から給水を始めることにする。発電機のエンジンをかけ、水中ポンプの電源を入れると、20mのホースから水が勢いよく流れ出したが、白く乾燥してひび割れた大きな割れ目に水がどんどん吸い込まれ、表面まで水はなかなか溜まらない。

  約4時間でようやく水面が見え始めた。しかし、やっかいなことに水中ポンプに小さな真砂土が吸い寄せられ、これを1時間ごとに除去しないとホースの中に砂が溜まっていく。昼近くになり、昼食で一旦家に帰るために、軽トラックから発電機を降ろし、ポンプアップはそのまま続ける。

  1時間後に戻ってくると、下の水田に6割ほど水が溜まっていた。給水を一時中断し、ポンプ周りの砂を除去。今度は上の水田に水を給水するため、ホースをつなぎ替える。そして再びポンプアップ開始。上の水田には平手が15㎝くらい入るひび割れがあった。

  夕方まで約4時間給水するが、ひび割れの間に水がしみ込んで表面まで水はほ

とんど溜まらない。18時すぎにこの日の作業を終え、ポンプやホースを片付け始めたら厄介なことに気づいた。40キロの発電機を軽トラック荷台に載せようと辺りを見渡すが人影はどこにもない。まる一日の作業で身体は疲弊していたが、覚悟を決め気合を入れて40キロの発電機を抱え上げた。(10年前ならこんなことはなかったと苦笑する)

  

5)30日(日曜日)朝、福岡からの応援の人と二人で水田に向かう。

  田んぼの周りの情景が一変していることにビックリする応援の人。

  さっそくポンプアップの準備。川の中の真砂土をスコップで掘り、籠を沈めて水中ポンプをセットする。車から発電機を降ろしエンジン始動。リセットした水中ポンプは、勢いよく上の水田に水を送り込み始めた。

  少しの合間をみて応援の人を上流の被災現場へ案内。25日経った今も土砂や流木の大半が残っている。大勢のボランティアの人たちが、一生懸命土砂の撤去作業を続けていた。

  田んぼに戻ってみると、上の水田は水が満杯になっている。稲葉が生き生きしてきたのを確認し、ポンプアップを一時中断し、下の水田にホースをつなぎ替える。

  つなぎ替を終えると再びエンジン全開。乾燥した田んぼの中は、至る所に水草が10~15cm程生えており,雑草をとりながらふと耳を澄ますと,石垣から這い出てきたのか水が入った上の水田から,ゲロ,ゲロ,ゲロとカエルが歌いだした。じっと聞いていると,いつのまにか10匹くらいが一声に歌いだし,久しぶりに賑やかなカエルの声を聴いた。カエルが稲の代わりにお礼の鳴き声を発しているのだなと応援の人と顔を合わせ,嬉しくなった一日だった。

  午後4時半頃には,下の水田も満杯となり,隅々まで水が行き渡ったのを見届けて,この日の作業を終了した。

  夕方帰宅すると,シルバーの友人のIさんが水中ポンプを届けてくれていた。彼は被害の大きかった松末地区に住んでいた。裏山が崩れ,住宅が土砂でつぶされた中から,倉庫内の水中ポンプを見つけ出し貸してくれたのだ。本当に感謝に耐えない。(彼は今,妻の実家のある大刀洗町に引っ越している)

  これに新しいポンプが届けば,水中ポンプ3台と発電機2台での水の供給体制が整い,稲刈りまでの100日間頑張って稲を育てることができるようになった。

  全国のみなさんのご支援に心から感謝します。


            2017年8月2日

               村上久義(朝倉市杷木町在住、全国連副委員長)


義援金配布報告

(2017年08月07日)

九州北部豪雨災害へのあたたかいご支援に感謝申し上げます。

全国のきょうだいや闘う仲間のみなさんから寄せられている義援金について、先日の災害対策本部会議の決定を受けて、村上代表が7月30日に杉馬場地区、林田地区を訪れ、義援金と支援物資を配布しましたので、ご報告します。

 杉馬場地区では、地区代表など3人が、公民館で応対してくれました。村上代表から、この義援金は、全国連を始めとする部落のきょうだいや共に闘う労働者・市民など、部落解放を闘う全国の仲間たちからのもので、果樹園の農道復旧など地区の人たちが自力で行おうとしている復旧工事の一助に充ててほしいと、メッセージ、および玄米60㎏と一緒に手渡しました。3名の地区の代表の方は、被災直後からの支援物資の提供に加え、義援金の支援までいただいてと深く感謝され、何度も何度も頭を下げてお礼を述べられました。

 村上代表は、今後も地区の復旧・復興のためにあらゆる支援をおこなっていく、果樹園の復旧作業にボランティアが必要なら支援していきたいと伝えました。


 林田地区でも、地区代表2名が、応対してくれました。ここでも、義援金が全国連など全国の闘う仲間たちからのものであることを伝え、避難生活を続ける地区のみなさんの支援に充ててほしいと、メッセージ、および精米30㎏と一緒に手渡しました。地区代表からは、被災直後からの支援物資の提供や給水支援とともに、この義援金に対して深い感謝の言葉をいただきました。

 全国から寄せられている支援物資や義援金は、確実に被災地区住民の復興支援の力になっています。あらためて災害対策本部からお礼を申し上げます。

今後とも全国のみなさんのご支援とご協力をお願いします。


2017年7月31日 


全国連福岡災害対策本部

第2回災害対策会議開く

(2017年08月07日)

2回災害対策会議開く

 7月28日、第回水害対策本部会議が、朝倉支部・天神町支部、福岡市のきょうだい共闘含め11人で開かれた。

 経過報告が、克明に確認され、次に、全国からの支援物資・義援金(7・28現在)が報告された。

  1. 支援物資

    飲料水167ケース、ポリタンク、ジュースなど、雑貨、即席味噌汁・カップ麺・野菜・スイカ等、米(120㎏)

  ② 義援金   398,534円

  ③ 支援物資の配布状況

     林田地区、杉馬場地区、介護施設に届けた

    

義援金と支援物資の配布について討議・決定した

  1. 義援金の団体名称を「部落解放を闘う全国の仲間たち(代表)村上久義」とする。郵便振替口座は現在なお手続き中。

  2. 1回目の義援金の配布先と金額

   〇 杉馬場地区 20万円。ほとんどが果樹の生産農家。果樹園まで行く道路の復旧費用の一部に

   〇 林田地区 10万円

      同和住宅が壊滅し、避難生活を強いられている住民への支援に

  1. 義援金等の配布

     村上代表から、区長など住民代表に団体のメッセージを添えて直接手渡す

 ④災害対策本部の支援活動に関わる諸経費は義援金から賄う。

 

今後の取りくみについて

  1. これまで飲料水などの現物を重点に支援物資を送っていただいていたが、今後の支援は義援金中心にしていただく。

  2. 重要な生業である果樹園を守るためには、高齢者が多いので義援金だけでなく除草作業などのボランティア活動も行う必要がある。

  3. 長期的な取りくみで、2つの地区とどうつながっていくか模索する。


復興支援ボランティア

(2017年07月23日)

全国連現地災害対策部の呼びかけで、7月16日と17日の2日間、朝倉市杷木町の林田地区で復興支援ボランティア活動が実施されました。
 新聞、テレビでは、多くのボランティアが被災地に駆けつけていると報道されていますが、今回の甚大な被害の復興には、まだまだ圧倒的に人手が足りていません。また、そもそもボランティア支援の受け入れには、事前の登録が必要ですが、その手続きさえ知らない、知っていてもその余裕がない被災者が多く、特に部落にはほとんど支援のボランティアは入っていないのが現状です。
 今回の全国連現地災害対策部の呼びかけに、「困ったときは部落民同士。組織をのり超え、こうした被災の時こそ助け合おう」と二日間で述べ20名の県下の部落の兄弟や労働者がボランティア活動に駆けつけてくれました。また、参加者は、身の回りで集めた義援金や支援物資も届けてくれました。
 今回の活動場所は、地区の中心部から少し離れたKさん宅。幸いにも地区の中心部は、同和対策事業で地盤がかさ上げ工事されていたため大きな被害を免れましたが、それがなかったなら地区は全滅状態になっていたでしょう。実際に、かさ上げ工事がされなかった古い2階建ての同和住宅は、1階部分に土砂や流木が押しよせ、住民は隣保館で避難生活を強いられています。Kさん宅も氾濫した赤谷川のすぐ側で、地盤が低かったために、大量の土砂と流木に襲われました。
 作業内容は、家や小屋の周り一面に60センチぐらい積もった土砂の撤去作業です。土砂を撤去しながら、埋まった家具、自転車、車、農機具の掘り出しも並行して行います。重機が利用できれば楽でしょうが、重機が入らない場所は、スコップや鍬、一輪車を使った手作業しか方法がありません。
被災地は、連日35度を超える猛暑続き。しかも、ボランティア参加者は、全員が決して若くはない人ばかり。大量の水を吸った土砂は、スコップ一杯でもかなりの重さ。30分に一回は休憩と水分補給をしなければ熱中症で倒れてしまいます。最初は、慣れない作業に、一日やり通せるだろうかと不安に思った人も多かったそうです。
また、二日目には大雨警報が発令され、一時避難指示も出されましたが、雨に警戒しながら被災者の家族と一緒になって作業を続行。作業にも慣れ、二日間でかなりの量の土砂を撤去することができました。
   作業終了後の反省会では、「みなさんと一緒に作業を貫徹できたことがうれしかった」「災害被害が出たときに、それを仲間で支えることは大事で素晴らしいこと」などの感想が出されていました。
 二日目の作業中には、地元テレビ局の取材が入り、夕方のニュースで放映されていました。また作業現場が国道386号線沿いのため、通りがかった車の方から「家の片付けの足しにしてください」と大量の手作り雑巾の差し入れもあり、参加者それぞれが元気をもらいました。
 次回の復興支援ボランティア活動は、7月22日(土)と23日(日)の8時~16時に行います。集合場所は、杷木町林田入り口の国道386号沿い、全国連のゼッケンが掲げられた軽トラックが目印です。多くの方のご支援をお願いします。
 参加される方は、事前に村上久義までご一報下さい。

2017年7月21日   全国連現地災害対策部

朝倉・杷木地区 災害緊急対策会議の報告 2017年7月14日

(2017年07月22日)

7月14日、緊急対策会議が開かれ、被災状況と現状、これまでの取り組みが報告されました。さらに長期化すると思われる復興支援に主体的に取り組むために災害対策部の設置を決定しました。
義援金口座の設置も決定。今、最も優先するものとして浄水場破壊のために飲料水・生活用水の確保と配布であることが確認されました。行政への働きかけもやるようにしました。

被災状況
林田地区 9戸  杉馬場地区 6戸   両地区とも人的被害はない。
断水 全戸断水(全体約1700戸)
避難 林田地区  人権啓発センターに約10~15人
   杉馬場地区 把握できていない

これまでの取り組み
  救援物資の配布  林田地区、杉馬場地区、個人
  水の配布  林田地区 生活用水500リットル、飲料水300リットル
        介護施設 生活用水200リットル、飲料水200リットル
        杉馬場地区ほか

災害対策部の設置----決定された。

義援金口座の設置----決定された。

復興支援ボランティア活動
  7月16日、17日林田地区に入ることが決定された。
長期化にどう対応するかも検討する。

救援体制の経費  義援金・カンパでまかなう。

全国からの支援物資(7月13日現在)
       飲料水 ペットボトル2リットル6本入りの箱が----78箱分
       200リットルポリタンク1個
       そのほか、紙皿、紙コップ、カップ麺、野菜ジュース、
濡れティシュー、などを支援受けました。
       送り元は 本部、福岡、茨城、奈良、大阪、山口など本当にあ りがとうございます。それぞれの地区に配布しました。
水の配布は7月8日から毎日しています。
この給水体制が厳しく、今は村上が担っていますが負担が大きく対策部で可能な人が参加する。また、行政への働きかけを追求することが決定されました。

 とりあえずお礼と報告です。


本部追記
1、 義援金は、組織的扱いのため、現地で口座を開設します。
今しばらくお待ちください。

2、 支援物資の送り先は
  〒838-1514
    福岡県朝倉市杷木久喜宮78-1
        村上 久義

   飲料水がまだまだ必要です。
インスタント・味噌汁なども希望されています。

なお、一時的に二次災害のおそれから、同地区への宅配を拒否するケースがクロネコヤマトなどであったようです。今は大丈夫でしょうが、もし拒否された場合も、災害救援だと押し込んで、請け負わせてください。
その場合、多少の時間がかかっても、届きますので。

また、クレジットカード決済でアマゾンを利用する場合は、送料は無料になるようです。参考に。

            

8・6ヒロシマのつどいの御案内

(2017年07月22日)

私たち実行委員会は毎年原爆の日の「8・6ヒロシマのつどい」を通じて,過去の戦争を反省し,その結果としての沖縄の地上戦そして原爆投下である歴史と向き合い,戦争や差別,原発事故をくり返さないための企画として取り組んでまいりました。ことしで10回目の開催を迎えます。
今年は被爆から72年を迎えます。しかし,いま世界中で戦争情勢に突入しています。そのなか安倍政権は共謀罪の強行採決,自衛隊の憲法明記=改憲,辺野古新基地建設,核の使用も辞さないとささやかれ,戦争情勢に追い打ちをかけてきています。
だからこそ,あらためて被爆者の核を許さない切実な思いや,放射能被害の恐ろしさ,そして過去の戦争加害に対する責任をあらためて学び,継承し,発信することが,いま切実に求められているのではないでしょうか。
私たちは福島地区の一住民の立場として,新たなつながり,団結のもと,解放運動を再構築しなければなりません。これからもこのムラで子孫が人間らしく生きるために,差別とたたかう新たな潮流を築き,新たな発信を開始するとともに,地元の被爆者や,差別に苦しんできた住民の世代を超えた和をつくり,新たな一歩を踏み出したい。またそこに全国からの皆様とも交流し賑わいをつくりたい。

その目的から,広島原爆の日の8月6日,福島地区にて三回目の「きずなインふくしま」を開催します。
「福島地区のつどい」では,地元福島地区の被爆者の話や,実行委員会からのアピールを中心とした集会をおこないます。そして西区役所前でのステージ,露店をはじめ,被爆についての座談会も予定しています。
この度も,本会のご参加ならびにご協賛をよろしくお願い申し上げます。

(当日の主なスケジュール予定)
被爆72周年 8・6ヒロシマ 福島地区のつどい 【広島市西区いきいきプラザ4階講堂】
8/6(日) 11:00~12:30  被爆者の訴え,実行委員会からのアピールなど
きずな イン ふくしま ステージ,飲食,展示ブースなど【西区役所前緑地帯】
8/6(日) 11:00~17:00  (ステージは13:00~)




〇実行委員会からの8・6の呼びかけ
 さん(元毒ガス工場工員,毒ガス島歴史研究所顧問)
私は1926年広島県竹原市の被差別部落で生まれ,大日本帝国憲法,軍国主義のもと,教育勅語を教育させられた。その中で,中国人を「人間外の人間」「家畜以下」とみなし,殺して当たり前の加害意識をもって,大久野島で毒ガスを製造した。
だが,部落解放運動を通じて,加害の根性をたたき直すことを強烈に自覚し,30年から40年をかけて,自己変革,自己批判をしてきた。人間が生まれながらにして持っている基本的人権に抵触し,なぜそれが発したのか,現象の本質に迫ってきた。
そうして謝罪のため中国を訪ねた。当時芋穴から8mくらい掘り下げ, 8kmもある手掘りの避難所に,毒ガスを使った。住民1,072人のうち助かったのは34人。虐殺した。慰霊碑に参拝したが,言葉で謝罪は済まされない。賠償しなければならない。しかし財力はない。国家に賠償させることを約束して帰り,そのための法律制定をいまも要求し続けている。重慶大爆撃被害者補償の裁判傍聴や,東京高裁での街宣も行っている。
日本軍は1941年12月8日,真珠湾攻撃を仕掛けた。それをしてなければ,原爆はなかった。
年代が変わるほど,加害の事実が忘れ去られていく。
しかし,大久野島はこれからも命をとっていくのだ。
安倍政権は今,明治憲法に戻そうとしている。教育勅語や共謀罪がまかり通り,まさに合法的暴力団と化している。今こそ第三次世界大戦を阻止するため,根性をつけて対抗する勢力をつくりあげていく。私にはそういう責任がある。
8・6ヒロシマは,人の命にかかわるという本質にとことんこだわり,原爆も,毒ガスも,戦争も,差別も,そして原発も,すべてにおいて,加害と被害,二つを合わせて,そこから平和を追求していくこと。
そしてそれをアピールする人間を増やしていくことが肝心である。

九州北部水害の現況  7月12現在・投稿O

(2017年07月22日)

福岡県、大分県で多大な被害を出した豪雨・山崩れの現場に行ってきた。  朝倉市に住む、村上久義副委員長が忙しい中、現地を案内してくれた。朝倉市杷木町の林田地区、赤谷川沿いの村上さんの田んぼある東林田地区、同川上流の松末小学校。そして久喜宮地区、志波地区、杉馬場地区の6か所を5時間かけてまわった。  亡くなった方が27名、行方不明者が現時点で21名の大災害だ。現場はどこも自衛隊による行方不明者の捜索活動が行われている。捜索と捜索のための道路補修は行われているが、復旧作業などはまだまだ先の話だ。杉馬場では、行方不明者の遺体が見つけられたのだろう。ブルーシートがかぶせられ、警察官が走り回る現場に出くわした。村のすぐ横だ。遺体と対面する家族のことを思うとやりきれない。 赤谷川流域の3人が流された現場では家は崩壊し泥に埋まっている。固まった泥と大量の流木をみると行方不明者の発見にどれだけの時間がかかるのかは素人の私にも想像がつく。一刻も早く救出を願うだけだ。  土台を濁流に流され、鉄骨柱一本で今にも川に崩れ落ちそうな味噌屋さん。潰れた家や1階の屋根付近まで完全に泥に埋もれた家が連なる。表からは何の被害を受けてないように見えても、裏山が崩れ、埋まっている家など。どの家も人の気配はない。あっという間もなく押し寄せる泥水に命からがら避難されたのだろう。静かだ。鶯が鳴いた。車は流され横転したり、泥に埋まっている。松末小学校の近くは大きな電柱が何本も上から数メートルのところで折れ、2階建ての屋根にのしかかっている。大きく立派な家や、高級車なども、この水害の前には、命を救うことも避難の手段にもならなかった。  赤谷川は山から出たところから肥沃な田畑を育ててきた。しかし今では、山崩れによる真砂土の固まった土が、田んぼや畑、果樹を埋め尽くし巨大な平地を作り出している。見渡す限り真砂土だ。マスコミなら福岡ドーム何十個分の広さというのだろう。赤谷川沿いの村上さんが精魂込めて育ててたんぼは無事だった。と安どする間もなく、用水路がつぶされたから枯れるしかないね、と村上さん。ほかの場所でも聞いた。泥をかぶらなかった田んぼも用水路が潰れ、今年は一粒も収穫はなかろうという。  林田の村のすぐ近くの浄水場が壊滅的打撃を受けた。真砂土と流木で埋まった。電気はかろうじてつながり、プロパンガスも細々と補給されたが生活での最大の問題は水だ。避難所になっている林田隣保館には給水タンクが備え付けられ、村上さんらが井戸水などを運んでいる。飲料水は何とか確保できるが生活用水は大変だ。大災害の避難所で繰り返される避難者の苦労はここでも繰り返される。  今回の被害の特徴は、大量の流木と泥だ。震災とはまた違った、信じられないような光景だ。普段は10mに足りない小川が、数時間の記録的豪雨で最大幅数百mにもなって氾濫した。とにかく流木は凄まじい。直径1メートル弱、長さ10メートルを超えるような大木が信じられないような場所にゴロゴロしている。みんな木の皮はきれいにはぎ取られ、美しい木肌をさらしている。その木肌の美しさが異様だ。根もついている。大きすぎてユンボでも簡単に移動できないのだろう。まず細かく粉砕して、トラックで積み出している。この流木が橋げたにひっかかり、泥水をせき止め、濁流となって平地に流れ込んだ。土は真砂土だ。乾くと固くなり、雨が降ると流れる。厄介な土だ。道路や家を埋め尽くした泥は人の力ではどうにもなるい。道路や田んぼの泥をユンボで取り除く、そして家の中の泥を取り除く・・・考えるだけでも気の遠くなる作業だ。 朝倉市でも、被害は村上副委員長の住む杷木町にとくに集中している。山肌は、この一帯だけ、あちこち爪でひっかいたように崩落している。ちょっと距離があるとはいえ、村上宅の裏山の崩落のスケールは一番大きい。一時は、道一つ挟んで隣近所まで避難指示がでて、自衛隊と警察が封鎖した。 そうしたなか、被差別部落の村の被害は大きい。差別の結果、かって川沿いの湿地帯に追いやられた部落は水害の悲惨をおしつけられてきた。今回も、林田地区はすぐ横の赤谷川が流木でせき止められ濁流が流れ込み、旧同和住宅2棟の1階部分は完全に泥で埋め尽くされ、周りは流木の山となった。昔、よく泊めてもらった住宅だ。幸い、けが人はでてないようだ。5年前の水害の教訓で、川が氾濫する前に住宅の人たちは隣保館に避難したそうだ。 隣保館がある本村は同和事業でかさ上げした。もしこの事業をやっていなかったたら林田地区は全滅したかもしれない。村上さんの話では、かさ上げ事業は同和事業の対象にならないと行政が首を縦にふらないなか、村の人たちのねばり強い闘いで実現したそうだ。杉馬場地区は川のすぐ横の6軒が、流木と泥に埋まった。住民が村上さんにお礼を言われていた。全国連からの支援のペットボトルの飲料水へのお礼だった。

5月13日~反戦・平和沖縄行動2017報告 村上久義・副委員長

(2017年07月22日)

梅雨入りした沖縄では、平和行進が中部・基地コース、南部・戦跡コースの二手にわけ始まっていた。 5月13日、全国連の行動団は、大阪から一緒の5人、福岡から1人、奈良から1人、計7人(青年3人)、悪天候のなか予定を遅れて那覇空港で合流した。 さっそく辺野古へ。悪天候で工事はストップ、テント村もすわりこみは引き揚げていたが、辺野古の海岸を踏みしめ、明日を決意。 名護の海岸で県民大会 14日、朝8時、県庁前集合、県内外の大勢の人たちと一緒に、シャトルバスで大会の会場へ。今年の県民大会は名護・瀬高海岸。海岸にステージが準備され、「復帰45年5・15平和とくらしを守る県民大会」の大きな横幕が張られ、外国人もふくめ、人、人、人の波であふれた。  実行委員長・山城博治さんが「宮古、石垣への自衛隊配備にふれ、沖縄全県基地化を許さない」と、力強いあいさつ。稲峰名護市長、県選出国会議員からは「共謀罪も廃案に」と訴え。ヘリ基地反対協共同代表・安次富さんと、高江住民の会からの報告。韓国・済州島カンジョン村で米軍基地建設とたたかう40人の代表団は「9年たたかって、昨年つくられた。しかし、あきらめない。東アジアの平和は民衆の連帯で」と訴え、大きな拍手が湧き起った。  デモは名護の海岸沿いで「新基地やめろ」「県民は負けない」と、一帯にコールが轟いた。  夕方から、「島ぐるみ会議」有志の皆さんとの交流会。初めて実現した交流会だ。お互いの自己紹介、運動の報告や思いを語り合った。オリオンビール、古酒泡盛を酌み交わし、おおいに話がはずんだ。有志の方々は、退職世代、長年復帰運動―反基地運動を担ってきた。「嘉手納の一坪反戦地主で今もたたかい、借地料は供託している」方。「70年コザ暴動は沖縄を虫けら扱いする米軍への反撃だった」と語る方。  「島ぐるみ」有志の方から「被差別部落言うても沖縄の集落のこととどう違うのか」と質問があり、水平文庫26号「部落差別の始まりと身分制度」を全員に贈呈した。2時間半、有意義な交流だった。 戦争・基地は誰のために  15日、朝9時にホテルを出て、嘉手納、普天間の基地視察のあと、佐喜眞美術館、糸満で「ひめゆり」平和祈念資料館、那覇の沖縄国際平和総合研究所を見学。嘉手納ではF16戦闘機が12機に増え、すさまじい爆音をまき散らしながら着陸した。資料館での展示物は、私の目をくぎ付けにするものがあった。 丸木俊、位里さん「沖縄戦の図」。米艦船に体当たりした特攻兵の肉片を袋に拾う米兵。集団自決の惨状。幼い少女らの表情・・・。  沖縄戦とは何だったのか。「国を守る」ということが、いったい誰の何のためのもので、どれほどの民衆の犠牲を強いるのか。なぜ、沖縄にはこれがやられたのか。・・・その沖縄は、70年たった今も基地の島にされている。  有志の方々には、心から感謝もうしあげます。これからも、共にたたかい、共に学び、かけがえのない友になっていきましょう。共に、朝鮮侵略戦争をやめさせましょう。基地を無くしましょう。  

26回大会基調報告・要旨

(2017年07月22日)

   部落解放同盟全国連合会 中央本部中田潔書記長 部落解放運動は大きな転換点にあります。安倍政権は、いよいよ憲法の改悪にのりだし、「共謀罪」などで、部落解放運動も含めて、ものも言えない世の中にしようとしています。このままだと、どんどんそうなって、差別糾弾闘争もできない、そんな風にされてしまいます。 憲法改悪に反対し、戦争阻止を柱に  戦争のできる国、そういう国にしたてあげるには、様々な改悪や、弾圧をへて進められます。そのなかで、われわれはどういう運動をしていくのか、そこをはっきりさせてたたかわねばなりません。部落解放運動の柱に、絶対に戦争をさせない、そのことを打ち立てて闘いましょう。  全国連は、三大闘争のあらゆるとりくみにあって、差別糾弾闘争を軸にしてきました。そこをしっかりさせることで、部落解放運動を再生・復権しようとしてきました。  今、若い層になかなか部落解放運動に魅力を感じてもらえない、そんな時代です。 担い手の高齢化問題も確かにあります。  しかし、では、もう部落解放運動はいらないのかと言えば、決してそうではない。 昨年の大会でも触れましたが、就労状況をみても、非正規労働者がどんどん増やされ、犠牲の集中する部落の就労をはじめ生活は非常に悪くされています。しかも、その肝心なところを支える運動は、どんどん弱められています。全国連は、そういうところとしっかり向き合い、こんにちの部落差別の有様としっかり向き合った運動を求められます。   この5年で狭山必勝へ  狭山闘争でも、そういうところをしっかりやっていく。差別糾弾闘争を軸にしてたたかっていく。そこがなければなりません。これまでの10年をふりかえって、われわれの弱点も見えてきて、その総括のなかで「新たな挑戦」をうちだしました。また、新たな挑戦のなかで、様々な人と繋がり、一緒にとりくんでいくことで、今までより広範な新たな人々との出会いがありました。  そういう努力の積み上げのなかで、狭山の決定的な新証拠をつかみとりました。石川一雄さんが、殺人犯にされてしまった、決定的な証拠とされた、万年筆が、実は、警察のでっち上げであるとはっきりわかる、下山鑑定がだされました。  我々自身は10年たたかうこともやぶさかではないけれども、石川さんの年齢を考えると、5年が勝負です。事実調べを必ず実現させることが必要です。下山鑑定を武器に、事実調べを実現し、この第3次で再審を実現しましょう。  その過程を通して、部落解放運動を元気にしていく、そういうことが求められます。勝つためには何をしてでも勝つ。目の色を変えて、やりましょう。  同和対策事業うちきりで何がおこったか  本部派は、同和対策事業のうちきりに、屈服したのだということを忘れてはなりません。  「一般対策を軸にして、それを活用していく」と言いながら、大衆的な要求闘争はどんどん闘われなくなっていった。そんななか、実際に、部落のなかでは、どういうことがおこってきたのか。  例えば、介護保険制度の改悪で、これまで利用できていた人がサービスを利用できなくなっていく。この制度が始まる時点で、我々が心配していた通り、「保険あって介護なし」にされていく。  住宅問題ではどうでしょうか。公営住宅法の改悪、応能応益制の導入、本部派はそれを認めてしまった。それから20年たって、部落の住宅にかかわる権利は、どんどん削られています。「住む権利を保障しろ」と正面から掲げ、家賃にとどまらず、いろんな点から、要求闘争がたたかわれなくてはならない。それが低下しているが、むしろ逆に、これからこそしっかりやっていかなければなりません。  同対事業うちきり以降のこうした流れ、関係性のなかで、「部落差別解消法」も見なければなりません。    お上まかせでなく、大衆運動の発展が必要  昨年の12月に、部落差別解消法が成立しました。「今さら、なんで?」我々は国に頼らない団体だし、何より同対法うちきりで何がおこってきたのか知っていますから、今度の法律はうさんくさいなと感じています。  ここ東大阪では、同対法打ち切り以降、部落やしょうがい者、在日など、それぞれが持っている特殊性やしんどさを無視して、行政は、とりあえず「人権」でくくって、いわば何もしない、されていない状態が続いてきました。あげくには、もう法律で部落が無いのだから、対応しません、そういう行政の態度です。  そこへ、今度の法律では、部落差別はあるし、国はそれを解消する責任があると書いています。これで、「これまで、部落は無いのだから対応しませんという行政に対しては、文句を言っていける」と思うのは当然かも知れません。  しかし、よく見ると、本来的に、部落差別を残しているのは、国や行政など権力なのに、遅れた意識の人が勝手にひどいことしていると捻じ曲げています。  この法に期待するとえらい目に合う。本部派は、事業の要求はしないと、言い切っています。自由同和会は「部落差別をした者には、罰があるとつけてくれれば、もう解放運動は無くてもいい」と言っています。  労働運動や様々な大衆運動が法の改悪で縛られ、小さく小さくされていくなかで、わが解放運動がこの法律のもとで、どんどんお上頼みの運動にされていく。それは、われわれが、融和運動と言っていたことです。  部落解放運動は、国・行政、お上まかせの運動ではなく、あくまで自主解放を基本にした大衆運動であらねばなりません。  そのための方針として、3つの軸<改憲反対><狭山必勝><要求闘争>をしっかり確認して闘っていきましょう。
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